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少し人類の未来を占ってみましょうか。
あなたはいったい何がしたいのですか?そう問われて答えられる人はどのくらいいるでしょうか。個人的なことに留まらず、考えるだけならばいくらでも話を大きくできます。自分の国をどうしたいのか、この地球をどうしたいのか、なんでも考えられます。話が大きくなればなるほどたくさんの人を巻き込んでいきます。大きな意思を表明することは、みんなもそう思うでしょう?と問いかけるようなものです。
もしあなたが考えなければ他の誰かが考えることになる。席が空いていれば誰かがそこに座る。考えていないことは周りからすれば、どうでもいいです好きにしてください、と言っているように見える。本人がそういうのなら実際に周りの人は好きにすることでしょう。考えていなかったことで周囲に振り回されるとき、人は自分という存在が思っていたよりも大きいものだったと気付く。
意思の表明は内面のことにも関わってくる。自分の内面に浮かび上がらせ得るあらゆるもののうち、実際に何を浮かび上がらせるか。これは物語やフィクション、そして嘘をつかれたときがわかりやすい。現実ではないただのお話でも心は働くし、嘘が嘘だとわかったときは印象が一瞬で逆転する。それくらい心というものはうつろいやすくまた柔軟だということ。そして現実というものがいかにファンタジーに支えられているかということでもある。どのような物語を本気にするのか。そして本人にとってはただの物語でも周りの人にとってはそれが現実なのです。
色々な本を読んでみれば、内容にあわせてあらゆるものが心に浮かぶ。それは自分が、自分の内側からどれほどのものを生み出せるかを教えてくれる。しかし他の誰かの物語を簡単に真に受け、シチュエーションにあわせてお約束の心の働かせ方しかしないなら、その人に意思があるとは言い難い。
今この現実は確かに大きな力を持っているけれど過去それがただの物語に過ぎなかったときが確かにあった。過去私達がどのような物語を本気にしそして今何が現実になっているのか。今の現実は人々が同じ物語を共有し本気にしたらどれほどのことを成し遂げられるのかを教えてくれる。
だから現実を変えるのは簡単なことです。違う物語の中で生きると決意しさえすれば。
空想と現実に区別はない。でも何を本気にするかによる違いはある。本気にするものが変われば人が変わる。ものの見方も感じ方も。何が価値あるものであり、何がそうでないのかも。
今後人は一つ一つの物語をよく吟味するようになる。その物語の中で自分はどんな生き方をすることになるのか、周りの人にどんな生き方をさせることになるのか。そして人々をどこに向かわせるのか。それを考えないとただ周囲に流されてしまうだけだと気付くから。何かを変えたいと望む者は新しい物語からくる新しい現実を周囲に見せつけていく。他の人の物語に流されるか自分の物語を貫くか。それは日々起こっている。
物語は簡単に人の間を伝わっていく。だから他人は思っているよりも他人ではないし自分は思っているよりも自分ではない。そして自分の物語だろうと他人の物語だろうと気に入らない物語はいつか捨てられる。だから人は最高の物語を追求することになる。
もし人が理想から離れるならば人は自分はその程度の存在だと言っているのであり人はそれを本気にするでしょう。そして人はないがしろに扱われるでしょう。それはこれまで散々起こってきたことでもある。だから自分の理想の物語を考え言葉にし行動する。地球を宇宙をこの世の全てを巻き込む程に大きな理想の物語を。
私は愛と平和の世界を見たいのです。そこで生きたいのです。他の事はもういいのです。そう私は問いかけるのです。みんなもそう思うでしょう?こうすれば、そう思うという人もそうは思わないという人も、これからは自分が何をしているかを自覚しながら生きていくことになる。
人が理想の物語を追い求めたら、必ず愛と平和の物語に行き着く。
だから私は望む。すべての人が自分の理想を生きることを。
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