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何が公正かで、同意するのは難しい
特に、利害がぶつかり、他人が信用できない状況では
囚人のジレンマに陥り、本来得られる利益を失うだけでなく
争いで傷つき、第3者に漁夫の利を奪われる
相互信頼に基づき、課税と再分配で、全体最適を目指すのが
政治経済の本来の機能なのだが、現実は、ほど遠い状況なのは
漁夫の利を狙う悪者のせいなのか、それとも自業自得なのか
http://www.sangiin.go.jp/
財政金融委員会 専門員
大嶋健一
昨年、米国の政治哲学者マイケル・サンデルによる「ハーバード白熱教室」が放映され、
話題になるとともに、『JUSTICE』(2009 年)も翻訳本が出て、我が国においてベストセラ
ーとなったことは記憶に新しい。サンデルとほぼ同年齢の私が、初めてその著書に出会っ
たのが今から19 年前のことであり、この名前に何か懐かしさが感じられた。
1971 年に、リベラルの立場からJ・ロールズが『正義論』を著し、「正義」を「公正さ」
として捉え直し、規範的な「正義」の概念を打ち立てる試みを行い、大きな反響を呼んだ。
これに対し、まず、R・ノージックが『アナーキー・国家・ユートピア』(1974 年)にお
いてリバタリアニズム(自由至上主義)を唱え、自由のための「最小国家論」を構築し、
『正義論』への批判を行った。次いで、A・マッキンタイアが『美徳なき時代』(1981 年)
で、また、サンデルが『リベラリズムと正義の限界』(1982 年)において、共同体の中で
培われる個人の価値観を重視するコミュニタリアニズム(共同体主義)の立場からこれを
批判した。しかも、リベラリズム・リバタリアニズム・コミュニタリアニズムの3つ巴に
加え、王権と闘ったヨーロッパのリベラルは米国ではコンサバティズム(保守主義)とし
て一定の勢力を保ち、入り乱れての論争が続けられた。
ロールズの政治哲学は、経済の停滞、公共精神の喪失、犯罪の多発、ベトナム戦争等、
60 年代後半から顕著になってきた米国社会の疲弊という社会的な背景において生まれた
ものであり、今の日本は、閉塞感に満ちた当時の米国の状況と似ているのかもしれない。
我が国では、戦後から、科学技術や医学の「進歩」は生活を豊かにするという思いは広
く共有されていた。しかし、70 年代後半以降、フランス等からのポストモダン(現代思想)
が消費社会の中で取り入れられることはあっても、広く国民に共有される政治・社会哲学
は不在であったとされる。その見解の当否は置くとして、長く続いた経済的繁栄は、年々
増える「利益の分配」を可能としたため、誰もが分け前を減らされることなく他者への分
配に応ずることができた。つまり、射程距離の短い日常をやり過ごす現実対応で暮らして
いくことができたのである。しかし90 年代、バブル崩壊以降、景気の回復がなかなか進ま
ず、財政赤字が拡大する中で、経済再建と財政再建を同時に進める方向が打ち出されても、
総論賛成・各論反対では決定不能に陥る。過去の税制改革においてみられた増減税一体改
革という痛み分けのような手法は次第に困難なものとなりつつある。混迷する状況の中こ
そ、公正な「受益と負担」の形をできるだけ明確にすることが求められている。
こうした点から、税の持つ所得再分配機能に焦点をあてると、現実の分配状態に対して、
「公正」で望ましいと想定する分配状態が別に存在するならば、それはどのような政治的・
社会的理念(=哲学)に基づくものなのか、つまり、改革がどのような社会の実現を想定
しているのか、十分に説明する必要があろう。
我々は、政治哲学がその時代の状況と格闘してきた意味を思い起こし、「閉塞感」から
抜け出す道筋を今一度考えるべき時に立たされているのではないか。
立法と調査 2011.2 No.313
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