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米アムバック破綻を通して日本の地方の未来を考える
11月 22nd, 2010 in 話題 / 論考Skip to comments (0) ↓
今回は先日のアメリカのモノライン大手アムバックの破綻を導入に、日本の地方債とその今後を通して、地方自治体の主に財政に関わるリスクをちょっと考えてみたいと思います。
サブプライム証券化商品に保証 米アムバックが破綻(朝日新聞)
【ニューヨーク=山川一基】米国の金融危機が直撃した、「モノライン」と呼ばれる米金融保証大手のアムバック・ファイナンシャル・グループが8日、ニューヨーク州の破産裁判所に米連邦破産法11条の適用を申請し、経営破綻(はたん)したと発表した。同社によると、負債総額は16億2200万ドル(約1300億円)。
この朝日新聞の記事だけではわかりませんが、このアムバックのそもそものビジネスというのは「地方公共団体の債務保証」でした。これはつまり、地方自治体が債券を発行する際に、将来その発行者(この場合は地方自治体)が支払い不能の状態になったときには、発行者の代わりに債権者に借金を返す、という保険サービスのことです。
この「かたい」ビジネスを行っていたアムバックがどのようにして破綻への道を歩むことになったのかについては、専門の人たちがブログなどで書いているので(こちらや、こちらなどを参照)ここでは触れません。
ここで考える問題は次の一点、アムバックの破綻によって、いままでこの会社の保証がつくことでかろうじて低金利ファイナンスができていた地方自治体(典型例はカリフォルニア州やイリノイ州など)が、今後「債券を発行できなくなる=資金調達が困難になる」という点です。
この問題が、ただでさえ財政赤字が問題になっているアメリカの地方自治体に直撃することになります。実際、イリノイ州などでは行政サービスの多くの部分のお金が回らず、その未払いもまためずらしいものではなくなっています(こちらを参照)。
このように、アメリカにおける地方債のデフォルト危機の問題はすでに、個々の地方自治体の手に負えるレベルを超えていると言えるでしょう。
ここで翻って日本を考えてみます。
地方財政の借入金残高は、2010年度末で200兆円になるとの見通しが総務省から発表されています。そのうち、141兆円が地方債の残高となります。ピンとこない数字ですが、過去最大となった2010年度の日本の一般会計総額が92兆円、特別会計純計額が176兆円ですので、それと比較すると額の大きさが 実感できると思います。
個別の話題としては、2007年には北海道夕張市の破綻がありました。これを契機に地方の財政を問題視する報道等が一気に表面化したのは記憶に新しいところだと思います。
夕張市のように破綻し財政再建団体になると、予算の制約や再建のための歳出削減が課せられるため、行政サービスの低下は否めません。それは確かなのですが、一方で事実としては、学校や病院などの社会インフラがまるまる機能不全になるということはありませんでした。
このアメリカと日本との違い(片方は地方自治体がファイナンスに失敗した時点でその分だけ住民サービスは劣化するのに対し、他方はそうはならない)はどこに根ざしたものなのでしょうか。
その理由を端的に言えば、夕張市の場合、その再建にはその上の道や国が援助をしているわけです。もちろん地方債自体に政府保証は明記されていない訳ですが、「地方債に対する暗黙の政府保証」という考え方と(実際にデフォルトはさせていないという)事実とが、地方債に対する最終的な信用を担保しているわけです。アメリカにおいて(地方債市場で)アムバックが果たしていた役割は、日本では政府によって果たされていると言っていいでしょう。
このことを、地方債の大半を引き受けているのが各地方の地元の地銀であるという現実も踏まえて考えてみると、日本の地方自治体の未来についていったいどのようなことが言えるでしょうか。
まず、現在の「地方債に対する暗黙の政府保証」のうち、地方債元利償還金の交付税措置と地方財政再建制度は、視点を変えれば、「地方債の発行というのは結局のところ地方自治体の問題ではなく、地方債をデフォルトさせないためには最終的には国税が投入されるという点で、国民一人一人のリスクとして既に含まれている」ということを意味しています。
このことは地方債が、総務省が各地方自治体の地方財源配分を統制する政策手段の一つだったという点を勘案すると、たぶんに制度的な設計でもあったといえます。しかしながら、こうした暗黙の政府保証は、(現在は景気対策等で膨らんでいる)そもそもの政府の予算が縮小基調に転化すれば、いつまで維持できるものか疑問です。
また、こうした地方債残高の高止まりは、地方分権を進める上で大きな足かせとなっていることも事実でしょう。分権というエンパワーメントには「責任」もまた付随します。地方分権が進めば、従来通り「地方債に対する暗黙の政府保証」を期待することはできません。分権の過程で現状の「債務の所有者(地方自治体) と負担者(国、その先の全国の国民一人一人)が一致しない」状態は解消されるでしょう。そして地方債には市場メカニズムの導入がこれまで以上に不可避にな ります。
その制度設計は非常に重要になります。方向性を見誤れば、今回のアムバックの倒産でアメリカの地方自治体が直面するような問題に日本の自治体が直面する場合もある訳です。
そうしたことを想定しながら、積もりに積もった地方の借金を、地方自治体のみの力で返済し続け、かつデフォルトのリスクを避けることができるのでしょうか。
さらに地方分権の先に道州制を見据えたとき、この地方債とそれを抱える地銀はどのようになるのでしょうか。もし地方自治体の地方債がデフォルトしたならば、その大部分を抱える地元の地銀は(たいていの場合)破綻します。いまの日本では、預金保険機構が1000万円までの預金を保証しています。預金保険の原資は、言うまでもなく私たち国民一人一人の銀行利用料その他です。
このシステムがそのまま存続した場合、それは「地方自治体がデフォルトし地方債の支払いが不能になった場合、破綻した地銀には最終的には預金保険が投入されるという点で、国民一人一人のリスクとして既に支払いが行われている」ということを意味します。
これは先ほど触れた構図と似ていると言えないでしょうか。
もちろん、地元の地銀の破綻はその地域の経済に壊滅的なダメージを与えます(拓銀破綻後の北海道経済などを考えると、起こりうる状況は想像できます。拓銀の場合と大きく違うのは、この場合地方自治体が破綻しているため、実際の行政サービスもまた大きく劣化するという点です)。
かなり仮定に仮定を重ねましたが、これは現状の地方債の状況から類推できる(ネガティブな)帰結の「一つ」です。こう考えると、財政面を地方債という一つの要素から切り取っただけでも、これからは「地方自治体の経営体としての側面」が重視されることは間違いないと言えるでしょう。行政サービスがなくなるという未来が(あまり)想像できない以上、地域活性化は常に自治体財政をひとつのベンチマークとして扱いながら考える必要があるのではないでしょうか。
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昨年9月に日本振興銀行の破綻でペイオフが初めて実施されたが、ほとんど一般市民へは情報が伝わらなかったはずだ。銀行倒産はあり得ることであり、かなり可能性の高いものだ。
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