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[以下引用]
日本で原子力発電を推進したものは何か
(a)誘因――発電コストの安さと立地難
現在の原子力発電は、そもそもが軍事技術の利用である。それが軍事技術を持たない日本で推進された理由は何であろうか。アイゼンハウアー大統領が、原子力の平和利用を呼びかけ[平和のための原子力]、国連がそのための組織[IAEA]をつくった戦後の時期は、科学信仰の社会的文脈が強く、わが国では、これに反対の動きは生まれようもなかった。その実態が知られていなかったからでもある。そのための研究は当然とされてきた。事実政府がつけた当初の予算は3億円弱で、文献収集、基礎研究のための資金であった。
これが原子力発電へと進んだのは、原子力発電のコストは非常に安いという売り込みに、通産省と電力各社がとびついたからであった。電力各社(9社)と電源開発のほか、これに関連する産業グループなどが出資して1957年に設立されたのが日本原子力発電であり、この会社がイギリスから導入したわが国最初の原子力発電・東海1号は、発電コストがキロ2円52銭という売りこみであった。やがてこれがまったくの嘘であることが明らかになるが、なお安さに引かれ、アメリカのジェネラル・エレクトリック社(GE)と、ウェスティング・ハウス社(WH)から、日本原子力発電が敦賀にGEの技術で、関西電力が美浜にWHの技術でともに70年11月、東電が福島にGEの技術で原子力発電所を71年3月に完成させている。
発電コストが安いこと。それに加えて水力にしろ火力にしろ立地が難しくなった時、1ヶ所で大容量の発電可能な原子力が電力会社にとっては魅力的だったのである。
(b)地元政治家たちの原発誘致――柏崎刈羽原発の場合
ダムの誘致にともなう補償が、地元の有力者をどのように潤し、建設事業者が工事の一定割合を地元の県の自民党支部に政治献金しているか等々、自民党長期政権を支えたメカニズムが明らかになるのは、例えば、川辺川ダムの実態を追った毎日新聞記者福岡賢正氏の努力や、長年八ツ場ダム問題に取りくんできた鈴木郁子氏の記録、そして研究者の分析などが結び合ってであったように、原発誘致の実情も、新潟日報の努力によってようやく明らかになった。
2007年8月16日から2008年6月22日まで掲載され、新聞協会賞を受賞した「揺らぐ安全神話――柏崎刈羽原発」である。この掲載は筆が加えられ『原発と地震――柏崎刈羽「震度7」の警告――』(講談社、2009年)となった。
中越沖地震(2007年7月16日)によって東京電力の柏崎刈羽原発はすべて緊急停止した。福島第一原発のように津波に襲われることがなかったこともあって、混乱はあったものの近隣への被害は生れなかった。しかしこれで原発付近には断層がいくつもあることがわかった。断層の近くに原発があるということは、危険の可能性が大きいことを意味する。なぜこのような土地が選ばれたのか。
東電の調査が不十分だったこともある。だが地元からあらかじめ用意された土地が提供され、それを購入したということの方が大きい。適地を選んで立地したわけではないのである。
この地への誘致を働きかけた中心人物は、当時の柏崎市長小林治助氏と刈羽村村長だった木村博保氏である。
柏崎刈羽原発に政治生命をかけた小林氏に原発誘致をすすめたのは、理研ピストリング工業(現リケン)の元会長の松根宗一氏である。1963年といわれる。東電がこの地に原発を建設するのが69年であるから、6年ほど前である。松根氏は興銀から理研に入った人であり、新潟のこの地は理研発祥の地であるところから小林氏との関係が生れたものと思われる。重要なことは、松根宗一氏は、1954年理研に入ると同じ年に東電顧問になっており、のちに電力事業連合会の副会長についている。この地位に電力業界以外の人がついたのは、松根氏のみである。
他方、木村博保氏は田中角栄の地元の支援団体である陸山会の会長をつとめた自由民主党員で、刈羽村長から県会議員になり、東電から声をかけられ、東電本社で小松甚太郎専務に会っている。
新潟日報の記事で注目しなければならないのは、三つである。
第一は、原発計画が発表される3年前、刈羽村村長だった木村氏は、予定地52ヘクタールを買い、東電に売り、その利益として3億5865万円を税務申告していることである。買った坪当り単価の20倍ほどで売っている。72年度新潟県の長者番付の第1位は小林氏であり、第2位も原発に土地を売った人である。この年原発成金が多数生れたという。
第二は、2007年12月13日の記事で田中角栄の元秘書で国家老と言われた本間幸一(昂一)氏の次のような言葉である。東電への土地売却利益4億円を木村博保氏と田中角栄のもとに運んだと。当時田中角栄は自民党の幹事長で、総裁選で福田赳夫と争っており、この金は、総裁選に利用されたものと思われる。この記事は、自民党の政治資金と原発の関係を物語っている。
第三は、田中角栄は首相になり、電源三法(1974年6月成立)を成立させたが、その発案者は柏崎市長だった小林治助氏だったという。従来までダムにしろ発電所にしろ、建設されれば地元市町村に多額の固定資産税が入る。電源三法はこれに加え、各電力会社、その販売電力量に比例した電源開発促進税を払い、これを財源として地方に交付金を与えようというものである。その目的は原子力発電の立地を容易にするためであった。
これが原発建設を日本で拡大した最大の力である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか――アヘンのような交付金
電源三法によって集められた資金は、そのほとんどが、電源立地地域対策交付金として電源が立地する県と、付近市町村に種々な名目で分けられていく。その名称は、電源立地等初期対策交付金、電源立地促進対策交付金、原子力発電施設等周辺地域交付金、電力移出県等交付金、原子力発電施設等立地地域長期発展対策交付金であり、その他原子力発電施設立地地域共生交付金もある。
交付金の種類の多さに戸惑うとともに、たがいがダブラないか、第三者にはその違いがどこにあるか、まったくわからない。湯水のごとく金がまかれ、地元がこれを求めた姿が浮かぶかのような交付金の数である。もちろん、それが電力料金を高めている。原子力発電の原価はそのぶん上昇すべきものなのである。
私は昔、石川県の手取川ダムの立地によって地元が固定資産税収入をふやし地方の財政が一変したことを述べたことがある[原注 『世界』1983年1月号、経済戯評]。だが今は、それをはるかに上回る電源開発促進税である。設備が作られ、それに応じて生れる固定資産税と違って、それ以前から交付され、建設中が一番多額なのである。『週刊ダイヤモンド』編集部は『電源立地制度の概要』(資源エネルギー庁)によって、電源立地地域に対する交付金がどう配分されていくかを経年的に明らかにする試算をつくっている(2011年5月21日号)。それによると配分額は、運転開始以後約20億円〜22億円が約30年間交付されるのに対し、着工された年には74億円強、それから2年間は最高の77億5000万円となっている。
1年77億円という金額は、原発が立地する過疎の市町村にとっては極めて大きな金額である。注意しなければならないのは、原発立地の環境に与える評価を開始した年から5億2000万円交付されることであり、評価いかんで、建設するかしないかではなく、評価は建設を予定していることと、運転開始までの10年間に440億円交付され、運転開始以後交付金が大きく減少することである。このことが、地方議会と首長が、もう1基原発の建設を、という要望につながるのである。
原発立地に必ずしも賛成でなかった福島県の佐藤栄佐久知事は原発立地の地元の議会の増設要求に対し、原発は麻薬だと言ったのは、この交付金を批判してであった。なぜ特定地域に原発銀座といわれるように、何基もの原発が次々に建設されるか。その理由は、交付金の魅力と電源会社にとっての同一地立地の容易さとの結果である。
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
このような交付金の魅力は電源立地だけではない。ダムの建設の場合でも同じである。
神奈川県清川村は1990年代まで財政指数0.2〜0.4つまり、税その他の収入が財政規模の2割から4割しかない村だったが、宮ヶ瀬ダムの建設を受け入れることによって、完成の前年(1999年)約12億円の交付金が入った。財政規模約20億円の6割である。こうして2003年には村の財政指数は1以上――つまり自前の収入でまかなえる――の富裕団体になる。建設それ自体が問題である群馬県の長野原町の「八ツ場ダム」関係者は、バスを仕立てて、この宮ヶ瀬ダムと清川村を訪れている。清川村の財政の一変を見せ、住民のダム誘致賛成を拡大しようとしたのである。
電源立地とダムとの交付金について見てきた。ダムと水力発電所がともにあるならば、2つの交付金がえられることになるだろう。その一例が、群馬県の上野村――日本航空の飛行機がダッチロールして墜落した村である。
税収入は約2億円。地方交付税の11〜13億円程度で村の財政を支えていた。ところが2005年ダムと水力発電所が完成すると財政は一変する。06年固定資産税だけで27億円あり、財政指数[財政力指数]は、1.3、つまり、財政は大きな黒字で不交付団体になった。
注意しなければならないのは、これらの市町村はいずれも所得水準が低く、人口が減少している過疎地域だったり、若者に働く場のない地域だったことである。柏崎市長を4期つとめた小林治助氏は、助役から市長になった人であるが、日本石油発祥の地であった柏崎でありながら、製油所も廃止され、1963年7万9000人余あった人口も67年には7万人を割り、69年には市の財政は財政再建団体に指定される一歩手前まできていた。そのため刈羽村につらなる砂丘に地域振興の起爆剤を求めたのである。財政悪化は刈羽村でも同じであった。
山村の振興にダムをというのもおなじである。貧しい取り残されたかなしい山村にダムを、貧しい海浜の町や村に原発を。ともに交付金で誘って建設を要望させる。電力会社がこれを受ける。行政指導国家の政治はそれを認可するだけで責任をとらない。柏崎市はこれによって2009年度県内の市で最も財政状況の良い市になった。
そして、田中角栄が柏崎刈羽で4億円を、木村博保が3億8000万円を手にし、建設にともなう工事の一部が自民党県連に献金され、地方に強い自民党をつくりあげたのである。
私は、今年3月八ツ場ダムの記念館に立ち寄った。問題の時は、沢山の人だったといわれているが、この時は人影はなかった。八ツ場ダム推進吾妻住民協議会の会長H氏は、ダムの中止をかかげた前原誠司国土交通大臣に、"地元の声を聞け"とせまった人であるが、自民党の地元議員でもあり、「ダム屋」40人に土地を売り、補償金約10億円を手にし、信用金庫への借金2億円を返済し、立派な家を新築したという。この話をした町の人の反応は"羨ましい"であり、批判はどこにもなかった。
田中角栄がつくったと言われるこの政治ビジネス・モデルに支えられた自民党の地方組織を政権交替は崩すことはできなかった。菅内閣を支えている人たちは闘わないのである。その本質は自民党と同じなのであろうか。
この政治ビジネス・モデルは、原発というメフィストフェレスと手を結んだことである。ファウストが青春と引きかえに良心を売ったように、電力会社も、地方の首長も議員も、今日の繁栄のために、これからの安らぎを、メフィストフェレスに売ったのである。
改めて強調したいのは、原子力発電を日本に次々に建設した責任は自民党にあるということである。谷垣自民党総裁は福島の大災害に責任をとらなければならないのである。その誘致に狂奔した地方議員、町長なども同様である。かれらの過去を知る新聞記者が、被害者顔のこれらの人に強い批判を加えたのもうなずける。石原伸晃自民党幹事長は「脱原発は集団ヒステリー」と発言したという(毎日新聞2011年6月15日)。民主党の事故対応を批判する前に、利権と一体化して推進した自民党の責任を反省すべきなのである。
あらためて書くまでもない。自分たちの土地が使うわけでもない電力の設備をつくるのであるから、電力消費者が電源開発促進税を払い、自分たちが交付金を受けるのは当然であるという論理は成り立たない。自分たちが使わない機械工場の建設を認めるかわりに、機械に開発促進税を課してよいことにならない。自分たちが食べない米を耕作するのだから、交付金をよこせということもありえない。政治と地域をゆがめる電源三法は廃止し、その分電力価格を下げ、政治を正す必要がある。
[以上引用]
[引用文筆者のプロフィール(掲載誌『世界』より)]
伊東光晴 いとう・みつはる 京都大学名誉教授。1927年生まれ。著書に『ケインズ』『政権交代の政治経済学』など。本誌2011年5月号、6月号に「戦後国際貿易ルールの理想に帰れ」を寄稿。
[引用文についての投稿者による注記]
引用文は、伊東光晴氏の「経済学からみた原子力発電──何が推進させたか、代案は何か──」(『世界』 2001年8月号、岩波書店)からの抜粋である。
この論文の構成は、次の通り。
一.原子力発電をめぐる法制度の違い
二.日本で原子力発電を推進したものは何か
三.原子力発電の発電コストは安いのか
四.福島原発事故にもとづく損害賠償
五.脱原発から原発のない社会へ
そのうち、「二.日本で原子力発電を推進したものは何か」を引用した。
引用文中の数字は、掲載誌の文章ではすべて漢数字で書かれている。横書き表示にあわせて、投稿者が適宜算用数字にあらためた。
段落の頭は、もとの文章では一字下げになっている。投稿者が一字下げのかわりに段落間に空行を入れた。
ハイパーリンクは、投稿者が勝手につけた。
[投稿者による要約およびコメント]
(a)誘因
通産省と電力各社は発電コストの安さにとびついたいう。そのコストが安いという触れ込みは嘘であることがやがて明らかになるが、それでもなお原発は安いとみなされていた。原発のコストの問題については、とくにLNGとの比較で検証がおこなわれている(その箇所は引用していない)。
1954年にはじめて政府が原子力予算を通したとき、修正案を提出したのは野党の改進党に所属していた中曽根康弘氏である。中曽根氏に触れられていないのは物足りない。インターネット上のブログなどで引用されている中曽根氏の回想録によれば、原子力の平和利用研究予算に学界やジャーナリズムが反対するのは明らかだったので、予算修正は秘密裡に準備されたという(「東日本大震災の歴史的位置ー原子力開発を強力に推進した中曽根康弘」Hisato Nakajima 2011年4月11日)。
中曽根氏などの原発推進のもくろみに軍事目的があったのではないかという推測もある。これに関連してくると思われるが、原子力発電と軍事利用の表裏一体の関係については、伊東光晴氏も、日本国内の問題としては採りあげていないものの、アメリカで原子力発電が推進された誘因であるとして簡単に述べている(その箇所は引用していない)。
(b)地元政治家たちの原発誘致
原発を誘致すると、地元の市町村に多額の固定資産税が入る。それに加えて、電源三法の交付金が出る。さらには、用地の売却で大きな利益をえる関係者もあらわれる。このようにして原発誘致が儲かるということが、原発を推進するうえで最大の力になったのだという。その電源三法をつくったのは1974年当時の田中角栄首相であり、発案者は柏崎市長だった。
田中角栄については、阿修羅掲示板でも評価が高いようだ。しかし、地元(および自分自身)への利益誘導の手法についてはどうだろう。わたしは、原発誘致とか公共事業とかいった利益誘導がむしろその地方のためにならなかったのではないかという、直感的な疑念をいだいている。これは、何もしない方がよかったというのではなく、あれだけの政治力があったらもう少しべつな豊かさが実現できたかもしれないのにという、後知恵にもとづく疑念だ。じつは投稿者は新潟県出身である。
(c)なぜ原発銀座が生れるのか
電源三法による交付金は、原発の着工から運転開始までがもっとも多額であり、運転開始の翌年から大きく減少する。このため、自治体の側から原発増設の要望が出てくる。交付金がアヘンにたとえられる所以である。
伊東光晴氏の参照した『週刊ダイヤモンド』(2011年5月21日号)の記事「原発は『カネのなる木』 甘い汁を求め原発に群がったヒト・企業・カネ」の図をみるのがわかりやすい。
送信者 |
(d)利権政治のビジネス・モデルの確立
電源三法の交付金の出所は、電力消費者が負担した電源開発促進税である。ただし、このような交付金をえる仕組みは、発電所のないダムにもみられる。ダムに水力発電所がつけば、さらに交付金が増える。こうして、地方の疲弊した自治体の中には誘致を引き受けるところが当然出てくる。
自民党は、このようなビジネス・モデルによって、地方に強固な基盤をつくった。原発推進の責任は自民党にある。民主党も自民党の地方組織を崩すことができず、その本質が疑わしい。伊東光晴氏の結論は、政治と地域をゆがめる電源三法を廃止すべきであるというものである。
伊東氏は、廃止の根拠として、自分が消費しないものを生産するから交付金を受けるなどという論理は一般的にありえないとして、機械工場や米作の例を挙げている。
しかし、これには異論がある。ダムやほかの発電所ならともかく、原発には格別のリスクがともなうので、伊東氏のような一般化はできないのではないだろうか。『世界』(2011年7月号)に掲載された清水修二氏の「電源三法は廃止すべきである」には、この問題がくわしく論じられている。伊東光晴氏の論文は概説としてわかりやすいので引用して紹介したが、電源三法の問題の所在を理解するためには、清水氏の論文もあわせて読みたい。もっとも、電源三法を廃止すべきだという結論については変わりがないが。
わたしの関心は、とりあえず電源三法および利権誘導的なさまざまな交付金を廃止するとして、その後どのようにして地方を再生すればいいのかというところにある。たとえば東京都の世田谷区で保坂展人氏がやろうとしているようなことを、地方のそれぞれの自治体が、はるかに悪い条件のもとで、それぞれのやり方でやらなくてはならないのだ。
伊東光晴氏の論文のサブタイトル中には「代案は何か」とあるが、地方再生についての代案は提出されていない。
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