http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/670.html
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私、副島隆彦が、ようやく19日に福島第一原発のそばまで行って、分かったことは、日本のメディア(マスゴミともいう。テレビ、新聞、週刊誌、雑誌)の連中が、誰一人として、現地に入っていないという事実である。朝日新聞の記者が、私にぼぞっと真実を教えてくれた。「僕たちは、社命で、70キロ圏内には近づけないのです」と。ということは他の新聞もテレビ局の記者たちも同じく70キロ圏から内側には入っていない。出版社系の週刊誌も、突撃カメラマンたちも入っていない。
ようやく、23日になって、朝日新聞が、原発の北40キロ圏の南相馬(みなみそうま)市と、南のいわき市をレポートして、「物資が届かない。運転手たちが、嫌がって運送しないからだ」と書いた。
これでは、日本のジャーナリズムは死ぬ。メディアが、メディアの本来の仕事として、政府と巨大企業の行動を監視して、ウオッチドッグ(watch dog 、国民の番犬、国民の監視の目)としての役割を健全に果たさなければ、国民は、正しい見識を持てない。
日本民族の存亡に関わるほどの、これほどの巨大事故を起こした東電と日本政府の責任を、正しく追及して批判することを国内言論としても私たちは続けてゆかなければならない。
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「副島隆彦の学問道場」の広報ページ http://www.snsi.jp/tops/kouhou より
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「1204」明日からまた弟子たちと福島に行きます。原発の放射能の測定を続けます。四ツ倉海岸に活動拠点を作ります(報告文 9)。2011.3.27 副島隆彦
副島隆彦です。 今日は、2011年3月27日です。以下の文は、私の 原発巨大事故「報告文 9」 となります。
私は、明日3月28日(月)から、弟子たち5人と、再び福島県 浜通りに行きます。福島第一原発に出来る限り近寄ります。出来れば原発の建物の正面まで行って、放射能の線量(せんりょう)の計測をやりたい。そのための準備をしていました。
私は、学問道場の弟子たちと会議を開いて準備をしました。福島県の南部の都市である いわき市(原発から40キロ圏、人口34万人、津波被災者と避難者が半数以上。表面は穏やかだったが、インフラをやられているので、どうもまだ復旧してない)の 四ッ倉(よつくら)海岸 という土地に拠点を作ります。
津波を被(がぶ)って、他の家たちは流出したのに、奇跡的に残った2軒の家があって、それを私たち学問道場 の活動拠点にしていいと申し出てくださったAさんがおりまして、その家を使わせていただくことにしました。
原発から南に35キロぐらいです。東京消防庁のレスキュー隊の本部が置かれたところです。 この現地の家がどれぐらい使えるか、実際に行ってみるしかありません。電気は通っているようだが、上下水道がやられているだろう。2階なら住める。ガスはプロパンを業者に供給してもらえる。プロパンは、災害用に本当に強い。電話とインターネットの通信回線を確保できるかが、一番、重要です。すべては現地に行ってみてからです。
多くの人から、私たち学問道場に支援の申し出がありました。会員であると無いとに関わらずです。私たちは、以後、「福島復興活動」と呼ぶことにしました。四ッ倉の「本部」(学問道場四ッ倉支部)が出来ましたら、会員の皆さんは、ここまで来れる人は来てください。
この他に、福井県の若狭(わかさ。原発銀座と呼ばれるほど多くの原発が並んでいる)の経営者のH さまが、自社製の「原子力事故対策用の 放射能 防護服」 をお送り下さいました。これも現地に持って行って大切に使います。NFF(エヌ・エフ・エフ。「ニュートロンファイヤーファイター」、中性子火災対策防護服)という名の商品です。
今、一番、重要なのは、以下の新聞記事だ。これも、H氏が、私へのメールで教えてくれたことだ。
(転載貼り付け始め)
●「東日本大震災「福島原発、収束の方向」 原子力技術協会・最高顧問が見解」
毎日新聞 2011年3月26日 東京夕刊
「評価レベル6」保安院の甘さ指摘
【ワシントン斉藤信宏】 79年の米スリーマイル島原発事故の検証に立ち会った日本原子力技術協会の石川迪夫(いしかわみちお)最高顧問が、25日、米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ委員長らとの面会を前に、ワシントン市内で記者会見した。
福島第1原発事故について「使用済み核燃料プールでのトラブルは峠を越えた」と表明。冷却水が失われ燃料棒が損傷したとみられる1〜3号機の原子炉についても「小康状態のまま2週間が経過しており、大きな変化が生じるとは考えにくい」と述べ、事故は収束に向かいつつあるとの見方を示した。
石川顧問は、ヤツコ委員長が16日、福島第1原発4号機について「プールに水がなく、放射線量が極めて高くなっている」 と警告したことについて「事実誤認だ」と強調。「使用済み核燃料の崩壊熱による水の蒸発は1日50トンに過ぎない。プールには1200トンの水があるから、地震直後から蒸発が続いたとしても、水は今も入っていることになる」と反論した。
一方、経済産業省 原子力安全・保安院がレベル5と発表した事故の暫定評価について「スリーマイル島原発事故に比べて放射能汚染が広範囲に及んでいる上、1号機から4号機まで事故が発生していることを考えればレベル6に相当する」と認識の甘さを指摘した。
(転載貼り付け終わり)
副島隆彦です。この 日本原子力技術協会の石川迪夫(いしかわみちお)という学者が、原発を推進してきた、日本側の学者・技術者の最高責任者であるようだ。あとの、テレビで危機のさ中に解説していた、核物理学者や原子力工学者たちを含めて、この石川氏から、みたら自分の子供のような人たちだろう。
私は、福島の原発の巨大事故のことでは、19日に、富岡町(とみおかまち、原発から8キロ)の所から、漏れている放射線量は、15マイクロシーベルト毎時(15mSv/h)と非常に低い。従って原発事故はこれ以上の凶悪化はない」と報告した。この考えに今も変化はない。 私の判断に、追随して、全国で、ほっとした人々がたくさんいたようだ。
私が、今、世界基準(world values 、ワールド・ヴァリューズ)の政治分析で、一番、気にしているのは、何と、15日と言うアメリカの最高指導者たちにとっても、焦(あせ)って動転していた、「日本のフクシマ・ニュークレア・クライシス(原発危機)」の最中に、日本の新外相の松本剛明(まつもとたけあき、伊藤博文の曾孫だそうだ)と、ヒラリー・クリントンが、穏やかそうに会談をしていた事実だ。ヒラリーは、それまで、あれほど怒って、「日本政府は、(原発事故のことで)本当のことを(私たちに)伝えていない」と苛立っていたのに、15日には、すでに密約の交渉を始めている。この事実が私には気になる。松本剛明という若い政治家の裏にどういう人脈(ネットワーク)があるのか。
このたびの日本民族の存亡に関わるほどの、これほどの巨大事故を起こした東電と日本政府の責任を、正しく追及して批判することを国内言論としても私たちは続けてゆかなければならない。
それでも、「世界政治の大きな仕組み」から見れば、東電も日本政府(含む官僚ども)も、操(あやつ)られて、動かされているだけの手駒(てごま)なのだろう。アルル君が「気軽にではなく重たい気持ちで書く掲示板」の「329」番で、優れた分析を始めているように、1952、3年ごろからの、正力松太郎(しょうりきまつたろう、内務官僚・太平洋戦争開始前からアメリカと繋がっていた者たちのひとり。戦後は読売CIAのドン)が、戦後復興する日本国民に「まずプロレス、野球、そして原発を与える」という方針に従って、育てられた。それ以来の日本の歩んだ道である。私は、世界政治の中で、いいように翻弄される日本国の運命を、これからも大きく俯瞰(ふかん)する思想作業を続けなければならない。
全国あちこちで、まだ、震度4ぐらいの余震(よしん、aftershock アフターショック)が続いている。茨城 や 福島を震源とする震度5ぐらいの地震がまだまだ治まらない。余震は、西日本(中部地方、関西、九州、中国・四国地方 など)に向かっているように感じたが、急には来ないのだろう。関西以西の日本人にも、震度5ぐらいは、今のうちに味あわせて、ずこしはゾッとさせておかないと、これからの日本国民の心構えと団結を作ってゆけない。
関西以西の日本人は、全く何事もないように暮らしているという。関西方面に避難して帰ってきた人たちが、一様にこのことの違和感を言っている。日本人は、皆、全国に知人、親戚がいて散らばっているから、決して、他人事(ひとごと)ではないし、情報は伝えあっているのだろうが。
私、副島隆彦が、ようやく19日に福島第一原発のそばまで行って、分かったことは、日本のメディア(マスゴミともいう。テレビ、新聞、週刊誌、雑誌)の連中が、誰一人として、現地に入っていないという事実である。朝日新聞の記者が、私にぼぞっと真実を教えてくれた。「僕たちは、社命で、70キロ圏内には近づけないのです」と。ということは他の新聞もテレビ局の記者たちも同じく70キロ圏から内側には入っていない。出版社系の週刊誌も、突撃カメラマンたちも入っていない。
ようやく、23日になって、朝日新聞が、原発の北40キロ圏の南相馬(みなみそうま)市と、南のいわき市をレポートして、「物資が届かない。運転手たちが、嫌がって運送しないからだ」と書いた。
これでは、日本のジャーナリズムは死ぬ。メディアが、メディアの本来の仕事として、政府と巨大企業の行動を監視して、ウオッチドッグ(watch dog 、国民の番犬、国民の監視の目)としての役割を健全に果たさなければ、国民は、正しい見識を持てない。
今のように、大本営発表(だいほんえいはっぴょう)をそのまま、垂れ流して、NHKが、報道管制(ほうどうかんせい)のトップのようになって、文字通り国営放送局(こくえいほうそうきょく)と、現場から30キロの大滝根山(おおたきねやま、標高1192メートル、阿武隈山系の高峰)からの望遠レンズでの報道を続けて、それに「自衛隊のヘリから東電の社員が撮影した映像」とか、東京消防庁のハイパーレスキュー隊の現場からの映像、というのだけを、国民に与えている。 これでは、日本の報道の自由、言論の自由(憲法21条)が、危機に瀕する。 この 報道管制、報道統制、言論統制、思想統制 を打ち破らないといけないのです。 私は、職業的な言論人として、この事実に拘(こだわ)るし、本気になる。
私が、19日に、原発のそばから、「東電が毎日発表している 放射能の数値は正しい」と
書いたことで、一番、ほっとして喜んでくれたのは、福島の人たちだった。福島県人は、東電と政府の言うことを全く信用していない。これまで、これほどに騙(だま)され、ウソばっかり聞かされて、そして、この巨大事故であり、慌てて着の身着のまま逃げ出して来た人たちである。だから放射能汚染の問題で深刻になってた。だから、私が、純粋の第三者の立場から、「東電と県の対策本部が出している数値はほぼ正しいようだ」と書いたことで、福島県の人たちを安心させた。紛争当事者ではない、横にいて冷静に判断する第三者の意見の存在が非常に重要なのである。
私、副島隆彦は、近年、あまり「専門の科学者たちの科学的な根拠に基づく意見」というのを、信じなくなった。理科系の大学の、物理学や、工学の学者や専門の研究者たちというのは、ロクなやつかいない。文科系の学者たち(政治学、法学、経済学、社会学、サイコロジー)のいい加減さと、本当はあまり変わらないな、と、見くびって、見下すようになった。彼らにとっても、「分からないことは、分からない」のだ。分かっているふりをしても、自分たちの想定を超える、異常な事態が出現すると気が動転している。
自分たちが 核物理学の教科書で、習って頑迷に学会、学会、専門業界で信じ込んでことは、それらは、これまでに起きたいろいろの事例を並べて、それから経験則で、いろいろのことを推計、推量しただけの学問(サイエンス)に過ぎない。 宇宙物理学(宇宙のなぞは分からない)も、生命科学(分子生物学。モレキュラー・バイオロジー。生命のなぞもDNAなどでは、分からない)も、核物理学(今回、大失敗)も、抗生物質という邪悪な、ばい菌殺しのに頼る腐った薬学も、人間を生きたまま死ねない屍(しかばね)にしている医学も、全部そうだ。
そのことを彼らも今回、イヤと言うほど知っただろう。数学や物理学が出来た秀才たちだからと言って、この世を支配する、天(てん、heaven や providence プロヴィデンス、自然界の摂理。私は、あまり、神とか仏と言いたくない)の 恐ろしさの前には、跪(ひざまづ)くべきなのだ。
今度の、大地震、大津波、そして原発事故の凶事が、私たち人間の驕(おご)りに対する天罰であることは、(石原慎太郎の耄碌爺=もうろくじじい=のくせに、タヌキ野郎で、78歳で、まだ愚劣にも都知事という権力者の地位にしがみ付く気だ。お前には、無念に死んだ三島由紀夫の霊が、襲い掛かるからな 。石原が今度の大地震・津波に対して「天罰で、丁度いい」と言ったというが)間違いない。
だから、私、副島隆彦は、今も、ずっと、「科学と言う宗教」という本を書いている。「宗教と科学は上手に棲(す)み分けなければならない」などど、愚かなことを言う人がいるが、そうではなくて、自然科学(ナチュラル・サイエンス)の諸学問も、自らの限界が、ぼろぼろに露呈するようになって、「科学=サイエンス=と言うのも、宗教の一種であって、人間(人類。マン man) と言う大きな勘違い動物が、傲慢に増長して、勝手に思上がって、信仰している、だから、『科学と言う名の宗教』に過ぎないだ。
だから、私は、素朴な自然崇拝の祈りの生活や、いろいろの災難(人間関係が作る邪悪な害意を含む)から逃れるために準備と心構えをして、厄除けとしての呪(まじな)いの行(ぎょう)、修行(しゅぎょう)をするようになった。私たちは、自然の猛威と、それから、人間自身が作り上げてしまった多くの傲慢(ごうまん)の産物である爭(あらそ)いごと、いがみ合いから、出来るだけ逃れて、気持ちを引き締めなければならない、と考えるようになった。人間世界(高度の都市文明でもある)が作ってしまった、人間のエゴイズムのあまりもの強欲と驕慢は、やはり、訂正されてゆかなければならない。
私は、日本の海、山、川への素朴な祈りをささげる、古来の自然崇拝である 修験道(しゅげんどう。決して、古神道 、復古神道 などではない)への道を今、歩いている。私は、この4月3日ぐらいから、津波のせいで製紙工場が水浸しになって印刷が遅れたが、『なぜ女と経営者は占(うらな)いが好きか』(幻冬舎新書) と言う本を出す。これは、大地震が襲い掛かって来た3月11日の、数日前に書き上げた本である。手軽な本ですから、買って読んでください。でも、一ページ、一ページ、私の本心を真剣に書きました。
文化人類学者(カルチュラル・アンスロポロジスト)のマリノウスキー Malinowski のことを思い出した。マリノウスキーは、ニューギニアやアフリカの未開部族の研究をして、たとえば、3日で行って帰って来れる隣りの島への旅では、あまり不安と心配はないから、祈りの気持ちは起こらない。
だが、2週間とかの手漕ぎのカヌーでの、遠い島への旅では、一体どういう脅威と危険が起きるか分からないので、それで、祈りと呪(まじな)いを必死でするようになる、と確か書いていた。人間と言うのは、これぐらいの、いい加減な生き物だ。 人間(人類)は、自分たちが作りだしてしまって、そして、自分たちでは制御(コントロール)出来ないほどの危険を作り出したことに、原発と核兵器に心底、脅えている。私たちに今必要なことは、大自然への素直な畏敬(いけい)であり、祈りである。
私は、福島の いわき市の 風光明媚な四ッ倉海岸や、新舞子浜 (しんまいこはま。「東北の湘南」と呼ばれていたそうだ)に、これからもどんぞん、打ち上げられるだろう津波被災者の死体の知らせを聞きながら、「副島隆彦の四ッ倉日記」を書き続けようと思う。
副島隆彦拝
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