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1934年リンカーン大統領の暗殺は国際的銀行組織の謀略であった
文献
ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表
アンドリュー・ヒッチコック著、太田龍 監訳、成甲書房
2008年9月20日発行 初版第1刷
p88、p89より
抜粋はじめ
1865年議会への声明で、エイブラハム・リンカーン大統領は次のように述べている。
「わたしには2つの強大な敵がいる。前方の南軍と後方の金融組織である。後ろのほうが、手強い敵だ。」
2度目の就任式から41日後、アポマトックスで南軍のリー将軍が北軍のグラント将軍に降伏してからわずか5日後の4月14日、リンカーン大統領はフォード劇場でジョン・ウィルクス・ブースに銃撃された。このときの負傷がもとで大統領は命を落とす。そしてその後、2ヶ月足らずでアメリカ南北戦争は終結する。
それから70年あまりの後の1937年、ブースの孫娘にあたるイゾラ・フォレスターは著書「狂気の行動( This One Mad Act )」で、ブースはヨーロッパの強大な勢力によってこの暗殺に駆り出されたのだと明かした。また、ブースは後にアメリカ当局によって殺されたと報告されているが、実はヨーロッパに逃れ、39歳でカレー市で死去したのだと記している。
やはり70年近く後の1934年リンカーン大統領の暗殺は国際的銀行組織の謀略であったとする申し立てが、カナダ議会の下院でなされた。これを暴いたのは、カナダの弁護士ジェラルド・G・マクギアである。
マクギアは、公的な記録から抹消された証拠を、ブースが死んだとされた後に、彼の裁判に立ち会った大統領護衛官から手に入れた。マクギアは、その証拠からブースが国際銀行家に雇われたいわば傭兵であったことがわかると述べた。彼の語った内容は、1934年5月2日付か「バンクーバー・サン」紙の記事で報じられた。そこには、こうある。
「奴隷解放論者であったエイブラハム・リンカーン合衆国大統領は、政府証券に関する彼の野望を恐れていた国際銀行機関の代表者からなるグループの謀略によって暗殺された。」
当時、何らかの理由でリンカーンの死を望む銀行家グループは一つしかなかった。
リンカーンによる合衆国の通貨計画に反発し、南北戦争中、彼の緑背紙幣政策(グリーンバック、政府発行紙幣のこと)と戦い続けた人々である。
ジェラルド・G・マクギアはまた、リンカーン暗殺の理由は、その国際銀行組織がアメリカに中央銀行を再び設立するためだけでなく、アメリカの通貨を自分たちがコントロールしている金を基本としたものにするためであったと述べている。つまり、アメリカに金本位制をとらせたかったのである。これは、合衆国の誠意と信用のみに基づくリンカーン大統領の緑背紙幣(グリーンバック)発行政策に真っ向から反対するものだった。
「バンクーバー・サン」紙の記事にはジェラルド・マクギアのこういった言葉も掲載されている。
「彼らの関心は、金本位制を確立し、銀行家が金融機関として世界の通貨と信用取引をくまなく支配する権利を握ることにあった。リンカーンがいなくなればその計画を推進することができる。そして事実、彼らはアメリカでその計画を実行したのである。リンカーン暗殺から8年後には銀は廃貨となり、アメリカに金本位制が確立された。
抜粋終わり。
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