http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/540.html
Tweet |
キライなことば――「平和」という生簀
つれづればな http://turezurebana2009.blog62.fc2.com/blog-entry-53.html より転載
- 2011/08/29(Mon) -
「平和」がキライなどと書くと誤解を生みやすい。しかしあくまで言葉の響きに欺かれないよう勤めているだけでテロや戦争に加担しているわけではない。
「平和ボケ」をはじめて耳にしたのはたしか浪人時代に別れを告げた頃だったと思う。ちと怪しげな記憶だが、当時「マルコポーロ」という国際政治を扱った雑誌が創刊され――平和ボケした日本に喝をいれる――と、その宣伝文句に謳われていたのが最初だったのではなかろうか。
成人してはいたがまだ頭が子供だった筆者はこの文句に怒りを覚えたものだ。確かに平和な世の中だった。戦争を放棄し治安もよく国民の権利もしっかりと保障された国に住んでいた。が、この平和な国は無償で築かれたのではない。先人たちの血の滲む貢献によって成されたもの、そうして手に入れた「平和」に「ボケ」をくっつけて軽んずるとは何事か、この雑誌は人々の攻撃心を煽って平和を享受できる有難みを忘れさせようとする愚かなものに見えたのだ。
しかしである。
平和と言えない世界の中で日本はなぜか戦火に曝されることなく安穏としていられた。国民すべてが衣食足りて余暇を楽しむことができた。有難い事には違いないが、そのからくりまで考えが及ばなかったのだ。
戦後の日本は荒波に揉まれることなく生簀で泳ぐ魚の如く丸々と太っていった。いや、太らされたというべきだ。日本人の努力が工業製品の水準を世界一に押し上げた。地下資源に乏しい我が国は原料を外から買い入れ製品類を生産しそれを売るという加工貿易によって富を築いた。
しかしこの世は努力だけでは動かない。むしろそうでないことのほうが多いのだ。この成功は仮にアメリカの保護がなければ有り得なかった。日本を敢えて「生簀の魚」と比喩したのにはその背景を踏まえたからこそである。言いたくもないが、生簀の魚は食われるために在るのだ。では、誰が食うのか。言うまでもないが、飼い主が食い散らかすのだ。
「核の傘」の下、「貿易摩擦」という有名無実な問題をよそに、アメリカという上得意を得た日本の経済はぬくぬくと成長を続けた。懐が暖かくなるにつれ作るよりも外から買うことに慣れていった。野菜や食肉にとどまらず米をも輸入するようになり人々は農地を後にした。都市は人で溢れかえり地価の高騰をまねいた。そしてそれは「職」と「住」を完全に切り離し、父親を家から奪った。親たち以上の生活を求めるがため子供たちは受験という制度の奴隷にされた。受験から解放されたとたんに若者は遊興に溺れ流行に振り回される。
どの家庭にも必ずある、流行、世論、時事のすべてを発信する四角い箱がある。人々は朝起きると、外から帰ると、夜寝る前にまずこの箱にご機嫌を伺う。ひと昔まえの日本人が朝な夕な神棚に一礼していたのとまさに同じ感覚だ。この箱の宣ふ有難き言葉は疑うべきもなく、疑うような罰当たりは相手にしてはいけない。
人々はこのテレビという名の四角い箱の言を信じるがあまり自らの頭で考えることを控えるようになった。己れの心で思うことを避けるようになった。その肌で感じる事を忘れた。もう世の中でどんな歪みが生じても、欺かれても気づきさえしなくなった。
これが、我々の得た「平和」の正体だった。
「平和」は、明治新政府がラテン語のPax(英語のPeace)の対訳に適当な日本語として採用した、古くからある漢語「和平(平らげて和やかにする)」を倒置し「平らげられて和やかな状態」という意味を持たせた造語である。世界史でPax Romanaを「ローマの平和」と習うが、ちゃんと書けば「ローマ帝政の支配にもとづく平和」であり、冷戦期のPax Americanaなどは「アメリカの覇権(脅威)による平和」だ。
ならば「平和」には必ず支配者が要るということになる。これで「平和」が急に嫌なことばに見えてくるのは筆者だけではないはずだ。
耳障りな「支配」ということばを「統治」「制御」「執政」「管理」などと言い換えたところで何も変わりはしない。平和を保つには支配者が必要である。しかし支配される側の人間は支配者を選べないのである。歪みの根はこれなり。
「平和」にあたる語句を日本の祖先が話した「やまとことば」のなかに見出す。
同意とは言い難いが「やす」がそれを包括するだろう。休む、癒す、治す、などの動詞の原型が「やす」である。
漢字をあてると、安、泰、康、保、易、寧、靖、恭、などがある。それぞれ少しずつ違いをもつが大意はおなじくして「争いや病や波風のないさま」である。
「やす」は、天と人と地の間で保たれる均衡とでもいうべき崇高な言葉で、戦火で焼き尽くし軍靴で平らげた「平和」とはそもそも格が違う。
話を平和ボケに戻す。まず「平和」にたいする幻想を捨てなければならない。戦争よりはマシだがそれ程きれいなものではない。平和を誰がどう設計したか見極めないうちは真に良い国は築けないのだ。
そとの海で生きる術など知る必要もない、飼い主のくれる餌をほおばり、外敵の存在もしらない、まな板の上でさばかれていてもまだ気がつかない、生簀の魚のような生きざまを平和ボケという。
魚ならず人であれば若いうちにもっと外を見て歩くべきだ。テレビを消して、新聞や雑誌も捨ててはどうか。遊びのための小遣いを旅にあててはどうか。そしてその目で確かめて欲しい。
共産主義国に貧富の差はないのか
殖民支配を受けた国に水路や学校や病院があるのか
韓国併合は西欧の入植とどんな違いがあったのか
紙幣は何のために作られたのか
隣の国の市民を白リン弾で殺戮しても国連から「遺憾です」と言われただけの国の人の血は何色をしているのか
東京タワーはなぜ333mなのか
寿司が回転しなければ地球は回らないのか
紳士の国の博物館は盗品だらけなのになぜ木戸銭をとるのか
機械部品一つまともに作れない、ろくに働く気もない国の経済がなんで世界第一位なのか
世界の警察を気取る国の裏路地はなぜゴミと死体だらけなのか
ロケット弾をぶっ放しながら「平和」を叫ぶ気違い国家の若者の目はどんな色をしているか
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。