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京都大学等におけるカンニング事件について
今回の京都大学をはじめとする入試における「カンニング事件」は、いろいろな意味で心が痛む。
京都大学が被害届けを出し、「偽計業務妨害罪」でカンニングをした学生が逮捕されるに至ったことに、強い違和感を覚えるものである。
その理由の第一は、「大学の自治」、「学問の自由」にある。
入学者をどのように選考するか、という問題は、「大学の自治」の根幹にかかわるものと考える。どのような資質を持った人から、大学を構成するかということは、大学における学問、研究、教授の基礎をなすものであり、大学が、もっとも大事にしなければならない点である。
1952年の「東大ポポロ事件」に見るように、かつては、大学の自治はもっと大切にされ、さまざまな議論があったと思う。今回の事件において、京都大学の関係者が「被害届け」を出してしまったことは、「大学の自治」の点から疑問である。日本の大学が、大きく変質してしまったことを感じる。
第二に、教育者の立場からの配慮に欠けているという点である。
19歳の予備校生は、追い詰められていたのだろうと推測する。「心療内科」の情報を求めていたという報道からも、心的に不安定な状態にあった可能性が高い。
京都大学にあこがれ、志願をしてきた学生が、心の弱さから「カンニング」をしてしまった。その時に大学側がとるべき対応は、入試で不合格にすると同時に、前途ある若者が未来に向き合えるような配慮をすることではないか。「偽計業務妨害罪」という罪名の下に、「警察に突き出す」ことが、大学人のやるべきことだとは私は思わない。
今回、カンニングをした学生を特定するために、被害届けが必要だったという論を聞く。これも疑問である。報道された複数の大学を共通して受験している学生を、大学間で情報を共有して割り出せば、少数の候補を特定できたはずである。さらに、インターネット上で寄せられた回答と入試の答案を比較すれば、その類似性からかなりの確率で受験生を特定できたものと推定される。最終的には、大学側が学生から事情を聞いて、事件を処理することは可能だったし、またそうすべきだったと考える。
たとえ、大学側が受験生の特定に役立つと考えて被害届けを出したとしても、特定できた時点で被害届けを取り下げることはできたはずである。上に述べた、未来ある若者を教育する立場の大学としては、そのような迅速な対応をとることが可能だったし、またそうすべきであった。
今回のカンニング事件の特徴は、インターネット上で問題が提示され、そして回答されたというものである。その手法が新しいものであったから、世間的な注目を浴びることとなったが、カンニング自体は発覚しないものも含めてある程度の数が行われているものと推定される。そして、「通常のやり方」によるカンニングが発覚した場合、今回の事件のように「偽計業務妨害罪」での被害届けが出されるかと言えば、必ずしもそうではないだろう。
今回の受験生が、その手法の「目新しさ」ゆえに「警察沙汰」になってしまったとすれば、他の事例と比較しての公平性の点からも、はなはだ疑問だと言わざるを得ない。
今回のカンニング事件を通して、日本の大学入試のあり方、そこで問われている学力の質、さらには事件を一斉に報道したメディアの体質などについても様々な問題が提起されていると考える。以上、大学のあり方に焦点を絞って、私の考え方を述べさせていただいた。
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