09. 2011年10月22日 13:59:36: 03bw0jfJsI
2011/10/18(水) 希望の国・中国で日本国の絶望をおもう。 きょうは、飯山一郎が本領発揮! という一日だった。 邦貨換算で15億円を出資するという西安の投資家5人が、 「老師の話を聴きたい! だから、まる一日、思う存分に語っていただきたい!」 というのだ。 「OK! 飯山一郎の理論、構想、哲学、技術論、歴史論の全てを語りましょう!」 というワケで、午前9時から午後4時半まで(昼食中も)、私は語りまくった。 じつに7時間半、語る側も聴く側も必死で、理解させよう! 理解しよう! という 姿勢に徹した、真剣で、濃密で、充実した一日だった。 結論は…、 西安の郊外、楊陵(やんりん)の農業開発区のなかにある農地(7町歩強)を、 邦貨換算2億円相当で買い求め、ここに5〜6億円の資金を投資して、乳酸菌 大量培養の技術を応用した中国一の最先端農業を展開しよう! ということに なった。 構想の一端を述べれば…、 7町歩強の敷地の中央部に、鶏の形(中国は地図上の形が鶏)の大きな池を つくり、この池で大規模な水中養豚をやろう! この水中養豚池に生ゴミも投入し、乳酸菌で発酵させて発酵肥料の池とする。 この池の水を農地に散布すれば、肥料も農薬も要らない! 建物は洒落たリゾートホテル風にして、200人の人間がが住めるようにする。 もちろん日本人が泊まってもいいし、希望者には住んでもらってもいい。 この200名の人間の糞尿や雑排水も完全発酵させて、液体肥料にする。そのほか…、 汚泥をグルンバで処理して、液体燃料をつくるプラントもつくる。 燃料化した後の汚泥カスは、乳酸発酵させてから固形肥料をつくる。 さらに…、 砂漠地帯から砂を運んできて模擬砂漠をつくり、砂漠緑化技術を実証する。 …などなど、乳酸菌の応用技術を援用する中国一の最先端農業基地の実現 に向けて、大きな一歩が踏み出せたようである。 中国にいると、気持ちが大きくなるというか、希望が大きく膨らんでくる。 しかし悩みは尽きない。 それはビザの問題である。 日本人が中国で1〜2年は住めるようなビザを取得するのは大変なことなのだ。 まして、日本政府、マスコミは、反中プロパガンダや、小沢一郎を排斥し弾圧し 続けることには熱心だが、多くの日本人の「中国脱出」(当然の権利なのだが) を喜ばない。 日本政府が中国政府に「日本人に長期ビザを与えてやって下さい」とお願いを すればコトは簡単なのだが…。 いまの日本政府は、2000ベクレルの殺人政府であっても、国民の健康と命を 守る人道的な政府ではない…。 これは悩みというよりも、絶望的といったほうがいい。 滅び去る民族・国家とは、えてして、こういうものなのだ。 TOP ◆2011/10/18(火) 中国での愉快な出会い 1週間ほど前、私は、西安市の『瑞豊酒店』に泊まったと書いた。 これを読んだ西安在住の日本人が私に会うために『瑞豊酒店』に行ったが…、 すでに私はチェックアウトしていた、と。 その日本人はカタコトの中国語で、 「どうしても飯山一郎という日本人に会いたい!」 と、ホテルのフロントで哀願したらしい。 すると、フロント部長がスタッフを動員して、宿泊名簿を見たり、「目撃者」の 情報を聞いたりして仕事そっちのけで大捜索網を敷いた、と。 このような大袈裟な中国人の親切さは、こちらでは日常茶飯事である。 で、結局、私の所在が分かって…、 その日本人は、本日まもなく、私のマンションに来る。 この続きは、後刻に。 -------------------------------------------------------------------------------- さて…、 海外に出ると、面白いというか、愉快と言うか、痛快な日本人に出会う。 余談だが…、 広州で出会った日本人のオッサンは、10年近くも中国に住みながら中国語が まったく話せない。 それでいて、中国人相手に結構おいしい商売をして儲けている。 どうやるかというと、日本語が全く駄目な若い娘を口説いて愛人にして、この 女性に徹底的に日本語を教え学ばせる。 どうやって教えるのか? と訊くと…、 「秘法なので教えられない。強いて言えば、ボディランゲージかなぁ?」 ボディランゲージと聞いて、いやらしいコトを想像したアナタは、いやらしい。 ようするに、広州のオッサンは「非言語コミュニケーション」の達人なのだ。 目は口ほどにものを言うので、視線、表情、身振り手振りのほか、やさしさと 思いやりと、気づかいと、カネづかいを総動員するのだ。 もちろん、アナタの考えるようなボディランゲージも総動員する。 やがて、ふたりは「非言語コミュニケーション」によって固く結ばれ、気がつくと 美しい姑娘(クーニャン)は、日本語が達者なバイリンガル(二ヶ国語話者)に 育っているという次第。 このオッサンと広州のレストランに行ったときのこと。オッサンは店に入るなり、 「テーブルの上が汚れているぞ。もう一度ちゃんと拭いてちょーだい!」 と野太い声で命令した。もちろん日本語でだ。 すると、店の女の子が駆けてきて、いそいそとテーブルを拭きはじめた。 私はオッサンに質問した。「この店、日本語が通じるの?」 オッサンの答えは、 「いいや、彼女たちは日本語が全く分からない。だが、意味は通じる!」 なるほど! 言葉が通じなくても、意味が通じればいいんだぁ! 今後、外国で生活し、暮らさねばならない苦難の時代が日本人には来る。 そのとき、言葉の問題で悩むことがあったら、広州のオッサンの「やり方」を 思いだしてほしい。 ようするに人間、そして一回しか生きられない人生、ずうずうしくていいのだ。 中国語が出来ないからとオドオドしないで、堂々朗々と日本語で話す。 そのうち日本語が話せる中国人が後から後から現れて手助けしてくれる。 やがて、こちらもカタコトの中国語が自然と出てくるようになる。 最初は、30語程度の単語を覚えれば、日常生活は不自由しない。 ほんと、たった30語を覚えるだけでいいのだ。 おっと、余談が長すぎた。 本論というか、きょうの結論は…、 きょう来た西安在住のオッサンは、本当に変な、しかし魅力あるオッサンで、 「広い西安のどこかに“日本人村”をつくって沢山の日本人に来てもらおう!」 と力説していた。そういう運動を5年前からやっている、という話もした。 金持ちのパトロン(中国人)も一緒に来たが、この金満家はオッサンの子分だ ということで、クルマもピッカピッカの大型レクサスだった。 …長い文章になった。 話せば長い話、日本人が聞いたら元気が出る話が沢山あったのだが…、 ちょうど時間となりました。 いまからカラオケに行かなくてはならないので、またの機会ということで。 再見(ツァイチェン)! --------------------------------------------------------------------------------
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