10. 2015年4月28日 22:59:23
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restfultime 2013年1月28日月曜日 http://restfultime.blogspot.jp/2013/01/blog-post_5987.html 資料 室井佑月 2006.02.28 松任谷由実の堕落 スピリチュアル・イノシシ(スピリチュアル山師)の江原啓之 週刊文春記事全文 その1 [ 由実 ] 私は常々、『現代日本イノシシ4人組』として、堀江貴文・秋元康・福田和也・江原啓之を考えていた。今回、誠意の一かけらもないバカ男・永田寿康民主党議員の事件に関連したニュースを見ていて、野田佳彦(柔道2段・頭は散々)という男を仔細に観察することができたのだが、この『傲慢脂ぎり男』なら例のイノシシ仲間に加わる資格が十分にあると思えた。『白波五人男』ならぬ、『イノシシ五頭雄』としてどこかの舞台で決め台詞を吐いてくれたなら、さぞかし評判になることだろう。 ちなみに、以下は昨年4月1日付けの私のブログにある文章である。 ●……そのコマーシャルのあとに、これもフジテレビの特番の宣伝が流れた。江原啓之という男を使ったオカルト的な霊魂番組。この男、「スピリチュアリスト」としていろいろな雑誌やテレビに登場(確か『文藝春秋』にも――)しているけれども、顔を見ただけで「ニセモノ」だと解らないのだろうか? 私はこの男のいやらしい目つきや不潔なヒゲを目にしただけでゾッしてしまい、鳥肌が立つのだけれども……。このような気持ちの悪い怪しい連中がやっている「スピリチュアル商売」に手を貸すとは、フジテレビには呆れる――というか、こんな一見しただけで「山師」と判る男の話に耳を傾ける人たちに呆れてしまう。(引用終わり) というわけで、今日は「いやらしい目つき、いやらしい話し方、イノシシを凌駕する体重を誇るスピリチュアル山師」江原啓之についての話なのである。 で、前置きはまだ続くのである。 今朝、地下鉄まで奥さんに車で送ってもらっていたら、FMラジオから松任谷由実の歌が――最新曲が流れてきた。そのあまりのつまらさに――この歌のメロディーも歌詞も吐き気がするほど陳腐であることに愕然としてしまった。ゴミのような、キロ何円かで売られる屑紙のような歌だった。後でネットで調べてみた。オンエアーされた曲についてはFM局のホームページで簡単に調べることができる。歌は、 ● 虹の下のどしゃ降りで 松任谷由実 with FRIENDS OF LOVE THE EARTH かつて、あれほど魅力的な歌を作ってきた松任谷由実だけれども、今ではすっかり才能を枯渇させてしまい(まぁ、52歳になったのだから「感受性」を喪失するのは当然かもしれないが)、文字通り老醜を晒しているようにしか見えない。いまどき、15,6の小娘のような新人ですら、これほどダサイ歌は歌わないだろう。かつての「天才」の輝きを知っているだけに、その「萎びきったオレンジ」のような老残ぶりには目を覆いたくなる。 しかし、歌だけではない。 松任谷由実は精神面でも、おかしな連中を「讃美」するようになってしまっている。つまり、ボケてしまってきているのである。そのおかしな連中の筆頭が、この江原啓之というスピリチュアル・イノシシである。 以下は先週号の『週刊文春』から引用である。本当は、一部だけを引用しようと思っていたけれども、資料として貴重になるだろうから、全文引用することにした。 ● スピリチュアルカウンセラー 江原啓之の「正体」 和田アキ子、君島十和子、花田勝が心酔する謎の霊能者「過去」と「実像」 週刊文春記者 中村竜太郎 「あの人は絶対ホンモノ!」「百万円払っても見て欲しい!」。今や有名芸能人や各界著名人が「一番会いたい人」と口を揃えて言うのがスピイチュアルカウンセラーの江原啓之氏。守護霊や前世をピタリと言い当て、悩める相談者を導くというのだが……一体何者なのか。 現在テレビや雑誌、講演などで活躍する江原啓之氏(41)は、OL・主婦を中心に、圧倒的な人気があり、“霊能界のヨン様”ともてはやされるスーパースター。昨今の占いブームの立役者でもあり、“エハラー”と呼ばれる熱狂的な追っかけファンもいるほど。
● 林真理子、室井佑月、柳美里(松浦註・出版界の女流3バカとして夙に有名)、よしもとばなな各氏ら人気女性作家と親交があり、松任谷由実や二谷(平田)友里恵らセレブの信頼も厚い。あの君島十和子もお忍びで通っているという。元横綱若乃花の花田勝氏も現役時代からのお客様。おもてには出ていない政財界のVIPも相当いるらしい。 94年『an・an』で初対談して以降、オペラや開運ツアーに一緒に行くなど、仲がいい林真理子氏が語る。 「江原さんが下北沢のアパートで開業していた頃から知っていますが、あれよあれよという間に有名になっていきましたね。私はわざわざロンドン、バルセロナに見てもらいに行くほどの占いフリークでいろんな人に会いましたけど、すぐ墓を建てろとか、すごくお金を使わせる。でも江原さんはそういう事が一切ない。またお金、名声を得て変っていく人を今まで何人も見たけれど、江原さんは本当に素朴で、純粋なところは変らない。 私が40を過ぎたころに江原さんが『林さん、赤ちゃん抱いているの見えますよ』って言うから、『そんなことないんじゃないですか』って言ったら、『病院行ってください。頑張って作ってください。ご先祖が子供が出来ないままを望んでないから』と勧めてくれた。彼がいなかったら多分子供は作っていなかったと思う」 江原氏は個人カウンセリングを3年前から止めているが、それがかえって熱狂的な人気を呼んでいる。 美輪明宏は「彼はホンモノ」 そんなカリスマ霊能者に接することができるのが『オーラの泉』(テレビ朝日系)。YOKIOの国分太一が司会、美輪明宏を指南役とし、江原氏がゲストを霊視することで、素顔や人生を浮き彫りにするというトークバラエティ番組だ。自身も霊能者で天草四郎の生まれ変わりだという美輪明宏が江原氏を評価する。 「十年ほど前に作家の佐藤愛子さんから紹介を受け、江原さんを霊視したらホンモノだと確信しました。霊能者は99パーセントがインチキでも、1パーセントのホンモノがいる。江原さんはそのひとり。元神主で知識も豊富だし、何より評価したいのは、彼がお金儲けでやっているわけではないということです。いつも自分のことよりも人のことを心配し、相談に乗るとかわいそうだって泣く。慈悲の心は必要だけど、あれじゃ体がもたないわよって私は言ってるんです」 (松浦註・つまり、美輪明宏の「霊視」もインチキであり、インチキがインチキを「ホンモノ」と持ち上げているということになる。それよりも、今はすっかり岩波書店の犬として拉致被害者の苦痛を理解できない美輪明宏は、こうしてDHC以外でも潤沢な資金源を見つけたということか。美輪明宏も今年の5月で71歳。老醜を晒し続けるつもりなのだろう。『紫の履歴書』は面白かったのに。) 着物姿の江原氏は終始ニコニコしてうなずき、優しい口調でアドバイス。おどろおどろしい霊能者のイメージはない。なんの脈絡もなく「あんた死ぬわよ」「地獄に落ちる」と恫喝まがいの発言を繰り返す細木数子とは正反対。しかしいざご神託となると、柔和な表情のまま、ズバッと斬る。 奥田瑛二は「ボロボロの身なりをした変った坊さんが守護霊で、タコ踊りをしている」。離婚した杉田かおるは「先祖に大変な酒乱がいて、お酒を飲むとその人が憑依してしまう」。 オダギリジョーの自宅を霊視で覗き、「家にある髑髏グッズを処分したほうがいい」と助言、アメリカ留学時代からくっついてきた霊をその場で除霊した。 「深夜枠の番組でこれほど豪華なゲストを呼べるのは、ひとえに彼らが江原さんに占って欲しいから。ノーギャラでいいから出たいというタレントもいる。ゲストは収録が終わった後、長いときは2時間くらい、江原さんをスタジオの片隅でつかまえて個人相談にのってもらっている。みな収録の時以上に真剣な様子で、途中で涙ぐむ人もいます」(テレ朝関係者) さらに、和田アキ子(松浦註・出ました島田紳助擁護の粗暴タレント、芸能界の女番長)では、「喉が渇く」と訴える和田に、彼女の頭のあたりを、上目遣いにチラチラ眺めながらチェック。 江原「オーラで多く出ているのは情愛を示す紫。あとはひょうきんさを表す黄色。赤は情熱や強さを表すんだけど、意外や意外少ない。和田さんは嫌なこと、辛いことから逃げてしまうところがありますね」 そして守護霊診断と続く。 江原「まず、3つかそこらで亡くなった男の子。で、もうひとりは……見えることだから素直に言いますね。黒人の女性です」 和田「黒人っていったらレイ・チャールズしか思い出さない」 江原「うん、補助霊としてレイ・チャールズもいます。そっちのジャンルのことよくわからないんだけれども、その……ブルースとか、そのジャンルをとにかく『守り抜いていきなさい』って言っている」 江原氏の言葉に感動した和田は、出演前日に歌手引退を思いとどまった。江原氏は肝心の黒人女性は大物ジャズ歌手のビリー・ホリディーだと最後に明かし、“芸能界の女帝”の人生を決定づけたのである。 (松浦註・あまりのバカらしさに言葉を挟む気も失せるけれども、和田アキ子に守護霊や「補助」霊がいるとしたらレイ・チャールズやビリー・ホリデーではなく、性根の腐った粗暴な誰かの死霊がその役目を担っていることだろう。ちなみに、以下はウィキペディアから――●真冬に出川哲朗と同じホテルの別の部屋に宿泊し、「人間が寒さにどこまで耐えられるか見たいんや」とパンツ一枚でバルコニーで一晩過ごすよう強要。出川は携帯で連絡を取るも、和田のマネージャーが和田の部屋の鍵を開ける事を拒否し、凍死寸前まで追い込んだ●TBS系報道番組『筑紫哲也 NEWS23』の人気コーナーだった「ちくしてつやの真夜中トーク」に和田アキ子が登場した際、和田がほろ酔いし、暴れたことからこのコーナーは終了してしまった) 『オーラの泉』の今年2月8日放送(ゲスト・三谷幸喜)の視聴率は14.3パーセントをマーク。 一般人を霊視した『江原啓之スペシャル 天国からの手紙』(フジテレビ系・昨年12月30日放送)の視聴率は15.9パーセント。 「この勢いだと年内までには細木数子の人気を一気に抜く。テレビ界の新たな救世主としていま、民放各局が争奪戦を繰り広げています」(民放制作関係者) 単行本・文庫本計35冊の総発行部数は、なんと約767万部。最多は、『幸運を引きよせるスピリチュアルブック』(三笠書房)で、105万3000部。印税を定価の10パーセントとして計算すると、35冊分の印税総額は約7億1787万円、これをわずか10年で手にしたことになる。 『スピリチュアル幸運百科』(50万部)などを販売する主婦と生活者では、「昨年末から急激に売れています。今年1,2月は何度も増刷しています」と語る。 一般人が江原氏に直接会えるのは、年数回開かれるトークイベントのみ。そのチケットは発売後わずか10分あまりで完売する。 「入場時に『公開相談申し込み用紙』が配られ、それに悩みを記入して、抽選箱に投函します。選ばれた人が壇上に上がって霊視を受けることができるのですが、その相談事を会場で聞いて、スピリチュアル体験を味わい、会場にいる全員で共感するんです」(イベント参加者の女性) 2006.02.28 松任谷由実の堕落 スピリチュアル・イノシシ(スピリチュアル山師)の江原啓之 週刊文春記事全文 その2 [ 由実 ] 文化祭でイルカの「なごり雪」 イベントでは声楽を学んだ江原氏のバリトンが披露され、天使のような白衣をまとった江原氏がステージで「癒しのエンターテイメント」を繰り広げる。(松浦註・この場面をちょっと想像しただけで、猛烈な吐き気に襲われてしまったので、ナウゼリンを1錠飲み下してからプリンペランの点滴を受けに行ってきました。) だが、現在の爆発的人気のわりに、江原氏の「過去」はあまり知られていない。 江原氏は1964年12月22日、墨田区で生まれ、江東区の下町で育った。父親は江原氏が4歳の時亡くなり、その後、母親が女手ひとつで江原氏と、7歳年上の姉を育てた。 江原氏の著書『スピリチュアル人生相談室』などによれば、生まれつき予知能力が備わっており、父親が亡くなる数日前から父親のまわりを真っ黒い闇が取り巻くのを感じ、どこか遠くへ行ってしまうような気がして恐くなったという。 小学校の図工の時間で、写生をするため荒川のほとりに出かけた際、どこからか 「ねえねえ、こっちこっち」 とささやく声がする。その声に導かれるように行くと、川面に痛いが浮いていたのを発見。当時の新聞に掲載された事件もあった。 初めてはっきり霊の姿を見たのは10歳の時。通学途中の交番の前に、防空頭巾を被ったお母さんと女の子が立っていた。そしてある晩、2人が部屋にやってきて、女の子が 「家族はどこ? どこへ行けば安全なの?」 と聞いてきたという。 中学時代の同級生は 「江原君に霊的な能力があったとは聞いていませんし、そんな素振りもなかったですね」 と振り返る。 「優しくて、ほんわかとした感じでした。優等生で、勉強をよく教えてもらった。ギター部に所属していて、イルカの『なごり雪』を文化祭で弾いていました」 前出の自著によれば、中学2年の時、自分が母親の遺影を抱いて葬儀に参列する夢を見て、しばらくして母親が倒れてしまう。診断の結果は末期ガン。まもなく母親は亡くなった。 江原氏は大学進学をあきらめなければならないと思い、将来は手先をつかう技術職につこうとデザイン科のある高校に進学。放課後はアマチュア合唱団の練習に参加していたという。 「当時から体重100キロ以上あった。明るいやつで、オペラの真似事をして、みんなから笑われていた。でもマラソン大会はしんどそうでした」(高校の同級生) 江原氏はジム通いと林真理子氏紹介の和田式ダイエットで50キロ減量したが、学生時代には相撲部屋にスカウトされたこともある。 江原氏が霊能活動に目覚めたのは18歳の頃。両親を失った江原氏はアルバイトをしながら和光大学に進学。だが、毎日のように起こる霊現象のため心身を病み、中退してしまう。 「彼は有名な学生でした。うちの大学は変わり者が多いのですが、なかでも目立つ学生でした。いつもランニングシャツにどてらを着込んで、腹巻までし、まるで裸の大将のようでした。お金がなくて服が買えないというのではなく、パフォーマンスだったと思います。 取り巻きの学生7、8人を引き連れ食道の前で円陣を組んでいました。1年中同じ格好で、彼の演説をまわりの学生が聞いている感じでしたね。学生の多くは変わり者扱いしていたと思います」(和光大学人文学部芸術学科時代の同級生) 霊現象に悩まされた江原氏は、当時20人近い霊能者に相談。ようやく日本心霊科学協会の寺坂多枝子氏い出会い、本格的に霊能者としての道を歩き始める。 「昌清之命(まさきよのみこと)」という僧侶が守護霊だと教えられ、また夢で地蔵から「人を救うのがお前の生まれた目的である」とお告げを受けたという。 1年間寺で修業した後、北澤八幡神社に奉職し、23歳の時、神主の資格を取るために国学院大学別科神道専修2(松浦註・ここはローマ数字)類へ入学した。 「この研究を続ければ有名に」 「江原さんは学生時代から、何度も『この研究を続ければ有名になる』と言って自信を持っていた。私たちは渋谷駅から大学まで歩いていくのですが、ある時彼は気分が乗ったのか、突然オペラ風の歌で発声練習を始めました。びっくりしましたが、結構、迫力がありましたね。眼には無頓着でしたが、入場料の高いオペラを見に行っていたようです」(国学院時代の同級生) 大学卒業後、自宅アパートに、霊視による個人カウンセリングを行う「スピリチュアリズム研究所」を開業した。 江原氏をスピリチュアルカウンセラーとして世に送り出したのは、作家の佐藤愛子氏だった。 江原氏は恩師・寺坂氏を通じて佐藤氏と知り合い、『あの世の話』(文春文庫)という共著もある。 (松浦註・スピリチュアルイノシシは、文藝春秋から文庫を出しているということ。そして、この『週刊文春』も同じ会社のもの。月刊の『文藝春秋』の記事では、昨年、イノシシヨイショの記事を出していたから、同じ文春という会社の中でも「争い」があり、イノシシに批判的な人物が週刊誌のほうにいるということなのかもしれない。毎週毎週、林真理子がこの週刊誌に駄文を曝しているけれども、その連載の中でこのスピリチュアル・イノシシ讃美をしたことはなかったのだろうか? 佐藤愛子は、『新潮45』の北海道を舞台としたオカルト連載でも有名な通り、「いっちゃってる」オバサン。) 『あの世のはなし』で江原氏は、「幸せとは物質主義的価値観から離れることだ」「人間は物質で豊かになろうと思っても、絶対に欲はつきない。私は、プアー・イズ・ビューティフルだと思うんです」と説いている。 最近はずっと会っていないですが、と前置きして、佐藤愛子氏が語る。 「江原さんと親しくなって10年あまりになりますが、その頃から江原さんは日本人の波動が下がっていること、精神性が衰弱して物質的価値観になりつつあることをとても心配し、私はその影響を強く受けた。 江原さんがマスコミに登場したことで、これまでいかがわしいもののような扱いを受けていた心霊世界が市民権を得たのはよろこばしいことですけど(松浦註・本当に、佐藤愛子が「いっちゃって」るのが解る、Sイノシシの登場で、心霊世界は益々山師たちに悪用されていることが理解されるようになっただけであるのだから)、その一方で江原さんの霊視が当ったとか当らないとか、好奇心だけで関心を持つ人が増えてきているのは、仕方ないこととはいえ、残念です。何としても江原さんの初志を浸透させていただきたい。これはとても困難なことかと思いますが、あえて注文したいのです」 93年5月、江原氏は、歌手のイルカの紹介で知り合った夫人と、赤坂の日枝神社で挙式した。江原氏と家族ぐるみでロンドン旅行に行ったこともあるというイルカが振り返る。 「FM東京のレギュラーをやっていた時、スタッフから紹介されたのが始まり。ちょっと苦しそうだったけどきちっとスーツを着て、好青年という感じでした。『僕が中学校の時に初めて行ったコンサートがイルカさんのコンサートなんですよ』とか自己紹介した後、『早くに両親が亡くなって、寂しい思いをした時はいつも歌を聴いて心慰められて、お会いできると思ってました。いつかご恩返しが出来たらいいなと思っていました』とすごいこと言ってくれたんです。礼儀正しくて、あったかい人柄がにじんでいて、良い人だなあっていう印象がありました。それから意気投合して、今も仲良くさせてもらっています」 かつての知人は「インチキ」 少年時代からの憧れの人に手放しで褒めちぎられて、江原氏もさぞかしご満悦に違いない。だが一方で、20代の江原氏をよく知る人物はこう語るのである。 「とにかく口がうまい男です。最初『自分は霊能力がある』と近づいてきた。興味を持って聞いたら、『自分は小さい頃から両親がいない。孤児同然です。バイトをしながらいろんな勉強をし、ひとりで生きてきた』と言うので、気の毒に思って、アパートの家賃を出してやったり、食べさせてやったりした。 なのに私が紹介した友人に陰で『霊的に見て、あの人は悪い人間だから付き合わないほうがいい。私と付き合った方が得です』と言い、うまく取り入って、今度はそっちからいろんな援助を受けていた。 何か都合が悪くなると、突然守護霊が憑依したような振りをして、『うーむ、ワシじゃ、マサキヨじゃ』と唸って煙に巻こうとする。私が『そんなんで騙されると思っているのか』って怒ると、そのままグッタリしてたぬき寝入りを決め込む。(松浦註・正確にはこの場合イノシシ寝入りと呼ぶ) ただ、食欲だけは人の3倍。『何も食べるものがない。ひもじい』とよく言ってたけど、ちゃんと食べるものはあったし、だいいち、それでも丸々と肥っていたんだから、まったく説得力はないです。 霊能力があるというから、いろんな人に見せても、当時はことごとくはずれてました。霊能力者として成功しているというのが信じられない。私はインチキだと思ってます」 江原啓之とは一体何者か。超多忙の本人に聞いた。 ――スピリチュアルカウンセラーになったきっかけは。 「やはり両親が早く亡くなったことでしょうね。多感な時期でもあったし、先々どうやって生きていくか悩んで、孤独感を味わった。特に母が15歳で亡くなった時、悶々と悩みました。生きるってどういうことなのか、なんで生まれてきたのか。生きてどうするのか、死んだらどうなるのか。 そんな時自分自身が今まで見てきた霊的な現象をふと思ったんです。そしたら、父や母はずっと自分を見守ってくれているんだと確信するにいたったんです。 母の遺言は『18までは普通に生きていけるけど、そこから先は大変なことになる。しかしそれを乗り越えていきなさい』というものだったのですが、実際本当に挫折してしまった。霊障や怪奇現象にのべつまくなしに遭遇しノイローゼ気味になった。仕事もままならず貧乏のどん底。解決しようとなけなしのお金をはたいていろんな霊能者を回ったんですが(松浦註・こうして多数の霊能者の「商売」を見聞きすることで、将来自分の「客」を言いくるめる「技術」を修得することができたんだろうと思う)、どれもいい加減なものばかり。両親が成仏していないから供養料を払いなさいと。結局嘘っぱちの世界なんだろうかと諦めかけていたところに、私の師匠に出会ったのです」 師匠とは先述の寺坂氏。 「彼女から『あなたは病気でもないし変でもない。ただ特異な体質だから、そういったものを消そうとしても消せない』と教えられ、『男だし、あまりあやふやな世界で生きるのはよくないから、ひとつの方便として宗教の世界に入りなさい』と勧められ、国学院大学で神道を学んだんです。で、神社で神主をやりながら、心霊研究を続けた。そのうちに、イギリスのスピリチュアリズムに出会うんです。あっちは心霊研究が日本よりも50年進んでいて、それで渡英してセミナーに参加したり、個人的にヒーラーの方に可愛がってもらったりして、よりその思想に傾倒し、自分なりのスピリチュアリズムを実践しようと目覚めたんです。 また神社のご奉仕と並行していろんな方から相談を受けていましたから、89年、『スピリチュアリズム研究所』を設立しました」 2006.02.28 松任谷由実の堕落 スピリチュアル・イノシシ(スピリチュアル山師)の江原啓之 週刊文春記事全文 その3 [ 由実 ] ――いま個人相談をしていないのはなぜなんですか。 「多くの人は魔法みたいに思っていますが、心霊現象で人生は変えられない。私がお伝えしたいのはスピリチュアルな法則、いわば、人はなぜ生まれてなぜ生きるのかという哲学です。 どうしたらお金が儲かるとか、私利私欲、物質的な利己主義のためにカウンセリングを続けるのはあまり意味がない。私は毎年千件の相談を受けてきましたが、本当にやってよかったと思うのは、せいぜい百件。 大事なのは生き方を示すこと。そのためには本を出したい。私は一人で、語れるものにも限りがある。本はいろんなところで、いつでも読んでくれる。それで読者の生き方が変るかもしれない」 ――個人カウンセリングはしないのに、番組では芸能人にだけするのはずるいという声もあります。 「何がずるいんですか。皆が依存心が強すぎる。逆に何様だと思います。テレビでやっているのは芸能人だからその私生活を提供しているわけでしょう。デモンストレーションとして皆さんの人生の参考にしていただければいいんです。一般の人はまずカウンセリング以前に、人間として磨かれるべきでしょう。私の最終目標は霊能者撲滅! 霊能者なんかいなくても、自分のことは自分で解決する」 ――招霊する時は体力を消耗するんですか。 「集中力は必要ですね。歌にたとえるとウォーミングアップが大切。声のコンディションと同じ」 ――体調が悪いと見えにくいですか。 「ありますよ。見えないことはないけど、見えにくい。あと相手によって変わる。『オーラの泉』は肯定派が原則の番組でしょ。だからちょっと奇怪に見えると思うんです。私からすれば、人生のサプリメントにしてくださいという感覚ですね」 ライフワークはホスピス活動 ――かつて著書でテレビに出ている霊能者を批判していましたが。 「傲岸不遜に思ったらごめんなさい。そういうつもりで出演しているんです。霊がついていると脅かしたり、何でも霊のせいにする霊能者を出させないために居座っている部分もある。 私はメディアの世界から去るのは簡単なんです。テレビに出ている人はみな儲かると思い込んでいるけど、テレビに出ないでカウンセリングやっている方がずっと儲かるでしょう。テレビに出なくてすむんだったら出たくない。私が去ったら、急にまた、あなたの守護霊はなんだと言う人が出てくるかもしれない。そしたら、もういいや、言うこと言ったしって思うでしょうね」 ――テレビでの江原氏の位置づけはタレントですが。 「タレントだったらましです。しょせん霊能者、奇異な目で見られる。霊的な事象はどれだけ見せても認められるわけではない。 見せるだけならばMr.マリックの方が絶対に面白い。何やったってかないません。私は霊の世界は、理解する必要がきたらその時、理解すればいいと思っているんです」 ――『オーラの泉』ではゲストの自宅に霊視で入っていきますね。 「あれはワザとやってるんです。テレビは非常に酷で、あの部分を除いたら、ただのトーク番組。人の家なんか覗く必要ないんです。霊視を垣間見せたとこで、調べてんだとか、マネージャーが教えているんだとか言われる。でもそういうデモンストレーションの実証的なことを盛り込んでいかないと何のためにやっているのかわからなくなってくる」 幼少時代から赤貧生活を経験した江原氏は、「霊能力」を駆使し大成功。都内の高級住宅地のモダンな一軒家に住み、年収は1億円を超える。今や自身が批判する「物質主義的価値観」の頂点にあるのではないか。 ――今後はいったいどうするつもりですか。 「私は現在、ありがたいことに収入がありますが、そのお金を生かしてホスピス活動をしたいと思っているんです。2年以内に実現しようと計画していますし、そしたら今のような活動はできなくなるかもしれませんね。私は霊能的な世界の宮城まり子を目指していて、ライフワークはホスピスに賭けようと思っています」 最後にこんな質問をぶつけてみた。 ――週刊文春編集部を霊視してもらえませんか。 「いや、そういうこと言われるだろうと思っていました。繰り返しますが、私は霊能力のひけらかしのために活動しているわけではありません。お断りします」 残念ながら、彼の「霊能力」を直接体験することはできなかったのである。(引用終わり) これだけの記事なら、たいした「正体暴露」ではなく、まるでスピリチュアルイノシシの「宣伝」のようなものだと思える。文春もベストセラー作家・スピリチュアル山師に本を書いてもらって稼ごうとして(ちょうど新潮社が養老孟司をヨイショしてゴミのような本で大儲けしているように)、江原啓之を「持ち上げている」のではないか、と疑ってしまった。 ところが、翌週、以下のように、江原啓之の人間性を疑わせるような追跡記事が出たのだった。 『週刊文春』2006年3月2日号より ● 元女性信者が告発 江原啓之 「暴行」と「猫虐待」 包丁を持たせて「死ね!」 週刊文春記者 中村竜太郎 OLや主婦を中心に“エハラー”なる熱狂的な追っかけファンが急増中のスピリチュアルカウンセラー江原啓之氏(41)。その江原氏から「虐待を受けた」と証言する女性が現われた。元信者である女性は「彼の暴力に怯え、奴隷のような日々を送っていた」と振り返るのだ。 人気スピリチュアルカウンセラー江原啓之(41)。小誌は先週号で、その「過去」と「実像」を追ったが、取材の過程で驚くべき証言が飛び出した。 江原氏が経営する『スピリチュアリズム研究所』で、かつてスタッフとして働いていたA子さんが語る。 「今まで江原さんの事は話したことがありません。なぜなら思い出すだけでもあの頃の精神的肉体的苦痛が甦ってきて、トラウマになっているからです。 本当は胸にずっとしまっておくつもりでした。ただ、最近江原さんがテレビや雑誌などで道徳を説いているのを見て、彼の本当の姿をきちんと伝えなければならないと思いました。 江原さんは暴力的傾向がとても強い方で、常に私たちスタッフを怒鳴り散らし、怒ってモノを投げたり、手で思いっきり叩いたり、胸を突き飛ばしたり、足で蹴とばしたり、ひどい暴行を繰り返していたんです」 現在40代のA子さんが江原氏と知り合ったのは20年ほど前。江原氏が和光大学を中退し心霊研究に没頭していた頃で、江原氏の引越しを手伝ったのがきっかけだった。当時江原氏は多摩センターの「三光苑」なる心霊相談所で霊能師をやっていた。そこにA子さんが相談者として通ううち、江原氏から頼まれボランティアを始めたという。 その後いったん途絶えたものの、87年、江原氏が下北沢の北澤八幡神社の神主をしながら自宅アパートで心霊相談を始めると、再び奉仕するようになった。 物静かな印象のA子さんが落ち着いた口調で語る。 「その頃私は昼仕事をしていたのですが、仕事が終わった後、江原さんのところへ通っていました。最初はお茶出しだけの手伝いということだったのですが、だんだん事務的な仕事もやって欲しいということになり、最終的には研修会というイベントの仕切り役をさせられました。何か流れに巻き込まれていくように仕事が増えていったんです」 仕事は午後5時半くらいから、遅い時は終電まで。深夜タクシーで帰ることもたびたびあったというが一万数千円のタクシー代は自腹だった。仕事内容は予約受付の電話番、相談者の記録用紙の整理、郵便物の宛名書きや発想手続きなど。 それ以外にも炊事、洗濯、掃除や風呂焚き、猫の世話など江原氏の私生活の雑用も主な日課だった。土日は終日、平日もほぼ毎日のように通ったという。 「ほとんど休みなく、多摩時代を合わせると7年間続けました。無報酬でした。お金の話をすると彼は怒ります。給料をくださいと言える雰囲気ではありませんでした。トイレットペーパーとかティッシュとか、糊、ボールペン、コピー用紙、惣菜などを買っていくと、江原さんは『その費用は計上していないから払えない』と突き返しました。こうした経費を1週間に2,3千円は立て替えていましたが、結局全額持ち出しになりました」(A子さん) 当時の江原氏はカルト宗教団体の教祖のような存在だったという。彼の説くスピリチュアリズムに初めて触れ、感銘を受けて集まってきた人々は熱心な信者。誰もが江原氏を「先生」と呼んで崇め、研究所内で彼の言うことは絶対だった。 A子さんが続ける。 「私は研修会の会場を押さえたり予算やプログラムを考えたりしていたのですが、まったくやったことのない仕事でした。些細なミスでも、江原さんはすごい剣幕で怒るんです。普通の怒り方じゃなくて体をわなわな震わせて怒る。本当に恐かった。私は萎縮してしまってひたすら『申し訳ございません』と土下座しました。 当時は江原さんに心酔していたので、普通なら理解に苦しむようなことで叱られても、『私が悪い。私が至らなかったばかりに先生を怒らせてしまった』という思いに縛られ、反論などしたこともないし、無抵抗に謝り続けていました。今思えば、知らず知らずのうちに洗脳されていたんです。そして気がつけば奴隷のようになっていました。 江原さんはオネエ言葉のような話し方をする人で、なにか気に入らないことがあると、『もう! いい加減にしてよ』とヒステリックに怒りました。仕事以外でも、私が江原さんを立てなかったり優先しなかったりすると癇癪を起こしました。たとえば、スタッフと4人でファミレスに行った時、先にコーヒーを注文したら、『私より先に注文するなんて何よ』って怒り始めたこともありました。 ご飯の入った茶碗が飛んできた 私は江原さんの晩御飯の仕度もしていたのですが、ご飯の盛り方が下手だと言っていつも怒られました。頂き物のイチゴが古くなりかけたのも私のせいにされ、『あなた、こんなこともわからないの』ってガミガミ言われました。呼ばれた時の返事が遅いと怒られることもしょっちゅうでした」 知り合った当初の江原氏は非常に優しかった。ところがスタッフとしてより身近になるにつれ、機嫌が悪いと語気を荒げたり、とげとげしい態度を見せるようになった。そのうちA子さんに対し「死んでしまえ」「地獄へ行け」と暴言を吐くようになり、それがいつしか暴力に変ったという。 「いつも、『反省しなさい』と板の間に正座させられていたのですが、きまって怒鳴られた挙句、食器や椅子、灰皿やゴミ箱を投げつけられました。それが毎日のように続くのです。その頃にはもう理由らしい理由はなくて、私の態度が悪いとか気に食わないとかいうことで暴行を受けました。 ある時いつものように食事の用意をしたら、『あなたも食べなさいよ』と言われ、一緒に食事をすることになったのですが、なにかが気に入らなかったらしく、いきなりご飯の入ったお茶碗が私の頭にすごい勢いで飛んできたんです。茶碗は左目の下に当たりました。悲鳴をあげるほど痛かったのですが、それよりも咄嗟に、何を怒られたのかわからなかったことで気が動転して、『申し訳ございません』という言葉が口をついて出ました。 その時江原さんに『血が出てるわよ』と言われて、初めて出血に気づきました。彼は手当てしてくれるでも心配してくれるでもなく、まだ腹を立てていました。私は傷口をティッシュで押さえ、床に散らかったご飯粒を、江原さんに謝りながら片付けました。 あの時江原さんがなんで怒りだしたのか未だにわかりません。ただ、そういった理不尽なことがあまりにも続いていたので、私自身、思考が停止していました。 モノを投げつけられる以外にも、手やスリッパの裏側で頭を叩かれたり、足を蹴飛ばされたりしていましたが、何の前触れもなしに突然怒るから身構えることができない。されるがまま。江原さんの暴力がいつ飛び出すのかいつも怯えていました」(A子さん) 2006.02.28 江原啓之 その4 [ 由実 ] (江原啓之を世に送り出した責任者。愚かしい2人の人物の顔写真) 江原氏といえば各界著名人がホンモノの霊能者と認め、心霊治療家としての評価は揺るぎない。出演するテレビ番組は軒並み高視聴率をあげ、著書は次々にベストセラー。『新潮45』(松浦註・出ました、クズ雑誌!)で連載が始まるなど、マスコミで今もっとも注目される発言力のある人物だ。人間の精神性に根ざす言説を展開する江原氏の、社会への影響力は計り知れない。(松浦註・大袈裟ではないだろうか。スピリチュアルイノシシにそこまで日本の社会が汚染されているとは私は思えないけれど) テレビで見せる、人を優しく包み込むようなあの笑顔(松浦註・私は江原の視聴者に取り入ろうとする下品な笑顔にはいつも気味悪さを覚えて鳥肌が立つのですが……)からは、想像もつかない“もう一つの顔”。にわかには信じ難いが、さらに取材を進めると、A子さんの告発を裏付ける証言が次々に得られたのである。 スピリチュアリズム研究所に勤務し、江原氏から「お袋さん」と呼ばれていた田中一美さんは、当初は、「江原君とは家族みたいな時期があって、いい思い出なんです。だから悪いことは言いたくない」と渋っていたが、A子さんの証言内容を確認すると、意を決したように重い口を開いた。 「A子ちゃんは江原君に虐げられ、タダでこき使われていました。彼女が暴言を吐かれたり、暴行を受けていたのは事実です。モノを投げたり、蹴りを入れたりしているところを私は見ました。お茶碗を投げられて顔に当たったところは直接見ていませんが、彼女が顔に絆創膏を貼っていたのは覚えています。『江原君にやられたの?』って聞いたら、彼女ははっきり言わない。江原君が恐いから言えなかったのでしょう。 彼女は江原君から怒られると恐いから黙ってしまう。『なんでこれをやっておかないんだ!』と言われるとジーッと固まってしまう。そうすると江原君がイライラして蹴飛ばすんですよ、鬼のように怒って。江原君は『蹴られるお前が悪い』って言ってました。彼がカーッとなるのは些細な理由で、A子ちゃんに悪いところがなくても怒っていた。A子ちゃんは無料奉仕で働いてくれたのに」 一美さんによれば、A子さんは江原氏の命令で正座させられたり、立たされたりしていたが、終始うなだれたままだったという。 当時虐待を受けた女性スタッフはA子さんの他にもいた。全員が江原氏に怒られるのではないかと顔色をうかがいながらピリピリしていたという。誰かが虐待されると、他のスタッフは巻き込まれないように身を潜めていた。 一美さんが続ける。 離婚を勧められた女性スタッフ 「江原君はどうしてこうなってしまったのだろうと思いました。先生として相談者に接している姿とはあまりにも違う。テレビの江原君からは想像もできないでしょ、あんな仏様みたいな顔(松浦註・スピリチュアルイノシシの顔をどのように判断するかは個人の自由なので論評は差し控える――)してるから。いくら信者だといっても虫けらのように扱ってはいけない。ましてや江原君のように人の人生を指導しているものが、気に入らないからってモノをぶん投げてみたり、弱い立場の人間を虐待してはいけないと思います」 一美さんは別の女性スタッフB子さんが暴力を振るわれているところも目撃しているという。 「B子ちゃんは私の隣に座っていたところを平手で思いきり背中を叩かれた」 B子さんに取材を申し込んだところ、 「何も申し上げることはありません」 と固く口を閉ざす。 B子さんの相談相手で、江原氏の親代わりだった横川道夫さんが語る。 「B子は江原に散々な目にあった。彼女はスピリチュアルカウンセラーを目指していて江原の弟子になったのですが、結婚していたのに毎日『霊能者は独身でなければならない』と言われ離婚するよう勧められた。で、離婚したら『霊能者同士が世間を欺くために結婚することはある』と突然求婚された。B子は断り、9年間江原を手伝ったが、研究所を辞める前には相当虐待がひどくなっていた。 A子とB子はお互い虐待されるのを日常的に目撃している。B子は前夫との間に赤ちゃんがおり、誰かに預けないと仕事場へ行けなかった。それなのに江原は『そこらへんのベビーホテルにぶん投げてくればいいでしょ』と言われたとB子は怒っていた。そもそも江原は『自分が両親を早くなくしたので、将来孤児院を作るのが夢』と言っていた。それで私やB子も彼に惹かれたのに、こうして協力した人を裏切ってきた。 私が江原の仕事場へ顔を出すと皆が無視するので、おかしいなと思い、後でスタッフに聞いたら散々私の悪口を吹き込んで、『横川と口をきくな』と命じていた。たぶん邪魔になったんでしょう。江原が経歴で売り物にしている神主は、私が頭を下げ、親戚ということにして北澤八幡神社に入れてあげたのに、まったく恩知らずな人間です」 江原はスタッフに対し、お互いが事務的な会話以外しないよう指導し、スタッフ同士が親しくなるのを極度に嫌がったという。 江原氏は『CanCam』92年2月号で大々的に取り上げられ、『スピリチュアリズム研究所』に予約が殺到した。だが多忙を極める裏では、A子さんとB子さんへの暴行がエスカレートしていったようだ。 再びA子さんの証言。 「92年春の日曜日、研修会が終わった夕方に私とB子2人が研究所に呼び出されました。北澤八幡神社前のアパートから近所の戸建ての一階に移った後でした。いつもの反省会です。 2人並んで板の間に正座させられ、ずっと怒鳴られていたんですが、急に『神様の前で誓いなさい』と大きな神棚の前に直らされたんです。あたりはもう暗く、江原さんが神棚の蝋燭2本に火を点し、部屋の電気を消しました。蝋燭の明かりを背に私たちの前に仁王立ちになった江原さんは、突然『包丁持ってきなさい』と命じました。キッチンに行って文化包丁を取ってくると、その包丁を持たされ、『この包丁を使って死ね』と詰め寄ってきたんです。そして『今ここで血判状を書け!』と強要しました。 『今から死にますけれども、研究所には一切関係ありません。自分の意思で死にます』といった文面を書かされました。恐くて泣きながら、仕方なく従いました。 あまりの恐怖に、どこの指を切ったか覚えていないんですが、ただその血判状に捺印したことは間違いありません。江原さんはその神を大事そうに神棚の後ろに入れていました」 江原氏はその後、儀式をいったん中断し外出した。 白目を剥いてトランス状態に 「で、戻ってくるとちょっと機嫌が直っていたんです。それでまた小言を言い始めたんですが、突然江原さんの守護霊の昌清之命(マサキヨノミコト)が降霊してトランス状態になりました。正座して目が白目を剥いて、『何かを壊すのは簡単だ』と言ってました。しばらくすると元に戻り、また説教が始まり、明け方5時頃まで続きました」(同前) 「血判状事件」の後、A子さんとB子さんは新しく入った女性スタッフに「あなたたちが江原さんから受けている暴力は絶対おかしい」と説得され、やっと目が覚めたという。2人は92年秋に江原氏のもとを去り、以降一度も会っていない。 虐待されていたのは人間だけではない。 江原氏はペットの猫にも危害を加えていたという。シャム猫と三毛猫の雑種で、田中一美さんから90年2月に生まれた子猫を譲り受けた。敬愛するイギリスの作家コナン・ドイルに因んでコナンと名付けていた。 田中一美さんの夫の田中茂穂さんがこう語る。 「私がアパートの3階にあった江原の部屋にいたら、ドーンという物音がしたんです。急いで隣の部屋を覗いてみると、猫が仰向けで足をばたつかせてギャーギャー鳴いている。『何やってるんだ』と問いただすと、江原は『すみません、すみません』と、慌てて猫を抱えた。彼は神棚の脇の壁に、猫を投げてぶつけていたんです。立っていた場所から壁までは2メートルくらい。江原は『お袋さんには一切内緒にしてください』と言って、これ(口にチャックする仕草)ですよとしきりに言って、しまいには土下座して謝ったんです」 A子さんも猫虐待の現場を何度も目撃している。 「いつもは可愛がっているのに、怒ると猫の首根っこをわしづかみにして、壁に思いっきり叩きつけていました。他のスタッフも見ています。江原さんの目は吊り上り、怒り狂った表情。猫はぐったりしていました」 横川道夫さんによると、 「B子は、江原が3階のベランダから叩きつけるように猫を放り投げたところを見た。下はアスファルト。江原がその後自分で動物病院に連れて行ったそうです」 田中一美さんもこう言う。 「コナンが包帯巻いていたからどうしたのって聞いたら、江原君は『親父さんとの秘密になっています』と隠した。猫は肩が陥没し骨折してました。子猫でまだ体が柔らかいから、血が出る感じではなかった。肩にへこみが残り、ずっと右の前足をひきずって歩いていた」 A子さんは最後にこう締めくくった。 「江原さんの性格からすると、今の自分を妬んで足を引っ張っていると主張されると思いますが、私自身は満たされた生活を送っていますから、妬む気持ちはまったく無い。ただ彼のことを聞かれると、過去の事実を話さない限り自分自身の気持ちの整理がつかない。江原さんは、最初は尊敬できる存在でしたが、今は何とも思っていません。私にとっては空白の7年間で、とても嫌な思い出です」 そこで江原氏ご本人に事実関係を確認したところ、 「まったくの事実無根です」 と憮然として答え、こうまくし立てた。 「もしそうであれば映像なりしっかり証拠を出してください。当時のことは著書で包み隠さず書いています。そんな話は全部作り話で、そういった話をしている人はみんな“お仲間”で全員グルなんです。人をワナにはめようとする事はどうにでもできると思うんです。足の引っ張りあいというのはえげつないなぁと思いますよ。人が一生懸命頑張っているのをなぜ喜べないのか。今になってうまいことをやりやがってと思っているんでしょうけど、僕だけが表に出て、みたいなね」 2006.02.28 江原啓之 その5 [ 由実 ] 「もーっ、すっごい嘘つき」(松浦註・これもオネー言葉の発音なのだろう) 少なくともA子さん、横川さんと田中さんは今ではまったくの没交渉なのだが、江原氏はさらに続ける。 「ホントに人って汚い、嫌だねって思っていたところなんです。私はそういったところを抜け出たいです。純粋に生きたい。私は押さない頃両親を亡くし、ひとりで生きてきました。人にお世話になることもありますが、純粋なお世話ってっていうのはないんですね。要するに必ず裏があって、その人たちのメリットが何かある。それでなんだかんだと私を食い物にしようとする。私はその当時は未熟だった。今さらこんな話が出てきても驚かないですが、心境は複雑です。一方で、さわやかな気持ちもあるこれで本当の意味で、彼らとの関係は終わりにできるからです」 ――日常的な暴力は? 「ないです。たとえば注意を与えるとか、そういったことはあります。ここで私が言いたいのは、彼らがどういう意図や野心を持っているかなんです。言いたくないんだけども、その女性スタッフは霊能の仕事をしたかっただけなんでしょう」 ――茶碗を投げたことは? 「さまざまな事柄の中で、故意ではなく不意なこととか、そういうのがあったとしても(松浦註・つまり茶碗を投げつけたことを認めているのである)、故意にというのはありえません。(松浦註・偶然茶碗を「投げつけた」というのが、いかにもイノシシの呆れた弁明である)たとえばですよ、転んだということもそうじゃないですか(松浦註・意味不明である・転ぶことと茶碗を投げつけることがどう関係するのか・イノシシの言い分を認めるなら、どんなことをしても、どんな危害を人に加えても偶然で悪意はないことになってしまい、「自分は悪くない」ということになる)」 ――血判状については? 「それはありました。私の名前を使って客引きしたりするから、一切うちとは関わりありませんという風なことを書いてもらったんです。ただし指は切っていない。もーっ、すっごい嘘つき。目くじらを立てても始まらないけど、ちょっとおかしな人と関わりましたねということですね」 ――猫虐待については? 「信じられない。猫は住んでいたアパートの3階のベランダから遊んでいて落っこっちゃった。その治療が大変だったんですよ。壁にぶつけたなんてありえませんし、見ていたのならば、その証拠を出してください」 なんだか霊能者としての“力”以前の問題のような気がするのだが……。(引用終わり) 2006.03.09 TVタックル系民主党議員のバカたち 永田寿康 川村たかし 原口一博 [ カテゴリ未分類 ] 以下はウィキペディアより。 ● 永田寿康 1988年 慶應義塾志木高等学校卒業 1993年 東京大学工学部卒業、大蔵省入省 1995年 カリフォルニア大学ロサンゼルス校MBA課程へ留学 1999年 大蔵省退職・国会議員秘書となる 2000年 衆議院議員選挙に立候補し初当選。2003年は小選挙区で再選 2005年 第44回衆議院議員総選挙において、小選挙区で落選するも比例代表で復活当選、現在3期目 2005年12月18日、八千代市内での国政報告会で耐震強度偽装問題に触れ、「住民は火をつけたくてしょうがない、阪神大震災では激甚災害指定欲しさに被災者が火をつけてまわった」等と発言。発言内容を完全録音したCD-ROMを入手した東京スポーツの取材に対し、事実を認め謝罪した(東京スポーツ2006年1月8日付1面)。 (引用終わり) この永田という男は、テレビ朝日の『TVタックル』によく登場し、浅薄で投げやりな受け答えをする嫌な奴だといつも私は思っていた。特に、民主党が郵政改革(だったと思う)の党としての対案と国会に提出し、それについて片山さつきが質問に立ったことがある。杜撰な対案で、簡単に片山さつきにやり込められてしまっていたのだが、その受け答えに立ったのがこの永田寿康で、横柄傲慢不遜丸出しの人格欠陥をカメラに晒していた。 東大工学部卒の男がどうして大蔵省に入ったのか、不思議だった。この男の父親は福岡の病院長で、母親は東京で開業している医者。両親は離婚しているというが、父親は自民党の支持者だという。結局、よく見かける開業医のバカ息子なのだろう。 東大工学部・大蔵省だから「バカ」というのは不適切だという考えもあるかもしれないが、これまでの態度、今回の不祥事といい、大蔵省刻印入りのバカと断言できる。今日のニュースでは、この男、「無所属」で国会に登院したという。この男は小選挙区で落選し、党の比例配分で「当選」している。つまり、民主党候補でなければ国会議員にはなれなかったのだから、「無所属」で議員をやるというのは許されないだろう。ところが、あの通りだらしのない前原誠司のやっている党だから、それも「あり」なのだろう。 永田寿康の他にも、テレビを利用し、知名度を上げ、選挙を有利にやっている民主党議員として有名なのが、原口一博と川村たかしである。この二人は、刻印入りのバカ議員永田寿康の愚行を「擁護」しているのである。 以下は原口一博が出ている記事。 ● 堀江メール 首相「根拠ない情報」 永田氏は新証拠示さず 小泉純一郎首相は17日、衆院予算委員会の金融・ライブドア事件に関する集中審議で、民主党がライブドア前社長の堀江貴文被告から自民党の武部勤幹事長の二男に対する3000万円の送金を指示したと指摘したメールについて、「根拠のない情報をもとに一方的に攻撃している」と強く批判した。一方の民主党は同日夜、メールのコピーを公表したが、決定的な新証拠とは言えず、両党がそれぞれ懲罰動議を出し合うなど、対立は激化している。 「送金メール」について首相は「ガセネタをもとに人を傷つけることはいかがなものか」と述べ、メールの信ぴょう性を全面否定。民主党の原口一博氏が「ガセネタでなければ責任をとるか」とただすと、「常に責任をとる気持ちで政治をしている」と答えた。自民党の逢沢一郎幹事長代理も「武部氏の二男の口座には振り込み記録がない」として、前日に問題のメールの存在を指摘した永田寿康氏と民主党に対し、メールの送受信者や金銭の送金先と振込口座名などを明らかにするよう要求した。 これに対し民主党は、再び質問に立った永田氏が「メールがガセネタと信じた根拠はどこにあるのか」と迫ったが、首相は「武部氏から事実無根との報告を受けた。いまだにどういう情報かわからず、ガセネタと信じてもおかしくない」と答弁した。永田氏は新たな物証は示さなかった。 自民党は同日の予算委理事会で、民主党に対し振込口座名などの提示を要求。民主党は、国政調査権に基づく調査の発動を条件に提示する考えを示したが、自民党は「民主党が自ら証明すべきだ」として拒否した。 民主党の指摘が事実なら武部氏の進退問題は避けられず、政府・自民党は窮地に立たされるが、もし誤っていれば、メールの内容について「信頼性が高い」と発言した前原誠司代表を含む民主党全体の責任に波及しかねない情勢だ。 この問題で、堀江前社長は17日、東京拘置所で接見した弁護士に「そのようなメールを送ったことはない」と全面否定した。【須藤孝】 (毎日新聞) - 2月18日17時47分更新 ● 堀江氏支援 武部・竹中氏を標的 民主攻勢「ライブドア3兄弟」 ライブドア事件の捜査が進む中、同社前社長、堀江貴文容疑者を昨年の衆院選で支援した自民党の武部勤幹事長、竹中平蔵総務相への批判が二十六日も相次いだ。民主党は国会でライブドア事件を小泉純一郎首相の政治姿勢追及の材料とするとともに、武部、竹中両氏を標的に攻勢を強める一方、自民党各派の総会でも武部氏批判の声が上がった。 民主党は、ライブドア事件、耐震強度偽装事件、米国産牛肉の特定危険部位混入問題を「政権追及三点セット」として、国会論戦の序盤戦を押し気味に進めている。同党の野田佳彦国対委員長は記者会見で「ライブドア三兄弟」を追及すると宣言した。 「武部幹事長が弟だと思っている人(堀江容疑者)が容疑者になった。お父さんは小泉さん。兄弟はホリエモン、武部さん、竹中さん、この『ライブドア三兄弟』を焦点にしっかり議論していきたい」 民主党はさっそく同日の衆院予算委員会で竹中氏をヤリ玉に挙げた。原口一博氏は衆院選で広島6区から出馬した堀江容疑者の手を高々と挙げる竹中氏の写真をパネルで示し、「説明責任を果たすべきだ」と求めた。 さらに原口氏は、三年前に竹中氏が閣僚懇談会で各閣僚に対し、株価指数連動型投資信託(ETF)購入を「絶対もうかる」と勧めたとして「これはインサイダー取引やあるいは風説の流布と同じだ」と追及。竹中氏は全面的に否定したが、原口氏は「ある証券会社でETFのデモンストレーションをする予定だった」と攻め立てた。 一方、武部氏に対しては、自民党各派の総会でブーイングが起こった。 森喜朗元首相は森派総会で「間違ったことを人のせいにしたら同罪になるだけの話だ。謙虚に非は非と認め、どうリカバリーしていくかが大事だと、常に彼(武部氏)に注意していたつもりだ」と武部氏をたしなめた。 谷垣派でも「総選挙で堀江容疑者を利用した軽はずみさは武部幹事長個人の問題。率直にごめんなさいと言うべきだ」との批判が出た。旧堀内派の丹羽雄哉元厚相も「(堀江容疑者は)最初からゲテモノの感じがしたが、あの人気で若者の心をつかむのではないかということだった。(武部氏らが)ちょっとミスったかなという感じはする」と述べた。 小泉首相の“忠臣”である武部、竹中両氏への強まる批判は、回りまわって首相自身へのダメージにもなりそうだ。 (産経新聞) - 1月27日2時45分更新 上の新聞記事には出ていないが、原口はあのガセネタメールを国会で取り上げた永田を、 「みんながなかなか質問できないことをやった」 と誉め上げていたのだから恐れ入る。川村たかしもいつもの三河弁で永田を応援していた。 以下はウィキペディアより。 ● 河村たかし 平成14年(2002年)9月の代表選挙では、菅直人、鳩山由紀夫の二枚看板(いわいる「鳩菅体制」)に危機感を覚え、世代交代を図るため野田佳彦、前原誠司、松沢成文らと「第二期民主党をつくる有志の会」を結成する。平成17年(2005年)9月の民主党代表選挙に名乗りを上げたが、推薦人20人を確保できず(18名まで確保)、立候補を断念した。 名古屋弁丸出しで、自ら「名古屋から総理を狙う男」と公言している。選挙期間中は街宣車を極力使わず徒歩や自転車による街宣活動(本人曰く、「自転車街宣活動は自分が最初」と言っている。)を行い、庶民型政治家をアピールしている。メディアへの出演が多く、地方出身議員の中では知名度が高いといえる。 その表れか選挙となるとめっぽう強く第44回衆議院議員総選挙では惨敗した民主党の中で小選挙区で圧倒的な強さで議席を確保している。 河村の親友である衆議院議員西村真悟があるテレビ番組で語ったところによると、河村は春日一幸の秘書時代に、春日自身から夫と死別した愛娘と結婚する様に勧められたという。既に妻子があった河村が固辞したところ、春日は「そんなことは関係ない!」と語ったとされる。 ● 原口一博 テレビ朝日系「ビートたけしのTVタックル」や読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」など、メディアに積極的に出演し、民主党の若手の先鋒として、知名度は高い。民主党内ではエースの呼び声が高い。 PCをハッキングされ国会答弁の内容を消去されるなど、現在、日本政府も逆らえないような恐ろしい「闇の組織」と戦っていると主張する。また、「闇の組織」と政府とが繋がっている可能性を指摘。「闇の組織」を恐れずメディアで日本の暗部を告発し続けている。「闇の組織」は必ず黒い服を着ている、と指摘しており、堀江貴文の選挙戦の応援者が黒い服(Tシャツ等)を着ていたことから、「闇の組織」とライブドアとのつながりの可能性をも示唆し、「黒い服は着ない方が良い」と発言した。(引用終わり) (松浦註・その「闇の組織」とういのを証明できないのなら、原口は自分が誇大妄想狂という病気にかかっていないか、数少ないマトモな精神科医を探し出してから診察を求めたほうがいいだろう。) ● そういえば、スピリチュアルイノシシの崇拝者・室井佑月が、いつだったか、この川村に関して駄文を書いていた。 室井は『ヨミウリウィークリー』に連載を持っているのだが、ある日、名古屋の某有名食堂に息子を連れて行ったらしい。ところが長蛇の列。そこで室井は「知り合いの」川村たかし・国会議員に電話を入れて、列に並ばないで料理にありつけるように「口添え」を依頼した。川村は直ぐにその食堂(だったかレストランだかに)電話を入れて、店主と交渉し、室井親子を特別待遇にするように依頼・懇願(脅迫?)したらしいのだが、店主はにべも無く断ったという。その件を室井はダラダラと書き、川村には力がない、ダメだ、というような行間の「ご不満」を漏らしていた。 室井もバカなら川村たかしもバカ。しかし、こんなクダラナイ文章を誌面に載せる『ヨミウリウィークリー』の編集者が一番のバカなんだな、と思った。 「民主党支持」とういか、中畜・リベラル・官僚擦り寄り主義のテレビ朝日(朝日新聞)は、こうして愚劣な民主党3馬鹿(永田・川村・原口)といった連中を、自社の多くの番組で取り上げ、「選挙協力」をしているのだろう。 そういえば、永田寿康の卑劣さを報道することに関して、もっとも「熱心ではなかった」のがテレビ朝日ではなかっただろうか。 投稿者 restfultime 時刻: 17:20
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