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http://amesei.exblog.jp/13405326/
「ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報」から『新聞社・マスコミの「世論調査」の正体』を下記のように転載投稿いたします。
=転載開始=
アルルの男・ヒロシです。今日は、「大新聞・マスコミの行う"社もの"の世論調査」とは何かということを明らかにする。
今朝の「日経新聞」に「震災復興財源『増税容認』7割」とする記事がある。これは日経新聞が15日から17日にかけて行った電話世論調査(RDD方式)の結果からそのように記事は主張しているようである。また、同じ今朝の「朝日新聞」でも「原発『減らす・廃止』41% 復興増税『賛成』59%」という記事がある。これも朝日の電話世論調査の結果からそのような記事になるという。
いずれも震災復興に増税容認が多数となっている。このパーセントは結構大きい。だから、この記事を見て相当の人が「増税も仕方ない」と判断する可能性もある。しかも、新聞を購読していない人は朝のテレビのワイドショーの「新聞イッキ読み」とかいうコーナーで見出しだけ紹介された形で情報を受け取るから尚更だ。
ただ、そう結論する前に世論調査の実施項目・質問項目を読むほうがいい。まず実施項目のなかに「東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の一部を除く」(朝日・日経)とある。以前実施した読売の同種の調査でもこの被災地域は外れている。この時点で公正な調査と言えるかは疑問だが、三種類とも被災地を外しているので、「被災地以外の<世論>」と捉えることもできると割り切ることにする。
ただ、質問内容には明らかな誘導尋問が含まれている。ただ、朝日の調査の以下の設問は「公正」である。
(貼りつけ開始)
◆原子力発電を利用することに賛成ですか。反対ですか。
賛成 50 反対 32
◆日本の原子力発電は、今後、どうしたらよいと思いますか。(択一)
増やすほうがよい 5
現状程度にとどめる 51
減らすほうがよい 30
やめるべきだ 11
http://www.asahi.com/politics/update/0417/TKY201104170338_01.html
(貼り付け終わり)
ただ、日経新聞の以下の設問はかなり問題がある。
(貼りつけ開始)
震災の復旧・復興策を賄う財源を「震災復興を目的とする増税が必要」「国債の増発が必要」「増税と国債増発の両方が必要」の中から1つ答えてもらったところ「増税」が38%、「国債増発」が13%、「増税と国債増発の両方」が31%になった。
上の項目では「歳出削減」という質問項目が存在しない。上の数字を全部足し上げても82%で残るのは12%なのだが、「まずは歳出削減、子ども手当などマニフェスト財源の充当」という項目があったら、かならずしも上の数値になったか疑問ではある。
また同じ質問だが、朝日は「手法」としては公正な聞き方をしている。
(貼りつけ開始)
◆震災復興の財源にあてるため、増税することに賛成ですか。反対ですか。
賛成 59 反対 31
◆震災復興の主な財源にするのは増税がよいと思いますか。国の借金である国債がよいと思いますか。
増税がよい 48 国債がよい 25
http://www.asahi.com/politics/update/0417/TKY201104170338_01.html
(貼りつけ終わり)
たしかに朝日の調査は「手法」としては読売のように「事前情報を与えた上で質問する」という意味では誘導的ではない。それでは、この調査結果が「世論」と言えるのかどうか。
その前に世論とはなんなのか。世論というのはそのままそこに存在するものなのかを考える必要がある。米国のジャーナリストである故・ウォルター・リップマンは有名な著書『世論』(Public Opinion)の中で、次のように述べている。今の「世論」という言葉は彼によって作られたものだ。
(引用開始)
きわめて洗練されたやり方で同意をとりつけることについて大改善の余地があることは誰も否定しないと思う。世論が起こる過程は本書に述べてきたように錯綜していることはたしかであるが、しかしその過程を理解している者なら誰にでもそれを操作する機会が開かれていることも充分あきらかである。
合意をつくってしまうことはなんら新しい技術ではない。それは古くからある技術ではあるが、民主主義の出現とともに死滅したと思われた。しかしそれは死滅してはいない。それだけでなく、いまでは経験よりも分析に基づいてなされているので、実際には技術的に大幅に改善すらされている。そして、民主主義の実践は心理学的研究の結果、現代のコミュニヶーション手段とあいまって、新たな局面を迎えている。いかなる経済的権力の変動よりも、無限に大きな意味を含んだ革命が起きようとしている。
『世論』リップマン 下巻82−83頁 掛川トミ子訳
(引用終わり)
太字で強調した部分が重要だ。「そもそも世論というのは、作り上げ、操作するもの」なのである。世論が無条件にある日突然存在するものではないのだ。その前に何らかの「説得行動」があった結果生まれるものである。ある事件や出来事についての自分の意見は主に自分の目(ウィットネス)かメディアによって形成される。つまりメディアの報道に大きく左右されるのだ。
そう考えると、この世論調査が行われる前に何があったか。3月半ばから全国でまだら模様の停電が起きる、「計画停電」なるイベントがあり、日常生活でいつ停電するか分からない中私たちの日常生活は行われた。夏場ではないから電力は十分足りているはずなのになぜわざわざそういう事をやったのか私たちは合理的に考えてみる必要がある。(実際、今日発売の「週刊ポスト」には原発完全停止でも停電なしという極秘資料の記事があった)
また数日前からの新聞の一面で何があったか。「復興財源」と「増税」という記事が見出しとして次々と各紙に踊ったのではないか。大新聞の中で復興財源はまず歳出削減と公務員のムダを省くべきということを前面に打ち出したものはあったか?増税か国債発行の二者択一だったのではないか。そして、震災前から「国の借金は一人当たり900万円です」とかいう記事が大新聞の社説として定期的に掲載されてきた。私たちは忘れてしまったのだろうか。無意識下に刷り込まれているのだ。
リップマンのいう「説得」を行う主体は何も政治家だけではない、メディアも説得を行う実行主体である。そうするとメディアが財務省の意向を伺うような論説方針をとっていた場合、あるいはメディアが主体的に主筆の信念で増税が必要だと長年考えていた場合、紙面に当然それは反映されていく。その紙面を震災前から見続けていた人は、自然と「増税が必要」と誘導されてもおかしくない。要するに、私が言いたいことは、「そもそも純粋な「世論」など存在しない」ということである。つまり、逆の世論誘導も可能であるということだ。
「世論」という言葉を裏側から定義すると、「政治家、官僚やマスコミが私たちを説得したいと思う方向性」であり、「世論調査」とは「その説得行為の達成度を図るための結果調査」なのである。時々、達成度を必要以上に高めるために質問項目の操作が行われる。大量の情報を調査の前に対象(それが不特定であれある程度マスコミの情報に接する)に与えているのであるから影響する可能性は高まる。例えば、陪審裁判などでは陪審に心象を事前に与えないように情報への接触を制限すると言われているがそれにも限界がある。だからといってメディアの情報を遮断することが「世論」を正しく把握することかというと疑問も残る。結局、世論調査はメディアの説得行動の「成果評価」でしかないのだ。その理不尽さはある程度世論調査の前の時点で決まっているのだ。世論調査で新聞の社説と異なる結果が出ることは殆ど無いだろう。
また、大マスコミは一般読者の購読料だけではなく大企業や官庁の広告費で経営を成り立たせている。ひとりひとりの購読者の声よりも、まとまった金額を提供する広告主の声のほうが大きいことは合理的な推論である。その中には「電気事業連合会」などの原発推進派も存在し、電事連や東電は震災の前から広告のような新聞記事、記者クラブを通じて行うコントロールを使って、資金の出し手(主人)として代理人(新聞記者)をコントロールしてきた。そのような記者たちが記事を書くのだから、記事の性格は自ずと決まってくる。そのようにして社論が決まっていく。それ以外の情報は拡散されないか、ベタ記事でしか載らない。
世論調査というのはマスコミが事前に散布した情報の対象への浸透度を統計の手法を使って測定するというテクニックであり、それ以上でもそれ以下でもない。ある種の情報を絨毯爆撃のように与えて、その後にその爆撃の成果を評価し、爆撃の意図を合わない場合には、再度研究し情報拡散の手段の効率化に務める。いわば、連合国軍の戦時中の空爆の成果を戦後に調査した「戦略爆撃調査団」のようなものだと思えばいい。逆に個人ブログなどは見ている人が少ないのでほとんど散布した情報は広がりを見せない。公正な手段でインターネットを使って「調査」が出来れば面白い結果が出るだろう。
しかし、それでも人々は「世論!」と言われると押し黙ってしまうのではないか。それでも自分の考えが自分の頭で考えて合理的(利益につながる)であると自信があるならそれを押し通す事が必要だ。自分の脳を「世論」から守ることが必要だ。世論という言葉を生み出したジャーナリストのリップマンは、その前提として「大衆は知的エリートによって善導してあげなければカオス的状態を脱し得ない」と考えていた。今も広告代理店の人はそう考えている。大マスコミも自分自身を「社会の木鐸」と考えているから良かれ悪しかれその傾向はあるのだろう。
そのように考えると、「世論調査」というものは「壮大なマッチポンプ」であることがわかる。しかし、それでも政治家や官僚はその結果にすがりつく。それが彼らの目的にとって「合理的」(利益につながる)だからである。 それには大衆は無力である。
「世論」というのは「出自」からそういう言葉だったのだから仕方ないのである。
以上
=転載終了=
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