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http://tamekiyo.com/documents/original/20110706.html
『あらゆる問題を解消する方法を無料で教えます』(Byoud 5 Senses)
政治家に限らず大半の人は、「問題発生」→「症状を見るだけ」→「対策」という発想をする。それが罠だ。
本当に問題を解決するには、「問題発生」→「原因究明」→「原因の除去」が必要である。
「対策」すると更に高度で困難な新たな「問題」が発生するのが常である。症状を薬でごまかすだけの西洋医療がその代表例である。本当の解決は、原因である変な食べ物をやめることだ。本当の解決は、原因を除去することにあり、それが老子の無為自然であろうし、私も「ドゥ・ナッシング」という表現をしてきた。
自然農法で有名な福岡正信氏の著書『わら一本の革命』を読んでいて、次のような一節があった。ここに現代社会が抱える全ての問題の原因を除去する方法がある。
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私は、実は、国民皆農というのが理想だと思っている。全国民を百姓にする。日本の農 地はね、ちょうど面積が一人当たり一反ずつあるんですよ。どの人にも一反ずつ持たす。五人の家族があれば、五反持てるわけです。昔の五反百姓復活です。五反までいかなくても、一反で、家建てて、野菜作って、米作れば、5、6人の家族が食えるんです。自然農法で日曜のレジャーとして農作して、生活の基盤を作っておいて、そして、あとは好きなことをおやりなさい、というのが私の提案なんです。(p119)
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このごく短い文章の意味がわかってもらえるだろうか?
週に1日だけ農地のメンテナンスをすれば、あとは遊んで暮らせるということなのだ。これは自然農法を実践していた人の言葉であり、単なる精神病患者が言葉遊びでぐだぐだと文章を書いているのとはわけが違う。リアルに可能なことなのである。
しつこいようだが、この意味がわかるだろうか?
本当にわかってもらえるならば、子供を学校に行かせる意味、就職する意味、仕事で忙しくする意味、こうした我々が当然必要だと思っていることが、全て勘違いであることがわかるはずだ。「仕事」と呼ばれている地球を汚す作業をやめたくなるはずだ。
例えば私であれば、こんな生活になるだろう。週に1日農作業をすれば、食べるのには困らないのであるから、あとの6日は、ボケっと寝て過ごす。寝ているばかりでは退屈なので、翻訳でもやろうかという気になる。ある程度はマネーで手に入れたい物やサービスもあるので(パソコンとかインターネット通信料とか)、少しばかり金儲けになれば良いという軽い感じで。だから、売れるかどうかはあまり気にせず、好きな本の翻訳だけやればよい。
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現代では、「仕事=収入を得ること」と考えられています。しかし、江戸時代の暮らしには2つの仕事があったといいます。それは「かせぎ」と「つとめ」です。「かせぎ」とは、収入を得ることです。現代でいう「仕事」そのものです。「つとめ」とは、地域の中でお互いに協力して支えあう行いです。この両方がこなせて初めて、周囲から一人前と認められたそうです。
また、当時はイエやムラの単位で「くらし」に関する仕事もありました。「くらし」とは、自分たちの衣食住などに関する自給生産のことです。生活に必要な物はなるべく自分たちで賄うようにしていたといいます。
いまの私たちの生活は、ほぼすべてが「かせぎ」に支えられています。収入がなくなると、生きていくために必要な物を得ることができません。また、いざという時に助けてくれる人が近隣にいないという問題もあります。つまり、現在の多くの都市生活者が抱えている一番の問題点は、極端な「かせぎ」一辺倒にあること、なのではないでしょうか?
(アースカラー半農半X道場 http://earthcolor.jp/index.php)
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1反とは、10アール、1000u、約300坪であり、正方形だとすれば、約32m×32mである。これが1人分の生計に必要だという。日本の人口をざっと1億人とすれば、約1000万ha必要ということになる。現在の農地面積は467万haであり、遊休農地が39万ha、戦後に失われた農地面積が200万haという。(参照:日本の耕地面積と食料自給率) 合計するとざっと700万haであり、福岡氏が言うようにざっと1人1反程度は確保できる(できていた)のだ。
もう一つの原因
ここで疑問が生じる。そんなことができるならば、どうしてそもそも自然農法が失われ、わざわざ面倒な有機農法や近代の化学肥料・農薬農業になったのかという疑問である。誤解のないようにと思うが、明治以前なら自然農法だったというわけではない。何らかの圧力があって、土地の生産性を自然の状態以上に高める必要があったのだ。
その「原因」を考えると、まっさきに思いつくのが税である。それぞれの時代の権力者が税として収穫物の何割かを没収した。例えば、江戸時代には、五公五民という言葉があるが、これは税率50%という意味だ。六公四民、八公二民の場合もあったという。ひどい話だ。ちなみに現在はこれと比べると表面的には税率は低いが、マネーという想念を利用することでもっと「民主的」で巧妙な収奪方式になっている。これだけ税負担を増やされると(官僚制というものは時の経過とともに肥大するものなので、放置するとどんどん税負担は重くなるものだ)、同じ土地でより多くの生産をしなければならない。それで肥料を入れたり、面倒臭い農作業が発生するようになったのではなかろうか。つまり、セーフの存在、支配と被支配の関係が「原因」である。
そして、もう一つまっさきに思いつくのが「中出し」である。難しく言えば、人口の増加圧力だ。同じ土地で養う必要のある人数が増えれば、当然ながら工夫して同じ面積で収穫量を増やさないといけない。また、この人口の増加圧力が、上記の支配・被支配の関係を生む根本にあるようにも思う。この「中出し」問題、難しく言えばセクシュアリティについては今後、究明してこのウェブサイトで情報提供していきたいと思っている。
ということで、わかってもらえましたよね?
現代社会のあらゆる問題を解消するには、「自然農法」+「人口削減」です。
我々は、自然農法による自立を目指していくべきである。これは、セーフやノーキョー(化学物質取扱商)に邪魔されながらも、個人でもできることだ。
そして、人口削減は、イルミナティにお任せしよう。
西洋医学、頑張れ! 製薬会社、万歳!
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