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2011年01月20日(木)牧野 洋
「脱記者クラブ」を宣言し、巨大広告主を激怒させて「一流紙の名声」を得たWSJ
アメリカにもあった記者クラブ
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1931
記者クラブは必要なのか。業界団体である日本新聞協会の見解はこうだ。
「記者クラブは、言論・報道の自由を求め日本の報道界が1世紀以上かけて培ってきた組織・制度なのです。国民の『知る権利』と密接にかかわる記者クラブの目的は、現代においても変わりはありません」
国民の「知る権利」を守るために有効ならば、なぜ日本以外の主要国に記者クラブはないのだろうか。
実は、半世紀ほど前のアメリカにも記者クラブはあった。自動車産業の一大集結地デトロイトの自動車記者クラブ、通称「オフレコクラブ(Off-the-Record Club)」だ。業界団体の建物の中に物理的に存在していたわけではないものの、日本の記者クラブと比べても実態は同じだった。
20世紀は「アメリカの世紀」であり、「自動車の世紀」でもあった。第2次大戦直後の半世紀前はアメリカ自動車産業の絶頂期であり、ゼネラル・モーターズ(GM)は世界最大・最強企業として君臨していた。大手新聞・通信社にとっても、デトロイトはワシントンやニューヨークと並ぶ花形支局だった。
オフレコクラブはとっくの昔に解体されている。国民の「知る権利」を守るどころか、逆に損ねていると見なされたからだ。
デトロイト報道界の記者クラブ的談合体質に反旗を翻したのは、経済紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)だ。1950年代前半、地元報道界の決まり事を無視して独自の報道を展開したことで、同紙は実質的な「出入り禁止」処分にされ、大口自動車広告もキャンセルされた。しかし、同紙が一流の経済紙へ躍進するきっかけにもなったのである。
オフレコクラブをめぐる騒動については、エドワード・シャーフ著『ウォールストリート・ジャーナル』(ここでは原書『ワールドリー・パワー』を利用)のほか、リチャード・トーフェル著『レストレス・ジーニャス(不屈の天才)---バーニー・キルゴア、ウォールストリート・ジャーナル、近代ジャーナリズムの発明』に書かれている。
シャーフは「タイム」などの雑誌記者出身だが、トーフェルはWSJの編集局次長を経験しており、内部からWSJの歴史を知る立場にある。現在は有力ネットメディア「プロパブリカ」の幹部だ。2人とも、「WSJ中興の祖」バーニー・キルゴアに焦点を当てながらWSJが一流紙へ脱皮する経緯を描いている。
以下、シャーフ本とトーフェル本を基にしてWSJ小史を紹介したい。日本の記者クラブ問題を語るうえで貴重な判断材料を提供してくれるからだ。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1931?page=2
オフレコクラブは、大手メディアのデトロイト支局記者と自動車メーカーの経営幹部が定期的に意見交換する懇談会のことだ。
幹事は大手通信社APの古参記者。名称が示している通り、ここでは「オフレコ(記録なし)」が基本であり、メーカーの幹部から聞いた話は実際に発表になるまで記事にできない。メーカー側はオフレコを多用して、記事にされたくないと考えるニュースをすべて圧殺し、記者に「よいしょ記事」ばかり書かせていた。
現在の基準から考えると、デトロイト報道界と自動車業界は信じられないほど癒着していた。記者1人に対して少なくとも1人の割合で広報担当者があてがわれ、至れり尽くせりだった。
記者はデトロイトの華麗な社交界へ迎え入れられ、ビッグスリーの幹部と同等という気分にさせられた。遠慮なく頼めば何でも手に入り、クリスマス時にはゴルフクラブや車をプレゼントされることもざらだった。
記者への見返りに車まで提供
そんななか、WSJのデトロイト支局長が交代した。新支局長は20代半ばで新婚早々のジョン・ウィリアムズ。本社から「オフレコ取材を受け付けるな」という特命を受けていた。言い換えると、オフレコクラブを脱会する役割を担わされていたのだ。
なぜオフレコクラブを脱退するのか。1940年代以降、WSJは「ウォール街のゴシップ紙」から「一流の全国紙」への脱皮を目指して大胆な紙面改革を進めていた。改革の推進役がWSJ編集局長、親会社社長、親会社会長を歴任したキルゴアだ。「よいしょ記事」しか送ってこないデトロイト支局の体制はキルゴア改革にそぐわなかった。
AP支局の古参記者はオフレコクラブの幹事としてウィリアムズに接触し、クラブに入会するよう誘った。しかし丁重に断られた。それでも「デトロイト報道界には重要な決まり事があるのを忘れないように。メーカーが発表する前に新モデルについて書かないということ」と念を押した。
メーカー側の事情を考えれば当然だった。発表前に新モデルが公にされると、旧モデルが売れなくなってしまう。大幅なモデルチェンジが予定されている場合はなおさらだ。メーカー側としては、旧モデルの在庫を一掃するのを待って新モデルを発表したい。そのためにはモデルチェンジの内容はもちろん、発表タイミングも秘密にする必要がある。
どうすれば秘密を守れるのか。オフレコクラブに頼るのである。新モデル発表がずっと先の話であっても、できるだけ早い段階で所属記者を招いて詳しくブリーフィングする。オフレコで話をすることで記者に「しばり」をかけるのだ。記者には秘密を守ってもらう見返りに、ゴルフクラブや車などの「現物」で報いるというわけだ。
WSJの親会社ダウ・ジョーンズの社長キルゴアは、後に週刊誌「タイム」の取材に応じ、こう語っている。
「デトロイト報道界では何年にもわたって、ほとんどすべての情報がオフレコ扱いだった。そんなのはジャーナリズムとは言えない。だから、こんな慣習は無視しようと決めた」
ここでの「ジャーナリズムとは言えない」とは、「国民の『知る権利』には応えられない」とほぼ同義と見なせるだろう。ちなみに、日本の記者クラブで行われる「オフレコ懇談会」の問題点については、以前の記事(ウォーターゲート事件のディープスロートさえ「オフレコ取材」ではなかった)の中で取り上げた。
GMだけでなく同業他社からも除け者に
ウィリアムズがWSJ史に残る記事を書いたのは1954年5月28日だ。同日付のWSJ紙面上で、彼は同年秋に発売予定の55年型モデルの詳細をすっぱ抜き、「55年型モデルのデザインは一新される。半世紀に及ぶ自動車業界史上、これほど大幅なデザイン変更は初めて」と書いた。新モデルの完成予想図まで載せた。
いわゆる「黒板協定」を破ったのと同じだった。日本の記者クラブでは、役所や業界など「取材される側」が今後の発表予定をクラブ内の黒板に書き出す。いったん黒板に書き出せば、発表前にニュースを書かれる心配はなくなる。抜け駆けしてニュースを書いた記者は、クラブの規定に従って除名や出入り禁止などの処分を受けかねないのだ。
ウィリアムズはオフレコクラブに入会していなかったから、公式に処分されることはなかった。それでも嫌がらせを受け、実質的に出入り禁止にされた。例えば、自動車市場で50%のシェアを握るGMの広報室に電話をかけても、誰も折り返しの電話をくれなくなった。それどころか、毎週金曜日にGMが発表する週間生産台数などの情報も提供されなくなった。
ウィリアムズは同業他社からも除け者にされた。APのデトロイト支局に連絡を入れてGMの週間生産台数を教えてもらおうとすると、冷たく対応された。WSJはAPに加盟料を払って記事の配信を受ける立場にあるのに、である。週間生産台数などの数字を握る自動車業界誌「ウォーズ・オートモティブ・リポート」も読めなかった。一方的に購読契約を解除されていたのだ。
週刊誌「ニューズウィーク」はウィリアムズに手厳しく、次のように論評した。
「デトロイト報道界は今回の騒ぎを複雑な思いで見ている。ウィリアムズはちょっとやり過ぎたのはないかという意見もある。(中略)業界のカクテルパーティーに出席中に、取材ノートを取り出してメモを取り始めることもあった。
それに、新モデルをすっぱ抜いたからといって記者として優秀というわけでもない。なぜなら、『協定』を守るつもりさえなければ、誰にでもすっぱ抜きはできるのだ」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1931?page=4
GMは情報面に加えてカネの面でもWSJに圧力をかけた。広告代理店5社経由でWSJへの広告出稿を全面ストップしたのだ。当時、アメリカ全国の新聞広告のうち自動車は5分の1以上を占めており、その中でも最大手GMの広告は突出していた。
キルゴアはWSJの論説面を使って、圧力に屈しない姿勢を鮮明にした。
「新聞は情報を読者に届けるためだけに存在する。ほかに理由はない。読者にとっての新聞の価値とは何か。今何が起きているのかについて真実を明らかにし、きちんと伝えること。これに尽きる。広告主などからの圧力で伝えるべきニュースを伝えなくなったら、新聞は広告主も含め誰にとっても何の役にも立たなくなる。読者を失ってしまうからだ」
記者クラブから脱退宣言をする新聞社よ、出てこい
GMによる広告ストップや情報提供拒否は1週間以上にわたって公にならなかった。GMは何も発表しなかったし、WSJは何も報道しなかったからだ。
しかし、WSJが上記の論説を掲載したのとほぼ同じタイミングで、広告専門誌「アドバタイジング・エイジ」がGMによる広告ストップをスクープし、大騒ぎになった。ニューヨーク・タイムズは「WSJをブラックリストに載せるGM」と報じた。
WSJは当事者であることからニュース面で追いかけるわけにはいかなかった。代わりに、6月21日付の論説面でニューヨーク・タイムズの「WSJをブラックリストに載せるGM」記事をそのまま転載した。その理由について、「WSJ自身が事件の当事者になってしまったので、読者の皆さんには独立した第三者の報道を読んでもらうべきだと判断しました」と説明した。
GM対WSJの結末は? 結論から言えば、WSJの圧勝だった。
デトロイトでは自動車業界からも同業他社からも目の敵にされたWSJだが、デトロイト以外では「アメリカ最強の広告主に敢然と立ち向かう新聞」として逆に名声を高めた。2カ月後にはGMも広告ボイコットを取り下げざるを得なくなった。トヨタ自動車が広告の全面ストップという脅しをかけたら、日本の新聞社はどう対応するだろうか。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1931?page=5
取材面でも「出入り禁止」効果は限定的だった。確かにWSJにはデトロイト支局からニュースがなかなか入ってこなくなった。だが、同紙は全国に取材ネットワークを築いており、同支局に頼らなくても自動車業界の情報を収集できた。自動車ニュースについては「よいしょ記事」が減ったことでむしろ紙面の質が高まった。
目先の巨額広告料と長期的な名声を比べれば、新聞社にとっては明らかに後者が重要だ。WSJの歴史がそれを証明している。同紙は記者クラブ的な談合体質と決別したことで、「アメリカを代表する一流紙」としての地位を確立したのである(ただし、新聞王ルパート・マードック傘下に入ってからの過去数年間は、同紙の質低下が懸念されている)。
日本新聞協会が言うように、記者クラブは国民の『知る権利』を守るのか。WSJの歴史を教訓とすれば、「記者クラブは国民の『知る権利』を損ねる」とも言えるのではないのか。日本でも記者クラブ脱退を宣言する新聞社が現れれば、日本新聞協会の見解が正しいかどうか検証できるのだが・・・。
(敬称略)
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