http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/128.html
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ベーシックインカム(basic income)
最低限所得保障の一種で、政府がすべての国民に対して毎月最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で支給するという構想。基礎所得保障、基本所得保障、国民配当とも、また頭文字をとってBIともいう。...(Wikipedia)
これを実現しようと訴える人々がいます。
しかしその困難な財源の確保、利権の反する側からの反対などで事はそう簡単ではありません。
政府紙幣を発行して配ればよいと言っては見ても、その決定に到るまでの総意を纏める事自体が困難なのです。
そこにはいくら世論喚起して行動を起こしてみても、利権の反する庶民同士の紛争で終わる仕組みがあります。
本当の問題は通貨発行券でも経済でも政治でもないでしょう。
代理代行代表行為の元にある「依存心」によって、マネーの存在が許されているということなんです。
そのマネーが異なる利権を生み出し、それによって分断統治という、見えない独房の奴隷部屋を個々人の肉体に、まるでバリヤーのように纏わせているのです。
このバリヤーを解除する方法は、ただひとつしかありません。
出来る所から可能な限り、あなたの中の代理代行代表を排除して行く事から始めること。
そのような見方ではベーシックインカムは既に存在しているのです。
マネーではないだけで、それなら既に我々は受け取っている。
それは過去に書いた一文の抜粋。
それは種という精妙なプログラム、虫や鳥による交配、微生物による分解、地球と太陽という巨大施設がもたらす気象というインフラです。
これらの提供は全て無償となっています。空気も水も。何もかも。
なのに何故、人はお金を払って食糧を購入しなければならないのでしょう?
精妙で巨大なインフラや資源が全くタダで使えるというのに...。
其処に、ばからしくアホくさい余計なインフラとそのために付随して生まれた弊害を、あえて打ち消す労力を付け足しているからです。
全文はこちら
インテリよ、サバイバーたれ33 ポリバケツトイレと発泡スチロール稲作
http://www.asyura2.com/07/jisin15/msg/373.html
投稿者 日 日時 2009 年 2 月 06 日 07:36:56: IR1H95zbmUf8k
人は皆幸福な暮らしを求めて、そのために必要な物品を労働によって対価を得、購入する。
つまり労働という不幸に見合う分の幸福を手に入れているに過ぎない。恵まれている者でも。
しかしこれは富の一者独占の為のトリックだった。
人は食い物さえあればとりあえずは死なない。
快適でも無く、楽しみも無い環境かも知れないが、これでとりあえずは死なないのだ。
それが分ったら、ひとまずは安心する。
近い将来、隷属を条件にそれを配給で受け取るか、自給自足で手に入れるか二つに一つの選択に迫られるだろう。
そんな最悪の環境に人は置かれる。
後者を選ばなければ真の幸福は訪れない。
最初に一年分の食糧の備蓄が有るとしよう。
これで食糧確保の列に並んだりする無駄な時間を節約し、ホッと出来る条件が仮に成立したら、住居はとりあえずテント暮らしでも我慢するしかない。
最初の二〜三年で人知れずのんびりと家や服など作ります。せかされずに作るならそれはもう遊びかも知れない。
そうして病んだ文明の自滅を待ちながら、衣食住のシステムが家族単位で確立したなら、残る時間全てが、趣味の時間です。
好きで没頭する世界では人は競争原理を超えるすごい能力を発揮するもの。
誰にも命令されずに最も能率的で優れた革新技術を駆使して、今以上に便利で快適な機械もやがて生み出されるはず。
それは楽しくて作った物だから、それが出来上がった時点で作成者は満足やら達成感という報酬を既に手にしています。
だから細かいことは抜きで、品物に定価などは無く、それらはお互いが了解し合えば交換すれば良いだけです。
交換する技能を持たぬ弱者には与えれば良いだけです。
相互扶助に損失等は初めから組み込まれてはいないのだから。
しかもそれは自然の摂理に調和する。
何故なら、他者との競争原理が働かない社会では一者独占も有り得ず、人は等しく対等の関係を保有し、其処に独裁、暴走組織は成立し得ないから。
だからこの世には本来楽しくない労働などは無く、全ては遊びで楽しいだけの暮らしが出来る環境が既に整っていることを知る。
その最初の食い物の問題
現在職業農家に依存していますが、ホントに作っているのは自然の摂理です。
それは種という精妙なプログラム、虫や鳥による交配、微生物による分解、地球と太陽という巨大施設がもたらす気象というインフラです。
これらの提供は全て無償となっています。空気も水も。何もかも。
なのに何故、人はお金を払って食糧を購入しなければならないのでしょう?
精妙で巨大なインフラや資源が全くタダで使えるというのに...。
其処に、ばからしくアホくさい余計なインフラとそのために付随して生まれた弊害を、あえて打ち消す労力を付け足しているからです。
しかもそれが食糧生産には欠かせない要素だと思い込んでしまった。
この解決は実は至極簡単です。
付け足されたその無意味なインフラを捨て去れば、殆ど自動システムの自然まかせ農法で労力も掛からず、毎年タダで収穫し、しかもそれは無限循環するのです。その年間労働時間は十日ほど。後の355日が自由時間(故福岡正信翁曰く)。
つまり天国の舞台は既に整っていたというわけです。
その為の障害に焦点を絞ります。
主食は米とか麦ですね。飽きが来ない素晴らしい食べ物です。日本では米。
では何故水田で作るか?
一粒の実が小さいという問題がまずはそこには有りそうです。
これが主食がかぼちゃだというのならば、雑草に埋もれていても収穫収集は容易ですが、米は雑草に紛れると、その雑草の種や茎枝との選別が大変になり、従って出来る限り広範囲で雑草を生やさない工夫が必要となります。それは麦も然り。
苗床を別に作るのも鳥害を避けたり、一度田を耕して雑草をリセットするため。
そして田に水を張り、田植えとなります。この労力は大変です。
更に水田は水源となる河川や沼が近い土地に限定され、水路や水門という個人負担では不可能なインフラを必要としますので、集団管理と協力体制が必要。ここで集団を束ねる権力機構が発生し、諸悪の根源がスタートします。
人が等しく平等であるための根本がここから失われてしまっています。
ならばまずは其処から改める為には、その水田に変わる手法を生み出す必要があります。
ポリバケツトイレと発泡スチロール稲作に拘る理由がここに有ります。まだ実証前ですが、それらを一切解決する可能性を秘めています。
その説明は何度も書いている事なので省略しますが。
全ては、誰もが簡単に可能な自給自足モデルを確立したいという目的に集約されます。
発泡スチロールのような石油製品を≪大量に≫,田舎では使いたくない人のお気持ちは良く判ります。
可能なら他の素材でしたいのですが...。ただ、木箱では直ぐ腐るし、その工作労力や木材購入費用も大変になります。
決して発泡スチロールに拘っているわけでは無いのですが、今の所スーパーや市場でタダで入手出来、日陰の無い炎天下での野ざらし耐久実験でも十年以上役を果たしてくれる素材(表面は劣化して粉が吹いても内部強度はそんなに失われず、まだあと五年は保ったと思います。)は他にはありません。
しかも断熱材ですから横面からの熱を土に伝えないので一番大地の条件に近く、雨水も溜められます(水路や水源河川が不要)。
>石油輸入ストップでも生きられる生活を目指しています。
参考ページ
管理人宅の浄化槽
http://hirukawamura.web.fc2.com/douga/douga1.htm
参考ページは知っています。
しかし高価なEMBCを使っても浄化槽にはバッキが必要だとあり、その為の電力が必要です。
自然のエネルギーで発電するとしても、その工業製品や補修部品、バッテリー、メンテナンスには最悪時にも病んだ文明とは手が切れない仕組みは残ります。
下水配管は塩ビですし、浄化槽はプラスチックなどです。コンクリーブロックも使うし、浄化槽を埋める大穴を掘る重機も必要。埋めずに設置すれば、トイレはそれより高い二階や高床に限定されます。
確かに発砲スチロールも石油製品ですが、上記に比べ使うのはそれだけです。資源再生可能な仕組みも作れます。
自作でも合併浄化槽は何十万円のコストで、更に労力や技術、余裕は誰にでも真似が出来るものでは無いでしょう。
例外なく皆が簡単に真似が出来るモデルケースとならなければ、その細胞分裂は出来ず、社会は変えられません。
>浄化後の水は畑・田で使う予定で,肥料になるのは同じと考えています。(有機物を土中で分解するか,浄化槽で分解するかだけの違い)
優れたエネルギー水を作れるとしてもそれは液肥とも違う物でしょう。作物のために必要な養分は、微生物によって二酸化炭素と浄化した水に分解され、大気中に放出されてしまったのではないでしょうか?
作物を作る現場の土中の養分分解なら、その養分を虫が食べ、鳥が虫を食べ、虫や鳥の糞を微生物が分解したりして、作物の養分となる正しい連鎖環境が発生するでしょう。
参考はこちら
インテリよ、サバイバーたれ35 誰も分ってくれませんかね?ポリバケツトイレ
http://www.asyura2.com/07/jisin15/msg/378.html
投稿者 日 日時 2009 年 2 月 22 日 23:55:49: IR1H95zbmUf8k
この世の中の設計図面を引けるのは、もうサバイバーだけではないでしょうか。
社会の有り方を阪神大震災は採点したのだと思います。
それは家と同じように社会の設計図面を引く者に課せられていると言えるでしょう。
社会造りは家造りと同じです。
まずは社会の完成した図面が必要です。
しかしながら、その社会の中で時事問題を検討議論する政治や経済、その他の専門家と云った存在は、その現象の内に居て社会の中の一本の柱でしかありません。
そんな者達が、柱を建てるとしたら何メーター何ミリか、100本の柱を完成図面も引かずにめいめい勝手に立ち上げたらどうなります?
それぞれが良かれと思って柱を打ち立てるが高さが揃っていない柱の上に屋根は載のるのか?或いは2階の床は水平になるのか?
来るべき未来の理想社会の設計図は、あるべき職業と無くすべき職業が今見えている者以外には引けません。
それは基礎を知る者。それがサバイバーだと思います。
皆良かれと思って、基礎も作らず、高さも揃っていない柱を打ち立てているのが現状です。まずは足場を固めなければなりません。
理想社会作りを家作りに例えました。
その完成図面が描けてこそ、各部に掛けるウェートのバランスも分かり、全体の構成の調和が取れた家が完成します。
故に、各部の専門家がその知識だけを持って全体を語ることは出来ません。
全体を語ることが出来る者。それは誰にも頼らず己と家族の幸福を守る術を身に付けた者です。
サバイバーの目を持てば要らぬ職業、有害でしかない職業、民営化すべき職業、公営化すべき職業などがはっきりと見えます。
己の立脚する基盤が確立して初めて、理想経済活動、教育制度、医療制度、司法制度のあるべき姿が見えるのです。
様々な主義主張の活動も、己の立脚基盤を現行社会の中に依存しながら、足元を疎かにしている人ばかりによって行なわれています。
それは全体を見通せない部分的運動となり、家で言えば高さのまちまちな柱を、それぞれが勝手に林立しているだけです。
それぞれに言い分はあり、そこまで行なってきた苦労もあるので、失敗した柱でも降ろせません。
何とかその柱を社会に使ってもらいたくて強引に世の中に通そうとします。
そうすると別の柱と高さが合わないので、そちらから文句が付きます。
そして心あるもの同志の貶し合いが始まって、事態の収拾が付かなくなり、支配者の分断統治が完成します。
それが予め分ります。
今まで無図面で柱を建てては打ち壊してきた【行動】による失敗を繰り返して来た歴史に学ぶなら、今こそ基礎を確立する【行動】の方が先だと思うのです。
そうすればその行動の中で有害無益なだけの産業やインフラが見え、事前に失敗も予防する焦点と照準の定まった、的確で効率の良い施策が設計図として現れます。
それが結果的に最短時間で完成する道であり、一見遠回りのように見える道の中に隠されています。
これから食糧物資の仕組まれた買占めによる生産者すらが飢える飢餓が訪れるでしょう。そうなれば皆失業です。失業を免れるのは公務員だけです。次にその公務員が配給する物資との引き換えの家畜化やジェノサイドが始まります。足元を疎かにして、足場からすくわれる、この想定は今しておかなければ防げません。
要するに【基礎】とは、他人任せにしては駄目な行為の全てです。
どんな職業、身分にあろうとも等しく万民が自分で行なわなくてはならない行為のこと。
どんなに忙しくとも、親子でも絶対に代行不可能な、個々の呼吸や食事や排泄。
しかしその前後(食糧と汚物処理)は他人にお金を払えば代行させられるので、それを区別し人類は道を誤ったのです。
それは一個の循環する輪であり、それが途切れれば自立していない人間だという事になります。だから支配されてしまうのです。
それを個々の世帯で無限循環させる。それが理想社会における大前提の【基礎】になります。
昔の暮らしに戻るようなイメージは誤解です。
【基礎】の意義が理解され、それが維持される社会の中では、貨幣制度や快適な暮らしも今以上にどんどん便利になります。
そして必要な電化製品や機械は飛躍的に進化し、どうでも良い産業や商品が淘汰され、その浪費が節約された分、必要な暮らしがその分充実して行きます。
己の立脚基盤を確立するのに、運動や議論は無用ですね。
それを行なうのに他人が反対する権利は無く、己の好きなように工夫して、最小単位である家族の自給自足を行なえばいい。
何故なら、生き物としての機能は皆同じで、共通しているのだから。
その舞台がもう直ぐ訪れる。ハイパーインフレによる飢餓や災害による社会インフラが破壊された中で、運良く生き残ればサバイバーは家族を守れるでしょう。その幸福な姿こそが見本になります。
その細胞見本が幸福に暮らしたら、それが細胞分裂するのです。
それを社会に投影した写し絵が理想社会です。
そんな個々の家族間が自立している社会では、違う意見のグループ同志でも共生の障害は存在しないのが道理です。
己の存在基盤を、足元を疎かにした現行政治や経済に運動を投影しても、それは何の実践をしたことにもなりません。見掛け上の砂上の楼閣はもう直ぐ崩れ、あらゆる運動もその時一緒に流れ去るのです。
>雨が続いてバケツを幾つも置いて置くのは不衛生極まりないです。
ピッタリした蓋があるので室内に有っても全く臭いません。こぼしたら大変ですが。
>肥料としての最有効利用はEMトイレでしょう。
EMトイレもバッキには24時間365日常時電力を使います。最終的に飲める水が取れるということは、養分は失われたということになります。
其処には虫や菌や鳥は共生循環から外され、従って自然循環が失われてしまっています。高エネルギー水だとしても肥料には成り得ません。
>私もしたいのですが、庭が少々狭くトイレと玄関の横の犬走りに設置しないといけません。トイレを壊して改築はチョット大変だなぁ・・・と、思案中です。
それが正に皆が真似出来ない問題になっています。皆が最低最悪条件でも真似出来るようでないと見本にはなりません。
そして苦労して出来上がっても、電力の供給が断たれれば恐るべき障害物となるだけです。
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