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(回答先: ことのは いまむかし 投稿者 あやみ 日時 2011 年 10 月 25 日 04:38:50)
愛する、という言葉がなぜわれわれにフィットしないのか。
上記記事によると、外来語であるということ。
つまり、日本人自身、日本語に構造的に内在する、「自分が希薄」という特質に、
「私」が強く求められる、愛するということがなじまないということだと思う。そして相手を認める、君なり、YOUの意識も希薄なんだろう。
水の中に油を入れたようなものか。つまり、浮いちゃう、文字どうり、歯が浮く。
「I LOVE YOU」とか、「我愛君」、英語のと中国語の文法、我の強い人の国民(悪い意味で言っているのではない)の共通性がありますよね。まず、「I」であり、「我」ありきですよ。
土着の日本人が使っていたやまとことばかどうか知らないけど、
愛という言葉にたいして、「愛でる」、「慈しむ」、という言葉のほうが、日本人の愛にはなじむと思う。
ついでに、済む、住む、澄む、語源的(大和言葉的)には同じ(なよう)です。
http://sushi-kuinee.blogspot.com/2006/11/blog-post.html
「ものごとが落ち着くべきところに落ち着くこと、おさまるべきところにおさまることをさしている」、ようです。
知ったかぶりをすると、日本の、古代語から近代語への移行は、応仁の乱前後ということです。
私意識の希薄から発展する、あいまいな美。中間色の美、はいいんだけれど、
今、そのあいまいさが、欠点としてそのもろさを露呈させている。
「自分」を守れない、「自分の利益」を守れない、ひいては国益を毀損させている。
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