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ブレジネフ以降のソ連と日本 藤原博士と小室博士対談 1982年12月刊行の「脱ニッポン型思考のすすめ」電子テキスト第五章
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/571.html
投稿者 五月晴郎 日時 2011 年 9 月 24 日 17:35:01: ulZUCBWYQe7Lk
 

http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/library/komuro/komuro5.html

『ブレジネフ以降のソ連と日本』

■ソ連経済の更正と隘路

藤原 
 中国の近代化による再生を考えると、前途多難ではあるがなんとなくやっていけるのではないかという気がします。それは中国人の民族性とでもいうか、楽天的な宿命論が一種の忍耐強さを形成していて、日本人によく見られる欲望と不安にさいなまれるというパターンがあまりないところが救いを感じさせるんです。やはり大人の国の人間の落ちついた心構えみたいなものが中国人たちの生活態度の中に根強く定着していて、貧富に処する道を生まれながらに身につけています。それが物質的に貧しく見えながらも、心の豊かさとバランスをとることで、ゆっくりだけれど、安定した社会の発展をもたらす可能性になっていますよ。

小室 
 しかし、欲望がどんどん大きくなることはわかり切っているので、いくら中国人特有の没法子(メイフアーツ)の生き方をしても、社会全体としては停滞するか、さもなくば革命をまたやるということにならざるを得ない。中国人はロシア人よりも人間としての自己をたいせつにする傾向は強いですからね。

藤原 
 ロシアの農民の場合は、スレイブ人種の子孫として奴隷的な忍従の習性を持っているから、ものすごい抑圧をされてもトコトンまで耐え抜いてしまう。現在のところ、中国、ソ連、アメリカ、インドという四大人口保有国が、なんらかの形で経済的低迷に落ちこんでいますね。もちろん、アメリカの場合はものすごい底力を持っていて、再生という点では問題ないが、ソ連の場合はちょっと再生そのものも危ぶまれるという感じがするけれど、『ソビエト帝国の崩壊』の著者として、小室さんはアメリカの再生についてどう見ていますか。

小室 
 アメリカの経済危機というのは、単に経済政策が間違っていて、インフレを野放しにしてしまったところにある以上、まずやるべきことは、徹底してインフレの抑制をする政策です。インフレが米国経済の活力を損なうメカニズムは、アメリカの企業は日本のように銀行から借り入れをして自転車操業をしているのではなく、社内に減価償却のための積立て金を積む方式のために、インフレが進むと以前と同じような設備投資ができなくなる。だから、インフレはどんなことをしてでも抑える必要があるし、投資をして生産力を高めなければいけない。それに労働組合とのエスカレーション条項を削って生産性を高めるとともに、福祉も抑えなければいけない。それを徹底的にやることによって、レーガンの評判はものすごく悪くなるかもしれないが、逆にアメリカの企業は悪循環から解放されて、アメリカ経済が根本的に立ち直れるわけです。

藤原 
 だから、アメリカの非社会主義化というか、非ソ連化の経済政策に邁進することによって、アメリカはいくらでも立ち直れる。アメリカでビジネスを行なっている僕にいわせるなら、この国はフリーエンタプライズの砦だけのことはあって、適者生存の論理が実に徹底的に支配している社会です。そして、アメリカの経済のダイナミズムを支えているのは、独立独歩の精神とチャレンジの勇気を持つ中堅から小規模の企業である。大きな組織を作り上げてしまった大企業というのは、概して過去の遺産で食いつないでいる不良会社に属しているのです。

小室 
 大企業というのは、どうしても組織的に官僚化して硬直せざるを得ないから、動きはニブイし保守的になってしまう。その最たるケースが政府機開であり、レーガンが小さな政府の必要性を訴えて大統領になった。

藤原 
 日本では借金することが経営能力と同じように考えられていますね。ところがアメリカでは自己資金比率が非常に高くて、借金経営をしているのは駄目な会社に決まっています。その典型がクライスラーを筆頭にしたフォードやGMといった自動車会社であり、金融市場を通じて、いわゆるコマーシャル・ペーパーという手設で一般から借金をするのです。われわれビジネスをしている人間は、十万ドルとか二十万ドルといったまとまった資金が三日ほど遊んでいると、このコマーシャル・ペーパーで資金を運用して利息稼ぎをする。一時期プライムレートが二十パーセントを超したことがありました。あのときなんか週末の金曜から月曜までの間にこのコマーシャル・ペーパーで資金を活用して、三大自動車会社から利息を稼ぎ取ったりしたけど、これがアメリカのキャピタリズムなんです。借金しない限りビジネスを継続できないような会社は、たとえビッグ・スリーであっても、小金を持ったものによって借しみなく収奪されていくんです。

小室 
 野性が支配している世界とよく似ていて、ちょうど象が狼に襲われているような感じですな。一番強いのは大企業ではなくて、敏捷性を持って動ける小さな会社や小金を持ったほんとうのキャピタリスト....。

藤原 
 自分の判断で何十万ドルという資金を右から左に動かせる小さなキャピタリストがアメリカにはたくさんいて、これが活力を生み出している。それにアメリカでは、彼らこそ中産階級を自認しています。だから、アメリカで最もモチベーションとパイオニア精神を持った、これらのベンチャー・キャピタリストたちが健在であり続ければ、アメリカはまったくトラブル・フリーです。その点では、日本ともまったく違うし、ソ連とは天と地の差があります。

小室 
 これは本にも書いたことですが、ソ連の場合、一番困るのはマルクス・レーニン主義が破綻しており、農業が完全に駄目になっている点で、資本主義的な企業になればなるほど栄えている。工業にしても、裏の経済のために表の産業が侵蝕されていて、社会が機能マヒを呈しています。ある会社の経営幹部が機械が壊れたので部品を手当てしたいと思っても、書類を作ってそれをモスクワに申請することから始めなければならない。モスクワは今度部品工場に注文するが、直接自分の必要するものではないから、どうしてもお座なりになる。だから効率は至って悪いし、現場ではさっぱり仕事にならないのでノルマは上がらない。ノルマが達成できなければ、祖国への義務が果たせないというので、下手をすれば責任を取らされることになるから、裏の経済からヤミの部品や原料を買ってこざるを得ない。これはどういうことかといえば、リスペクタブルであればあるほど自己矛盾に陥ってしまって、システムが機能しなくなってしまうんです。そして行きつくところは日本の企業みたいに、リスペクタブルな人間と犯罪者が一人の人間の中に同居することになる。そうしたら規範はメチャクチャになり、完全なアノミーが支配するということです。

藤原 
 裏と表が逆転して、ヤマトニズメーションがソ連にはびこってしまうわけですよ。

小室 
 現在のソ連で汚職や犯罪が激増しているといっても、それが本人の心がけが悪くて汚職や犯罪に走るのだったら、社会全体としては少しもこわくない。ところが、個人の心がけや良心の欠陥の問題ではなくて、不正をやらない限り社会が機能しなくっているのだから、これは末期的な症状です。だから、ソ連を救うためには、経済体制そのものをもっとオープンにしていく必要がある。現在のソ連を観察する限りでは、農業だって資本主義的な経営をしているものが一番優れた成果をあげている。そうであれば、農業の資本主義化を手がけるのはもちろんのこと、工業もすべて資本主義のやり方を取り入れなかったら、破綻するばかりです。ということは、ソ連を崩壊から救うためには現行の社会主義路線をやめることだが、そうなるとソ連がソ連でなくなってしまう。

藤原 
 日本の島国根性を大陸規模で実現しているソ連が、もっとオープン体制をとることによって突破口が開けるのです。開放的な社会は水や空気だけでなく、あらゆるものの流れがよくなるから、流動することによって腐らない。人間の流れだって同じであり、各人が才能を発揮するように生きることが、社会において差別のシステムと対立しないですめばいいのだが、ソ連の場合は、ある特殊な路線にのらないと、人間としてまともな生き方を保障されないようになっている。この辺も生存の自由と社会の関係において、重要な問題を含んでいますね。

小室 
 驚くなかれといったらピッタリだが、ソ連では一番優秀な人間が技術者や科学者になり、その次が政治委員や軍人になる。しかも、技術者の数で較べてみると、普通の工業技術者がアメリカの二・七倍、農業技術者に至ってはなんと八倍もいる。ところが、ソ連の技術はガタガタといってよく、それは組織上の欠陥が大きく響いているのです。
藤原 技術は理論的な性格の強い自然科学とは違って、産業界という実務的な要素が強く働くので、産業がはつらつした状態で活動しないままヤミ取引と結びついているようでは、とても高いパフォーマンスは期待できません。しかも、産業社会全体が機能的に作用しない限り、テクノロジーはその力量を存分に発揮できませんよ。

■日ソの同質性とアメリカ社会の差

小室 
 ソ連のリーダーには、社会科学的な発想が全然といっていいほどありません。だから、優秀な青年たちを集めて才能教育を施こし、次に技師の頭数さえそろえば、技術はいくらでも進歩すると思い込んでいる。こういった態度はまったく度しがたいほどの社会科学オンチであり、インテグレートされた問題のとらえ方がまったくできていない証拠です。

藤原 
 それは日本人だって同じですよ。総合的に問題を見ないで一面的な判断しかしない点では、日本人とロシア人は実によく似てます。技術の背後にある思想や精神といったものの理解を抜きにして、単なるテクニックとしての技能を性急に身につけようとするから、結局はテクノロジーがマスターできないのです。だから、日本とソ連はともにハードウエア指向型の産業社会を作り上げている点では、東西両陣営における双壁です。ソフトウエアに対しての無理解と軽視が非常に目立っている点で、実によく似ている。日本人の大部分は日本人とロシア人は根本的に異なった生き方をする民族だと思い込んでいるけど、受動的な忍耐力と暴力的な爆発力を持つ感情と衝動を裡に秘めて、被害者意識で外部世界を眺めている点では、実にそっくりです。ただ文化の次元で異なっていて、それが社会面での違いとして現われているだけで、小室さんは封建的というかもしれないけれど、僕には共に原始共産制に見えるんです。テクノクラートが官僚として機能する、行政指導型の共産主義です。

小室 
 技術者が役人として動脈硬化を起こしているという点では、たしかにその通りです。ソ連で最も優秀な人材を飼い殺しにしているので、エンジニアリングが少しも進歩しない。

藤原 
 やる気を持ったエンジニアがソ連から脱出してきた例をいくつか知っていますが、僕がカナダで部下にしたロシア人の技術者は、コンゴに派遺されてそこから亡命しているんです。家族は全員ソ連に置き去りでの単身亡命ですが、ドン底で二年くらい頑張ってから実力で新しい社会の中に地歩を築く例が多い。というのは、数学や基礎科学を徹底的にやらされているので、二年くらいで十年近くも遅れたテクノロジーを克服して、最先端のカナダやアメリカの技術水準に追いつけるのです。

小室 
 ロジックの体系ができ上がっていれば、その応用というのはいくらでも利きます。日本とアメリカ大学を比較すれば、ロジックによる基礎固めがいかにたいせつであり、将来への布石にとして役に立つかが一目瞭然になります。とくに社会科学において、日本ではロジック形成の修業が軽視されている。たとえば、日本で大学に残るなんていうと、たいへんな秀才でなければいけない。ところが、その最高の人材が大学を出て三年か五年経つと、みながみなグータラの阿呆みたいな人間になってしまう。それに較べるとアメリカの大学院で社会科学系なんていったら、それこそネコも杓子も受け容れる。初めから本当の阿呆は別だけど、アメリカでは阿呆に近いような学生でも、五年か七年も勉強するとちゃんと成長して、立派なPh・Dの論文をまとめてまともな人材になってしまう。だから、アメリカのシステムは実に恐ろしい。

藤原 
 その通りですね。アメリカに留学した日本人の学生は、大学一年の数学が日本の高校二年くらいの水準だ、といって馬鹿にする場合が多い。たしかに、日本の受験数学のようにひねくれた問題に悩まされないようになっている。ところが、三年くらいたつとアメリカ人は徴分方程式だろうとトポロジーだろうと、ものにして自由に使いまくるのが学生として当り前になってくるんです。

小室 
 それは数学的な考え方が理解できて、ほんとうに身についてくるからです。そうなれば自信がつくだけでなく、独創的な発想もできて十分に一人立ちが可能になる。

藤原 
 そのことが大いに関係していると思うが、アメリカがたいへん健康だという証拠として、優秀な人材はいつまでも大組織にとどまらないで、一定の修業をして大企業のやり方をマスターすると、より小さな所へと転職を繰り返し、最後には一人立ちして自分で独立したビジネスをやることがある。これはピーターの法則を見るまでもなく、自らの無能さによって最高の地位に安住するという大組織の属性に対して、実力を持つ人材は耐えられないからです。

小室 
 それに、実力を持った人材に対しては他の組織からスカウトの手が伸びるし、精力的にスカウトをするのはより小さな所だということでしょう。

藤原 
 組織が小さければ官僚化が進んでいないし、より責任のある仕事がやれるせいです。ところが、日本人は自分の尺度でしかものごとを考えない癖があるので、大企業に残っている人間は優秀に違いないと、勝手に思い込んでいる。一応、日本のシステムからすると、大学を卒業する時点における優秀な人材を、とりあえず大企業が大量に拾い集める傾向があります。

小室 
 ところが、大組織が大学院と同じことをしていて、優秀な人間をみな駄目にしている。しかも、平等主義の考え方が根強いから、出る杭は打たれるだけでなく、低い水準に全体を合わせようとする。だから人材が人材でなくなってしまうし、終点の定年まで共同体の中からはみ出さないような消極的な生き方になってしまう。この頃は少し変わってきたとはいえ、日本の社会では転職はほとんどしないことになっていて、永年勤続こそが唯一の名誉となっています。

藤原 
 アメリカの場合は、大組織というものは、人生における出発点である最初の三年か四年間に、修業のために行くところであり、あとは自分の腕が存分に振えるより小さな組織を三年ごとに三回か四回変わって、最後には人間のネットワークを生かしてコンサルタントになるのです。とくに最初から役人になろうとするのは役人にしかなれない人間であり、コンサルタント業経由で政府のアドバイザーになるのが実力ある人間のやり方です。

小室 
 役人にしかなれない人間が役人になるという考え方は非常に面白い。もっともそれが日本で通用するようになるまでには、まだまだ時間がかかるだろうが....。

藤原 
 それは東大にしか行けなかった人間というのと同じです。世界の水準からいえば、東大卒などというのは手柄でも名誉でもなくて、アジアの片隅の田舎大学の一つにすぎません。

小室 
 どんなに威張ってみたところで、ノーベル賞ひとつもらった教授さえいないんだから....。

藤原 
 ノーベル賞は平均的な人材にしか与えられなくて、超天才は審査員が理解できないということで受賞対象にならないが、それにしても東大は象牙まがいのプラスチック製の塔にすぎません。東大がすべてにおいて最高だなんて信じている人がいたら、絶対主義が東京を頂点だと信じこませた後遺症で、完全な明治ボケです。日本の尺度は世界には通用しないし、日本を基準にしてアメリカのことを考えたら、とんでもない誤解をしてしまう。日本の尺度がそのまま通用するのは、おそらく官僚主義でこり固まっているソ連だけじゃないですか。

小室 
 その通りかもしれない。実に役人が天下を抑えているところなど、まったく救いがたいです。

藤原 
 小室さんが『危機の構造』で分析した日本のアノミーが、まったく同じ形で『ソビエト帝国の崩壊』の中で描き出されています。だから、日本が破綻するのと同じパターンでソ連も行き詰まりかけていて、まさに好一対といえる。ただし、ひとつの例外があって、日本は単一民族国家として多様性を持ち合わせていないのに対し、ソ連のほうはそれを持ち合わせています。この多様性を保ちながらこれまでバランスを取ってやってきたという点は、彼らが蓄積したノウハウと見ることも可能だけれど、強味は条件の変化によっていくらでも弱味に転化します。その辺がこれからの面白い見ものになると思いますね。

小室 
 ソ連の場合、軍需工業化してまった産業が、硬直している官僚組織と一体になり、自己運動をすることが一番危ない。現在のソ連の国家機構というのは、ひとたび自己運動を始めたら、たとえブレジネフであろうと誰であろうと、もはやそれを止めることはできないようなメカニズムになっている。だから、ソ連を心理的に追いつめて絶望感を持たせてはいけないのであり、対ソ軍事同盟の包囲網が締めつけを強めたという気持ちを連中に植えつけるの実に危険だ。中国に対して日米両国が国交を回復して、三国軍車同盟が成立したとモスクワは大いに気にしているときに、日本人が奇妙なソ連脅威論の熱気に興奮状態に陥っているし、アメリカはレーガンの対ソ強行策でロシア人の神経を逆なでしている。こうなるとソ連としてはいよいよあせりの気持を強めざるを得ないのです。

藤原 
 それに多民族国家としてのソビエト連邦が一枚岩とはとてもいえない状況になっています。モンゴリアン系の遊牧民、南に陣取る回教的な価値観を持った民族やユダヤ人、それに、キエフ公国の末裔として農業地帯に拡がる農耕民、支配民族としてのロシア人といった民族的な対立の上に、エリート階級の特権と一般大衆の怨嗟といったものがあって、ソ連は内部的に分解しそうです。

小室 
 ソ連の特権階級は共産党と政府を支配するエリート層を頂点として、軍人を中核にしたテクノクラートが存在し、経済的にも社会的にも封建貴族以上の特権を思うままにしている。しかも、日本の代議士と同じようなもので、この特権が世襲化しています。ところが、ソ連における特権階級の存在は共産主義の原則からするとあってはならないものであり、社会学的な意味では、あくまでも非公認の階級ということになる。中世の封建社会でも近代の資本主義社会においても、特権階級は公然と存在していたし、その存在も無条件とはいわないまでも、社会的に認められていた。歴史的に見ても、富みや名誉が権力と結びついてひと握りの階級によって独占されていると、そこには革命が生まれる基盤があるので、現在のソ連社会は、まさに革命前夜といえます。外見から体制は威風堂々としていると見えても、ひとたび群集が蜂起すると手のほどこしようもない混乱に陥って崩壊してしまうのです。

藤原 
 ソ連の場合は、鉄の規律で国家秩序が確立されているように見えるし、日本の場合は、繁栄によって社会が安泰であるような印象を与えるけれど、特権を持った宮僚支配と過度の中央集権制によって、社会が硬直しているから、いざとなったら実に脆い体質を持っています。

■ソビエト共和国の崩壊

小室 
 ソ連という国は共産主義と同義語であるスターリンへの絶対信仰によって、その存在を確認しただけでなく、統一体としての基盤にしてきました。ところがスターリン批判によって、旧来の政策が人格とともに否定されたので、ソ連という人工国家は信頼の基盤を失ってしまい、政府の命令は信奉されないし、逆に反感をもって迎えられる気配がいよいよ強くなっている。水爆の父と呼ばれるサハロフ博士や、ノーベル賞作家のソルジェニーツィンの反抗はその兆候のひとつであり、いまのところは限られた準エリート層でくすぶっているにしても、次の段階ではこれがより大衆の次元に移って燃え拡がりますよ。昔からウクライナ人や白ロシア人の問題があったし、ユダヤ人のエクソダスがカーターの人権外交にとってのつけ目だったことを思い出すなら、これからのソ連は実に厄介なことを次々に処理しなければなりません。

藤原 
 それに、アフガニスタンヘの侵攻を通して、南部ソビエトの回教徒圏にイスラム世界におけるファンダメンタリズムがかなり入ってきている。外のイスラム世界を体験してきたソ連のイスラム教徒が、内と外では本質的に異なったイスラムの精神世界があると自覚するようになりました。そうなると、従来の北のモスクワヘの忠誠心に代わって、南のメッカに向かっての忠誠心が強く現われる段階で、共和国としてのソ連の解体のきっかけが生まれるかもしれません。

小室 
 日本の新聞ではまったく取り上げられなかったが、グルジア共和国の首相が暗殺された。この事件はイスラム世界がソ連を内部から崩壊させる動きと結びつきを持つ点で、クレムリンを大いに動揺させたということです。

藤原 
 ソ連のアフガニスタン侵攻の決断だって、アミン政権のソ連離れが直接の原因だったし、ソ連を構成しているソビエトの各人民共和国や自治国が、クレムリンに対しての忠誠心を放棄するような破目になれば、これは大混乱になる。おそらく内戦じゃありませんか。

小室 
 それは違います。日本人が知らない盲点がそこにあって、ソビエト連邦を構成する各共和国は、いつでも自分の判断で 飛び出せるのです。こ点が非常に重要なのに誰も注目していません。

藤原 
 でも、ソ連邦から離脱しようとすると、国家への反逆ということで軍事裁判を受けるのではないですか。

小室 
 それは政策としてどういう対応をするかの問題です。伝統的なロシア人の防衛的膨張政策のやり方からすれば、当然の反応として離脱を抑制する手段をとるでしょう。しかし、連邦国家としては、ある共和国は合法的に離脱し得るのです。その点が日本やアメリカと根本的に違うのです。

藤原 
 日本では県が日本国から離脱して独立するという発想すらありません。それに、仮にアメリカである州が独立宣言なんかやったら、たちまち戦争が始まりますよ。

小室 
 第二次南北戦争です。だいたい南北戦争自体が南部諸州が合衆国を離脱して連合を作るといったら、「そんなことはさせない」といって北軍が攻め込んできたのです。

藤原 
 カナダでケベックの独立が政治問題になっていて、ケベック州が強気の発言をしている理由は、根強い劣等感かあるだけでなく、実はカナダの軍隊の大部分はケベック人だから、いくら連邦政府が軍事制裁をしようとしても、ケベック人がケベック州民に銃を向けることはないという読みもあるのです。

小室 
 ソ連の場合は、モスクワに忠誠な体制に組み込まれた赤軍があるから、その心配はないでしょう。それにソビエトを大祖国と考える自国中心のロシア的愛国心の存在もその理由のひとつだが、これまでどこの共和国も独立しようなととしなかったのは、モスクワと結ばない限りやっていけないほど、各国が独自の生存能力を持ち合わせていなかったこと。とくに回教共和国なんてあまり生産力を持ち合わせていないから、ロシアを中心にしたその他の共和国が必死になって、経済援助をやったのです。だから、飛び出すよりもとどまっていたほうがいいという判断もありました。

藤原 
 もっと重要なことは、情報がスムーズに伝達されなかった点であり、これがソ連の安定の決め手になっていました。まず自由で多様性を持った報道機関が存在していないし、活字になるもの自体が厳しい検閲の関門を通らなければいけない。それに秘密警察が至る所で網を張っているから、人的な交流もスムーズに行なわれない。こういった情報の流れの過度にわたる制限は、情報を持つ階級と持たない階級という対立と差別を生み、マルクスが予言した階級対立による革命が起きることを予想させずにはおきません。マルクスは資本という基本的な資源や生産手段というハードウエアだけを見て、革命による階級性の消滅を社会主義化に期待したけど、ソフトウエアの面からするとソ連的社会主義は革命で転覆されなければならない階級社会に他ならないという皮肉が生まれてきます。

小室 
 ソ連では共産党やトップという一部の特権的エリートたちが情報を独占支配することで、かろうじてソビエト体制を維持できていといっていい。しかも、複雑な操作が行なわれていて、同じ新聞でも一般大衆向けに編集した検閲ずみのもの、役所や地方の共産党員に配布するために編集したもの、それに政府の高官や党の幹部だけに限定された特別版といった具合に、同じときに異なった版が作られています。本だって同じことで、問題になりそうな個所はきれいに取り除いてある一般向けと、研究向けのオリジナル版があって、限られた人の目にしかふれないようになっている。このようにソ連では世俗の権力としての政府が人間の内面の問題や価値判断にまで干渉するのです。この点で表現の自由が猥褻罪ということで役人の判断に支配されている日本では、ソ連ほど弾圧的ではないにしても、似ているといえます。

藤原 
 日本はどうでもいいような下らない情報は野放し状態だから、一見すると報道の自由はいくらでもあると国民が思い込んでいる。ところが、石油の備蓄が正確なところ原油の形で何トンあるかとか、国民年金支払い用の財源がどれだげ赤字であり、今後五年間の累積赤字はどれくらい巨大になるか、といった情報は知らされていない。というよりも、実体とまったくかけ離れた虚妄の数字がまことしやかに発表されて、情報操作が行なわれています。たとえば、石油の備蓄の場合についていえば、中東から日本に向かうタンカーが積んでいると予想する石油も、製油所が保有する原油と石油製品、それにガソリンスタンドが蓄えているはずの製品がすべて含まれているのか、それとも、備蓄基地にある石油だけなのかという点は誰も正確なところは知りません。ただ、備蓄は百日分あるという報道に従って、国民はそれを備蓄基地にある石油のことだと思いこんで安心しているのです。

小室 
 ことによると頭のいい官僚のことだから、自動車のタンクの容量の三分の二はガソリンが詰まっていると計算して、そこからタンカーの分も含めて全部を足した数字を備蓄の範囲にしているかもしれない。すべてを足したからといって、それが備蓄石油という概念でおさまるかというとそんなことはなく、備蓄はあくまでも部分集合であって全集合ではない以上、意識的にそのすり替えをすれば詐欺と同じ犯罪行為になります。

藤原 
 日本の権力者は大本営発表という前科持ちだから、数字を使った情報操作があるはずだと疑ってかかったほうがいいです。ソ連の場合も、数字は信用しないほうが身のためだと思います。それにソ連の権力者は戦前の日本の権力者と同じで、都合の悪いことは事実まで抹殺してしまうでしょう。

小室 
 政治的な理由で人名が百科辞典から消されるだけでなく、ことばまで粛清されて存在を否定されてしまう。これはビザンチン世界特有の現象であり、モスクワがビザンチンの正統の後継者として聖俗の二元論を認めず、俗界の支配者であるクレムリンが、当時に聖なる世界の支配者として君臨するのです。だから、ロシアのマルクス主義は西欧諸国のマルクス主義と根本的に違っていて、近代デモクラシーが完全に脱落したマルクス主義ということになる。結局、ソ連の共産主義体制は農奴制の延長の他ならず、家父長的な共産党が絶対支配をするところの、一種の神権的な専制帝国というべきでしょう。そこに社会学的な意味において、封建制を現在に維持している日本と共通のものがたくさんある理由も、十分に納得されるわけです。

藤原 
 ほんとうに正しい情報が国民によって十分に理解されると、こういった前近代が支配する。社会は内部崩壊してしまうから、権力者はどうしても情報操作を続けざるを得ない。だから、ソ連ではそれが秘密警察を使った監視や検閲の形をとるし、日本では愚民政策を通じた情報の不純化や、文部省の教科書の検定制みたいなやり方が使われるのです。とくに最近の文化反動に見るように、マスコミの自己検閲が強化され、僕の体験でもナマ放送はどうにか放映されたけど、ある番組では、僕に国際情勢について三十分もしゃべらせておいて、放映中止までやってのけたのです。自由に放映して聴視者にその判断をまかせたらいいし、それを認めるところに近代的な民主社会の基礎があるのに、政治的なコメントに関しては狭い枠の中でしか自由な発言はできないようになっています。

小室 
 それがもっと極端な形をとると、最初からこの人は登場してもらわないということで、発言の機会を提供される人間のリストが作られる。ソ連の場合は、テレビやラジオには共産覚が公認した人間だけしか現われてきません。そのことは、ソ連におけるテレビと映画の差を見ると一目瞭然です。

■日本ハレー彗星論

藤原 
 それは日本だって同じで、問題の本質を見極めて鋭い発言をする人は次第に発言の機会を失っていますよ。その典型が、番組からおろされるという個人攻撃で、次が番組の打切りとか放映中止です。そのうち僕なんか出演して欲しいという申入れがなくなるでしょうし、原稿を執筆しても没というのはすでに始まっているんです。小室さんだってあまりズケズケと思った通りを発言すると、そのうち意見を述べる機会を奪い取られてしまうかもしれないから、注意したほうがいいのじゃありませんか。あるいは、もっと頭のいいやり方をして、あなたを徹底的に使いまくってすり減らしてしまい、最後にはボロ雑布のような形で葬り去る手口もあります。

小室 
 ソ連の場合は、市民権を剥奪して国外追放というやり方をするけれど、日本では村八分が常套手段になっています。そうすることによって、体制のお墨付きをもらった人間だけが発言ができるようになり、社会全体が一つの考え方だけで統一されてしまう。現在のソ連や中国がその典型とはいえ、それでも情報の流通媒体が一つというわけではないし、受け取る側にもわずかながら選択の余地があるから、微妙な差が読みとれます。たとえば、テレビやラジオは権力者のコマーシャルばかりだけど、映画となるとちょっと違ってくる。ソ連の例で見ても、映画は西欧タイプのものが多い。その埋由は簡単であり、映画は自分でカネを払って見るものだから、面白くなかったら誰もわざわざ行きはしない。いくら政府が強制したって、映画館の中で眠ることまではコントロールできないから、強制のしようがない。そこで国民がいったい何を望んでいるかということは、映画のようなものを通じて明らかになるのであり、テレビのように受け身の状態でダダで与えられるものは、プロバガンダの道具として使われるだけということになる。これは共産主義でも自由主義でも同じです。

藤原 
 一九八四年が接近していて、ウエールズの予言がなんとなく適中しかけているけど、情報を受け取る側の人間がしっかりしていないと危ないですね。同時に、選択の多様性を維持するためにいかに努力しなければならないかという自覚と、価値ある情報は高いだけでなく、選択への努力が必要だと気がつかなければいけない。

小室 
 マーケット・システムが機能しているわれわれのような社会では、ただほど高いものはないということはよく知られている。それに対して、ソ連のようにカネを持っていても買える商品が存在せず、貨幣が商品に恋する逆立ちした社会でも、結果的には奇妙な共通点があって、ただの情報ほど高いものはないことになる。

藤原 
 金を払うということは、ハードウエアとしての貨幣が自分の手から他人の手に渡ることであると同時に、受け取るものが商品としてのハードウエアでなく、ソフトウエアとしての情報の場合には、自分に価値あるものを内部に受け容れるための投資です。それは無形の剰余価値であり、そこから次にソフトウエアとしてのキャピタルが生まれてくるのです。それはマルクスがハードウエアについて論じた剰余価値学説の逆の流れが存在して、反世界に相当するものが観察できるのです。ソ連においてそういう価値の転換があり、これまで抑えられていた価値が新しい価値として評価されるようになるとすれば、実に興味深いと思うんですよ。

小室 
 貨幣が交換価値であるにもかかわらず、それが交換の機能を持ち合わせ得ないところに、ソ連という国の経済的社会的矛盾が集約されていて、しかも、社会主義経済には倒産が公的に認められていないから、徹底的に行き詰まって社会として崩壊せざるを得なくなるのです。

藤原 
 だからといって、日本人が「ソビエトという共産主義国家が解体する」と大喜びしてはいけない。むしろ、ソ連が連邦国家として内部崩壊するプロセスのひとつとして、日本がそのとばっちりを受けて吹き飛ばされる恐れは十分にあるし、むしろ、それ以前の段階で、日本という国がバラバラに解体してしまうと思うんですよ。

小室 
 その点が私も一番恐ろしい。たとえば一九四五年に大日本帝国が滅びたときも、日本人の被害はそれほど大したものではなかったが、最大の被害を受けたのは朝鮮と台湾だった。日本人はここにきて北方領土だなどといって大騒ぎをしているが、一応、ひとつにまとまって国として復興している。ところが、台湾は中国本土と敵対関係にあるし、韓国と北朝鮮はいまだに二つの国に分かれたまま、統一することもできないで、にくしみ合っている。このように一大帝国が死滅するというのはたいへんなことであり、それこそ巨大な船が沈むのと同じように、近くにいるものはとばっちりを受けてものすごい被害をこうむります。

藤原 
 その通り。なぜかといえば、ユーラシア大陸の次元で観察すると、ソビエトは大陸におけるひとつの国家システムであり、ユーラシア系におけるグラビティ・ポイントを内包して、万有引力を支配しているからです。日本語で万有引力というとニュートンが定義した狭義の宇宙法則のことだという印象を与えやすいが、ユニバーサル・グラビテーションという概念は、政治にも経済にも軍事問題にも支配力を及ぼすんですよ。だから、大陸の次元で眺めると、日本はそのサブシステムの中のさらに小さなパーツの組合せに他ならない存在です。変な形容の仕方をすると、日本という国は他の惑星と異なった規範を自らの規範と考える人間の集団という意味で、太陽系におけるハレー彗星みたいな存在だと思うんですけどね....。

小室 
 この前ドイツに行ったときにヤコブセン教授と会って議論してきました。彼は反共主義者であるだけでなく徹底した反ソですが、第二次大戦後はアメリカとソ連の力のバランスによって、一応、世界の秩序ができ上がっているので、いまここでソ連に倒れられたら困る、といっていました。たしかに、アメリカが弱くなりソ連がもっと弱まると、世界のオーダーは崩れて百鬼夜行ということになり、とんでもない状態になってしまう。だから、ソ連が亡びるのを喜ぶのではなくて、むしろ日本が手を貸してでも、ソ連の経済が破綻しないようにしなくてはいけない。それがこれからの日本の対ソ政策の眼目になっていかないと、日本自体の運命が狂ってしまいます。

藤原 
 ところが、ここにきて反ソ的な言動が日本国内に盛り上がっていて実に危険です。とくに攻府が音頭を取って「北方領土の日」などという奇妙なキャンペーンをやっているが、偏狭な国粋感情は国を亡ぼすもとであり、国粋主義者と保守政治家が二人三脚で変なことをするのを抑えるだけの良識が必要です。戦略的に考えるなら、ソ連という巨大なシステムを壊すことではなく、いかに修正して無害化するかが重要であり、そのためには、現在の日本に何ができ、何をしてはならないかについて徹底的に分析することです。中国だって同じであり、われわれがここで慎重に考えなければいけないのは、まさに中国はソ連以上のテンポで解体が進行しているのであり、商売という次元を超えて、もっと親身になって中国の運命に対しての日本の貢献を検討することです。江青事件を魔女裁判だと対岸の火事視していてはいけないのであり、これはまさに革命が進行しているのだと理解することです。現に、中国の支配層は自分の子供たちを留学の形で国外に脱出させているといわれている。その代表として劉少奇の娘がボストン大学とボン大学に分散して留学しているし、トウ小平はたしか息子はプリンストンで原子物理学をやっているし、娘はロチェスター大学だったかベニストン大学で勉強しているはずです。

小室 
 はたしてどこまで脱出のためであるかはわからないが、中国のエリートは子弟を欧米の大学で勉強させる伝統を持っているから、その延長線上で考えたらいいのでしょう。しかも中国人は普遍的な価値は規範と密着していることを熟知しているから、真のエリートになる人材は日本には送り込みません。ある意味では残念だが、やむを得ないでしょうな。日本で勉強して日本語がペラペラになったところで、結局は日本人相手の仕事だけで、世界に通用するのはむずかしいのはわかり切っていますからね。

藤原 
 中国人で日本に勉強にくるのは技術関係の人たちだけでして、日本語を媒体にしてテクノロジーを学ぶのです。それに、中国人にしてみたら、日本文化は中国文化の変形したものとしてしか感じないし、日本という特殊な発展の仕方をした社会は、あまり研究しても役に立たないと思っているんじゃないですか。なぜなら、日本人の精神と社会生活を支配しているものは、二千年以上も昔に秦を支配した絶対主義的な法家の思想に他ならないからです。

小室 
 それも規範抜きの気分と制度としての法家と儒教的封建思想です。

藤原 
 二千年以上も昔の中国の封建思想が日本人の意識を規定しているのに、ここにきて国際化への要請が高まっています。そうなると、前にも述べましたが、ミイラの箱を開いた途端に屍が風化してバラバラになるのと同じで、日本の社会はこれからたいへんな状況を迎えざるを得ない。それは現在の中国やソ連が閉鎖社会をより開放化することによって体験するのと同じ苦しみに、日本人も遭遇せざるを得ないということでしょうね。

■日本は生き残れるか

藤原 
 これまでのように、軍事問題を国防問題と混乱して考えたり、国防問題をあたかも国家の安全保障と同一視するような粗雑なやり方をせず、政治、経済、軍事の全部を含めた、現在の産業社会の生存を維持する上での総合的な安全保障の問題を国民全員がまじめに考えなければいけない。しかも、起こり得るあらゆる可能性について想起し、日本人が持つすべての知恵を最大限動員することを、政治における指導性としてトップに要求しなければいけない。またそういうことのできる人物をたくさん育てて、その中で最も優れた人物を指導者にしていく必要があります。いわば、全天候型人物ですよ。

小室 
 でも、日本のリーダーはデシジョン・メーキングの能力がないのはもちろんのこととして、将来において何が起こるかについての予測の能力を持ち合わせた人物がその任にいない。だから、とてもじゃないが、戦略的な思考なんかできるはずもないし、仮にそれをしたにしても、まわりが寄ってたかって潰してしまいますよ。日本の政治指導者は人事部長みたいなもので、適当な権力と顔の広さがメリットになって地位を保持しているだけだから、景気がよかったりトラブルがない場合には、一番快適な立場を満喫できる。だから、親米一辺倒でやって波風の立たない時期には、日本の外交ほどスムーズなものはなかった。ところが、風向きが変わって日米関係がギクシャクし始めると、これは実に厄介なことばかりが立て続けに起きるようになり、いまがまさにその時にあたっているのです。

藤原 
 昔は日本人も身のほどをわきまえていて、アメリカがクシャミをすれば日本が風邪をひくという心構えがあったから、いつも細心の注意を払って相手の動きに注目していました。ところが、最近の日本人は経済大国になったという慢心に災いされて、アメリカを軽視するだけでなく相手の感情を逆なでするようなことをいったりしたりしている。経済大国というのはほんとうの大国ではなくて、限定用の形容詞がついていることに気づかなくてはいけないし、次の段階で真の大国になるためには、「実るほど頭を下げる稲穂かな」という古歌を思い出して、テイクよりもキブに主体を置く関係の中で、真の大国としての風格を身につける努力がいりますよ。

小室 
 そこまで行くにはまだまだ時間がかかります。その前にまずやっておかなければならないのは、国際政治の舞台で二重保障政策をとっておくことで、もし日本人に外交のセンスがあるなら、国策の中心をここに持ってくるべきです。ビスマルクがやったのと同じことを日本人も追求すればいいのです。

藤原 
 鉄血宰相ということばが、ビスマルクに対しての人々の誤解を植えつけているけど、彼は平和は外交的なかけひきで獲得できると確信していた点では、最も外交官的な政治家でした。現在の日本に一番必要なのはこういった政治家か、タレイラン的な外交官ですよ。

小室 
 ドイツ帝国がオーストリアとロシアを操って、完全な敵である両国を自分の味方にしてしまった。そこがビスマルクの天才たるゆえんだが、中ソ対立がある現実は、日本にとって非常に外交がやりやすいはずです。中ソ対立があるから両方とも日本に色目を使い、いろんなプロポーズをしてくる。だから、それをうまく使って、ビスマルク的に上手にオペレートすれば、中国もソ連も日本の家来になるはずです。ところが、日本人のやり方ときたらまったくお粗末で、中国と仲良くするとなると対中一辺倒でソ連を敵国扱いしてしまう。これじゃあソ連は怒り出すに決まっていて、こんなやり方は外交になり得ないし、実質的にも外交の論理にあてはまりません。

藤原 
 外交のように高度な政治の技術にかかわることをマスターするのはもちろん必要だが、それ以前に、日本人が一番得意にしている経済の分野で、はたして問題がないのかどうかを考えてみる必要がありますよ。産業社会のレベルで日本という国を眺めると、現在の日本は戦後版の大艦巨砲主義と形容したらいい、重工業中心の社会として、ハードウエアを中心に巨大化の道をつき進んできている。その拳句にたどりついたところが経済大国であり、GNPなどという数字で比較すると世界で第二位だなどといって胸を張っています。ところが、その分配となると世界で十何位になるが、いったい日本人は分配においても世界第二位の地位を手に人れたいのかどうか。あるいは、虚妄のはやりことばに従って、ナンバー・ワンになりたいのかどうか、ということです。ことによると、カントリー・リスクがナンバー・ワンかもしれないが....。

小室 
 どんな奇跡が起こっても神風が吹いても、日本が富の分配で世界一になることなんかけっしてあり得ないから心配いらないですよ。

藤原 
 もちろん、それは十分承知の上で、仮定の議論を進めているのです。もしそうなったら、とてもじゃないけれど日本は世界の秩序を大混乱させてしまうだけで、地上に存在するすべての国から袋叩きにあってしまうでしょう。地球というひとつのシステムの中で、日本が果たす役割はいったい何があるかを自己規定しないまま、重工業的な繁栄をこれ以上追求して量的な拡大を指向していくことが許されるのかどうかが問題です。しかも、現在の日本人の発想からすると、パイを大きくして分配を大きくしようという神話から自らを解放し得ないだろうし、分配においても世界のトップになるために一生懸命やる、といい出す政治家が人気を博し続ける。そして、新鋭製鉄所やコンビナートをどんどん作り、海や畑を埋め立てて原子力発電所を建設し続けることになります。

小室 
 日本中がセメントで作った構築物で埋めつくされてしまう。その結果、地盤沈下や公害で日本は人間が住むにふさわしくない環境になってしまうかもしれない。しかも、エネルギーや食糧の供給はいたっておぼつかない状態で、いつ日本が封鎖状態に追い込まれるかについては、誰も何も知らないのです。

藤原 
 現在のように、産業社会が量的な拡大再生産を続けていく限り、行きつくところは自閉症です。出口の穴よりも日本の体のほうが大きくなって、身動きができなくなってしまう。そこで、量的拡大ではなく質的な転換を遂げるといっても、その決め手は社会の体質とそれを構成する人間の質の問題にかかわっています。だから、重工業偏重を改めて、より知識集約型の産業社会に移行しなければなないし、そうしたいのだが、口でいうのはいたって簡単でも、実際はとてもむずかしいのです。

小室 
 私はそれは絶対にできないと断言できますよ。日本人が日本人である限りはね。

藤原 
 そうなってくると、日本国内に蟻地獄のようにすべてを持ちこんでくる、というやり方を中止しなくてはいけない。今度は日本に現在あるものを解体して外に持ち出していくことを考えて、三菱グループをメキシコとサウジで半分ずつ引き取ってもらったり、三井グループを人間つきで、イランとブラジルと中国でもらってもらう、というアプローチが必要になりす。ハードウエアとしての工業設備を自国に置いておきたいという相手には、そういうやり方をすればいいし、日本人に預けて管理を任せるというのなら、それもいい。その代わり、何十万という単位で日本人を移住者として引き受けてもらったり、居住圏を交換したりして、生きる上での日本人の自由度をより大きくする可能性を追求しておくこともたいせつですよ。

小室 
 しかし、日本人はなかなか自分の生まれた故郷を捨てて新しいところに行く、という決断をしない。それができる民族なら、戦国時代や豊臣秀吉が天下を取った頃に、日本人は海外に進出していたはずです。ところがそれをやらずに、飢饉がくれば餓死していたのです。

藤原 
 でも、これからはそんなことをいってはいられないたいへんな時代がきます。アメリカではすでに銀行が不要になる時代に入っていて、経済パニックは必ずくるとうことで、食糧を地下に貯蔵したり、銀行預金や株の売払いがかなり本格的に進行しているんです。いくら経済大国だといっても、アメリカが経済パニックに陥れば日本経済の繁栄なんかひとたまりもないし、本質的にはアメリカがクシャミをすると日本が肺炎になるという関係は昔もいまも少しも変わっていない。むしろ、ここにきて日本経済のアメリカ依存はより強まっているはずです。

小室 
 しかも、アメリカは日本の工業製品の進出によって、国内市場をだいぶ荒らされているから、むきになって中国やシベリアで日本と争って市場の奪い合いをするし、アメリカ国内でも巻返しを試みるでしょう。そうなると共喰いになって、どちらかが倒れるまで張り合うだろうし、持久力という点では、アメリカの強さはなんといっても圧倒的だから、日本なんかひとたまりもなくて、また太平洋戦争のパターンと同じことの繰返しになります。

藤原 
 そういったときに何が出てくるかというと、翼賛的な全体主義が日本を取りしきるというシナリオです。しかも、官僚機構を媒体としたソフトな全体主義はすでに整っていて、日本の社会はあらゆる面で行政指導が浸透しています。グリーンカード制もそうだし、国民総背番号制の導入によって、個人は刻一刻と監視体制のもとに置かれて自由を失っていきます。その行きつくところは徴兵制だろうし、その前にいつクーデターが起きるかわからない状態でしょう。

小室 
 とくに、自衛隊という実戦部隊を警察官僚が牛耳っているのは、実に危険です。警察というのは時の権力に密着していて、いうならば権力者のイヌにすぎないから、いくらでも国民に銃を向けるからです。

藤原 
 しかも、日本は刻一刻と文化反動の傾向を強め、逆コースの道を政府主導型でつき進んでいます。このままだと、小室さんが分析した日本社会崩壊のモデルが、シミュレーション通りに実現していくような感じがしますよ。

小室 
 だから、そこに危機の構造があるのです。恐ろしいことですよ。

■それでも日本は潰せない

藤原 
 僕がいま一番心配しているのは、日本に高まっている国粋主義的な傾向が、国際化とどの時点で正面衝突を起こすかという点です。たとえば、経済活動が汎世界的になるに従って、これまでローカルな役割しか演じてこなかった日本の金融界や証券業界に対して、外国の同業者たちが対等の門戸開放を強く要求し始めます。そのいい例が、日本人や日本の会社がニューヨークやフランクフルトの株式市場の会員として対等の活動を認められているのに、東京市場ではなぜそれが許されないのか、という発言になっています。

小室 
 そんなことは昔からいくらでもあったことで、外国の大学で教授をしている日本人はたくさんいるのに、日本の大学では外国人を教授として認めていない。とくに自由な人間集団としての教授会がそれを受け容れていないというのは、実に奇妙なことですよ。

藤原 
 結局、自由競争が市場原理に従って行なわれているところになればなるほど、日本人と外国人という内と外の差別は少なくなる。株式市場になると制限があって一定の枠内でしか株の支配はできないけれど、会社によっては二割以上は外国株主というところも結構増えています。その次の段階は外国人による不動産取得だけれど、この辺がクリティカルポイントになりそうな気がするんです。

小室 
 ロンドンの目抜き通りの伝統を誇るホテルやマンションが、アラブ人たちによってかなり買収されたけれど、日本で同じようなことになったら、はたして日本人はどこまで冷静でいられるかが問題ですな。

藤原 
 僕は前に国鉄と日航とNHKはアラブ人にひとまとめにして支配権を半分くらい渡したらどうかと、『日本丸は沈没する』という本の中に書いたことがあります。そうしたら、まるで売国行為だという決めつけ方で抗議の手紙をよこした人がいました。親方日の丸で大赤字を出し、税金で尻ぬぐいをしている不良組織について、私の警告や発言が気にくわない人がいる以上、日本とサウジアラビアが連合王国でも作ったらいいなんていおうものならたちまちものすごい圧力がかかります。実は竹村健一の『世相を斬る』という番組が放映中止になったのは、その時にこれをしゃべったからでした。しかし、考えなくてはならないことは、アラブ人たちが日本の株式にペトロダラーをどんどん注ぎこんで投資しているから、日本経済はどうにか成り立っているという点です。それがなかったら、日本円はマルクと同じように暴落して、不況風が吹きまくっていたはずで、日本を潰さないためには、もっとアラブの資本を日本に呼び込んで固定しなければいけない。それには闇価格として馬鹿値をつけている不動産が一番いいので、都心のビルでも土地でもどんどん買わせたらいいのです。

小室 
 東京タワーとか霞が関ビルなんかは、一番いい候補になる。

藤原 
 税金を一番無駄使いにしている上に、アラブ人が産油国として一番興味を持つかもしれないのは石油公団です。石油公団をアラブ人に乗っ取ってもらうのが一番の国益に結びつきます。その次は自衛隊かな。

小室 
 それはいけません。アラブ人が中東で兵器をもて遊ぶのはやむを得ないけど、連中が下手に日本で武器をふりまわしたのでは、一億人が大いに迷惑する。それよりは不動産や国鉄のほうがはるかにましですよ。

藤原 
 それでアラブ人が霞が関ビルや帝国ホテルを買収するなんてことになると、日本中テンヤワンヤの騒ぎですよ。まるで蜂の巣を突っついたようになる。間違いなく「アラブ・ゴー・ホーム」なんてことを絶叫するに決まっています。なにしろ、ポーツマス講和のときに、日比谷で焼き打ちをやった国民の孫たちだから、いざとなったら何をやり出すか予想もつかない。そんなことを繰り返せば、アラブ人たちは日本に嫌気がさして投資をひきあげてしまうでしょうね。そうなると日本の貿易収支の黒字なんかは資本収支の大赤字で円は大暴落です。

小室 
 次にくるのはパニックです。そのときが危ない。いくら小説やドキュメントの上でパニックについて書いてあっても、それはあくまでもエンターテイメントや想像の産物でしかなく、実際にはそういった状況に備える準備は国も個人も何もしていないから、大騒ぎするばかりでしょうな。やれることといったら統制だけです。

藤原 
 国粋主義はたちまち攘夷思想に転化するし、魔女狩りが始まります。そうなったら僕も小室さんもたちまち血祭りにあげられることは目に見えているけれど、小室さんの場合は『ソビエト帝国の崩壊』を出版しているので、市民権剥奪で国外追放ということになるが、僕は『日本脱藩のすすめ』などという不届きな題名の本を書いているから、民族を侮辱した脱獄教唆の国事犯として即刻銃殺なんてことになるかもしれない。巨大な政府に支配された頭でっかちの日本は、これから政府がいよいよ大きな力を発揮して強圧政治をするに違いない。民主主義が国民の中に根づく代わりに風化現象を強めている以上、全体主義路線が次第にソフトなものからハードに変化していくと思うんです。

小室 
 私が危ないと思うのは、教育ひとつを取ってみてもますます悪くなっていく通り、あらゆるものがさらに悪化せざるを得ないのに、それを日本人は相対化してしまって気がついていない点だ。スタグフレーションの決め手になる処方箋や、受験制度の持つ弊害に気がついていても、根本的な所で病根を絶とうとはせずに、表面的な取りつくろいだけで、なんとか一時しのぎで済まして現在に至っている。そうやっている限りでは、誰も自らの責任において問題と対決しないですむし、下手な火傷を次の人間に押しつけ得るだろうが、結果的には構造的なアノミーを拡大再生産するばかりだ。そして、最後には深刻なパニックを迎えることになるのですよ。

藤原 
 そのパニックの襲来を鋭敏に感じ取っているがゆえに、ここにきて国際化しなければならないということが叫ばれ、それへの反作用としての国粋主義運動が、文化反動の嵐をまき起こしているのです。幕末における黒船到来を騒いだのと同じ程度の混乱ですめばいいが、今度の第四文明期の到来は単なる支配層としてのエリートの交替ではなく、もっと深刻な内容の産業社会の墓盤が崩れるといった事態を伴うという気がするんです。西郷隆盛と勝海舟の薩摩屋敷における会談に象徴されるように、ひとつのエリート層から他の層への権力の交替が行なわれるのであれば、まだ救いがあるけれど、今度の場合は、西南雄藩の下級武士を中心にした、受け皿に相当するものが見あたりません。自民党から民社や公明党はいうに及ばず、社会党も共産党もすべて大きな政府を目指した国家主義政党であり、国際主義にはほど遠い国粋主義者の団体でしかありません。しかも、勝海舟に代表されるだけの見識を持った人物が体制側にいないし、西郷隆盛ほどの胆っ玉の持ち主が追い上げる側に見あたらなければ、混乱の中で日本はポシャルだけでしかない。混乱を収拾してその中から新しい理念に基づいた国作りをして、二十一世紀の世界秩序に整合的な新生日本を育てあげるような人材が、はたして必要を十分に補う人材群として存在し得るのかどうかが決め手です。

小室 
 それはすべて教育にかかわる問題です。現在の日本の教育はネズミの条件づけと同じであって、とくに数年前から始まった「共通一次」によって選別された学生には、とてもじゃないが新しい試練を託すことはむずかしいのではないか。なぜならば、ある問題を前にしてそれを模範解答のパターンに従って正解を書くのは、ネズミが青い信号のときはこの穴、赤い信号が出ればこの穴という具合に行動するのとまったく同じで、単なる条件づけにすぎません。ネズミの条件づけというのは、考えること、決断することで、新しいものを創造することとはまったく無関係であり、これまでの役人には役に立った特性かもしれないが、これからのたいへんな時代の先頭に立つ人間としてはまったく無用だといえます。

藤原 
 そういう意味では、人間を育てるシステムとしての教育に大いに期待をかけたいけれど、小室さんがいうように、現在の日本の教育がネズミの条件づけと同じだとなると、もう救いがありませんね。

小室 
 しかも、教育のやり方を見ると、ますます悪くなる一方です。役人的な画一性と押し着せ教育は、文部省を通じていよいよ学校を魅力のない存在として、現代の強制収容所にしているし、先生たちは情熱を失ってサラリーマン的になっていく。しかも、学生自体が何かを学び取ろうという気慨を失いかけています。政治家は教育の荒廃を日教組の責任のようにいっているが、実は教育制度そのものが社会とともに荒廃している点を見落としている。荒廃といえば、教有よりも政治のほうがはるかに徹底的に荒廃しているのに、自分のことは棚にあげて、総理大臣がヒモツキになっている世界の人間が、口を揃えて教育界の悪口をいっているのだから始未におえません。

藤原 
 だから、こういう悪い環境の中で毒されるのを防ぐために、若い人たちを日本の外にほっぽり出して、外で苦労しながら修業させるより仕方がない。それは学生業をやっている青年たちだけではなくて、海外で事業活動をしている企業に働く若者たちも、できるだけ世界を舞台にして活躍してもらうことです。

小室 
 しかし、若い人が海外で勉強したら日本では就職できないし、外国で活躍しすぎると日本の組織はそういう人たちを歓迎しないということにもなる。結局は、現在の日本を支配している封建主義を壊さない限り、日本人の未来には希望を持てないのではないか。封建主義から自らを解放したときに、そこにはじめて日本が近代社会として歩み出す出発点が生まれるのであり、それは現在の日本が潰れるのではなく再生するのだと考えたらいいのです。

藤原 
 森の石松のように死ななきや治らないような病気もあれば、一度ものすごい発熱現象を起こすだけで、革命を抜きにして徹底的な体質改善をなし遂げることも可能だと思うんです。とくに、西洋医学のようなアロパシー(対治療法)ではなく、東洋医学特有なホメオパシー(同類療法)のやり方で、日本文化の体質を根本的に作り変えるのです。大脳の髄質に相当する日本文化が変化することによって、日本が日本でなくなってしまうといい出す人が現われるに決まっているが、日本というのはハードウエアとしての日本列島でもなければ、時代がかって生気を失ったホコリだらけの伝統文化でもあません。そんなものは民族博物館でも歴史考古館にでも送り込んでしまえばいいのであって、ほんとうの日本というのは、次の世代に伝え残す価値と生命力を持った、日本人としての生きざまの気迫です。ハードウエアや形としての枠組みなどは壊れてしまっても一向に惜しくないし、カビの生えたような国粋的な日本精神なんかも、雲散霧消してもかまわない存在だと思うんです。なぜならば、日本人が日本的だと信じているもののほとんどは、実は二千年以上も昔の中国を支配していた古代のものの見方のエピゴーネンに他ならないからです。

小室 
 それも絶対主義によってゆがめられた封建思想に他ならない。しかも、封建主義の骨格としての規範を持ち合わせない、実に奇妙な封建主義ですな。

藤原 
 だから、ハードウエアや制度としての日本は潰れてもいいし、こなごなになって原子化してもかまわないけど、日本人としての誇りと未来への希望に結びついた世代から世代への連帯感を継承する日本人の血の流れは、ここで根絶にしてしまってはいけないと思うんです。現在のような状況が続いていけば、遅かれ早かれ行きつくところまで行って、一定の短い期間にわたって全体主義が猛威をふるい、言論の自由もヘチマもなくなり、国民のほとんどが餓死したり絞め殺されることになるかもしれない。しかし、そういった民族の試練を乗り越えて、新しい時代に新しい理念で新しい日本を作り直していくだけの力量を持った若い世代を、世界中にバラまいておくことが再生への唯一の道じゃないだろうか。これが未来に対して非常にオプチミスティックであるがゆえに、近い将来の日本に対してペシミスティックな見解をとらざるを得ない、僕の立場なんですよ。

小室 
 いずれにしても、日本を潰さないためには、現在の日本の危機を生み出している基本的な構造そのものを、根底から解体して新しく作り直すという意味では、アロパシーである革命必至論ですな。

藤原 
 古代の中国人の表現の仕方を借りるなら、天の命が改まるのであり、一粒の麦も死なずば、の西欧的発想からすると、ことによれば純朴な宗教観かもしれませんよ。末法の世になればなるほど、宗教的な外観を身にまとった世迷いごとが蔓延するし、先刻しゃべったように日本はハレー彗星と同じだということで、一九八六年は久し振りにハレー彗星の接近があるのも奇遇ですよ。

小室 
 ということは、一九八六年が日本にとって最も明るく輝いて、そのあとには虚しさが残るだけということですな。ホウキ星としての日本はその後いったいどうなるかというと....。

藤原 
 輪廻はめぐる世の姿ということでしょう。それも煩悩につき動かされて迷いの世界を流転するという意味でね。

小室 
 しかも、楕円の軌道を描いているのです。そうなると、次に生まれてくる日本の国旗は、楕円の日の丸で描かなければならない。

藤原 
 それこそソフトウエア時代にふさわしい日本のシンボルです。円は中心が固定しているので敵に狙われやすいけど、エリプソイド曲線は中央集権的ではなく、中心点が常に変化して、状況にソフトに対応していくためにゲリラ戦法にはもってこいだし、政治の東京と経済の大阪といった具合に、日本がバランスのつり合った国として復活するのに最上のシンボルになりますよ。

小室 
 願わくば楕円であって双曲線でないように。双曲線を描くと太腸系から飛び出して永久に宇宙の孤児になってしまいますから....。  

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コメント
 
01. パルタ 2011年9月24日 22:07:08: BeExvDE2jO5d2 : KWEa32Be12
ここの部分はちょっと時代を感じ、古臭く問題を感じる。レーガンは決してアメリカを根本的に再生させはしなかったし、中国人はこの当時考えていたより遥かにがめつくなった。
福祉削減と市場主義への楽観視が見られる。ソ連論も現在では全く見当外れな事を言っている。
自衛隊が警察官僚に支配される問題は、警察が国家のイヌだからいつでも弾圧装置として国民に発砲できるという事ではなく、発砲が外国に比べ徹底的に制限される
国民向けの武装組織の長でしかない者が自衛隊のトップで外国軍にまともに反撃できるのかという事だ。
実際、自衛隊は向こうが撃つまでは領空侵犯されても撃てないからヒヤヒヤものなのだ。

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