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http://hiroya.web.infoseek.co.jp/john2882.htm
「文筆劇場」から「サッカー日本代表に"社会の縮図"をみる」を、下記のように転載投稿いたします。
=転載開始=
昨夜、実家のテレビ画面にサッカー日本代表の試合が映っていました。
特に観る気はしなかったのですが、PCで作業をしながら横目でみていました。
僕はサッカーのアジア大会が行われていることはもちろん、監督の名前も、今の日本代表の選手も知りませんでした。中田英寿選手が引退した時点で、サッカーへの興味はなくなっていました。
僕がサッカー日本代表に関して、本気で感情を揺さぶられた出来事が2つだけあります。「ドーハの悲劇」と「三浦和良選手が日本代表から外されたこと」の2つです。この2つだけは、例外的に他人事だとは思えなかった。
僕が中学に入学した年、ちょうどJリーグが始まりました。僕は当然のようにサッカー部に入部しました。あまり優秀な部員ではなかったが、リフティングだけは何百回かできて、かなり上手でした。今思えば、僕は昔から「一人で完結する作業」がとても得意でした。
やがて僕は、自分にサッカーの才能がないことに気付かされました。学校のクラスでは上手な方だったと思いますが「その程度のレベルでは意味がない。自分がトップを取れる分野で勝負するべきだ」と感じました。
もちろん、当時はここまで明瞭に言語化できていませんでしたが、要するに薄ぼんやりとそんなことをそんな考えていました。
昨夜の試合を見た限り、今も変わっていないと思いましたが、僕が観ていた頃の日本代表の試合は、シュートを打つべき場面でパスに逃げ、チャンスを逃すことが多かったものです。何も日本代表の試合だけでなく、中学のサッカー部の練習試合でもそうでした。
それはまるで、責任回避に終始する日本社会の縮図のようでした。
僕の記憶では、サッカーの日本代表は「決定力不足」とよく言われていました。
決定的な場面で、自らの責任でシュートを打つ。国民は、その勇気がない日本代表をなじりました。
翻って、国民が日々のビジネスシーンで、自らの責任で重要な決断を下しているかと言えば、そうではないでしょう。自分の担当業務なのに「みなさんのご意見を伺いたい」とか適当なことを言って、ビジネスチャンスを逃してきたのではなかったのか。
ちなみに、僕はスポーツ観戦には殆ど興味がありません。
サッカーをしていた頃は「プロのテクニックを盗む」という姿勢でサッカーの試合をテレビで観ていました。「自分はプレイヤーであって、観客ではない」という思いが強くありました。
だから例えば、贔屓のサッカーチームを持ち、特定の選手を応援する。その気持ちが、わかりそうでわかりません。
こう言っては失礼ですが、スポーツ選手に過剰な思い入れがある人は、自分自身の職業人生を諦めていないでしょうか。
「阪神が勝ったから、仕事を頑張る」という言葉の背景には、「どうせ俺はしがないサラリーマンだけど」といった諦観が漂っているように見えます。
もっとも世の中にあるほとんどの職業は、スポットライトや国民的な注目を浴びるようなものではありません。しかしだからと言って、スポーツ選手と自分を比べて卑下する必要など全くないでしょう。どのような職業であれ、矜持を持って打ち込む姿は尊いものです。
また、サッカーにとても詳しい人もいます。例えば、日本代表選手の個々の選手の特徴や性格を的確に掴んでいる。そして日本代表戦の度に、勝てば自分のことのように喜び、負ければ自分のことのように口惜しがる。微笑ましくもあるが「その情熱を自分のために使えばいいのに」と思います。
ちなみに、昨日の試合の内容に関して言えば、クリティカルな得点チャンスはオーストラリアの方が多く、実力では負けていたと思います。もちろん、決勝点となった李選手のボレーシュートは素晴らしいものでしたが、個人のミラクルプレーには再現性がありません。
以上、これでもサッカー日本代表のアジアカップ優勝を記念した一文でした。
(以上、1600字)
山田宏哉記
=転載終了=
http://www.9393.co.jp/okazawa/kako_okazawa/2011/11_0128_okazawa.html
「食べる歓び」第1192回 「PK合戦、いまだ終わらず」から下記を転載投稿します。
=転載開始=
先の日韓戦について、いまだに質問が届いている。
もっとも多いのは日本が取られたPKに関するもの。
不可解な、理不尽な、意味不明の、疑問符のつく、
厳しすぎる、判定ではなかったか、というものだ。
いやはや、日本語の形容詞は実に多種多彩ですなァ。
極めつきはたまたま水曜夜に買った日刊ゲンダイの記事。
正当なチャージなのにサウジアラビア人主審は
何をトチ狂ったのか、PKを宣したのだ。
同紙におけるサッカーライターH氏のコメント。
朴と今野が“五分と五分”に渡り合っただけのプレーです。
それがPKとなってビックリさせられた。
はたしてそうでしょうかね。
ちと厳しいジャッジだったことは否めないが
あれはファウルを取られても文句の言えないプレー。
なぜか?
ボールを追いながら、ボールを“見上げていた”朴智星に対し、
今野はボールを一顧だにしていないからだ。
今野は最初から本来プレーすべきボールではなく、
朴の身体を狙ってプレーしている。
“五分と五分”などと言えた義理ではなく、
朴はボールへ、今野はボディへ向かってプレーしていたのだ。
これは間違いなくファウル。
よく見ていた主審に対して
ゲンダイの記者やライターの目は節穴というほかはない。
主審は同じ理由で岡崎へのチャージにも
毅然としてPKを宣告したではないか。
日本人の悪いクセで自分たちに不利だとブウブウ言うくせに
有利とみるや知らぬが仏の頬かぶりってか? さもしいねェ。
このときは韓国DFの犯したファウルが
ペナルティエリアの内か外か微妙だった。
笛を吹いた主審はただちに副審の判断を仰いでPKとした。
オフサイド同様に真横にいる副審のほうがよく見えていたからだ。
PKシーンだけでなく全体を俯瞰しても
適切なレフェリングだったと思う。
戦いすんで日が暮れたあと、韓国内で一騒動持ち上がった。
今野が与えたPKを蹴り込んだ韓国FW奇誠庸の“猿まね”が
日本への侮辱行為として批判の矢面にさらされているのだ。
これは日本サイドの抗議によって火が点いたのではなく、
韓国内で自発的に問題視されたところが興味深い。
過去にあまりなかった現象といえる。
能天気な日本人は「そんな場面があったっけ?」てなもんで
怒るよりもむしろ面映いような、くすぐったいような、
妙な心持ちになった向きも少なくあるまい。
中国には悪いけれど、もしこれが中国だったら
奇誠庸はいつぞやの漁船の船長のごとく、
国家の英雄にまつり上げられていたかもしれない。
少なくとも内部告発的な批判はなかっただろう。
この1件をもって韓国と中国の民度を比較するのは酷ながら
国際社会を構成しようとするならば、国家にも国民にも
それなりの品位や節度が求められるのは歴然とした事実だ。
思うに、日本を含めたアジアにおける相互の友好関係や
それぞれの立ち位置、全体の枠組みといったものは
なおも曲折を経ながら熟成されていくのだろう。
それにしても問題の一因となった旭日旗は感心しませんな。
自衛隊はいまだに掲げているらしいが
アレを見ると頭の中を「軍艦マーチ」が駆け巡っていけない。
戦闘モードにスイッチオンされてしまうのだ。
ナチのハーケンクロイツを連想させもするしね。
今回の騒動は遅からず収束するはずだから
日本サイドとしても報復はむろんのことに
反発や誹謗の類いは極力控えたい。
そんなに悪いヤツには見えないし、ことが“猿”だけに
今頃は“反省猿”を決め込んでいるかもしれない。
そして“奇誠庸の行い”だけに
単なる“奇行”として一笑に付すのが大人の対応というものだ。
=転載終了=
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