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昨日の小沢氏の強制起訴、新聞などは大きく『窮地』、『求心力低下は必至』等の厳しい文言を並べます。誤解しているのは、激しく体制側から攻撃を受けると、人間の本質としてはより紐帯をはっきりさせ強固に団結し、先鋭化されていきます。それは新興宗教やテロ集団も同様、攻撃を受けて瓦解するにはまだ要件が足りません。特に今回は既定路線、情勢の変化は何もありません。あるとすれば、有罪の確率が高まるような材料が公判に出てからであり、その時初めて上記の文言が通用します。新聞は検察の意向を汲み、散々に攻撃を加えたことから復権が怖くて仕方ない、ということをこの流れが明らかにしています。国会で説明しないのは議員の資格なし、とする論調は最早暴論以外の何者でもなく、これまでどれだけの疑惑が疑惑のままで終わったかを考慮していません。
しかも検審を国民代表、とする論調が根強くありますが、制度自体に欠陥や不備が多く、これを国民の声の代弁とするのは釈然としません。そんなに国民代表と述べたければ投票で審査委員を決める以外にない。その方法以外では、抽出されたあくまで一般人。ただ本当に一般人かどうかを判断する術もない、という曖昧さです。必要なら裁判員制度のように、一部の人間でも会見をすれば良い。完全非公開で密室性の高いこの検審が、もし国民の代表なら「蜻蛉、蝶々も鳥のうち」です。
ちょっと視点を変えて『小沢一郎』と『沢尻エリカ』を比較してみます。本人同士に接点はないでしょうが、メディアの扱い方はとてもよく似ています。それは両者が共に1.メディア嫌い、2.取材、会見はもっと嫌い、3.悪役として定着している、4.打たれ強い、面があげられます。
1、2でほぼ3は決定しますが、沢尻氏も不機嫌な会見をしただけで、謹慎しろとのバッシングに晒されました。確か映画の舞台挨拶か、何かでしたが、本来謝罪や賠償が発生するのは映画の配給会社や協賛メーカーなどです。テレビ各局が一斉にバッシングに走ったのも、生意気な娘の鼻っ柱を折りたい、そんな思惑が透けて見えました。小沢氏も記者会見のオープン化を訴え、メディア改革に手をつけた。一斉に新聞がバッシングしたのも、そんな人物を排除したいからです。
しかし両者とも打たれ強い。それは固定ファン、支持層がいて、体制側や報道ベースのバッシングでも動じない面も大きい、と考えます。本人が挫けない限り、こういう人物はメディアにも手が負えないため、ずっとバッシングを続けます。振り上げた拳を下ろせないのがメディアです。なぜ下ろせないかは、組織としての影響範囲が大きく、個人のように互いに納得すればケンカも終息、という形になり難いためです。トップが方針を変えるか、有無を言わさずバッシングに利がなくなるような材料が出るまで、こういう形が続くと見てほぼ間違いないことでしょう。
勝手に抽出された人物らが国民の代表でもなければ、メディアが国民の声を代弁しているのでもない。ましてや、そうした側が攻撃するからと云って、それが正義とは限らない、ということです。特に、この両者に関する限り、明らかに報道姿勢が異常です。沢尻氏が海外に渡航する空港内で、メモを渡すなど常識を逸脱するメディアの存在、やたら貶めたいという目的での報道を流す態度も、どう考えても常軌を逸しているとしか思えません。今のところ、両者の報道に関して云えることは、そんな騒ぐほどの材料でもない、ただそれだけなのでしょうね。
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