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判断するのは読者であって新聞社ではない
大西宏 提供:大西 宏のマーケティング・エッセンス
2011年02月16日14時47分
今日の日経社説は、古い時代のメディアのあり方と新しい時代のメディアのあり方を象徴するようなふたつの社説が並んでいました。
ひとつは、「財政持続と競争力の両方を追う米予算」であり、もうひとつが「党員資格停止では軽すぎる」です。
財政持続と競争力の両方を追う米予算
党員資格停止では軽すぎる
前者は、オバマ政権の予算にどのような意図があるかの見方を提供しており、後者はたんにひとつの意見に過ぎません。軽すぎるかをどうかを判断するのは、国民であって、新聞社ではありません。前者が「池上彰的」だとすると、後者は「みのもんた的」な社説です。
情報をピックアップし、それをどのように見ればよいかという視点を提供するあり方は、最近「キュレーション」と言われるようになってきましたが前者の立ち位置はそちらに近いものです。
後者はインターネット、とくにソーシャルメディアが生まれる以前の大手メディアが情報を独占していた頃の遺物ともいえる新聞社による世論操作です。
かつては、情報は上から下りてくるものでした。なぜなら、大量に情報を流す手段をもつことに大きな資本が必要だったからで、記者クラブ制度が象徴するように情報源まで独占されてきました。
そんな状況も今日はインターネットによるソーシャルメディアの出現で一変したことはいうまでもありません。
上から目線で、世論を動かす意図をもった社説が成り立ったのは、そんな情報独占の背景があったからです。
しかも、大手メディアの一次情報がかならずしも信頼できるものでないことは、皮肉なことに「政治とカネ」の問題でソーシャルメディアのほうから付きつけられてきました。資格を問われているのは、小沢元代表ではなく、大手メディアの報道の品質だったのではないかともいえそうです。
とくに、現代は政治、経済、社会も複雑化し、また不透明になってきた時代です。確実にこうだとは言えなくなってきており、複雑さと不確実さを前提として物事を考える必要性が高まってきています。
複雑さと不確実さのリスクを最小限にしていくためには、たとえば地方主権のように、小さな実験のできる体制をつくることや、最終的に政策の結果の影響を被る国民や住民が、よりよい判断をするための情報や情報を読み解く視点を提供することが欠かせなくなってきます。
いわゆる「政治とカネ」問題は、検察と大手メディアのいびつな関係が、ソーシャルメディアの側から暴かれ、大手メディアの記事の信頼性が揺らいできたことを考えると、あまり屋上屋を架すような社説はやめておいたほうが賢明でしょう。
政治を動かしたいのなら、メディアをたたんで選挙にでればいいのです。政治に影響力を持とうとする、あるいは世論操作しようとするのではなく、メディアは情報サービスであり、読者がよりよく出来事を理解することに徹する方向に大手メディアも変わっていかなくては、やがては見捨てられるだけです。
他紙もどのような立ち位置で社説を書いているのかを問いたくなるものが目立ちますが、少なくとも日経は一購読者であり、発想の転換を要求させていただきます。
それと、昨日ソーシャルメディアサミットの会場で、日経の方にお願いしたように、あの酷すぎる記事の保存機能だけはなんとかしてもらいたいものです。いかにネットによる情報活用の方法を知らないか、ネットユーザーを研究していないかの恥を晒しているようなもので、はやく改善されることを期待したいものです。
http://news.livedoor.com/article/detail/5347709/
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