http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/584.html
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烏賀陽弘道 twitter より
http://twitter.com/hirougaya
話のついでに日本の記者クラブ問題について話した。「記者クラブ室の前には『メンバー以外立ち入り禁止』って紙が貼ってある」と話したら、腹を抱えて大笑いし始めた。彼らの常識でいうfree pressが戦う敵である差別や排他性が報道がやっていると聞いて、笑えたそうだ。
「そりゃまるで黒人差別をしていたころのアメリカ南部みたいだ」(1960年代前半以前)というので、ジョークで「いやいや、そんいにひどくない。フリー記者はリンチされて木から吊るされたりしない」と言ったらまた爆笑していた。
きょう2/20日曜日(3連休中日)のLos Angeles Timesはなんと、一面が全部外国ニュースで埋まっている。日本の新聞じゃ考えられない。無理してでも一面には国内ニュースを入れる。
LATimes2/20の一面トップは、旧正月休みに合わせて、本土中国は北京の建設現場で働く農村の出稼ぎ労働者リさん(37)の帰省のルポ。これまで16年間、妻子を故郷に残して約640km離れた故郷に年一回だけの帰省をする。
「田舎者じゃなくて都会の人間に見えるように」とダウンパーカーを着て黒いジーンズを着こなして農村にバスで帰省するリさんと、父親がいないまま13歳になった息子とプロレス、妻との再会など、映画のような物語が展開している。
このリさんの正月帰省の物語"A LONG ROAD HOME"が、一面から8〜9面と何と3ページ、カラー写真10枚で展開している。翻訳してみたい思いに駆られる重厚なルポルタージュ。長めの雑誌記事くらいあって、おなじ新聞だからといって日本の新聞記事と比較するのすら失礼に思える。
そして一面のもうひとつのニュースは、イエメンとリビアの民衆の反乱がなぜエジプトのようにいかないのか、現地の記者の報告を入れつつ2ページ余。こっちも読み応えがあります。
どちらの記事も、英語が平易(ニューヨークタイムズは言葉が難解)なので、新聞3ページとはいえ楽に読める。英語だが、読むのが楽しい。それくらい読みやすい。
2/19〜21は3連休なので、ニュースが薄いのだと思う。しかし、日本の新聞ならこういう重厚な海外のルポや分析もので長行を埋めるという発想すらもうないだろう。
2/20のLA Timesは1ドル50セント(120円くらい?)で、驚くなかれ414ページあります。厚さが2cmくらいあって重い。笑 日本の新聞は40Pくらいでしたっけ?
日本人が「新聞消滅大国アメリカ」と騒いでいる国の、しかも「全国紙」じゃなく日本人が「地方紙」だと思っているLos Angeles Timesでも、まだこれくらいの力は残っているのだ。
日米は偶然、新聞の衰退を同時に経験している。が、日本人はこのLos Angeles Timesのような報道の底力の、一部も味わうことなしに新聞の衰退を迎えている。
日本の新聞の(新聞記者ではなく)内容と、Los Angeles TimesやNew York TImes、Washington Postなどアメリカの新聞の内容と、差を比べようにも、あまりに次元がちがって言葉が見つからない。「似て非なるもの」くらいか。笑
日本の新聞読者からすれば、いくらほしがっても手に入らないような濃い記事を満載した新聞を見捨てようとしているアメリカ人も、愚かというか、もったいないことをする、と思う。
ほとんどの人は英語でアメリカの新聞を定期的に読んだことすらないまま「アメリカの新聞は〜」と「評論」したりするのですが。笑 そういう人たちも議論を混乱させる原因であります。知ったかぶりはよくない。
もうひとつの問題は、日本人の大半はアメリカやイギリス、そのほか英語で書かれた新聞を「読む」英語の操縦能力がないということです。
もうひとつの問題は、バイライン(署名)が全部の記事に入るので、その記事は「記者のもの」だということです。だから「××紙は」と主語設定する場合、「どの記者がそうなのか」と特定せねばなりません。「光が丘団地に住んでいる者は全員どら焼きが好きです」なんてトンチンカンな記述になります。
ロサンゼルスタイム紙のきのうの紙面です。一面が国際ニュースで埋まっているという話です。
こうしてロサンゼルスタイムズの紙面を見ると、これだけ写真をふんだんに使って一面から見開きまで展開するような海外ルポは日本の新聞では見たことがないなあと思うのです。http://bit.ly/eMceLa
カルフォルニアは旧正月のパレードや帰省客でごちゃごちゃ(主に中国系)ですから、ロサンゼルスタイムスの記事は「ああ、なるほど。中国系の人は家族に会いたい一心で大混雑のなか移動するのだな」「故郷に錦を飾りたいからお土産を買いまくるのか」などと読者は納得するのです。
こういう話をできる雑誌も日本にはすでにもう死滅、日本の読者はこれからどうしていくのだろう。暗い気持ちになる。やれやれ。
日本の報道の貧困は、こうやって比べると、あまりに痛々しくて、比較検討するのが苦しくさえあります。
要は「何を取材して掲載するか」といういちばん最初の「アジェンダの設定」の時点で、大きくつまづいているように思う。「何が市民が議論すべき論点なのか」を設定するとき、日本の報道はまず最初の一歩で道を間違えている。
記者クラブがその一因であることは疑問の余地がありません。何もしなくても、役所や企業が「これがアジェンダだよ」と言って持ってきてくれるのですから。自分でアジェンダを考える力が衰えるのは必然ではありませんか。
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