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私の主観に過ぎませんが、米国の報道人のプロ意識は日本の匠を思わせる強さを感じさせ、日本のサラリーマン記者の比ではありません。巨匠が自作に銘を彫る如く、記事への署名も怠りません。
アメリカの言論人の多くは、マスメデイアがアメリカ国民の信頼を失いつつある事を良く認識しており、セレブ化したジャーナリストの傲慢さや怠慢を厳しく自己批判し始めました。
ご承知の通り、米国の新聞業界の経営危機は極めて深刻で、ロスアンジェルス・タイムスやシカゴトリビューンと言った名門新聞が、相次いで民事再生法を申請し、東の名門であるボストン・グローブも親会社のニューヨークタイムスの経営危機の余波をまともに受け、何時倒産してもおかしくない状態になっています。
報道危機を不況に伴う広告収入の激減とIT技術の攻勢に原因を求め勝ちですが、この論議に対して大いなる疑問を呈する専門家が増えて来ました。
報道業界の大先輩で、現在はハーバードやジョージワシントン大学でジャーナリズムを講じているマーヴィン・カーブ氏も、新聞の危機の真因を不況や新技術の進歩に求める事に疑問を呈している人物の一人です。
カーブ氏が主催したセミナーでは「活字であろうとウエブであろと、報道の果たす基本的役割は変らない。活字を読みたいと言う人間が減った訳でもない。危機の遠因は、報道のプロがプロとしての責任を放棄して、読者が信頼し納得する記事を供給できなかった事実にある。メデイア経営に、売らんかなのセンセーショナリズムや大切な問題を端折りたがるタブロイド的傾向が無かったか?深刻に反省すべきだ。メデイアが、経営の便宜や記者の怠慢に引っ張られセンセーショナリズムやタブロイド化に走れば、安直なウエブに勝てる筈がない。メデイアの経営不振を、技術革新や不況の問題と片つけている限り、メデイアの再興は期待できない。この際、ジャーナリストは原点に戻って社会的責任を果たすべきだ」と言う大変謙虚な反省の弁が支配的でした。
新聞協会は昨年「活字文化が危ない」と危機の到来を告げて大騒ぎしました。その真の目的は活字文化の危機ではなく、「特殊指定撤廃」反対にあったのです。自己利益の保護の為には、新聞社得意の世論調査なる物を持ち出し、新聞の宅配制度が圧倒的多数の国民に支持されていると主張していました。世論調査を自分の意見を正当化する道具に使って、政局を動かすメデイアの横暴は空恐ろしい話です。
それだけに留まりません。日本では一新聞社のボスが政党の党首を操って2大政党の合同を図ったり、財務・金融・経済財政担当相を料亭に呼び出して厚生労働省の分割を指示するなど、新聞人としては極刑に値する犯罪を起こしても何のお咎めも受けない程、国家は堕落してしまいました。
日本の報道界の独立性を脅かす未曾有の危機に瀕したこの時期に、長谷川如是閑、石橋湛山、小汀 利得など多くの日本の反骨言論人が存在しない事の打撃の大きさは測り知れません。
政治と癒着した経営ボス、特殊指定に守られた販売組織、閉鎖された記者クラブでニュースを順繰りに廻す記者の集団。八百長だらけの言論界に操られた国民が成長する筈はありません。個人的に優秀な記者が居る居ないの問題ではなく、日本のメデイアの現状はバブル破裂前の日本の金融界以上に構造腐敗が進んでいる事が重大だと思うのです。
イラン騒動でSNSの役割の大きさは痛いほど知らされました。イランから刻々と集まるSNS情報をイランの歴史や地理、政治事情に詳しいジャーナリストが克明に解説しながら放映するケーブルTVを見ながら、伝統的メデイアと新時代の技術の融合を目の当たりにして,その果実を思い切り享受した感を受けました。
日本の新聞界の低迷を嘆いた序に、NHKとBBCの改革手法の違いにも触れたいと思います。最近、英国の国会中継を見て居りましたら、BBCの公共放送の質の低下が論議されており、その対策として提案された改革案の斬新さには驚かされました。
アメリカに比べ市場原理の影響が小さいと思っていた英国の、然も与党労働党の改革案が、BBCの公共放送の改善に「民間放送に公共放送用の補助金を与えて競争を強化する」と言う内容で有った事には仰天しました。日本でも参考になる提案だと思いますが如何でしょう?
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