http://www.asyura2.com/10/hihyo11/msg/394.html
Tweet |
http://www.sogotosho.daimokuroku.com/?index=katuji&date=20090527
第10回 マスメディアを崩壊させる2つのビジネス構造変化
新聞やテレビが売り上げを急減させ、雑誌は休刊が相次ぎ、マスメディア崩壊が劇的に進んでいる。これをマスメディアの言論から批判している人は、ネットの中に非常に多い。
たとえば新聞は再販制度に守られてぬるま湯に浸り続け、あげくに「押し紙」などという発行部数の水増しを行って弱小新聞販売店をいじめてきた。このような自浄作用のない行為をとってきたのだから、読者に反発されて当然だ。またテレビも同様で、電波免許によって守られてきた放送局は番組制作を下請けの制作会社に放り出し、自分たちだけ高い給料をもらって何の努力もしてこなかった――。
こうした批判はかなりの部分的を射ているのは間違いないが、しかしだからといってそうした古い体質がマスメディアの崩壊を引き起こしているわけではない。実際、アメリカでは新聞社の言論的なパワーは決して低下していないが、しかし日本のメディア業界を上回るスピードで新聞社の消滅が進んでいる。
現在のマスメディア崩壊の最大の要因は、徹底的にビジネスの問題であり、構造的な問題である。端的に言えば、以下の2点が進んでいるからだ。
第1に、マスメディアの「マス」が消滅し始めていること。
第2に、メディアのプラットフォーム化が進んでいること。
まず第1の「マスの消滅」だが、これは今になって言われるようになった言葉ではない。
振り返ってみると、みんなが同じ商品を買うという大量消費時代は1980年代にすでに消滅している。
しかし消費の大衆時代が終わってしまってからも、メディアの世界の中では依然としてマスが生き残り続けた。
ファッションやクルマやライフスタイルでは少衆化・分衆化が進んで、より細分化が進んでいったのにも関わらず、なぜか90年代には「みんなで同じ人気番組を見る」「みんなで朝日新聞を取る」といったマスモデルがそのまま残っていたのである。
思い出せば1980年代には、みんなが同じメディアに接触していた。タクシーに乗れば必ず野球中継がラジオから流れていて、運転手から「昨日は負けましたねえ」などと話しかけられたものだ。「負けましたって、どこが?」などと聞き返すことさえはばかられた。
なぜなら東京でタクシーに乗って「負けましたね」と言われれば、それはすなわち「読売ジャイアンツが負けた」ということ以外に意味するものはなかったからだ。
いまのように地方と中央が文化的に分裂することもなかった。東京に住んでいようが青森に住んでいようが、50代になればクラウンに乗り、文化人は朝日新聞と月刊文藝春秋を読んでいたのである。しかいまやメディアの空間からもマスはなくなりつつある。みんなが読んでいる雑誌、みんなが購読している新聞というものはなくなりつつあって、それぞれの圏域の情報を伝えているメディアだけが重宝され、読まれるようになっているのだ。
「日本人全員のためのメディア」というものを誰も期待しなくなってしまっている。
そしてこれは、マスメディアを崩壊させる原動力となっているのは間違いない。
●3C(3層)モデルから見るビジネスモデルの水平分散化〜
次に、メディアのプラットフォーム化という、マスコミ崩壊の第2の要因について解説しよう。
これまでは新聞もテレビも垂直統合モデルによって事業が運営されてきた。
グーグル及川さんによるコンテンツ/コンテナ/コンベヤというメディアを構成する3層モデルで説明すると、新聞とテレビは以下のようになる。
コンテンツ=新聞記事
コンテナ =新聞紙面
コンベヤ =販売店
コンテンツ=番組
コンテナ =テレビ
コンベヤ =地上波・衛星放送・CATV
ところがいまやこの垂直統合はばらばらに分解され、水平分散に移行し始めている。たとえば新聞記事を読むという習慣を考えてみてほしい。以前は販売店から配達されてくる新聞紙をポストから取り出して、その中に掲載されている記事を読んでいた。ところがいまや新聞記事はインターネット上では違う読み方をされる。たとえば毎日新聞や時事通信の記事はヤフーニュース上で読めるから、さっきの3層モデルでいうとこう変わってしまっている。
コンテンツ=新聞記事
コンテナ =ヤフーニュース
コンベヤ =インターネット
新聞社がコンテンツを作っているのは以前と変わらないけれども、コンテナが新聞社じゃないヤフーという会社に移ってしまっている。コンベヤはもちろん紙じゃなくてインターネットというわけだ。以前だったら3層のすべてを新聞社で支配していたのに、なんと3層のうち2層までもが他者に奪われてしまったというわけだ。
もちろん新聞社は自社のウェブサイトも持っている。アサヒコムや読売オンライン、毎日jpなどがそうだ。もし読者がそういう公式サイトを経由して新聞記事を読んでくれるんだったら、もう少し新聞社の支配は強くなる。
コンテンツ=新聞記事
コンテナ =新聞社のサイト
コンベヤ =インターネット
なんとか3層のうち2層までは新聞社が支配することができた。このあり方を維持できれば、ネット時代にも新聞社は強い存在でいることができるかもしれない……でも実は、そんなことはない。なぜならインターネット上での新聞記事の読み方は、最近ますます細分化しているからだ。
どういうことかというと、要するに新聞社のサイトのトップページを最初に訪問して、そこから記事を読むという人はどんどん減ってきている事実があるということだ。ヤフーニュースで読んだり、検索エンジンで探したり、あるいはブログや2ちゃんねるで紹介されたのをリンクをたどって読みに行くようになっている。入り口が新聞社の公式サイトではなく、別の経路をたどって新聞記事を読むのが当たり前になってきたのだ。
コンテンツ=新聞記事
コンテナ =ヤフーニュース、検索エンジン、誰かのブログ、2ちゃんねる
コンベヤ =インターネット
音楽はとっくの昔に垂直統合が分解されている。
コンテンツ=楽曲
コンテナ =メジャーレーベルの作ったCD
コンベヤ =CD販売店
こんなふうに以前はメジャーレーベルが楽曲の制作からCD造、販売店への流通までもガッチリ握って垂直統合していた。でも今はCDを購入して聞く人はだんだん少なくなってきて、みんなネットからダウンロードして聴くようになっている。その中心にいるのは、アップルのiTunes Storeだ。
コンテンツ=楽曲
コンテナ =iTunes Store
コンベヤ =インターネット
テレビも同じ。いまはまだインターネットでテレビを見るということがそれほど主流になっていないけれども、YouTubeなどの登場で少しずつ垂直統合はバラバラになりはじめている。
コンテンツ=番組
コンテナ =YouTube
コンベヤ =インターネット
もちろん、テレビ番組を勝手にYouTubeにアップして、それをみんなが観るというのは著作権侵害。日本ではテレビ局がこぞってYouTubeに抗議して、「著作権侵害の番組をアップロードさせるのはやめさせろ!」と申し入れている。新聞社も、同じような気持ちを持っている。読売新聞は以前、新聞の見出しをパソコン上に電光掲示板のように表示して、そこからリンクをたどって読売のサイトに記事を読みに行けるようにしたソフトを作っていた零細業者を「著作権侵害だ」と訴えたことがある。この裁判は知財高裁まで争って、読売新聞が勝訴した。裁判所は見出しに著作権があることは認めなかったが、「勝手に見出しを利用して儲けているのはけしからん」と不法行為であることを認めたのだった。
読売新聞に限らず、ブログや2ちゃんねるなどで新聞記事が引用されたり、あるいは全文を無断掲載されていることに腹を立てている新聞業界人はたくさんいる。「ブログなんてしょせんは新聞記事を勝手に利用して、それに対する感想を書いてるだけじゃないか」
「ネット論壇なんて偉そうに言っていても、ニュースソースはすべて新聞記事。ただ乗りしているだけだ」といった批判である。
そういう反論には、一理はある。でも本当にそう思うのだったら、たいして金儲けにもならないネットの世界なんて無視しして、紙の活字の世界で頑張っていけばいいのに?――そう思うのは、私だけではないだろう。ところが日本の新聞社で、インターネットから撤退したところはどこにもない。相変わらず「ネットはわれわれの記事を勝手に流用している」と文句を言いながらも、やっぱりネットに記事材料を提供し続けているのだ。
こういうネットに対するアンビバレントな気持ちは、新聞だけではなくテレビも同様だ。
「YouTubeは著作権侵害だ!」と怒るいっぽうで、YouTubeに歩み寄ろうとしているコンテンツ企業がどんどん増えているという事実があるということだ。特にアメリカでその傾向は顕著で、2009年4月には、YouTubeブがソニー・ピクチャーズやMGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)、ライオンズゲイトなどの映画会社、さらにCBS、英BBCなどのテレビ局とも提携し、映画やテレビ番組などのコンテンツを無料配信することに合意している。
もちろん普通の人が投稿したビデオと同じにしてしまうわけではない。デザインを変えてプロ制作のコンテンツだとわかるようにして、さらに一緒に配信される広告も映画会社やテレビ局の側がコントロールできるようにして、そこから得られる広告収入はYouTubeとの間で折半することになるようだ。いずれにしても、このようにして映画会社やテレビ局が、YouTubeに歩み寄りはじめているのは驚くしかない。ほんのつい数年前までは目の敵だったのに、いまや提携相手になりはじめているのだから。
●吉本興業は笑い、TV局は敵視するYouTube
日本のテレビ局はそれでもあいかわらずYouTubeを敵視しているが、おそらくアメリカと同じように今後は敵視しているだけではすまなくなって、手を取り合う方向へと進んでいくだろう。
実際、角川書店や吉本興業はYouTubeに積極的にコンテンツを提供しているし、音楽会社のエイベックスは日本の動画共有サービスであるニコニコ動画に資本参加して、さまざまなコラボレーションを試みている。この中でも吉本興業のような会社はもともと自分でマスメディアを持っていたわけではなく、マスメディアにコンテンツを提供していただけだから、それがネットに変わってもさっきの三層モデルでの位置づけはあまり変わらない。
コンテンツ=吉本興業のお笑い番組
コンテナ =テレビ
コンベヤ =電波
これが、YouTubeでは次のように変わるだけだ。
コンテンツ=吉本興業のお笑い番組
コンテナ =YouTube
コンベヤ =インターネット
どちらにしても、吉本はコンテンツ部分を握っていただけだから、支配権が強まったり弱まったりとはあまり関係がないということがいえる(もちろん、ネットになると広告料が安くなって儲けが少なくなるという別の問題はある)。しかしこれまでコンテンツとコンテナとコンベヤを握っていた新聞社やテレビ局にとっては、たいへんな事態の変化だ。
インターネットに出て行って、YouTubeやヤフーニュースと提携したとたんに、三つの層のうち二つは奪われてしまうのだから。
では新聞社やテレビ局にとって、コンテナとコンベヤが奪われることは何を意味するのだろう?「良い記事、良い番組を作っていけばいいじゃないか。コンテナとかコンベヤなんてどうでもいいんじゃないの?」.そう思う人もいるだろう。しかしコンテンツとコンベヤが失われることには、実は重大な意味がある。それは何かというと、以下の三つのパワーが奪われてしまうということだ。
(1)どの記事を読んでもらうか、どの番組を観てもらうかというコントロールのパワー
(2)どんな広告をコンテンツにあわせて配信するのかという広告パワー
(3)コンテンツの有料課金をする決済システム
では、新聞社やテレビ局から奪い取られたこれらのパワーは、煙のように消えてなくなってしまうのだろうか?
いやもちろん、それらのパワーは消えるわけではない。
新聞社やテレビ局から、別の場所へとシフトしてしまうだけのことだ。
ではどこにシフトするのか?
答は簡単だ――コンテナ部分を握る企業に、パワーはシフトしていくのだ。
著者より一点、お知らせです。
世田谷区の東急田園都市線池尻大橋駅近く(というよりも三宿界隈といった方が正確ですが)でこの夏、「自由大学」という新しい学校がスタートします。
誰でも参加できるオープンカレッジです。
この自由大学で、ノマドワークスタイルについて実戦的に学ぶ講座を開講することにいたしました。
6月初めからスタートという急な話ですが、もしご興味がありましたら以下をご覧ください。
http://www.freedom-univ.com/lecture/detail14.html
http://www.freedom-univ.com/professor/detail47.html
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > マスコミ・電通批評11掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。