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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20101111-00000303-chuokou-pol
ネット空間が第二の天安門広場になる(その1)=遠藤誉
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「08憲章」と劉暁波のノーベル平和賞受賞を読み解く
二〇〇八年十二月九日、中国のインターネット空間に衝撃が走った。中国共産党の一党独裁を「党の天下」と名付けて糾弾し、三権分立に基づく立憲民主制の枠組みの下で、中華人民共和国ならぬ中華連邦共和国を樹立すべきだと訴えた「08憲章」なるものが出現したからである。起草の中心人物は劉暁波。国家政権転覆煽動罪で二〇一〇年二月九日に懲役一一年の実刑が決まり現在服役中だ。その劉暁波氏が十月八日にノーベル平和賞を受賞した。それに対して中国政府は猛烈に反発している。本稿では「08憲章」とは何かという説明から始め、誕生の背景、影響および国内事情などを考察して、今後の姿を展望したい。
■「08憲章」とは何か
まず、なぜ「08憲章」という名称が付いているかというと、二〇〇八年にネット公開したからである。正式には「零八憲章」だが、ここでは便宜のため「08憲章」で統一することとする。発布の日付は二〇〇八年十二月十日。しかし起草者に身の危険が迫っていることが予感されただけでなく、発表自体も危ぶまれたため、前日の九日に公開された。その懸念は的中し、劉暁波氏は八日に拘束され、その翌日から彼の家も厳重な監視下に入る。間一髪の判断で日の目を見たという、最初からギリギリの滑り出しだったといえる。
「08憲章」は「まえがき」「われわれの基本理念」「われわれの基本的主張」「結語」から構成されている。
「まえがき」にもある通り、二〇〇八年は中国立憲一〇〇周年、「世界人権宣言」公布六〇周年、「民主の壁」誕生三〇周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名してから一〇周年に当たる年である。その意味で、後に述べる社会情勢、特にネット言論の盛り上がり以外にも、二〇〇八年に発表する十分な理由があった。特に十二月十日を発布日としているのは、世界人権宣言の一九四八年十二月十日に合わせたかったからだろう。
「まえがき」ではさらに、中国が改革開放により経済発展を遂げ、二〇〇四年の憲法改正により「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだり、また二〇〇八年に「国家人権行動計画」を制定し実行することを約束したりなどしたが、「こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている」としている。
「われわれの基本理念」では、「自由、人権、平等、共和、民主、憲政」に関して理念を掲げ、憲法で文言上は保障されているはずのものが、実際は共産党と政府の管轄下における自由と権利でしかないことを指摘している。
「われわれの基本的主張」では「権力分立(三権分立)」「司法の独立(共産党の管轄下からの独立)」「公器公用(軍隊が共産党の管轄下にあることを批判し、国家化を主張)」「公民教育(一党統治への奉仕や濃厚なイデオロギー的色彩の政治教育と政治試験廃止)」などを中心として、一九項目にわたって言論の自由や人権保障を主張している。
中でも注目されるのは一八番目の「連邦共和」に関する主張に「責任ある大国のイメージを作る」と「立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国を樹立する」という文言があることだろう。「中華人民共和国」という国名の中の「人民」が「共産党」に置き換えられているという批判が背後にある。これは憲法の「国家転覆」の罪に抵触するであろうことは容易に想像がつく。
「結語」では「政治の民主改革はもう後には延ばせない」と結んでいる。
■「08憲章」発表の背景
「08憲章」が誕生した二〇〇八年は改革開放から三〇周年の節目でもあった。その前年にネットパワーが爆発したこともあり、その分だけ政府によるネット検閲が激しくなった年でもある。
それを証明するかのようにネット空間で秘かに出回っていたリポートがあった。それは「維権網」(Chinese Human Rights Defenders、人権保護サイトhttp://crd-net.org/)という人権保護組織が調査し二〇〇八年七月十日に発表した「官民争奪網絡空間又一年─中国網絡監控与反監控年度報告(2007)」だ。簡単に言えば「ネット空間官民争奪戦」ということになろうか。中国政府側が、どのような検閲を行っているかを暴露したリポートで、中国国内では特殊技術を使ってアクセスするか、あるいは海外からアクセスする以外にない“GFW BLOG”というページに載っていた。「GFW」とは“Great Firewall of China”の略称で、「中国」という国家のネット空間の周りに築かれた、世界一強力なファイアーウォール(防火)のこと。「万里の長城(Great Wall of China)」になぞらえて、「中国防火長城」「中国防火」とも呼ばれている。その目的は、主として「敏感な政治内容に言及しているウェブサイト」「IPアドレス」「政治的に“有害”なキーワード」およびその「URL」等を検知しフィルタリングすることにある。もちろん青少年に有害な猥褻情報を遮断する役目をしているのはいうまでもない。これにより、あるサイトは永久に封鎖され、あるものは臨機応変に検閲されて削除される。つまり「自動検閲」システムである。
なぜ二〇〇七年にネット検閲が強化されたかというと、「十七大」(中国共産党第一七回全国代表大会)が開催されたからである。胡錦濤にとっては国家主席として二期目を迎える非常に重大な大会であったため、いかなる社会問題も起こさずに無事に過ごすことが不可欠だった。
検閲のあまりの激しさに、ネットでは「私たちは個人の尊厳を享受したいと望んでいる。私の文章はネット警察によって消されてしまったが、尊厳のために我々は“ネット蜂起”を起こそうではないか!」(ハンドルネーム:漢尼抜、発表日:二〇〇八年七月二日)などという書き込みもあり、ネット言論検閲への不満は爆発寸前だった。そうでなくとも貧富の格差が大きいだけでなく官が大企業と結びついて特権をほしいままに享受し私腹を肥やしている現状に中国の庶民は大いなる不満を抱いている。そのため網民(ネット市民)は庶民の代弁者として改善を求める膨大な書き込みを行っているのだが、“有害ワード”が次々と検閲に遭い削除されていく。「これが民主と言えるのか」「言論の自由は与えられるものか、それとも勝ち取るものなのか」といった網民の不満が「08憲章」誕生のネット環境にはあった。
■署名者への取材が実現
筆者はこの時ちょうど「日経ビジネスオンライン」で「ネットは『中国式民主主義』を生むか?」というタイトルの連載をしていたので、ネット公開された「08憲章」署名者の一人、鉄流氏と連絡を取り北京に会いに行った。なぜなら彼は「五七運動」の犠牲者の一人でもあったからである。
「五七運動」というのは一九五七年に毛沢東が起こした反右派闘争で、前年に知識人に自由な発言を許しておきながら、発言者約五〇万人を右派として逮捕し、その後二十数年にわたって投獄した事件だ。二〇〇七年はその五〇周年だったが、いまだに名誉回復されないどころか公安に尾行されながら日常生活を送っている人々もおり、その不満が目立つようになっていた。鉄流氏はすでに残り少なくなっている生存者を集めて『往事微痕』という文集を編集している。その第一号が二〇〇八年七月十日に内部出版されたばかりだ。「ネット空間官民争奪戦」がネットに現れたのと同じ日である。
鉄流氏に、まず署名のいきさつを聞いてみた。すると「“08憲章”がネットで公表されるかなり前に、“五七老人”仲間から、『こんな憲章が回ってきたが署名しないか』という誘いがあった。読んでみると自分が言いたかったことがすべて書いてあったので、躊躇なく署名した」のだという。なるほど、そうでないと、公表した時点で三〇三名もの署名者がいるはずがない。
しかし現在の中国で、このような文書に実名を出すというのは命懸けで、子供や孫の代にまで影響を及ぼすはずである。これに関して鉄流氏は「いや、自分はもう七十六歳。それに公安には半世紀も前からつけねらわれているから同じことさ」と苦笑した。
筆者はさらに、鉄流氏に紹介され、共産党の老幹部ですでに八十八歳になっていた謝韜氏に会う機会に恵まれた。中国人民大学の副学長や政府のシンクタンク中国社会科学院社会科学文献出版社の編集長などの要職に就いた経験がありながら、「民主社会主義モデルと中国の前途」(二〇〇七年二月、雑誌『炎黄春秋』に掲載)などで歯に衣着せぬ政権批判を展開している。その謝韜氏はしかし、「08憲章」に話が及ぶと、困ったように首を振りながら次のように語った。
「う〜ん、あれねぇ。精神も理念もいいんだけれど、ちょっと非現実的かなぁ……。本当に改革を行おうと思えば、もう少し実現できる方法で攻めていかないとねぇ」というのだ。「劉暁波の理念がまちがっているわけではないが、いや、正しいんですよ。しかしあの建議の仕方は、あくまでも西洋思想に基づいた民主主義のやり方で、西洋の民主だけが“民主”のあり方のすべてではない。中国がまちがっているのは経済体制改革だけを優先して、政治体制改革を後回しにしてしまったところにあるわけで……」と言葉を濁した。
なるほど。そういう見方があるのか─。この考え方は、劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞した後に公開された、中国共産党長老たちによる公開書簡にも一脈通じるものがあるように思われる。これに関しては後述する。
■空白の一二日間
では、中国政府は「08憲章」に対して、ネット公開時点でどのように反応したのだろうか。
実は非常に摩訶不思議なことが起こっている。誰が見てもこれはまずいことになるだろうと思っていた「08憲章」だが、政府はその中心人物である劉暁波氏を公開前に拘束しておきながら、厳しいネット言論の検閲の下、なんと一二日間も「08憲章」をネット空間から削除せずにいたのである。
筆者は当初はその理由がわからず「わざと放任して署名者が増えていくのを追いかけ、後で逮捕するために泳がせている可能性がある」と日経ビジネスオンラインの連載記事で推測した。
ネット空間が第二の天安門広場になる(その2)=遠藤誉
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しかし、実際は必ずしもそういうことではなかったようだ。
二〇〇九年一月十五日付の「博訊」(http://www.peacehall.com/)によれば、「08憲章」の内容があまりに「政治的に敏感な」問題であったため、どの部局も責任を持ちたがらず、次々と上に報告して判断を仰ぎ、ついに胡錦濤国家主席の手元にまで上がっていったらしい。どう扱うべきか何度か会議が開かれ、十二月二十日前後に開かれた中共中央政治局会議では「これは(一九八九年六月四日の)六四天安門事件以来の中国共産党に対する宣戦布告だ!」と叫び出す者がいたが、胡錦濤は「我が党の転覆を図るような(外部敵対)勢力には絶対に手を緩めてはならない。しかし群衆の中から沸き起こった体制内の異なる意見に関してはまず聞き、その後意思疎通をして教育あるいは批判をしていかなければならない」という慎重な姿勢を示したようだ。民意の把握と、騒ぎすぎるとかえってことを荒立てるということだろう。
これを受けて、鉄流氏らに対する公安の事情聴取が行われた。ネットで公開された後の「08憲章」署名者の数は、この一人一人に対する事情聴取と劉暁波氏の拘束により伸び悩んだ。もちろん実名署名は命懸けだ。そうでなくとも躊躇する。
政府は爆発する恐れは低いと見たのだろう。「08憲章」公開の一二日目になって、憲章を広めることはもちろん、「08憲章」に対する批判さえ許さないという厳しい禁止令を発したのである。「08憲章」に関するものはすべて削除し、「無視」を決め込んだということだ。
■なぜノーベル平和賞の決定に激しく反発するのか
二〇一〇年十月八日の、劉暁波氏にノーベル平和賞が授与される決定に対する中国政府の反応は迅速だった。迷うことなく抗議を表明し、獄中の罪人にノーベル平和賞を授与するというのは同賞への「冒涜」であるとさえ断言して非難した。
胡錦濤には「硬的更硬 軟的更軟」(強硬に対処すべきものにはさらに強硬に、柔軟に対処するものにはさらに柔軟に)という基本姿勢があるが、体制内問題でない以上、断固として「硬的更硬」に属する事柄であった。したがって、これに関しては一歩たりとも譲る気持ちはない。
ネット情報だけでなく電子メールに至るまで、「劉暁波」だろうと「08憲章」だろうと、はたまた「ノーベル平和賞」だろうと、新華社等が配信した政府見解以外は、そのかけらがあるだけでもすべて削除されてしまう。それほどに徹底したのだ。
そこには「国際敵対勢力の内政干渉」、すなわち「外国からの干渉」に対する激しい反応が見て取れる。
中国政府から見れば劉暁波は一九八九年の六四天安門事件の時から学生を支持し、その後の反体制的な執筆活動等で何度も投獄された経験がある重大な政治犯。そういう人物にノーベル平和賞を授与するということは、「外国」による「内政干渉」以外の何物でもないのである。特にアメリカのオバマ大統領は劉暁波氏の受賞を高く評価しただけでなく氏の釈放を要求する声明を出している。これこそまさに「国際敵対勢力による内政干渉」の典型と位置づけられた。
そうでなくとも二〇一〇年二月九日に北京市高級人民法院が出した判決文では、劉暁波氏の銀行口座への海外からの送金記録が明らかにされている。これはひとつには海外にいる民主活動家からの支援があったと推測されるが、実際には海外のウェブサイトへの投稿に対する原稿料のほうが多いのかもしれない。劉暁波氏が「中共の独裁愛国主義」や「多面的な中共独裁」など共産党の一党独裁を非難する数多くの文章を「大紀元(http://www.epochtimes.com)」「観察(http://www.observechina.net)」「民主中国(http://www.minzhuzhongguo.org)」「独立中文筆会(http://www.chinesepen.org)」等、海外にサーバーがある数多くのウェブサイトに投稿していた記録が、押収されたパソコンから明らかにされている。海外にいる華人華僑団体のものであっても、そこには必ず当該国の民主活動家の支援、あるいは当該国政府の後押しがあるとみなされ、「国際敵対勢力」による中国の治世への干渉だと位置づけられるのである。
なぜここまで「国際敵対勢力」であるか否かを峻別する必要があるかというと、一九八九年の天安門事件は、「改革開放」した「窓」から入ってきた「西洋の民主化概念」によるものだと位置づけられているからだ。「窓を開ければ蝿だって入ってくるさ」と高を括っていた小平も、西洋文明の魅力に惑わされて天安門で民主化を叫ぶ若者たちに銃を向けた。
この天安門事件の再来ほど、政府にとって怖いものはない。それを防ぐために、その後国家主席になる江沢民の提唱により一九九一年から「愛国主義教育」を始めたが、その理念は当初、「“崇洋媚外”をやめ、中華民族の伝統的な文明を愛そう」というものであった。“崇洋媚外”とは「西洋を崇拝し、外国に媚びる」という意味だ。しかしこの「愛国」はやがて「国の礎である抗日戦争において中国共産党がいかに偉大に闘ったか」という教えへと変貌していき、今日の若者たちの激情的な反日感情を醸成する結果を招き、反日デモなどにより政府を悩ませている。国内矛盾を数多く抱えている政府としては、いかなるデモであれ、暴走すればその矛先が政府自身に向かってくることを知っているのだ。だから一昔前のように官製デモを仕掛けることはなく、また学生デモを非常に恐れている。
■毛沢東の元秘書らによる政府批判の公開書簡
二〇一〇年十月十一日、毛沢東の秘書を務めていた李鋭(九十七歳)をはじめとする中国共産党元幹部ら二三名が発起人となった公開書簡がネットで発表された。宛先は、全国人民代表大会常務委員会で、憲法第三五条に謳われている言論出版等の自由を真に実現し、政治体制改革を急げというものである。公開日から見て、劉暁波氏のノーベル平和賞受賞と関係するかのように思われるが、実は違う。なぜなら書簡の日付は十月一日となっているからだ。事実、この書簡の背景に関して、発起人の一人である鉄流氏は「謝朝平事件」(謝朝平氏は中国のノンフィクション作家で、三峡ダム建設をめぐって政府を批判する本を出版して拘束された)を挙げている。
この公開書簡が注目されるのは、言論弾圧の黒幕として「中宣部」(中国共産党中央宣伝部)を果敢に糾弾していることだ。そして何よりも、温家宝総理の言動さえ削除するという暴挙に出ていることを暴露している点だろう。中宣部は国家総理や国務院の上に立つのかと厳しく糾弾している。
温家宝は周恩来に匹敵するほど庶民に慕われている「親民政治家」だ。政治体制改革を唱えて憚らない。そのため最近では、胡錦濤国家主席さえもある程度距離を保つようになった。
この公開書簡は中国のネット空間からはすばやく削除されたが、長老たちは誰も拘束されたり逮捕されたりはしていない。彼らを拘束もしくは逮捕するには、公安や警察の判断ではなく、中共中央政治局といった高いレベルの判断が要求されることもあろうが、「総理や国務院の上に立っている」という中宣部をストレートに批判する過激な文言を載せたというのに、長老たちは「体制内の問題」として扱われる傾向にある。「国際敵対勢力」の有無と批判の仕方によって、扱いが異なるのである。
もっとも、これも胡─温体制の下であって、二年後には江沢民がサポートする習近平が国家主席の座に就くであろうことが、十月十八日に閉幕した中国共産党中央委員会五中全会で明らかになったので、事態はまた「硬」のほうに傾いていくかもしれない。なぜなら中宣部に隠然たる力を持っているのは江沢民とその一派だからだ。
今や中国政府が最も警戒している天安門事件の再来は、すでにその陣地を天安門広場からネット空間に移している。劉暁波氏が実刑判決を受けた理由のひとつにも「迅速にして広範な伝達力を持つインターネットという手段を用いた」ことが判決文の中に明記されているほどだ。もちろん「08憲章」だけでなく、李鋭らの公開書簡もネット空間に放たれたものであり、尖閣諸島問題に端を発した反日デモの呼び掛けもまたネット空間で行われている。
二〇一〇年七月の統計によれば、中国のネット人口は四・二億人。その約六〇%が改革開放後に生まれた「一人っ子」たちだ。地方政府高官の腐敗などを暴いて懲戒免職や党籍剥奪にまで追い込み、官側の「ネット恐怖症」さえ招いている。ここ数年、毎年起きる社会的な重大事件のうち、約三〇%はネットの炎上により政府を突き上げ、法規見直し等を含めた解決へと持ち込んでいる。
しかしそんな若者たちは「民主化」のような「政治体制改革」にはそれほど強い関心を示していない。彼らの関心事はもっぱら就職問題やマイホーム、マイカーなど、個人の日常生活を豊かにしてくれるか否かという身近な問題に集中している。
それはなぜか─。
小平は改革開放にあたり、経済体制改革とともに政治体制改革も必要だと述べていたが、政治体制改革のほうは天安門事件により封印されてしまったからだ。そして中華人民共和国誕生以来叫ばれてきた「向前看(前に向かって進め)」は同じ発音の「向銭看(銭に向かって進め)」に置き換えられた。そのため改革開放後に生まれた若者たちの権利意識は高くなったものの、「08憲章」的民主主義へと突進する環境には必ずしもないのである。
しかし社会に不満を抱いている若者たちが反日をきっかけにネット空間から飛び出しリアル空間で爆発した時には、政府のコントロールはきかなくなる。「愛国無罪」で防備している若者を過度に抑えればかえって反発を招くし、放置すれば矛先は必ず政府へと向かうからだ。この度の反日デモにおいてもそれは現実のものとなった。
だからこそ九月十八日にはあらかじめ反日デモを規制しながら、その埋め合わせとして中国政府は対日強硬策を取った。十月十六日から学生たちが起こした一連の反日デモは、中国政府にとっては最も起きてほしくなかった現象である。ノーベル平和賞が決まった後でもあり、五中全会開催中でもあったからだ。
既得権益を擁護する江沢民派閥が背後にいる次期習政権は、ネット検閲をさらに強化し政治体制改革を遅らせるのか、そして若者たちの権利意識と社会不満が、果たして「08憲章」的な「民主」と結びつくところまで膨らむのか、中国の動向に注目していきたい。
(了)
えんどうほまれ=筑波大学名誉教授
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