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(回答先: いま、広島、長崎からの声はどこに行ったのか? 投稿者 sinjitu 日時 2011 年 3 月 21 日 22:16:53)
広島人で、原爆症で親族が短命だったから言えることですが、広島の人間は日本人の中ではとりわけ理性的なんです。長崎も、そうなんじゃないですか。被爆しているだけでなく、江戸時代から利権のために虐められ続けた地域ですからね。端から日本政府なんざ信用していないし、報道もあてにしていない。危険性を認識した上で、憤りを抱きつつ原子力行政を見つめている。だからといって、このような災害をみて、「ほれ、見たことか」などとは言わない。無責任にただ「逃げて」などとも言わない。いまは、そういう声は押し殺している。
理由は言うまでもありません。
私のこれまでの一連の阿修羅投稿を見て頂ければわかるでしょうが、広島人として、また物理を学ぶものとして、震災以前から原発災害を個人的に調べ被害がどの程度かということをシミュレートしていました。
だから、被曝の恐ろしさを知っていてもなお、3/12の段階では現地の人が避難する絶対の必要がある段階ではないということを、クソッタレ会見を見ながらも理解していました。それで、パニックに陥っている阿修羅住人を諌めたというわけです。しかし、「最悪の事態」にはなっていないものの、継続的に放射能漏れがあるという状況を鑑み、安全に避難する方法を検討し、ある程度それに沿って避難の手続きができるようひそかに動いていました。避難方法は無いかと問題提起する投稿の背後には、そういう要素が絡んでできたものです。
私を広島人のサンプルとして参考にするのは危険かも知れませんが、ただ、東京で生活し、そこで親しくしていた友人たちなどとも比較してみて、恐らく関東の人とは違い、冷めた目で、感傷的になるのではなく、この難題をどう和らげるかという「方法」を模索している人が広島には多いとおもいますね。
事故と戦争は、違いますから。
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