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株式日記と経済展望
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日本社会で「立派な大人」、「まともな人間」として生きるには周りと同じでなければ
いけません。「自分の考え」を作り上げたり、述べることは歓迎されません。
2011年9月18日 日曜日
◆なぜ日本では『自分で考えない子ども』が育つのか? 9月17日 MadaneRiri
http://www.madameriri.com/2011/09/12/%e3%81%aa%e3%81%9c%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%a7%e3%81%af%e3%80%8e%e8%87%aa%e5%88%86%e3%81%a7%e8%80%83%e3%81%88%e3%81%aa%e3%81%84%e5%ad%90%e3%81%a9%e3%82%82%e3%80%8f%e3%81%8c%e8%82%b2%e3%81%a4%e3%81%ae/
海外で出会った日本人に、「あなたは日本とフランスのどちらで子育てをしたいか?」と質問すると、大半の人が“フランス”がいいと答えます。国の子育て支援や、教育費の違いなどその理由は多岐に及びますが、意外なことに『日本だと“考えない子ども”になってしまうから』という理由が一番多いです。
ここでいう、『考えない子ども』とはどんな子どもを指すのでしょうか。
それは、やりたいことがわからず、自分の人生に何の責任も持たない子どものこと。日本で社会問題になっているニートの存在も、『考えない子ども』の最たる例です。やりたいことがあるからニートになっている者もいるでしょうが、大半はやりたいことがみつからず、何をしていいのかわからないと答える人が多いようです。
「やりたいことがわからない」という若者が増えたと言われる昨今ですが、これはよく「みんな同じが大好きな日本社会」に起因していると指摘されます。日本社会で「立派な大人」、「まともな人間」として生きるには周りと同じでなければいけません。子どもの時からみんなと同じ制服を着せられ、みんなとどこか違う子はいじめられる。そんなクラスの危うい和という社会では雰囲気やノリの良さが最重要項目であり、「自分の考え」を作り上げたり、述べることは歓迎されません。「出る杭は打たれる」ということわざからもあるように、集団のなかから目立つことは決していい結果をもたらさず、「当たり障りなく生きる」ことが日本社会で生きる人の“賢い生き方モデル”とも言えます。
しかし、この日本社会を別の方向から捉えてみると、「みんなと同じように行動していれば何とかなる社会」だと言えます。つまり、自分で考えなくていいのです。生まれた時から、とりあえず周りと同じように生きればいい。みんなと同じ制服を着て、みんなと同じような発言をして、みんなと同じモノを好きになればいい。「異」を排除する社会では、みんな同じにしておけば問題は起きないのです。みんな塾に通ってるから私も塾に行こう。クラスのほとんどみんなが○○高校に行くから、自分もそこに行こう。みんなが課外活動に入るというから私も何か部活に入ろう。みんな大学に行くから、自分も大学に進学しよう。このように、他の人のレールに合わせた生き方をすれば、世間では「常識的な人」と評価されるでしょう。
しかし、社会にでる時になってその子は思うのです。
「私は一体何がしたいんだろう?」
これが個性が生まれにくい日本社会の弱点であり、日本では『考えない子どもが育つ』と言われる所以です。みんなに合わせることを徹底的に教え込まれる社会で育つと、自分というものが掴みにくくなってしまうのです。反対にフランス社会では、みんなと同じ意見ばかり言っていれば周りの人になめられたり、馬鹿にされてしまいます。子どもの時から、自分の考えを、自分の言葉で論理的に説明することを求められるフランス社会で育つ子どもとの差がここに表れるわけです。もちろんフランスも完璧な国ではないので、日本にはないフランス特有の問題を抱えていますが、日本は「自分で考える力」が育ちにくい社会であることは多くの海外を知る日本人が挙げることです。
小さいころ、クラスの劣等生として疎まれていた女の子がきちんと整列しなかったとき、先生に怒られてこんなことを言っていました。
「だって、みんなおにぎりみたいで面白くないもん。」
今思えば「おにぎりみたいだ」と語ったその子こそ、個性があって自分で考える力があったのかもしれません。
『考えない子どもが育つ』、ニッポンの社会で一番苦しんでいるのは「考えない子ども」そのものなのです
◆世界初の創造性テスト(創造的な人材の見極め方)
http://homepage2.nifty.com/~mrym/archives/haren.html
心理学者のJ.P.ギルフォードが創造性の研究に身を捧げたのは、あるきっかけからでした。
第二次世界大戦中、アメリカ空軍から依頼されて爆撃機のパイロットを選ぶことになり、知能検査や学業成績、個人面接の結果をもとに適任者を選抜しました。
空軍はまた、退役した元空軍司令官にも同じ任務を与えました。ギルフォードは心理学をまるで知らない素人が携わることを苦々しく思い、また、司令官のベテラン・パイロットとしての知識や経験をさほど評価しませんでした。案の定、ギルフォードと元司令官はまったく違うタイプの人間を選びました。
しばらくして、二人の任務が査定されました。すると、ギルフォードが選んだパイロットはことごとく撃墜されていたことが判明。大勢の兵士を死に追いやってしまったことを知り、ギルフォードは悲嘆にくれました。そしてようやく悲しみの底から立ち上がると、自身の失敗を検証するとともに、なぜ司令官の選んだ人材が抜きん出ていたのかを徹底的に調べようと決意したのです。
ほどなく、元司令官は全員に「ドイツ領空で敵機に対空射撃にあったらどう対処するか」と質問し、軍のマニュアル通り「上昇します」と答えた兵士を落していたことが判明しました。選ばれたのは、「その場になってみないとわかりませんが、おそらく降下します」「ジグザグ飛行を始めます」「左右に機体を揺らして砲火を避けてみます」など、いわゆる「間違った」回答をしたパイロットばかり。その理由は、マニュアル通りに行動する兵士は意外性に欠けており、予測されやすいからでした。
ギルフォードが失敗した原因はそこにありました。マニュアル通りに機体を上昇させる兵士ばかり選んでいたのです。お決まりのパターンを敵側のドイツ軍は察知しており、雲の上で上昇してくるアメリカ機を待ち伏せていました。つまり、知性が高くても常に規則通り動くパイロットより、機知に富んだ考え方ができるパイロットの方が危険をうまく切り抜けられるということです。
違う考え方ができる能力、枠の外で考える能力---。そこではたと、ギルフォードは創造性や独創性というものに気づき、以来、その研究に没頭しました。また、より適性のあるパイロット、すなわち新しい問題を提示されたとき、予想外の解決策を即座に見出すことのできる創造的な人材を見極める方法も考案しました。
ギルフォードが空軍用に考案した最初の創造性テストは、「レンガ一個の使いみちをできる限りたくさん考える」というものです。すぐに何通りも浮かぶ人もいれば、いくら考えても五通りくらいしか思いつかない人もいるでしょう。このテストはいまでは広く一般的に使われており、個人であれ、グループであれ、創造性を刺激するよい訓練となっています。
(私のコメント)
日本が長い停滞の社会に入ってしまったのは、壁に突き当たった時にそれを打開できる人材が出ないことであり、それは日本の社会風土や教育環境に原因があるからだろう。高度成長期には大量生産の時代であり、大衆社会でも画一的な人材が使いやすかった。国民の多くが右に倣え式で行動してくれれば、一つの目標がある時は真価を発揮する。
企業の新卒一括採用も、均質な労働力を一括採用して、年次ごとに昇進させていくことで年功序列社会が維持できた。そのような状況では企業に忠誠を誓う社員が育成しやすく、会社内で独自の生きたかたをする社員は仲間からは排除されて出世コースから外される。それは背広からヘアスタイルまで規則で決められていたかのように同じ格好をしていないと上司から注意される。
最近の若いサラリーマンを見ていると、決められているかのように黒一色の背広を着ていますが、私服でもジーンズが多くて個性がない。会社内では個性があるというのは決して褒め言葉ではなく、扱いにくいヤツといった感じで扱われる。休みの日もパチンコや会社仲間とマージャンをやって月曜日などはその話で盛り上がる。
現代では定年まで勤め上げる人は少数派になり、3年以内に三分の一が会社を辞める。新卒社員を使い捨てにする風潮は嘆かわしいものですが、いったん出世コースからはずれると正社員に戻れるチャンスは少なくなり、会社への忠誠心も崩壊しつつありますが、会社の幹部たちは会社への忠誠心で這い上がってきた人ばかりだから、会社の業績も停滞する。
しかし有能でも個性の強い人物は真っ先に排除されてしまうし、だいたい出世頭も足を引っ張られて出世コースから外される。で残るのは協調的で調整型の人材が最後まで残るようになる。調整型の社長では思い切った業態の転換もリストラも出来ないから、無事に勤め上げる事が最優先になる。テレビ業界でも番組がつまらなくなったのは面白い番組が作れる創造型の社員がいなくなったからであり、他局の物まね番組でそつなくやっていればいい。
学校でも会社でも会議の席で自分の考えを主張することはタブーであり、KYだと言われるようになってしまう。それが正論であればあるほどKYだと言われるから厄介だ。「株式日記」も正論を述べ続けていますが、コメント欄にはアラシや嫌がらせコメントで溢れるようになってしまう。人と違うことを言う人がいると不安になるから否定したくなるのだろう。
私自身は、小学校の頃から異端者扱いであり、あだ名は「天才」と言われた。頭がいいから天才と言うのではなく、今で言うのなら「オタク」に近い意味なのですが、天文学や地球物理学などに興味を持って、太古の恐竜や原始人類などあらゆることに興味を持って専門書を読み漁った。小学校の教科などはほとんど勉強せずともクラスでいつも10番以内の成績だった。
中学校でもそんな調子だったから、自分が興味を持ったことはとことん追求していったが、英語などの記憶力型の勉強はまるで興味がなかった。今でも英語などの語学は教科としてではなく、必要が出来たら集中的にやればいいのであって、高校や大学や就職の入試テストには向かないと思う。大学時代も中国や日本の古典などを読んで、大学の教科のテストはほとんど一夜漬けで間に合った。
学校の勉強は興味を持って学ばなければ頭に入らないのであり、現代の子供たちは進学塾に通って自由時間もないままに進学している。私にはとても出来ないことであり、興味を持った事しか頭に入らない。銀行に入ってもこんな調子だから変人奇人に見られたが、上司からはもっとバカになれと説教された。確かに私は同僚や上司を小ばかにしていたのかも知れない。
私はいろいろな株や経済の本も読んでいたから、バブルが崩壊すれば銀行も潰れるだろうと予想して、潰れる前に銀行を辞めて独立自営業を始めた。株でも少し儲かってアパート経営もオフィスビルも順調に行きましたが、三重野のバブル潰しで私の人生はどん底に突き落とされてしまった。しかしバブル崩壊は事前に予想していたから手を広げずに自己資金もあったから助かった。
「株式日記」もそれらの経験談を元に書いているのですが、政府日銀の学校秀才官僚は没個性の金太郎飴であり、彼らでは現在の状況は打開できないだろう。なぜならば経済の最前線のことが分からないから、税率を上げれば税収は上がると考える。どうすれば景気拡大が出来るかと言う事は財務省の官僚には関心のないことであり、その答は教科書には書いていない。
J.P.ギルフォードの創造性の記事に関しても、非常時における創造力の大切さを指摘していますが、最前線の現場を知らなければ正しい答を出すことは不可能だ。記事にもあるように『元司令官は全員に「ドイツ領空で敵機に対空射撃にあったらどう対処するか」と質問し、軍のマニュアル通り「上昇します」と答えた兵士を落していたことが判明しました。選ばれたのは、「その場になってみないとわかりませんが、おそらく降下します」「ジグザグ飛行を始めます」「左右に機体を揺らして砲火を避けてみます」など、いわゆる「間違った」回答をしたパイロットばかり。その理由は、マニュアル通りに行動する兵士は意外性に欠けており、予測されやすいからでした。』とあるように、学校秀才型は実戦では役に立たない。
官僚の天下りと言う問題も、学校秀才の官僚では実戦では役に立たない人材であり、独立行政法人の理事にでもなって新聞でも読んでいるしか能のない人材ばかりだ。福島原発の大災害は、現場を知らない原子力安全保安院の安全対策に問題があったのですが、想像力に欠けた秀才官僚は国家の運営に対して有害だ。
問題の根本は政治家が官僚を使いこなせないことが原因であり、バカな官僚以上に政治家がバカだから官僚に嫌がらせされて辞任させられてしまう。教育の基本はテストで優れた成績を取ることではなく、社会に出てからも生涯学習を続ける方法を身に付けることであり、学校秀才は社会出ると勉強をしなくなり5年も経てば大学で教わったほとんどのことは忘れてしまう。
私は学校の勉強はしなかったが、興味が向いた事の勉強は続けてきたから、それを生涯続ければ「株式日記」程度のことは書けるようになる。その為には本を読んで考える時間を作ることであり、「株式日記」を書いているのは読者のためと言うよりも自分のために書いている。そうしなければ考える習慣が身につかないからだ。
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