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2010年11月25日(木) 牧野 洋
あなたは最高裁裁判官の名前を知っていますか? 最高裁判事の人事報道、日米で雲泥の差
「匿名」なのは検察官だけではない
衆議院総選挙の投票日に、投票所で国民審査の用紙を渡されて戸惑うことはないだろうか。不信任にしたい最高裁判事にバツ印を付ければならないのだが、手元に判断材料がないから何も書かないままにしてしまう。何も書かなければ信任票を投じたことになると分かっていても、である。
個人的にも次のような経験がある。
総選挙の日程が決まり、「今度こそ国民審査できちんと投票しよう」と自分に言い聞かせる。「大幅な1票の格差はおかしい」とかねて感じていたので、「1票の格差に合憲判断を出したことがある裁判官を不信任にしよう」と思う。
ところが、忙しさにかまけて下調べしないままで投票日を迎えてしまう。慌てて当日の朝刊を調べるが、案の定、1票の格差を合憲と認めたことがある裁判官が誰なのか、紙面のどこにも何も書いていない。
何日か前に、朝日新聞など主要紙が審査対象の裁判官についてアンケート調査していたはず---こう思ったが後の祭り。古い新聞紙はすでにゴミ箱行きになっている。調査結果はちらっとしか見ておらず、1票の格差について何が書いてあったのか、思い出せない。
投票所では、私のような有権者向けに参考資料がどこかに置いてないかどうか、念のためにチェックしてみる。何も見当たらない。投票用紙を見ても、そこには名前が書いてあるだけ。結局、全員にバツ印を付けて投票するか、無記入のまま投票するか、どちらかにせざるを得なくなる。
■無責任な大新聞の社説
ここで素朴な疑問がわく。アンケート調査の新聞記事を読んでいなければ、1票の格差について個々の最高裁判事がどんな考えを持っているのか分からないというのは、有権者の責任なのだろうか。
投票所で最高裁裁判官の名前を初めて目にする有権者も多いだろう。名前を知らないのであれば、過去にどんな裁判を手掛けたのかなど経歴を知る由もない。それも有権者の責任なのか。
言うまでもなく、個々の有権者が自分で意識的に調べる責任はある。だが、「権力vs国民」で見た場合、情報で圧倒的に有利なのは権力側だ。この情報格差を埋める役割を担っているのが報道機関である。
ジャーナリズムの重要な機能は「権力のチェック」だ。司法は行政、立法と並んで3権の一翼を担う巨大権力であり、その頂点に位置するのが最高裁裁判官。報道機関が大臣や国会議員を監視するのと同じように、最高裁裁判官を監視するのも当然のことではないのか。
大新聞はそうは思っていないようだ。昨年8月末の総選挙前、主要各紙は国民審査について社説で取り上げている。
まずは同月28日付の読売新聞。
< 裁判官の氏名すら知らず、判断のしようがない、という人も多いだろう。『形骸化した制度』と指摘されるゆえんである。(中略)過去の主な判例は最高裁のホームページで検索できる。審査の前に閲覧してみてはどうだろう >
最高裁裁判官についての自らの報道が十分であったかどうかには触れずに、有権者である読者に自助努力を求めているということだ。
次は同月27日付の日本経済新聞。
< 審査対象の裁判官にまつわる情報の開示・提供が少なすぎる。(中略)せっかく元のデータは整っているのだから、膨大な情報でも簡単に提供できるインターネットの特性を利用する広報の手法を考えてはどうだろう >
■なぜ最高裁を取材しないのか
最高裁裁判官について有権者が無知なのは、新聞報道が足りないというよりも、政府広報が足りないからというわけだ。
最後は同月26日付の朝日新聞。
< 国民審査の形骸化より基本的な問題は、彼らが国民からまったく見えない密室の中で選ばれてきていることではあるまいか。(中略)どんな仕事をしてきた人がどんな理由で選ばれたのか、国民は知らされない。国民審査が形骸化している原因はこうしたことにある >
どんな最高裁裁判官がどのように選ばれているのかが一般に知られていない原因は、政府の秘密主義であると指摘しているのだ。
放っておけば権力は秘密主義に走る---これは古今東西変わらない。情報の独占は権力側の力の源泉だ。国民が無知であればあるほど好都合。国民の前にすべてを洗いざらいさらけ出してしまったら、好き勝手に行動できなくなる。
だからこそ「第4の権力」、つまり報道機関に期待が集まる。行政、立法、司法の3権が何をやっているのか徹底的に調べ、広く世の中に向けて伝えることで、権力と国民の間の情報格差を埋めていく機能を果たすわけだ。
ところが、国民審査に際して大新聞は「広報活動を拡充すべき」「透明性を向上すべき」といった内容の社説を書き、権力側の対応に期待を寄せるだけだ。「国民の無知」を力の源泉にする権力側が自主的に権限を手放すと思っているのか。それとも権力側と一体化してしまい、権力のチェック役として立場を忘れてしまったのか。
新聞記者は、夜討ち・朝駆けで血のにじむような思いをしながら、守秘義務を負う検察官から捜査情報を聞き出し、「特ダネ」を仕入れている。その気になれば最高裁の取材でも「密室」をこじ開け、どのような理由でどんな長官や判事が選ばれるのか明らかにできるはずだ。情報公開制度を活用するなど調査報道の手法も取り入れればより効果的だ。
例えば、昨年5月27日付のロサンゼルス・タイムズの1面トップ記事。大統領のバラク・オバマがヒスパニック系のソニア・ソトマイヨールを最高裁判事に指名したのを受け、全6段ぶち抜きで「最高裁判事に初のヒスパニック」と伝えている。
中面でも見開き2ページを使い、ソトマイヨール関連記事で埋め尽くしている。そのうちの1つは「貧しいニューヨーク・ブロンクス地区からアイビーリーグへ」との見出しを掲げ、彼女の生い立ちに焦点を当てる長文記事だった。
■1面トップ4段抜きで報道
ソトマイヨール指名を特大の扱いで伝えたのは一般紙に限らなかった。経済専門紙ウォールストリート・ジャーナルも、同日付けの1面トップ記事としてソトマイヨール指名を報じている。同紙としては最大の4段抜きの扱いだった。
ロサンゼルス・タイムズ同様に、ウォールストリート・ジャーナルも中面でも詳細に報道。彼女が地裁と高裁判事を務めていた時代にどんな判決を下したのかを詳細に調べたうえで、「過去の判決を見るとリベラル中道派」「民主党寄りであるのに企業に有利な判決を書く傾向がある」などと指摘している。
ソトマイヨールはヒスパニック系ということで話題を集めたが、そうでなくても主要紙は最高裁判事の人事を特大の扱いで伝えている。
今年4月9日に最高裁判事のジョン・ポール・スティーブンスが退任を表明した時だ。ニューヨーク・タイムズは翌日10日付の1面トップで4段抜きの記事を掲載し、「スティーブンス判事退任、オバマに2度目の指名のチャンス」と伝えている。
中面でもスティーブンス退任関連で見開き2ページを埋めている。そこで用意した「34年間の最高裁判事時代にスティーブンスが関与した主な裁判一覧」が圧巻だ。国旗の焼却や囚人の権利、言論の自由など主要7裁判について、長官も含め最高裁判事9人がそれぞれどんな判決を下してきたのか一目で分かるのである。
ちなみに、オバマが5月10日にスティーブンスの後任判事として元ハーバード大学ロースクール学長のエレナ・ケイガンを指名した時にも、主要紙は特大ニュースとして1面トップで報道している
翌日付のニューヨーク・タイムズはスティーブンス退任時と同様に、中面でも見開き2ページでケイガン指名関連報道を全面展開。目玉は、彼女の人生をカラフルに描いたフィーチャー記事「現実主義のニューヨーカー」。高校時代の写真のほか、影響を受けた人の写真なども満載で、日経文化面の「私の履歴書」を彷彿とさせる内容だった。
同紙は、ホワイトハウスが積極的に情報開示してくれたから紙面上で大きな扱いにしたのではない。独自の取材で情報を集めて1面トップ記事にしたのである。
■日本の最高裁判事人事はベタ記事扱い
ソトマイヨール、スティーブンス、ケイガンの3人は最高裁判事であり、最高裁長官ではない。比較のため、日本の最高裁判事(長官ではない)の人事がどう報じられているのか点検してみた。今年は新たに4人が最高裁判事に任命されており、直近では5月14日に新任判事に内定した大谷剛彦だ。
読売、朝日、毎日、日経の4紙を見ると、同日付の夕刊で一斉に新判事内定のニュースを伝えている。そろって「ベタ記事」である。1段見出しの記事で最小の扱いということだ。しかも1面ではなく中面の記事にしている。
それから1カ月にわたって新判事・大谷についての続報はなかった。取材時間が十分にあったにもかかわらず、4紙は彼がどんな教育を受け、地裁や高裁時代にどんな判決に関与したのか、何も報じなかったわけだ。
大谷が6月17日に正式に最高裁判事に就任すると、4紙は続報を打った。彼が最高裁内で就任記者会見を開いたからだ。翌日18日付朝刊で読売と日経、同日付夕刊で朝日が会見内容を伝えている。そろってベタ記事で、やはり中面に掲載していた。毎日は他紙より5日遅れの23日付朝刊の中面で追いかけた。
さすがに最高裁長官になると、紙面上の扱いはやや大きくなる。現在の長官である竹崎博允が新長官に内定した時も、主要紙は1面ニュースとして伝えている。だが、アメリカの新聞が最高裁判事の人事でも大騒ぎするのと比べると、見劣りする。就任記者会見の様子など、司法記者クラブ内での発表を処理するだけで完成するような記事が多いのだ。
■リーク依存型取材では裁判官報道は価値がない
裁判官報道をめぐり日米で雲泥の差が出るのは、最高裁裁判官の人事にとどまらない。前回の記事(「村上ファンド、ライブドア事件報道を検証」でも書いたように、刑事裁判などの報道でも大きな違いが出る。なぜなのか。
裁判所を取材しても、「最高裁は〜裁判で合憲判決を出す方針で一致し、週明けにも発表する」「東京地裁は〜事件で検察側の主張を認め、あすにも被告に有罪を言い渡す」といったニュースを書けない。裁判官が判決情報を事前にリークすることはないから、いずれ発表になるニュースを先取りする「発表先取り型」が機能しない。
リーク依存型の特ダネ競争を展開する記者にしてみれば、取材対象として裁判官の利用価値は低いわけだ。逆に言えば、遠慮なく裁判官について書いてもかまわないはずだ。裁判所に出入り禁止にされても、「発表先取り型」で他紙に抜かれる心配はないのだから。
にもかかわらず裁判官報道は乏しい。最高裁裁判官が大きな写真入りで主要紙の1面トップを飾ることなどほとんどないため、最高裁判事はもとより最高裁長官の名前すら知らない人が多い。司法権の最高責任者であり、行政権の最高責任者である内閣総理大臣と同じ報酬をもらっているのに、である。
日本の新聞界には、いわゆる「日付モノ」が重宝されるなど速報ニュース史上主義がある。ニュース解説やフィーチャー記事、調査報道は軽視されがちだ。裁判官の「人モノ」を書いても1面トップにはまずならない。「裁判官は人間味に欠けて面白くない」「世の中を変えるような判決を書く裁判官がいない」などと言われているからなおさらだ。
新聞記者時代、私は司法記者クラブに所属したことがなく、裁判を直接取材する機会がなかった。だが、仮に同記者クラブ員だったとしても、裁判官の人モノを書くことはなかっただろう。「そんな余裕があるならニュースを取ってこい」と言われたにちがいない。
■没になった「最高裁裁判官ランキング」
ただ、1999年から4年間は新聞ではなく雑誌の編集委員で、比較的自由に取材できた。司法記者クラブに所属しなくとも司法関係の記事を書くことは可能で、実際、2000年の衆院総選挙直前も含めて「最高裁裁判官ランキング」の特集企画を何度も提案した。個々の裁判官について生い立ちも含めて丸裸にし、国民審査に役立てようと思ったのだ。
特に、民主主義の根幹にかかわる1票の格差問題に迫りたかった。個々の最高裁裁判官に取材しても、1票の格差についてどう考えているのか踏み込んで語ることはなかっただろう。しかし、過去に同じ職場で働いた同僚のほか、法廷の場で同じ裁判にかかわった検察官や弁護士らに広範に取材すれば、どんな思想を持っているのかある程度は分かったはずだ。
だが、「最高裁裁判官ランキング」が特集に採用されることはなかった。特集どころか、通常の記事にもならなかった。不採用の理由として言われたのは「最高裁裁判官を評点する格好になると、政治的な色が付いてしまい、まずいのではないか」だった。
少なくともアメリカの新聞はそうしている。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1628
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