★阿修羅♪ > 雑談専用39 > 529.html
 ★阿修羅♪  
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
「二十歳の原点」より 2011年8月14日東京JR田町駅三田 動画
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/529.html
投稿者 愚民党 日時 2011 年 8 月 15 日 02:17:38: ogcGl0q1DMbpk
 

----

お盆である。

兄弟3人、三田で飲んだ。慶応大学の近く。

飲んだ場所は中華店だった。

この店の近くに、39年前、兄弟3人で働いた印刷所があった。

NEC本社ビルの近くでもある。

慶応振興どおりの商店街はなつかしがこみあげてくる。

そのときわたしは20歳だった。印刷工だった。

高野悦子はなぜ東京の大学を選択せず、京都の大学を選択したのだろうかという謎が、まだ解けない。那須一族に関係しているのだろうか。

高野悦子のふるさとは西那須野であった。おそらく京都では、栃木県北特有の言語イントネーションである「なまり」に悩んだに違いない。1千年の都である京都で生存するためには、東京よりも生存の力が必要とされる。栃木県と東京は関東という共通項がある。しかし京都とはすでに異国である。

なぜ高野悦子は西日本の都である異国で学ぶことを選択したのだろうか?
わたしにとっては今も謎である。
高野悦子は宇都宮女子高校出身である。京都への修学旅行で大きなインパクトを受けたのだろうか?

おそらく文学へのあこがれであったと思う。

高野悦子は西那須野駅から宇都宮駅におり、宇都宮女子高校に通学していた。

わたしのふるさとである矢板駅を行き帰りの電車で通過していた。

高野悦子にとって矢板とはどのように見えていたのだろうか? 謎でもある。

京都とはコンパクトな鎌倉では比較できないほどの巨大な都である。

巨大な若者たちのエネルギーの時代、そして巨大な1千年の都、そこで高野悦子は
孤独を選択して「二十歳の原点」を、同時代に問いかけたのであろう。

高野悦子「二十歳の原点」その問いかけは、今も、死滅はしていない。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
01. 2011年8月18日 18:40:18: dzqRyfwCmo
懐かしいですね、「二十歳の原点」
当時彼女と同年代の大学生。
40年余りを経過して本の内容は殆ど忘れてしまったが、高野悦子の名前は強烈に今でも心に残っています。
当時小生も文学青年。「青春の蹉跌」「内灘夫人」「青春の門」などが思い出されます。

02. 愚民党 2011年8月20日 23:43:31: ogcGl0q1DMbpk : Agqf8bJ8xY
01番様
コメントありがとうございます。

青春の蹉跌<石川達三>

石川達三ですが、わたしは1970年、高校3年生のとき
「人間の壁」を高校の図書館からかりて読んで
「これが社会の現実なのか」という衝撃を受けたことがあります。

--------

人間の壁

石川達三

 
 
 本棚でみつけた『人間の壁』は赤茶け、ほこりをかぶっていた。昭和三十六年に出版されて、いまは絶版だという。読み返してみると、この文庫本からは物悲しげで、それでいて元気な、戦後教育の鼓動が伝わってきた。

 石川達三がこれを書き始めた昭和三十年代の初め、学校教育は動乱期にあった。敗戦で戦前の教育が否定され、沈んでいた文部省が巻き返しに転じていた。『人間の壁』で取りあげられた教職員組合の闘争もこんな時代背景のもとで起きた。

 主人公はS県の小学校に勤める尾崎ふみ子先生。県の財政逼迫を理由にふみ子先生らは退職勧告を受ける。教職員組合が激しく反発、勧告を返上した。組合にはむしろ無関心だったふみ子先生は、これをきっかけに組合運動に目覚めていく。その一方で出世主義の夫は第二組合に走り素朴で温かい心をもった同僚教師が学校を追われる。そんな中で、ふみ子先生は貧困に苦しむ子、事故で死んでいった子を思い、教室に生きようと決意する。

 この小説の下敷きになったのは32年2月に起きた佐賀県教組(佐教組)の「三・三・四闘争」。教員の大幅削減、定期昇給の十年間凍結など、すざまじいばかりの合理化案が示され、佐教組は十四日に全組合員の三割、十五日も三割、十六日には四割の休暇を指令、抗議集会への参加を呼びかけた。しかしこの休暇戦術は違法とみなされ、逮捕者や大量の処分者を出すことになる。

 社会派の作家らしく石川はこの事件を克明に追った。佐賀には何度も足を運び、日教組教研集会の五千冊近いリポートに目を通した。白紙の立場で書き始めたが、問題を追及するなかで、いつのまにか教師の立場にたっていたという。

 「当時は五十人以上の学級は当たり前、さらに子供が増えるというのに四百人もの首切り。めちゃくちゃでした」と佐教組書記次長だった丸山正道さん(75)。保守的な土地柄だけに、佐教組は全国でも一番弱い教組といわれた。その組合が強い行動に出た。

 『人間の壁』は、丸山さんや北崎稔書記長ら幹部が逮捕され、少年刑務所に勾留されたところで終わるが、実際の物語は三十年に及ぶ裁判闘争につながる。「だんだん関心が薄れ、『まだ居よっとか』と同僚からもいわれました。きっと勝ってくれると信じていました」と北崎スエノさん(80)。最高裁で刑事事件の無罪が確定してやっと晴れた。

 起訴された四人のうち北崎さんら二人は亡くなっていた。佐賀県庁に近く、佐教組の闘争本部があった旧教育会館も二十年ほど前に取り壊された。そこから歩いて十分ほど、抗議の人波でゆれた県庁前広場も、植え込みが造られ、静まっていた。

 佐教組は二年前に結成五十年を迎え、『人間の壁』が話題になった。上芝正子委員長も何年ぶりかに読んだ。「なにより子どもたちのためにという一途な願いが闘争の底流にあったんですね。それが教職員組合運動の原点だと改めて感じました」。佐教組の物置には、警察に押収され書類や文書が山と積まれていた。「なんだか触ると壊れそうで、いまはそっと置いておきます」と女性委員長はつぶやくように言った。

------------------------------------------------------------------

 いしかわ・たつぞう 1905ー1985。秋田県横手市生まれ。早大英文科中退。雑誌記者を経て作家に。『蒼氓』で第1回芥川賞。社会性の強い小説やエッセーを書く。
---------

http://www.zusi.net/meisaku/ningen/kabe.htm


  拍手はせず、拍手一覧を見る

この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
 重複コメントは全部削除と投稿禁止設定  ずるいアクセスアップ手法は全削除と投稿禁止設定 削除対象コメントを見つけたら「管理人に報告」をお願いします。 最新投稿・コメント全文リスト
フォローアップ:

 

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 雑談専用39掲示板

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。

     ▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > 雑談専用39掲示板

 
▲上へ       
★阿修羅♪  
この板投稿一覧