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「近代の超克」と京都学派 「八百長」で動く官民関係 日本社会に遍在する「相撲部屋」的構造
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/887.html
投稿者 tea 日時 2011 年 2 月 11 日 04:39:51: 1W1IXELjjF6i2
 

池田信夫は、社会の八百長体質を日本の暗黙知の伝統芸として、明示的ルール化(法制化による脱構築?)を奨めているが、必ずしも、それが人々の幸福につながるとは限らないだろう。

ただ彼の指摘するように孤族化も含めて、ヒトのアトム化は経済発展の必然として肯定的?に捉える方が、前向きな態度かもしれない。

「近代の超克」と京都学派 「八百長」で動く官民関係 日本社会に遍在する「相撲部屋」的構造
2011年02月09日 14:54
「近代の超克」と京都学派
首相のいう「平成の開国」を本当に実行するには、明治維新以来の近代化を見直す必要がある。そういう思想的な試みは、何度も繰り返されてきた。「近代の超克」をめぐる座談会はその一つだが、こうした「日本主義」は結果的には「大東亜共栄圏」のような夜郎自大になって戦争に利用された。ただ本書も示すように、よくも悪くもこの座談会の問題意識は、非西欧圏の「オリエンタリズム」に対する両義的な態度を典型的に示している。東北大学で教え たカール・レーヴィットは「日本の学生は2階建ての家に住んでいる。1階では日本人らしく考え、2階ではプラトンからハイデガーに至るまでの西洋の学識を 学んでいる。彼らは1階と2階をどうやって自在に行き来できるのだろうか」と言ったそうだが、これは現代の日本人にも当てはまる。コミュニタリアン的にいえば、日本人は 日本の価値基準で行動すればいいのだから、欧米の個人主義に迎合する必要はないということになるが、問題はその「日本的価値」がもう自明ではなくなってい ることだ。サンデルも指摘するように、思想の価値はその経済的メリットで評価すべきではないが、どういう思想が生き残るかはその経済的帰結で決まる。日本 型コーポラティズムが一時期、「人本主義」などと賞賛されたのも、日本企業の業績がよかったからにすぎない。日本経済の行き詰まりが示しているのは、官民や企業の長期的関係に依存する「1階」部分の調整メカニズムがもう崩れているということだ。日本人が組織に依 存して生きているという神話も、昨今の選挙で「無党派層」が圧倒的な影響力をもつようになったのを見ると疑わしい。好むと好まざるとにかかわらず、日本社 会は流動化しており、この流れは不可逆である。それを「無縁社会」とか「孤族」などというノスタルジアで語るのは、NHKや朝日新聞の老人だけだろう。むしろ本書も指摘するように、デジタル技術は西欧近代をも超えて「個人」をさらに解体しているのかもしれない。ケータイで膨大な情報や体験を共有する若者は、仮想的に一つの身体で行動している。ケータイは彼らにとって、義手や義足のように身体の一部になっている。近代的自我を定義する身体の自己同一性は、もはや自明ではない。脳科学も明らかにしたように、もともと<私>は1000億のニューロンを同期させるための幻想にすぎない。近代的自我の起源をこのような身体性にもとづく所有権に求めたのはヘーゲルだ が、市民的な身体性が失われると所有権の自明性も失われる。それが今まさにインターネットで起こっている変化である。東洋が今後の100年で西洋を leapfrogできる可能性があるとすれば、「知的財産権」を否定して個人という幻想をウェブに溶解させることかもしれない。本書の問題意識は古色蒼然 としているが、近代を相対化するヒントにはなろう。


2011年02月10日 21:31 IT
三菱電機とテレビ局の八百長
読売新聞によれば、三菱電機と東芝がDVR(デジタル録画機)でCMをカットする機能をなくす方針だという。三菱については他社も確認したようだ。これはつまらない事件だが、日本の会社がなぜだめになるかをよく示している。
欧米では、テレビはすでにオンデマンドで見るものだ。ケーブルTVやISPがテレビ番組をサーバに蓄積するネットワークDVRのサービスをしており、DVRはもう絶滅危惧種である。ところが日本では、最高裁が「自分の機材で自分が見るだけでも自動公衆送信だ」という判決を出して、個人のDVRで録画するサービスも禁止してしまった。録画するとCMがスキップされるのはVTRのころからあった現象で、今に始まったことではない。CMカット機能をなくしても、視聴者がCMを見るようにはならない。いちいちCMをスキップする手間が増えるだけだ。本質的な問題は、リアルタイムで番組を流して見たくもないCMを無理やり見せるという民放のビジネスモデルがもう破綻していることなのだ。デジタル技術のイノベーションによって古いビジネスが成り立たなくなる現象は、あらゆる産業で起こっている。音楽のネット配信によってCDが売れなくなっ たとき、日本の電機メーカーはレコード会社に遠慮してネット配信を制限し、アップルに敗れた。ユーザーを不便にして競争に勝つことはできない。変えなけれ ばならないのはDVRの仕様ではなく、民放のビジネスモデルである。顧客を犠牲にしてテレビ局の既得権を守る三菱電機は、負けるべきものを不正に延命して仲よく自滅する日本社会の八百長的構造の典型だ。顧客の対抗策は、こういう企業をボイコットして顧客を無視する企業は生き残れないことを示すしかない。

「八百長」で動く官民関係日本社会に遍在する「相撲部屋」的構造とは
2011.02.09(Wed)  池田 信夫
日本経済の幻想と真実 
世の中はNHKニュースから夕刊紙に至るまで、相撲の八百長の話題で持ちきりだ。
 それほど重大な問題とも思えない話がこのように多くの人々の関心を引きつけるのは、そこに日本社会によくある(誰でも心当たりのある)構造が見られるからだろう。
 官民関係でも八百長は広く見られる。最も典型的なのは建設談合で、落札率(落札価格/予定価格)が95%を超えるケースは珍しくない。
 ただ、建設談合は何度も刑事事件になり、業者の手口も巧妙化して、あまり露骨な八百長は見られなくなった。昔のゼネコンのようなあからさまな談合が行われているのが電波行政である。
八百長で落札業者や電波の免許を決める官民関係
 2007年に2.5ギガヘルツ帯の「美人投票」(比較審査)が行われ、2つの枠にNTTドコモ、KDDI、ソフトバンク、ウィルコムの4グループが申請した。
 美人投票の結果、KDDIとウィルコムのグループが当選したが、その「比較審査の結果」を見て関係者は驚いた。ウィルコムが「継続的に運営するために必要な財務的基礎がより充実している」という項目で最高の「A」評価を得て、「B」のドコモを上回ったのだ。
 経営危機が表面化して外資系ファンドに買収され、資金的な不安がささやかれていたウィルコムが、日本の全企業の中でも最大級の利益を上げているド コモより「財務的基礎」が充実しているというのは何を基準にしたのか、関係者は首をひねったが、その理由は2010年になって判明した。
 アナログ放送が終わったあとのVHF帯で行われる予定の「携帯マルチメディア放送」で、ドコモ・民放グループが、KDDI・クアルコムと最後まで争った。
 この時、「ドコモが民放を支援するのとバーターで、2.5ギガヘルツ帯はウィルコムに譲った」と当時のドコモ幹部が証言している。
 2.5ギガヘルツ帯で誰もが本命だと思っていたドコモが落選したのは、その代わりにVHF帯の周波数をドコモに与える密約による八百長だったのだ。
 2年も経たないうちにウィルコムの経営は破綻し、「財務的基礎」が極めて脆弱だったことが判明したが、その窮地を救ったのがウィルコムを買収したソフトバンクだった。
 この「貸し」によって、周波数の再編に伴って空く900メガヘルツ帯がソフトバンクの「指定席」になったという。
日本の会社はまるで相撲部屋
 電波行政が相撲部屋に似ているのは偶然の一致ではない。この種の「貸し借り」は日本社会に広く見られる慣習である。
 会社の中の人間関係でも商慣習でも、「貸しをつくった」とか「借りを返す」といった行動が実に多い。これは未開社会に多い「贈与」の一種と考えることができる。
 約束を守らせる仕組みとしては司法機関があるが、そういう制度のない社会では、約束を破った者をコミュニティーから追放する「村八分」によるペナルティーが有効だ。
 こういう仕組みが効果を上げるためには、長期的関係が切れることによって失うものを大きくする必要がある。
 未開社会では、人々は多くの贈り物をし、互いにご馳走する。これはそういう互恵的な関係をつくることによって結びつきを強め、コミュニティーを離れられなくするメカニズムだと考えられている。
 同じような構造は、日本の会社にも見られる。大学を卒業した社員にコピー取りをさせたり、自転車で集金させたりするのは、このような徒弟修業のコストを回収するために会社に長く勤務させる贈与の一種である。
 若い時に長時間労働で会社に「貯金」を強いられた社員は、それを年功賃金と楽な仕事で回収するため、定年まで会社にとどまる。
 官民関係の中で最大の贈与は、天下りを受け入れることだ。これは役所から強要されるわけではないが、企業にとって賢い戦略は、役所に言われなくても先に贈与して、彼らに大きな貸しをつくることだ。
 ソフトバンクがウィルコムを救済するのも、NTTドコモが赤字覚悟でVHF帯のマルチメディア放送をやるのも、総務省への贈与である。

今、日本に必要なのは「長期的関係」ではなく「法の支配」
 このような相撲部屋型システムは、必ずしも非効率とは言えない。高度成長期に日本の企業がどんどん成長していた時期には、優秀な人材を引き止めておくために若い時に徒弟修業で奉仕させ、年を取ってから高給で報いる年功序列は、インセンティブとしてうまく機能した。
 官民関係においても、国内産業を育成する時期には、既存業者だけで談合させてレント(超過利潤)を保証する必要がある。時には役所が仲介して「官製談合」によって利害調整することもあった。「不況カルテル」と称して、役所が公然とカルテルを組ませることさえ珍しくなかった。
 しかし、こうした長期的関係は、成長が止まってレントが枯渇すると維持できなくなる。今、入社する社員に「40年後には楽になるから今は雑巾がけしろ」と言っても、40年後に会社があるかどうかは分からない。
 官民関係でも、こうした既得権を守り続けてもビジネスとして成り立たないものが増え、談合のメリットがなくなってきた。
 八百長で免許をもらったウィルコムは経営破綻し、マルチメディア放送の免許をもらったドコモも「貧乏くじ」と言われている。天下りが批判されるようになったのは、企業の側にそのメリットがなくなったからなのだ。
 それでも天下りや外資の排除で通信業者に借りをつくった電波官僚は、途中で約束を破ることができない。このため、900メガヘルツ帯でソフトバンクの「指定席」を守るために、今度の電波法改正では民主党の要求していた周波数オークションをやめ、また美人投票で決めることになった。
 相撲の八百長は、プロレスのような興業として楽しめばいいが、電波の八百長は時価1兆円以上の電波を無償で業者に贈与し、その見返りに官僚が天下りなどの便宜を図ってもらうものだ。「光の道」論争で激しく「公正競争」を叫んだソフトバンクが、周波数オークションに反対して八百長に加担していることも不可解である。
 今、日本に必要なのは、高度成長期から続く長期的関係を清算し、透明なルールに基づいて新しい企業の参入と対等な競争を可能にする法の支配である。
 そのためには、日本社会の隅々に巣食っている相撲部屋的な関係を見直す必要がある。霞が関は相撲協会を見習って、これまでやってきた八百長を再点検してはどうだろうか。
 

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コメント
 
01. 2011年2月11日 22:29:22: IOzibbQO0w
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51676360.html
相撲部屋の構造
相撲の八百長から始まって、電波行政からDVRまであらゆる分野で「相撲部屋」的な構造があることをみてきた。誰でも抱く疑問は、なぜ日本人はどの業界でも同じパターンの失敗を繰り返すのかということだろう。その原因は契約理論で説明できる。

多くの人々が組織で行動するとき大事なのは、交渉問題をいかに減らすかということだ。標準的な契約理論では、資本家と労働者が1回限りの契約を結ぶことを想定するが、こういう場合は契約を結んで相手が投資したあと裏切って再交渉することが合理的になる。

この問題を解決する一つの方法は、命令系統を決めて裏切りを許さないことだ。垂直統合は資本家を決定権者とするタテの組織で交渉問題を避けるメカニズムだが、職能集団の集合体なので職域を超えたヨコの動きがむずかしい。欧米企業では一つの部門で採用した社員を他の部門に異動することはまずなく、解雇するしかない。このため一つの企業に多くの産業別労組ができ、労使紛争が起こると会社が麻痺する。

これに対して日本の組織は、交渉問題を会社や系列の長期的関係(繰り返しゲーム)に帰着させて「貸し借り」の関係で調整するものだ。これは組織で長期的に得られるレントを平等にわけあうことで利害調整するしくみで、企業内ネットワークで労働者を異動させることで自動車や家電のような連続的に変化する市場に対応しやすいが、組織の成長が止まってレントが失われると調整メカニズムが機能しなくなる。

他方、ITのように部品がモジュール化されて中間財のグローバルな市場が成立すると、独立性の強い専門企業が有利になる。ここではハードウェアはすべてアジアのEMSに外注して本社はソフトウェアに特化するといった契約関係で企業が仮想的に統合される。つまり技術アーキテクチャと組織形態には

1. 伝統的な製造業:垂直統合
2. 自動車・家電:長期的関係
3. デジタル技術:契約ベース

という3つのペアがあり、これ以外の組み合わせは非効率になるのだ。拙著ではこの問題を技術アーキテクチャに組織が適応するという論理で考えたが、実際にはそういう適応はむずかしい。技術は市場で急速に変わるが、組織形態や行動様式は歴史的・文化的な要因で決まり、単独の企業や個人が変えることはできないからだ。

実際には、すべてのアーキテクチャに対して同一の組織形態が選ばれる。移民の集合体であるアメリカ人は互いの信頼関係が弱くエイジェンシー問題が起こりやすいので、タイプ1か3が適している。他方、日本人は同質的で「空気を読む」傾向が強いため、契約ベースの組織には適応できないので、つねにタイプ2が選ばれる。

たとえばシリコンバレーのベンチャーは80年代にDRAMで日本企業に敗れ、「独立性が強すぎ、企業規模が小さすぎる」と批判されたが、そういう組織形態を変えないでソフトウェアやインターネットなど彼らの優位の生きる分野に転身した。他方、日本人も長期的関係を自覚的に選んだわけではなく、自分たちのやりやすいように組織をつくった結果、たまたまそれが20世紀後半の知識集約的な製造業に適していたにすぎない。

すべてのテクノロジーを「相撲部屋」型の長期的関係に帰着させる日本人の行動様式の根底には、1000年以上つづく中間集団の安定した日本社会の構造があるので、それを変えることは非常にむずかしい。これは自動車など補完性の強い産業では今でも合理性があるが、IT産業ではタイプ3の技術アーキテクチャとタイプ2の組織構造が不整合になり、非効率な結果をまねいてしまう。

行動経済学の言葉でいえば、アメリカ人はすべてを個人というフレームで見るのに対して、日本人はすべてを長期的な人間関係というフレームに引き込もうとする。こうしたフレーミングは意思決定に先立つので、合理的なロジックで変えることはむずかしい。もちろん法律で変わるものではなく、既存の企業が単独で変えることも困難だ。基本的には、新しい企業が古い企業を倒すことによってしかフレーミングは変わらない。それが日本の必要とする本質的なイノベーションである。

【肥田美佐子のNYリポート】八百長疑惑、女人禁制――世界も注目するスモウの「神聖度」
* 2011年 2月 11日 9:21 JST
 
 「ハッケヨーイ、ノコッタ!」
 約5年前の秋、米国人の友人から誘われ、ニューヨーク・マンハッタンのマジソン・スクエア・ガーデンで開かれた「世界スモウ大会」に足を運んだときのことである。

 ふだんはNBA(米プロバスケットボール協会)や著名ロックスターのファンで埋め尽くされる約2万人収容の一大スポーツアリーナには、にわかづくりの「ドヒョウ」が設置され、米国からノルウェー、オランダまで、世界中から集まったアマチュア男性力士が、赤や黄色、パープルなど、色とりどりのまわしに身を包み、しこを踏んでは体をぶつけ合った。その真摯な姿が好感度たっぷりで、勝負がつくたびに友人らと歓声を上げたものだ。観客席は、空席のかたまりがあちこちに目立つほど閑散としていたが、日本の相撲ファンよりひと世代もふた世代も若い人たちの声援や熱気が、会場にあふれていた。「超スリム」な力士あり、まわしの下にベージュのレオタードを付けた「控えめな」力士ありと、玉石混交の国際版アマチュア相撲大会は、スポーツイベントして、純粋に楽しめるものだった。

 一方、大本山の日本大相撲は、相次ぐ力士の暴力事件や野球賭博、八百長疑惑で、史上最大の危機に直面している。先日、野球賭博を捜査していた警察当局が、八百長を画策する力士間での詳細なメールを発見。14人が関与を疑われ、うち3人(力士2人、親方1人)が事実を認めたと、2月9日付本紙は報じている。3日、菅首相も、「八百長があったとすれば、国民に対する大変重大な背信行為だ」と発言。6日には、八百長を否定し続けてきた日本相撲協会も、「八百長を撲滅するまで相撲を見せられない」と、大阪での春場所延期を決めた。本場所の中止は、第二次大戦後の混乱で施設の修理が間に合わなかった1946年以来のことだ。相撲協会は、「全力を挙げて、できるかぎり早急に八百長の事実関係を突き止める」(放駒理事長)という。

 本紙をはじめ、欧米や韓国、中国、インドなどの外国メディアも、今回の八百長スキャンダルを一斉に報じた。CNN系ウェブサイトには、8日、「スモウは、今でも日本の国技にふさわしいといえるのか」というタイトルが躍った。英紙『テレグラフ』の電子版は、6日に千葉県成田市で開かれた「全国穴掘り大会」を報ずる8日付の記事を掲載。「相撲が八百長疑惑で危機にあるなか、日本で新しい国技が発現か」と皮肉っている。

 今回、日本相撲協会もついに事実を認めるにいたったが、八百長疑惑は、国際的にも公然の秘密として知られている。昨年夏、大相撲の八百長や試験のカンニングなど、社会事象を経済学の観点から論じたベストセラー『Freakonomics』(邦訳『ヤバイ経済学』東洋経済新報社刊)の映画版を試写会で見たが、八百長の仕組みが、元力士や日本人相撲ジャーナリストの告白などを交え、丹念に描かれており、同席した米国人報道関係者たちも、神妙な面持ちでスクリーンに見入っていた。

 気鋭の経済学者であるスティーブン・レビット・シカゴ大学教授とニューヨーク在住ジャーナリストのスティーブン・ダブナー氏が共同で著した『ヤバイ経済学』は、約6年前、発売と同時に、そのユニークな視点で大人気を博した話題の書だ。同書によると、八百長で負けるのが「第一級の罪」であり、相撲が「神国第一級のスポーツ」であるならば、八百長で負けるなどということはありえないはずだが、データが、その逆を物語っているという。力士の年収や待遇に決定的影響を与える番付は、年6回開催される本場所の星で決まるが、8勝以上白星を上げれば勝ち越し、番付が上がる一方、負け越せば下がる。そのため、経済学的にみれば、8つめの勝ち星は、通常の勝ち星の約4倍の価値がある。

 だから、すでに勝ち越している力士が、ボーダーラインにある力士に対し、お金などのインセンティブと引き換えに白星を渡すという動機がはたらいても不思議ではない、というわけだ。事実、7勝7敗の力士が8勝6敗の力士を破る期待勝率は48.7%だが、実際の勝率は79.6%。7勝7敗の力士が9勝5敗の力士を破る期待勝率は47.2%だが、実際は73.4%と、はね上がる。

 番付トップ66人のエリート力士だけが優遇され、番付が下位の力士は、年収200万円にも満たない低報酬でエリート力士の「世話」をしなければならないという古い体質が、八百長をしてでも番付を上げたいという動機につながるとの指摘もあるが、「伝統」を死守する相撲協会の体質は、土俵の「女人禁制」にも現れている。日本の国技が、21世紀の今も、土俵を「神聖な場所」とし、女性を締め出すことで、「女性後進国ニッポン」のイメージを世界に振りまく存在と化しているのは皮肉な話だ。

 女人禁制をめぐる日本相撲協会と女性指導者とのあつれきは、古くは、1989年、女性初の官房長官に就任した森山真弓衆院議員(当時)が、内閣総理大臣杯を優勝力士に手渡そうとしたところ、協会に拒否されたことにさかのぼる。2000年春には、女性初の知事となった太田房江・大阪府知事(当時)が、大阪場所で優勝力士に知事賞を手渡したいと申し入れたところ、やはり相撲協会から拒まれ、断念している。

 森山元官房長官と協会とのまさつを伝える90年初めの米紙報道によれば、日本相撲協会理事長は、「われわれの伝統と文化を守らねばならない」と答えたという。太田前知事の一件が問題になった2000年の時点で、日本の主要紙が行った世論調査では、すでに太田氏を支持する人が5割近くに達する一方、伝統派は約4割にとどまっていた。ましてや八百長疑惑で土俵が「神聖」でないことが明らかになった今、日本相撲協会は、はたして何を理由に女人禁制を固守するのだろうか。

 ベストセラー『これからの「正義」の話をしよう』の著者であり、日本で大人気のマイケル・サンデル・ハーバード大学哲学教授は、コミュニティー(共同体)が、「伝統」の名の下で、女性の権利を否定したり、権威主義を振りかざしたりする場合、その伝統は受け入れるべきではないと、再三明言している。

 森山元官房長官は、当時、日系メディアに対し、「世の中は、大きく変わっている。協会は、もう年貢の納め時だと思う」と語ったという。あれから20年余り――。機は熟したようにみえる。

*****************

肥田美佐子 (ひだ・みさこ) フリージャーナリスト
肥田美佐子氏 Ran Suzuki

 東京生まれ。『ニューズウィーク日本版』の編集などを経て、1997年渡米。ニューヨークの米系広告代理店やケーブルテレビネットワーク・制作会社など にエディター、シニアエディターとして勤務後、フリーに。2007年、国際労働機関国際研修所(ITC-ILO)の報道機関向け研修・コンペ(イタリア・ トリノ)に参加。日本の過労死問題の英文報道記事で同機関第1回メディア賞を受賞。2008年6月、ジュネーブでの授賞式、およびILO年次総会に招聘される。2009年10月、ペンシルベニア大学ウォートン校(経営大学院)のビジネスジャーナリスト向け研修を修了。『週刊エコノミスト』 『週刊東洋経済』 『プレジデント』 『AERA』 『サンデー毎日』 『ニューズウィーク日本版』 『週刊ダイヤモンド』などに寄稿。日本語の著書(ルポ)や英文記事の執筆、経済関連書籍の翻訳も手がけるかたわら、日米での講演も行う。共訳書に『ワーキング・プア――アメリカの下層社会』『窒息するオフィス――仕事に強迫されるアメリカ人』など。マンハッタン在住。 http://www.misakohida.com

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02. 2011年2月12日 14:42:41: nJF6kGWndY
2011年02月12日 13:14

経済
テクニカル

就活を進化させる「突然変異」
就活について求人・求職側の話をきいてみて特徴的なのは、誰もが今の状態に不満を抱いていることだ。学生は3・4年の生活がほとんど就活でつぶれることに疲労困憊しているし、企業は学生のエントリーシートや面接がマニュアル化して、ユニークな人材を採れないことに悩んでいる。

誰でも考えるのは、日本以外の国のように新卒一括採用をやめて、中途採用も転職も自由にすればいいということだが、これはむずかしい。日本の大企業のホワイトカラーの転職率は5%程度ときわめて低く、社内の出世競争に敗れた人が多い。質量ともに労働力が新卒に極端に片寄っているので、ここで採らないと優秀な人材が採れないのだ。

流動 固定
流動  a  0
固定  0  b

これはゲーム理論で考えると、上のような協調ゲームになっていることを意味する(ペイオフは対称とする)。a>b>0とすると、現在のような固定的な労働市場(b)よりも普通の流動的な労働市場(a)のほうが望ましいが、自社だけ中途採用してもいい人材を採れない(0)。この状態では、bから出発すると全員がbを選ぶことがナッシュ均衡になるので、解雇規制を変えても何も変わらない。

ただし確率的な進化ゲームを考え、人々がランダムに出会うとするとペイオフの高いaが選ばれるので、これをリスク支配戦略と呼ぶ。人々がbにトラップされていると出会う相手はすべて固定的な雇用慣行を採用しているが、十分高い確率で突然変異が起こると、中途採用で利益を得ることができる。一般的には、相手がリスク支配的な戦略aをとる確率pが

 p>b/(a+b)

であれば、リスク支配戦略が唯一の長期的均衡となる(Kandori-Mailath-Rob)。日本的雇用慣行のメリットbが低下すれば、普通の雇用慣行aに移るために必要な確率pが低くなるのだ。

だから重要なのは解雇規制よりも、企業が中途採用で優秀な突然変異に出会う確率を増やすことだ。このためには、労働者が転職して有利な就職先を見つける確率を高める必要がある。両者は鶏と卵の関係になっているが、長期雇用によるレントbが下がれば必要な突然変異の確率pは下がる。年功賃金はかなりフラットになっているので、長期雇用にレントを与える退職金の非課税などの制度をやめることが第一歩だ。

「雇用契約の多様化」が昔から提案されても実現しないのは、正社員の雇用保護が絶対的に強い状況では、有期契約でいい人材が集まらないからだ。この意味で解雇を実質的に禁止する規制が日本的雇用慣行を支えているが、規制を撤廃しただけでは雇用慣行は変わらない。それはself-enforcingな均衡状態なので、この均衡(の確率分布)を変えるには、中途採用や有期契約でいい人材を採る企業の多様化が必要である。


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