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metamorphosis
我々は「その時」を経て変異する
それは誠なる知識への渇望が生み出した結果か
はたまたそれは予定されていた事か
"不可思議な一致は予定されていたものとの判断を容易にさせる"
神との一体性を感じるには愛と感謝の念がそこに必要である
そしてまたそれを感じる感性の開発が必要である
この世とはむき出しになった感性の渦巻く大海である
そこにおいて必要なのは
人生を通して自己の存在を否定する事なく
自身を信じつづけると云う気概である
それは純粋に澄み切った心で他者を
無償の愛で信じる事と同様のものである
経験し判断の為の材料をつかみ
自分が何者かを信じる事が出来れば
他者の言う事に及んで
理解在る眼差しで首を縦に振る事が出来るのである
数多の生命としての存在
また無数の生命を構築する見えない素材さえも
深く真理によって生まれているものとして理解に及べば
それらは皆姿形を容易に変えて我々を助けてくれる存在である
無数のそうした存在によって我々は
自己の気づきと学びを推し進める環境が出来ているのである
すべては感応する心によって自在の姿を持つものである
すべての細胞はどの部位の細胞にも変化することができるのである
我々は前にしか進めない存在であり
生命とは意識の広がりの中で
すべてを可能のままにしている存在でもある
自己を赦し反省し他者に感謝し
すべてを赦し愛そうとする上で感じられるもの
それがなにより他者を救い自身を救う
そこに教義的狭義はない
自己の自己たる存在を信じれば
すがるもの等この肉体すらなく
完全なる諦念の中にすべての欲を棄てていく
ただ感ずるままに自分を至福に導く状態である
そこにあるのは純粋なる澄み切ったあなたそのものであり
自身のすべての作り為した過去
他人のすべての作り為した過去
すべてを赦しすべてを前向きに運びつつある存在である
神との一体性とは自己との一体性である
すべてに通じる幸福感との一体性の中に
生命は絶大な力を得て行くのである
それは組織というものを必要としないのであり
外部に神という存在を創り出し
そこに依存する必要性も無いのである
他者もまた自身と同じ存在であるが故に
すべてに神は通じるのであり
すべては信じるに足る存在なのである
たとえそれで仕打ちを受けたとしてもである
仕打ちを受けるのは仕打ちを受けるだけの
「自己の分離」した状態による「理由」が其処に在るのである
我々の肉体もまた地球という物的存在から分けられたパーツであるのと同様
精神もまたすべてなる存在の一部である
あなたという存在を推し量るとき
物的基準でしかものを計り知り得ないのと同様
どのような基準をもっても説明し伝えられない世界というものがある
しかし言葉で言い表せないものを伝えようとする事自体は間違いとは言えない
理解に及ぶという姿勢にその人間の段階を見て取れるのである
現存する文明社会に属する身として我々は
そこで得た知識によって自己の概念を共有し
自己を分離した状態下においている
分離した自己の状態下では
「見たく無いものほど見たい」
というような矛盾したような心理が一般的であり
そのことによって多くの混乱を齎している事には気づいていない
しかしまた世界にはそうした分離しない為の教えを頑に守り
神との一体性を重んじている人々も当然いる
民族としてネイティブアメリカンや今はなき純粋アボリジニ
アイヌ民族など 神との一体性である自然観を大事にした
分離を目指したものもそうでなかった者も
どちらもその意思に反する事なく
共に比較し合い多くの試行を繰り返しきた
そして我々は改めて多くの学びと気付きを得る事が出来た
「変異の時」は間近
そこへと至る扉は既に開かれている
人類によって蒔かれた試行の種は
ようやく刈り取りの時期を迎えている
人の「本心とは裏腹の行為」もまた大きな実りを見せた
一人一人が課せられた責任は一人一人が刈り取る
分離した自己は
あらゆる行使によって
自由意志の可能性を立証した
神の外在化によってあらゆる人々の表現も可能となった
その時代その時代に人々の欲する期待通りのものが投影され
多くの文明 宗教 思想 学問の発展による
ドラマティックな対立をも生み出した
善悪の対立の構図
人間の本質と謳われた闘争本能
次元限定の必要悪によって
人を疑えば自身を見誤る事を学んだ
比較し競い奪う事で傷つき恐れも学んだ
弱者として組織の陰に紛れる不安も学び
「抵抗せぬ」姿勢を武器に抵抗する欺瞞も赦された
しかし分離しなければ学べなかった事の多くは
初めから見えていた結論でもあった筈
奇異なる人類の歴史は知識の広がりとともに終焉を迎える
そして徐々に思い出していく
自然の中に人間の役割は在り
すべてはそこに調和することを
調和とは我々の目にしてみればいつだってそれは奇跡であり
それは幸福感であった
これまでの誤った認識は悉く取り壊され
新たな時代の幕開けにより
新たな認識に取って代わる
心に引っかかっていたものは全て取り払われ
はじめから解っていた通りの答えをもって
我々は他者に接し
愛をもって互いに導きあい
自由である事の代償と責任とは
喜びの中でこそ紡がれ続けるものであると云う事を思い出す
我々はいつでも新たな歴史への一歩を踏み出し
我々は更に正しかった在り方へと導かれて行く
自我を超越したあらゆる観点を思い出し
試行の種がまかれた段階でそれは
これまで抱えてきたあらゆる認識と誤認識
あらゆる理想とそれらによって支えられた
現実とするもののすべてが必然と一致したものであった事に安堵する
敵であったものは敵などではなく
悪であったものは悪であった訳ではなく
それらはすべて求めに応じて現れた自己の現れだと気づく
他者に投影しそれを脅威として感じてきたものとは
未熟な己の姿であった事を思い出していく
そうした未熟さで溢れ巨大化した社会は
個々の人間が知識を取り戻す事で変態する
我々はすべてとの調和を取り戻しつつ在る
「その存在の到来」を経て
人々に個としての力が取り戻されれば
新たな変態に成功した人間によって新たな社会が生まれる
「本来の」人間的本質によって世界は再構築される
あらゆる関係性において新たな解釈が育まれ
新たな枠組みにおける相互間の理解度は一気に進み
本来の人の世の姿が取り戻されていく
そのことによってこれまで依存して来た
あらゆる既存の組織的枠組みは空虚なものとなり
新たな人間社会運営の在り方が模索されて行く
歴史という名の次元に置き去りにされた
全てのものは清め洗い流され
新たな息吹が齎される
時における「今」が見直され
我々人類はその「今」を平素「澄み切った心」で
自身の寛容な心を常に喜び楽しみ
自信に満ちた人生を送る事が可能に成る
よってその時の到来を胸を高鳴らせて待つ
そこに続く日々を伸びやかな状態をもって
迎え入れる為に自己を見つめつづける
倖せで在る事は何かを見つめつづける
神とは何か
解釈は数多在る
しかしどれも人間の社会で通用する言葉と
既存の概念を越えない
人とは何か
自分とは何か
それすらも解っていなければ
まずそこに至る以前の話題である
神とはすべてであり我々はその一体性の中において
一部であることの認識は得ているだろう
自己を見つめ続けることでしか
自己の満足する答えは袂に入らない
ひとつの解釈に執着も依存もしない
あなたの倖せもまた進歩する
その解釈もその意識もまた
未来永劫進歩する
あなたがなりたいもの
他者がなりたいもの
そこに追い求める理想のモデルが在り
その理想の実在としての神々もまた全体の一部であり
故にその全体もまた未来永劫進歩し続けるのだから
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- Re: 包み込む力 金十字架 2011/1/23 22:52:28
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