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厳しい就職戦線の下で2011年の就職率は過去最低を更新し 大企業の求人倍率は0.5以下だが
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/742.html
投稿者 tea 日時 2011 年 1 月 22 日 20:19:40: 1W1IXELjjF6i2
 

「若者はかわいそう」論のウソで、海老原嗣生は、学生の大企業志向に問題があると言ったが、実際、300人以下の中小企業の2011年大学新卒の求人倍率は4.41倍と高く、多くのベンチャー企業が大学新卒者を欲している状況だ(5,000人以上の大企業の求人倍率は0.47倍)。

ただ世間、一般の意識では、ブラック中小企業のイメージが強く、労働条件も給与も悪く、ろくに経験も積めない上に、倒産リスクは大きく、いつ経営者の勝手で解雇されるかもしれないという感じだ。

だから高い学費と時間を投資した親と学生が大企業を志向するのも無理はない。

実際は、大企業よりも、いろんな仕事を学べる機会がある会社も多いし、今後、成長していく企業は中小企業からでてくるのだが、
リクナビの登録料が100万単位で、中小企業には敷居が高いし
学生も中小には関心があまりないから、情報に接する機会すらほとんどない。

その結果、多くの学生は、自分の市場価値も考えず、大企業ばかり、十分にHPすら見ずに受けて、撃沈し、史上最悪の就職率になっている。

 


「若者はかわいそう」論はうそ? 身元の分かる被害者効果
http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/607.html


http://www.dreamnews.jp/?action_press=1&pid=0000021027
Jan 21, 2011 No.2011-07 伊藤忠商事株式会社 調査情報部

厳しい就職戦線の下で2011年の就職率は過去最低を更新へ 昨年12月調査で大学生の就職内定率は過去最低を更新し、最終の4月調査では90%の大台を割り込む可能性が濃厚。内定率の低下を受けて、卒業者に占める就職者の割合を示す「就職率」も2003年の55.1%を下回り過去最低を記録する見込み。

2011年3月の大学卒業予定者の「就職内定率1」が昨年12月調査で68.8%と、2010年3月卒業予定者の73.1%を4.3%Ptも下回り、調査開始以来の最低を更新した。同調査は10月→12月→2月→4月の各1日を基準に4回行われているが、当然ながら就職内定率は就職時期に接近するに従って上昇する。2010年3月卒業予定者の場合には、2009年12月の73.1%が2010年2月80.0%、同4月91.8%へ上昇した。また、今年は厚生労働省と文部科学省が連携し「卒業前の集中支援2」を行うこともあり、4月1日に向けて前年以上の上昇が期待されている。とは言え、最終的に内定率が前年実績の91.8%を上回ることはもちろん、90%の大台に乗せることも難しい情勢である

卒業予定者のうち就職を希望する割合を示す「就職希望率」も低下しており、2011年3月卒業予定者を対象とした昨年12月調査では72.7%と、2010年3月卒業予定者の73.8%から1.1%Pt低下した。但し、2011年3月卒業予定者を対象とした10月調査からは0.9%Ptの低下に留まり、これは調査開始以来最も小幅の低下である。つまり、10月から12月にかけて就職希望を取り下げた学生は極めて少ない。この理由としては、以下の3つの要因が思い当たる。

@就職戦線の厳しさから10月時点で就職希望を取り下げていた学生が多い。
A家庭の経済状況の悪化から被扶養者であり続けることが難しくなり、就職を何としても目指している。
B既卒者を新卒扱いとする政府や企業の方針を受け就職活動を続けるリスク(卒業して新卒者から 外れるリスク)が低下した。

最も影響が大きいと考えられるのは@である。2011年3月卒業予定者の昨年10月調査での就職希望率は73.6%と前年の76.4%から2.8%Ptも低下し、過去5年で最も低かった。そもそも学生が10月時点で就職に対してディスカレッジしていたために12月調査での低下幅が小幅に留まったのだと言える。但し、2011年3月卒業予定者の就職希望率は2000年代初頭に比べれば高い。これには女性の趨勢的な上昇が影響しているが、男性に限っても過去最低ではない3。そのためAの理由が就職希望率を上方にシフトさせている可能性が指摘できる。デフレが続き世帯主等の賃金が増加しない下で、未就業の成人をいつまでも被扶養者として抱えるだけの余裕を家計は失いつつあり、故に学生も必至で就職に取り組んでいるとの仮説である。また、今年4月の就職を見送ったからと言って、次により良い就職環境が訪れるとの希望を抱きにくいことも影響しているのかも知れない。Bについては、いずれの方向に作用するか判断が極めて難しい。卒業しても新卒者から外れるリスクが低下したことは現在の就職希望を維持するインセンティブとして働きうる一方で、逆に就職希望を取り下げて次で勝負する誘因として作用する可能性もあるためである。
就職内定率はあくまでも就職希望者に占める就職内定者の割合に過ぎず、卒業者の就職状況を最終的に判断する上で重要な、卒業者に占める就職者の割合を示す「就職率」とは異なる。そこで就職希望率に就職内定率を乗じて、簡易版の就職予定率を計算すると昨年12月時点で50.0%となり、12月調査としては2000年3月卒業予定者の50.7%を下回り過去最低を更新している。2000年3月卒業者の就職率(学校基本調査)は55.8%とワースト二位だったが、ワースト一位の2003年3月55.1%4とほとんど変わらない。簡易版の就職予定率と就職率の結果は必ずしも一致するわけではないが、概ね傾向は同じである。そのため、前述した政府による「卒業前の集中支援」が顕著な効果を発揮しない限り、2011年3月卒業者の就職率は過去最低を記録する可能性が高いと判断できる。

 

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コメント
 
01. 2011年1月22日 22:10:57: SAzUG6v4rw
今のマスコミ、官僚の既得権をそのままにしておけば企業の規模別格差が縮まることはない。

公務員と一般の勤労者の年収で大きな格差がないこと。これが世界標準である。誰かが言っているグローバルスタンダードとは似て非なるものだ。


02. 2011年1月23日 11:44:23: gbMBE2wVLo
この投稿者はおそらく経団連の回し者だろう。

私も高校生と大学生の息子を持つ親だが、この意見には納得できない。

就職率が過去最低を切っている高校生も大企業志向だから就職できないとでも言うのか!?

現実はまるで違う!今は大卒でさえ大企業よりも中小企業という流れになっている。ハローワークで就職先を探している学生も多くいる。

それでも内定が出る学生はまだいいほうで学生が大企業ばかり志向しているというのは大きな誤解だ!

ましてや中小企業なんて新しく人を雇用する余裕なんて無い。景気が回復して来ているとはいうがそれは海外に工場を持つ大企業ばかりで中小零細企業には何の恩恵も無い。

今の菅政権は、景気が回復してきたとうそぶき大企業ばかりを優遇し、国内内需を切り捨て、中小企業主の多くを自殺に追い込んだ小泉政権と同じである。


03. 2011年1月23日 14:23:03: mHY843J0vA

>中小企業なんて新しく人を雇用する余裕なんて無い

そうでもないから
>>中小企業の2011年大学新卒の求人倍率は4.41倍
ということでは?
http://www.jobway.jp/


04. 2011年1月23日 14:25:06: mHY843J0vA
他にもいろいろ募集はあるみたいですよ
http://career.nikkei.co.jp/contents/smc/

05. 2011年1月23日 15:26:58: gbMBE2wVLo
こちらの三番目にも投稿しましたがダミー求人というのがあるのですよ。つまり国が求人倍率を上げるために実際は雇うつもりの無い求人を中小企業に課しているのです。

http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/741.html

見かけ上は求人は多いように見えますが実際内定なんか出ない状況ですよ。

実際高校生の息子の就職の件で学校から過去に例無く難しく、専門学校進学を勧められましたし、大学生の息子の話によると就職課では大企業より中小企業という流れになっており、ハローワークで就職先を探している学生も多いらしいです。

私の従兄弟も中小の板金加工工場に勤めておりましたが、先月の手取りは11万8000円だったそうです。もちろんボーナスなんて無い。こんなんじゃ食っていくだけでぎりぎりです。

昔は手取りは普通に40万円もらえたこともあったらしいですが給与はずっと右肩下がりだそうです。従業員の数もずいぶん減り、いつ自分も解雇されるか分からないといっていました。

こんな状況で新たに人を雇うなんて体力は中小企業にありませんよ。

最近こうした「就職氷河期はウソ論」を言っている人がいますがこれらは経団連の回し者としか思えません。


06. 2011年1月23日 15:31:40: gbMBE2wVLo
こんなブログを見つけました。信憑性はどうか知りませんが、昨今の状況を見る限り、ありえる話だと思います。

http://flasherman.seesaa.net/article/115912817.html

雇う気が無いのにハローワークに求人を出す会社があるらしい
最近知ったのですが、ハローワークは雇う気がないのに求人出してる会社が結構多いとの事です。
ニュースゼロで報道されていたそうですが。

ちょっとネットで調べてみた内容をまとめるとこんな例がある様です。

・労働基準監督署からの依頼で採用する気もない民間企業が仕方なく求人出してる
 そんな会社には面接者を採用しなくて良い言っているらしい。(有効求人倍率を上げる為か?)

・縁故者の採用が決まっているが、露骨にやるとまずいので建前だけハローワークに募集かけてダシに使われる

・求人を出すと助成金がもらえるので助成金目当て

・個人情報の収集目的

・掲載費無料なので宣伝の為

・基本的に雇うつもりはないが、本当に欲しい人材が来たらチャンスを逃さず採用する為ずっと求人出してる企業(まだマシな方?)


申し込んで「昨日決まった」とか言われた場合、ほぼ空求人だとか。

ふざけた話ですね、

失業者は余裕のない中から履歴書作って面接に行く時間や交通費を捻出してるのにそれが最初から無駄な行為にしかならないとは。

実際、ハローワークの仕事情報の検索で経験や年齢ほぼ不問で条件も悪くない内容で複数の職種でずっと募集かけてる会社がいくつかあるのを見ているのですが、ネット上でやはり評判が良くない企業もありました。

こういうところは受けるだけ無駄ですね。

こんな事があるのならバカらしくてハローワークなんて使う気になれませんよ。

この雇用不安の状況下で希望を持って必死に就職活動をしている人間を踏みにじる許せない話です。

改善はされないのでしょうか?


07. 2011年1月23日 16:04:38: mHY843J0vA
>ダミー求人

なるほど、派遣会社に登録させるために出しているだけのダミー求人など詐欺同然のものもあるようですね。
http://awfuljapan.livedoor.biz/archives/51292872.html
http://musyoku.com/bbs/view/1080566776/100-199
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q128584667
単なる職務怠慢が多いのでしょうが、自分が、そういうのに当たると不愉快でしょうね。
中小企業も暇ではないから、全ての膨大な求人が、ダミーというわけではなく
一部に過ぎないでしょうが、
黙認している悪質な斡旋担当者や企業は実名告発して撲滅していく必要がありそうですね


08. 2011年1月24日 10:07:42: ONMUOcD5MI
ハローワークの人間は現状をよくわかっていないという実感がある。

話をしてもまったくかみ合わないからな。


09. 2011年1月24日 14:02:32: Fhpq5D6FCA
今年の4月で、亀井静香氏が金融担当大臣時代に制定したモラトリアム法の期限が切れる。この時に、もし法を延長していなければ、中小企業の倒産が相次ぐそうだ。つまり、大失業時代到来の危機というわけだ。

10. 2011年1月27日 13:12:00: cqRnZH2CUM
日経ビジネス オンライントップ>企業・経営>河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学
「内向きな若者」論議のまやかしと不毛
伝統工芸の老舗主人に教わった「本当に世界に通じる」ということ

* 2011年1月27日 木曜日
* 河合 薫

人材  若者  キーワード  イクメン  草食系  留学  アメリカ  日本人  有松絞り  内向き  グローバル  海外  若手  企業  社員  世界  メディア 

 「日本で平凡に暮らしたい」
 「時差のある海外で忙しく働きたくない」

 こう主張して海外勤務を拒否する「内向き」若手社員の処遇に企業側が苦悩している。そういった内容の記事が先週、新聞に載っていた。

 内向き──。最近やたらとメディアに登場する言葉だ。

 もっと海外に目を向けないと国際競争力が失われる。日本が生き残るにはグローバルに活躍できる人材が必要だ。日本で1番を目指しても世界では通用しない……。

 内向き非難派から、内向き肯定派まで。いろいろな立場の人が、さまざまな意見を展開している。

 また、海外勤務を拒否する傾向が強まっている原因については、「共働き夫婦が増えた」「イクメンが増えた」といったライフスタイルの変化や、昔と違い途上国への転勤が増えているといった社会状況の変化などが指摘されている。

 どれもこれもごもっともに聞こえる意見で、「なるほどね〜」とうなずきそうにもなるのだが、う〜む、やはりどうにも合点がいかない。

 私事ではあるけれど、私が小学校4年生の時に、父親が海外に転勤することになった。まだ、子供だったので記憶にあいまいな部分もあるが、当時の『我が家の出来事』を思い返すと、最近の内向き問題に関する議論にかなりの違和感を覚えるのだ。

 そもそも、本当に『内向き』傾向が強まっているのだろうか? 内向きな人たちが目立つようになっただけで、昔と何ら変わっていないのではないか、と。そんな素朴な疑問がわいてくる。

 そこで今回は、「本当に内向きなのか?」というテーマで考えてみようと思う。
父の海外転勤が家族に投じた波紋

 私の父は海外出張の多い人だった。私が生まれる時も、七五三の時も、小学校に入学する時も、運動会の時も、一緒にいてほしかった大切な行事の時にはいつも海外出張で、どの写真にも父の姿は残っていない。

 そんな父に長期間の海外勤務が命じられたのは、私が小学4年生、兄が中学校1年生の時である。場所はアメリカ南部のアラバマ州。

 それまでの海外出張は長くても1年半だったから父は単身で行っていたのだが、この時は3年以上にわたるため、「家族で行くように」と会社から要請されたのだった。

 「現地では、夫婦で出席しなくてはいけないパーティーがたくさんあるから、奥さんもパーティー用のドレスや着物を準備していくように」とも言われたそうだ。

 そんな事態を我が家族は、「はい、行きます!」と諸手を挙げて喜んだ……。となれば良かったのだが、残念ながらそうはならなかった。兄の進学問題が両親を悩ますことになったのである。

 当時、中1だった兄は、海外駐在の時期と高校受験が重なることになる。赴任先のアラバマ州ハンツビルという街に日本人学校はない。しかも、ビザの関係でよほどのことがない限り、一時帰国は許されない。つまり、海外に引っ越せば、帰国時に兄は高校1年生。「帰国子女」を受け入れてくれる高校に編入しない限り、戻る場所がなかったのである。

 今であれば、帰国子女枠なるものを設けている高校は結構ある。だが当時は「帰国子女」という言葉も普及していなかった時代だ。編入を受け入れてくれる都内近郊の高校はたった1校。しかもかなりの進学校だった。

 運良く編入試験に合格することができれば問題はないのだろうが、日本の勉強をしないで受験をすることには、両親も兄も不安を感じていた。通らなければ一浪して、翌年に後輩たちと一緒に高校受験をしなくてはいけなくなる。中学生という難しい年齢で、一浪し後輩と一緒に受験することは、兄にとって厳しい選択だと両親も懸念したのだ。

 そこで毎週、仕事が休みで父が家にいる日曜日に家族会議が開かれた。応接間に父、母、兄、私の4人が集まり、「アメリカに家族みんなで行くべきか、それとも父だけ単身で行くべきか?」について話し合ったのである。

 といっても、会議とは名ばかりで、その実態は、兄と私が毎回、それぞれの主張を泣きながら訴え、両親がそれを聞くというものだった。

 「パパと離れたくな〜い! パパと何年も会えないなんてイヤだよ〜!! ビェ〜ン〜〜」。私は毎回、一緒に行くべき説を展開。

 「アメリカなんて行きたくないよ〜! 高校浪人するなんてイヤだよ〜! ビェ〜ン〜〜」。兄は毎回、日本に残ると泣き叫んだ。

 「いつもパパはいなかった。また行ってしまうと、かおるちゃんの小学校の卒業式も、中学校の入学式もいないことになる」。私の言い分も両親には耳に痛いものだった。

 子供の私でも両親の苦悩を感じ取っていたのだから、それはそれは相当のものだったのだろう。

 念のため断っておくが、私の家庭はごく普通の家庭である。私も兄も公立の学校に通っていたし、両親も、教育パパや教育ママと呼ばれるほど教育に熱心ではなかった。母は専業主婦で、父はいわゆる働きバチ。昭和の時代にはありふれていた、いわゆる中流の家庭である。
“家族会議”の末に両親が下した結論

 数回にわたって開かれた家族会議であったが、結果的に私の家族は父親とともに渡米することになった。

 どうやって父が結論を子供たちに話し、嫌がる兄をいかに説得したのか、詳しいことは覚えていない。ただ、あとあと母から聞いた話では、会社側の意向を断れない状況にあったため、行くしかなかった、ということだった。

 嫌がる兄を連れていかなきゃいけないのだから、両親も大変だったに違いない。そこで、毎週末に行われていた家族会議に代わり、次には「アメリカが少しでも身近になる作戦」なるものが始まった。

 横須賀の米軍基地に遊びに行ったり、海外に留学していたという大学生のお兄さん(父親の知人)が家に何度も遊びに来たり、赴任先のアラバマ州にかつて住んでいたことがあるという方の家を訪問したり、といったことが毎週、毎週繰り広げられた。

 恐らく両親は、兄が少しでも前向きな気持ちでアメリカに渡ってくれたらと願ったのだ。

 ちなみに、私は「アメリカに行くから」となぜか内巻きのパーマをかけさせられ、履いたこともないハイヒールのサンダルを履かされ、兄はおニューの 3つぞろいの真っ白なスーツを着せられ、母は今で言う“カリスマ美容師”に当時流行していた「狼カット」という何ともワイルドなネーミングのヘアスタイルにカットしてもらい旅立った。JALという文字とツル丸マークが大きく入ったショルダーバックを1人ずつ肩から提げて、羽田空港の一室に集まった父の仕事関係の人たちに万歳三唱で見送られた。そんな時代でもあったのである。
意思表示が可能になったから、本音が浮き彫りに

 もし今、海外勤務を拒否する動きがある、という現実が本当にあるとするならば、それは“増えた”のではなく、「行きたくない」と意思表示できる環境が整っただけなのだと、私は思う。

 一昔、いや、数年前までは、拒否するどころか、意思表示をすることさえ許されなかったわけで。転勤を断ること=飛ばされる、辞める、こと。そんな状況が現実にはあったのだ。当然ながら、会社側が社員に「転勤を受け入れますか?」なんて質問など、するわけもない。

 ところが時代は変わり、さまざまな働き方が受け入れられるようになった。特に海外転勤している人に過労死が相次いだことが数年前に問題になったことや、転勤に伴う家族に生じる問題に関しても、会社側の責任が問われるようになり、本人の意向を聞く会社も増え始めた。

 「行け!」と命令されれば「はい!」と一つ返事で受け入れる人でも、「どうか?」と聞かれれば、「できれば行きたくない」と答えることだってある。

 行く、行かない。聞く、聞かない。答える、答えない――。

 そんな選択肢が増えたから、「本当は行きたくないんだよね」という本音が浮き彫りになっただけ。内向き傾向が強まったわけじゃない。働く人が意思表示できる場が広がりつつある。それだけのことだと思えてならないのだ。

 もちろん個人によって、家族によって、さまざまな事情があるだろう。しかしながら、今から30年以上前の日本の家族を持つ父親にも、「家族で行ってくれ」という会社の要請を断るという選択肢はなく、「海外に行くべきかどうか」と悩んでいた現実があったことは事実である。「昔は海外勤務が花形で、誰もが海外勤務に飛びつき、誰もが海外に行くことに優越感を感じていた」わけではなかったのである。

 では、海外留学についてはどうか?

 この問題は、単純に母数を完全に無視した結果、内に向いているような錯覚に陥っているだけではないかと思っている。

 例えば、留学する適齢期を20代として考えてみよう。1989年の20〜29歳の人口は1675万6000人。ピークの1997年には1908万 2000人に達したが、その後は減少が続く。2008年には1473万5000人まで落ち込んだ。これらの留学適齢期人口を母数にして、留学者の割合をはじき出すと大騒ぎするほど留学する人は減少してはいない。

 リクルートエージェントが、留学適齢期を18歳から29歳として数値を比較したところ、問題視されている2004年以降も増加傾向は続いており、2009年は前年比0.4%増と過去最高を更新し続けているという。

 また、アメリカの留学生の国別推移が公表され、インドや中国からの留学生が急増する一方、日本人留学生は1990年代後半をピークに減少していることを示すデータが明らかになったが、これも何ら大騒ぎすることじゃない。

 アメリカ以外の国に留学する人が増えただけのこと。アジア、オセアニア、欧州など、留学する地域が広がり、留学先の分散化が進んでいるのである。

 要するにすべては数字のマジック。「草食系」に続くキャッチフレーズを求めていたメディアが、「内向き」という新たな時代のキーワードを印象づけるために都合よくデータを用いているだけだ。

 例えば、「内向き」傾向をめぐる議論の火付け役の1つにもなった産業能率大学の「第4回新入社員のグローバル意識調査」。昨年4月に新卒で入社した18歳から26歳までの新入社員を対象にインターネット上でアンケートを行い、400人から回答を得たこの調査では、「海外で働きたいと思わない」という回答が49%、すなわち2人に1人に上ったことがクローズアップされた。

 だが、その一方で「どんな国・地域でも働きたい」という海外志向の高さを示す回答も27%に上り、2001年から3年おきに行っている同調査では過去最高だった。つまり、「海外に行きたい」と明確かつ強い意志を持っている若者は、むしろ増加傾向にある。内向き傾向が強まっているどころか、逆に外向き傾向が強まっていると言ってもいいような結果だったのだ。
かつて海外は遠い場所だったが……

 そもそも留学熱や海外志向が強まったといわれる1980年代後半は、さまざまな世界状況が変わった時期でもある。プラザ合意で円高が進行して1ドル100円台に突入。ジャンボ旅客機のボーイング747が導入されて、エコノミークラスの運賃に団体割引が用いられ、旅行運賃が格段に安くなった。

 加えて、日本でも週休2日制が普及して休みが増えたことで、経済面だけでなく物理的な面でも、海外に行きやすくなった。まさしくこの時、海外は「誰もが簡単に行ける場所」になったのである。

 今から30年ちょっと前の1970年代後半。日本人にとってまだ海外は、文字通り「海の向こう」で、遠い遠い場所だった。私の家族がそうだったように、最高のおめかしをして出かけるほど非日常的な世界だった。そんな海外との距離感が縮まったのだ。

 それまで手が届かないと思っていた高嶺の花が、少しだけ手を伸ばせば届くと分かれば、「行ってみるか」と思う人は増えるだろう。ただ、それだけのこと。いわば野次馬熱が高まっただけで、外向きになったわけじゃない。時代が変わった、というだけのことだ。

 むしろこれだけ誰もが行ける身近な海外であっても留学する人は、真に「外向き」な志の持ち主といえるのかもしれない。海外転勤を拒否する人が増えているとするならば、労働者の意見が尊重される自由な雰囲気がある企業ということで、むしろ歓迎すべき状況ではないか。

 まぁ、ここまで言うと言い過ぎかもしれないけれど、「内向き」という言語明瞭意味不明瞭の言葉と、数字のマジックに翻弄されているだけのこと。一つも内向きになんかなっていないのである。
グローバル人材に本当に必要なもの

 それでも「内向き」がやたらと問題になるのは、日本に対する危機感の表れなのではあるまいか。そこで最後に、グローバルに通用する人材になるには、海外に行くべきかどうか、留学すべきかどうか、日本の中だけで勝負しないで世界で勝負すべきかどうか、といった点について、私の考えていることを書こうと思う。

 結論から言うと、海外に行こうと日本にこもろうとも、どっちでもいいと思っている。「行きたい」と思う人は行けばいいし、「別に行きたくない」と思う人は行かなくてもいい。「行こうかどうか迷っている」という人に対しては、「迷うくらいなら行けば」とアドバイスするかもしれないけれど。

 大切なのは「自分を極めること」だ。“自分”を知ることなくして、グローバルな存在にも、世界に通じる人にもならないと思う。

 以前、愛知県の有松絞りの生地を扱っている竹田嘉兵衛商店の8代目の竹田嘉兵衛氏にインタビューをさせていただいたことがある。同氏は400年以上の歴史を持つ有松絞りのワザを世界に広めた人物だ。

 インタビューの最中、竹田氏は実に興味深いことをおっしゃった。「外に合わせたりするんではなく、内を徹底的に知ると結果的に外に通用するようになるんです」と。

 もともと商社マンだった竹田氏は、家業を継ぐに当たって世界に進出しようと考えた。当時は着物を着る人も減り、売り上げも減っていた。そこで、着物を洋服風にデザインしたり、洋服風の着こなしを提案したりと、起死回生を目指したそうだ。

 ところが、話題にはなっても売り上げは一向に伸びない。あれこれ西洋の技術やデザインを取り入れ、着物との融合を試したが、なかなかうまくいかなかった。

 そのため、いったんは廃業することまで考えた。だが、「400年も続くものには、受け継がれるだけの理由がある」と自分に言い聞かせた。ならば「その理由」を突き詰めようと、有松絞りにこだわるようにしたという。

 有松絞りの良さとは何か? 400年も受け継がれてきたのはなぜか?

 それまで当たり前のように自分の元にあった有松絞りのワザを、徹底的に研究したそうだ。

 すると、有松絞りがほかの国にはない、独特の手法とワザ、模様を持っていることを改めて発見した。有松絞りの歴史を知れば知るほど、「このワザはここにしかない」という確信がふくらんだ。

 受け継がれてきた有松絞りのすごさや有松絞りならではの特徴が見えてきたことで、その特徴や良さをもっとたくさんの人たちに知ってもらいたいと思うようにもなった。そこで、あえて伝統的な模様を施して、有松絞りの良さが最高に引き出される着物を考案し、発表し続けたのである。

 そのうちに、海外の方から「有松絞りについて教えてほしい」との連絡が入った。そしてデザイナーが、「有松絞りのワザを使った洋服の生地を仕立てたい」と海外から駆けつけたのだ。

 今では、三宅一生氏をはじめとする世界のトップデザイナーたちが競うようにして、有松絞りを使った衣装をパリコレに出展するまでになった。

 日本で受け継がれた伝統的の有松絞りのワザにこだわったことで、世界に羽ばたくことになったのである。

 世界で通用する、ということは、こういうことなのだと思う。
内でも外でもいい、半歩でも前進することこそが必要

 「外向き」というのは、何も場所を変えることではない。海外に行くことでもなければ、地方に行くことでもない。

 外だろうと、内だろうと、上だろうと、下だろうと、斜めだろうと何だろうと、知りたい、見たい、やってみたい、触ってみたいと、「半歩でもいいから、前に歩いてみよう!」と思いを募らせ、まずは行動してみればいいのではないか。

 知らなかったことを知り、やったことがないことをやり、触ったことがないものに触れれば、それまで見えなかったことが見えてくる。竹田氏が「受け継がれるには理由があるはずだ」と気づいたのも、洋風の着物を作ってみたり、新しいデザインを試してみたり、「どうにかしなければ」と、前に進む努力をしたからだ。

 恐らく、「海外に行っていろいろ経験した方が、グローバルに通用する人材になれる」と信じている人は、こう考えているのだろう。「外に出ると必然的に日本が外から見える。国内にいる時には何とも思わなかったことが、世界から見るとおかしなこともある。日本にばかりいると、視野が狭くなるから、世界に出ようよ」と。

 確かに海外に行くことは、自分を知るきっかけになるかもしれない。でも、その貴重なきっかけでさえ、「半歩でも前に歩いてみたい!」という気持ちがなければ、ただ単に情報が増えるだけ。外に出向いていったところで、全く成長しないで終わってしまうことだろう。

 ちなみに私は大学3年生の時に、3カ月間だけアラバマの大学に留学した。大学では寮に入り、ルームメイトに日本のことをあれこれ聞かれ、困ったことがある。

 「日本の人口は何人で、戦後どう変わったのか?」
 「日本の政治はどういう仕組みになっているのか?」
 「日本人はなぜ、ちょんまげだったのか?」

 などなど、彼女は「日本」という国と、日本人について素朴な疑問を次々と投げかけた。情けないことに、私は日本人なのに、何一つまともに答えられなかった。

 海外に行きたがらない日本人もいれば、海外には行きたがっても、日本のことはろくに知らない日本人もいる。外を向く前に、まだやるべきことがあるのではないか。

 いや、外から内を攻めても一向に構わない。やり方に正解も間違いも、何もないのだから。要は、「内向き」という言葉に過剰に惑わされ、問題の本質から目を背けている状態こそが、「内向き」ということなんじゃないでしょうかね。
このコラムについて
河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学

上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。

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著者プロフィール

河合 薫(かわい・かおる)

河合 薫博士(Ph.D.、保健学)・東京大学客員研究員・気象予報士。千葉県生まれ。1988年、千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。2004年、東京大学大学院医学系研究科修士課程修了、2007年博士課程修了。長岡技術科学大学非常勤講師、東京大学非常勤講師、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。医療・健康に関する様々な学会に所属。主な著書に『「なりたい自分」に変わる9:1の法則』(東洋経済新報社)、『上司の前で泣く女』『私が絶望しない理由』(ともにプレジデント社)、『を使えない上司はいらない!』(PHP新書604)


11. 2011年1月27日 16:13:20: cqRnZH2CUM
徳永英子 [リクルート ワークス研究所 研究員]
景気低迷期でもなぜ企業は新卒採用を続けるか?バブル経済崩壊後とは大きく違う近年の新卒回帰の潮流とその背景を探る 

 前回の第1回では、2012年卒者の採用見通しについて述べた。
 今回のテーマは、前回、約束した新卒採用において、バブル経済崩壊後の景気低迷期と、近年の景気低迷期の状況で、異なる点についてである。それは「企業の採用基準が厳しくなっていることでしょ」と、思われるかもしれないが、今日の話はそこではない。
 今回のテーマは「この景況感の中で、なぜ企業は新卒採用を行うのか?」、また「採用を抑制すると、リスクになるのか?」についてである。
大卒者の新卒採用人数を決める際企業が考慮する項目は何か

 企業が、大学院生を含む大卒者の新卒採用の採用人数を決めるにあたり、景気が影響していることは周知の如くである。
 何を考慮して採用人数を決めているかについて、少し数字をベースに分析してみよう。図表1にあるように、景気動向や自社の売上や利益動向のほか、人材の過不足はもちろんのこと、新卒採用における中長期的ポリシーや従業員の年齢構成なども、考慮していることがわかる。
次のページ>>新卒採用における中長期的ポリシーとは
これらの中で、「新卒採用における中長期的ポリシー」とは、何を意味しているのか。
 近年にも見られる景気低迷期では、企業は採用自体を凍結するか大幅に減少させているのだが、バブル経済崩壊後の1990年中盤以降は、まさしく、採用凍結や大幅減が行われた「就職難」時代であった。(詳しくは前回参照)
 しかし、この時代と近年の採用市場を比較して見ると、景況こそ似ているものの、その内容は異なっており、これこそが、「企業が景気低迷期においても新卒採用を行う」という「ポリシー(方針)」なのである。
 もちろん、景気低迷期にもかかわらず、新卒採用を行っていた企業はあったのだが、近年では、企業の意思として行われている。
 では、なぜ、新卒採用を行うのか。それは、現状において、「企業の組織上で、問題・課題が起きている」からだ。では、新卒採用と組織上の問題・課題とが、なぜ関係しているのだろうか。
 前述したように、バブル経済崩壊後の1990年中盤以降の十数余年、新卒採用の凍結や大幅な採用抑制により、その年代に入社した人材がいないか極 端に少ないため、「従業員の年齢構造のゆがみ」が生じている企業は多い。また、「次世代を担う人材がいない」という声も少なくない。
 確かに、採用抑制の時期が長くなれば、後にその年代を中途採用などで採らない限り、ゆがみが生じることは明らかだ。しかし、「問題・課題」の核心は、実はほかにある。
企業の組織上に起きている問題・課題を紐解く
 その「問題・課題」とは何か。そのことについて、紐解いていきたい。
次のページ>>年齢構成のゆがみがもたらした組織の弱体化
現状、企業の組織上に起きている問題・課題を解く鍵を与えてくれるのが、図表2である。

 最も「問題・課題」であるのは、「従業員の年齢構造のゆがみ」で、「次世代リーダーが育っていない」「中間管理職のマネジメント力の低下」「従業員間でのコミュニケーションの希薄化」と続く。これらについては、企業からの声としても、よく聞かれるものだ。
 バブル経済崩壊以降、長引く新卒採用抑制の影響により、若年層が極端に少なくなるという年齢構成のゆがみが生じたことが起点となり、組織が弱体化するという状況が見られている。これらのことから、図表3のような負のサイクルが、企業の力を衰退させたと推察される。

次のページ>>採用数のばらつきが大きいほど課題を抱える
 しかし、現実にはこれらの問題・課題が多く起きている企業と、そうでない企業が見られる。
 まず、問題・課題が多く起きている企業だが、これらの企業は、バブル経済崩壊後の1990年代に、各年において採用人数のばらつきが大きいところ である。ばらつきが大きいということは、採用人数が一定ではなく、多く採用した年もあれば、少ない採用を行った、つまり、採用数の上下幅が大きいことを意 味している。
 一方、問題・課題が少ない企業は、各年において採用人数のばらつきが小さい、つまり採用人数が一定の企業である。
 一定数の若年者を定期的に採用し続けることが、企業組織の健全性を高めることが改めて確認されたのであるが、このような状況を経て、企業は新卒採用を重視するようになったのである。
 採用抑制の反動が「リスク」となって跳ね返って来ることを避けるためともいえる。
 だからといって、過去採用を抑制した状況を否定はできない。それは、その時点において、短期的な視点では、採用を抑制することが最適であったの だ。誰しもが、景気低迷が長引くとは想定しておらず、数年後には景気が回復し、採用を再開できるはず、と願っていたのではないか。しかし、景気回復まで長 い時間を要することとなったため、問題・課題が起きてしまったのである。
 過去の教訓を踏まえ、長く採用を抑制していると、長期的な視点ではリスクとなる可能性があるため、新卒採用のポリシー(方針)として「中長期的」な視点で採用を重視しているのである。
 これは、新卒回帰の潮流といっても、過言ではないだろう。
次のページ>>。ヨコミュニケーションの希薄化」が生れる状況
問題・課題の一つである「コミュニケーションの希薄化」についても、触れておきたい。
「今どきの若者は、ホウレンソウ(報告・連絡・相談)がなってない」と、嘆く声も聞かれるのであるが、自らの意思で「ホウレンソウ」をしない訳ではない事実を、ご存じだろうか。困った時など相談したくても、できない状況があるのである。
 その理由はいくつかあるが、代表的なものとして、「気軽に相談できる先輩や上司がいない」や「忙しすぎて、声を掛けにくい」とのことだ。
「気軽に相談できない」というのは、年齢の一番近い先輩は10歳上であるとか、先輩がいなく、年が離れた上司しかいないことで、仕事に対する価値観の違いが世代間ギャップを生み、遠い存在になってしまう状況もあるようだ。
 また、「忙しすぎて」は、いろいろな場面もあるとしても、忙しい人に対して声を掛けることに躊躇したり、遠慮してしまったりといった様子がうかがえる。
 しかし、このような状況が続くと、疎外感や仕事の遅れの焦りから、上手く仕事が回せなくなってしまい、八方塞がりに陥るケースも多い。このような状況から、心の病にかかってしまう人もおり、残念ながら退職に至ってしまう人もいる。
 一方、相談される側であるが、こちらも、長く後輩が入ってこないため、いつまでも後輩扱いされることもあり、成長意欲も含めたモチベーションが高まらない、といった様子もうかがえる。
 こうしたことから、不健全な状態となり、これらの積み重ねが、組織上の問題・課題となっていくのである。
次のページ>>企業が知恵を絞る「離職」防止の対策とは
 若年者の離職問題は今にはじまったことではなく、「就職難」と言われた1990年代後半から、浮上していた事象である。
「七五三問題」という言葉を、見聞きしたことのある人も多いだろう。これは新卒で入社後、3年以内で離職する状況を、中卒者7割、高卒者5割、大卒者3割として表している言葉である。
 辞めてしまう理由については、さまざまな状況があるが、前述したように、新卒採用の抑制がその一因となっていることも、事実である。
 そのほかの理由として、入社前後のギャップにより、離職に至るケースも少なくない。
 就職活動中、面接などで「自社で何がしたいか」と問われることが多いが、その企業への熱意を伝える同時に、自分の意向を答える。ここで答えた自分 のしたいことが、入社後必ずしもできるかといえば、そうばかりではないだろう。そのような場合、自分がやりたいこととは違うから辞める、という、辛抱が足 りないのではないかと叱りたくなるような実態もある。
 こうしたことから、若年者の離職を防止すべく、さまざまな対策を行っている企業がある。
 採用フローにおいて、「会社説明会・セミナーや先輩社員との懇談会など、学生と社員とが接する機会を設け、相互が本音で話ができるよう心がけている」、「学生に対して対等な立場で接し、納得した上で企業を選んでもらうことを大切にしている」などの企業も見られる。
 入社後であるが、同期との横のつながりを重要視すると同時に、縦つまり先輩や上司、その上の上司等とのつながりも重視し、花見や食事会など部門ごとにイベントを実施して、世代を越えたコミュニケーションを取る機会を増やしている企業も見られる。
次のページ>>エントリーシート→面接選考の限界
話題を新卒採用に戻そう。新卒採用の選考時に重視する項目としては、企業は「コミュニケーション能力」を最も重要視している(図表4参照)。

 この「コミュニケーション」の定義だが、世代によって異なってきているような感覚がある。少し余談になるが、たとえば、「飲ミュニケーション」に よってコミュニケーションを図っている(いた)世代と、「仕事とプライベートは別」と割り切り、職場の飲み会は参加しても1次会だけと思っている世代とで は、価値観が異なっている。いわゆる世代間ギャップである。
 さて、「コミュニケーション能力」に関して、現状、多くの企業が導入している新卒採用の選考手法は、エントリーシート→面接をその中心において、応募者の自己PR・志望動機をもとに、その人物の人となりや能力・資質を判断している。
 しかし、面接だけに頼った選考を続けることは、求めるべき人物を選考し損なう採用リスクを伴うことにならないだろうか。というのは、学生の中には、「演じることに」長けた学生も大量に生まれている状況が見られるからである。
 新卒採用を重視している中ではあるが、グローバル化の波や将来を担う人材を採用していくには、旧来通りの画一的な採用方法を見直していく必要があるのではないだろうか。
 新卒一括採用の早期化・長期化の問題から発し、学業重視の観点から時期の見直し等々が議論されている。採用については、欧米企業などが行っているものも、参考になるのではないだろうか。
 採用時期や欧米企業の採用事情については、次回以降、後任者が述べるので、期待していただきたい。
(ワークス研究所研究員 徳永英子)
質問1 不況でも継続的に新卒採用は続けていくべきだと思いますか?
 55.2%
そう思う
21.2%
ある程度の抑制にとどめるべき
13.3%
そうは思わない
9.7%
不況の程度による
0.6%
わからない


12. 2011年1月27日 16:20:03: cqRnZH2CUM
TOPライフ・健康「引きこもり」するオトナたち
【第53回】 2011年1月27日池上正樹 [ジャーナリスト] 
オバマ批判はできても「自分の明日」は語れない引きこもりに多い“セカイ系”の不思議な生態 
 最近、「セカイ系」と呼ばれる人たちが増えているという。
 セカイ系とは、自分自身の思考が、内面にある「自分」の問題の次に、平和や環境といった「世界」の出来事があるという意識傾向を持った人たちのことだそうで、その「自分」と「世界」をつなぐ「真ん中」がすっぽり抜けているのが特徴だ。
 元々、インターネット上で広まった言葉らしいのだが、引きこもる人たちの間でも、そのまま自らに当てはめて、使われるようになったようだという。長年、引きこもる若者たちの支援や就労活動に携わってきたNPO法人「育て上げネット」(東京都立川市)理事長の工藤啓さんによると、当事者自らが「自分はセカイ系だから…」などとネーミングしているらしい。
 工藤さんによると、こうした「思考が自分の次にセカイ」という意識傾向を持った人たちは、自らの頭が良すぎるために、自分は動けないけど、机上で「世界や社会には問題があるのではないか」と常に考えているタイプが結構多いそうなのだ。
 もちろん、意識的に、あるいは特性として真ん中が抜けている人もいる。また、何らかの医療的な問題があって、「自分」と「世界」がいきなりつながってしまう人たちもいるので、一概にくくれない部分もあるのかもしれない。
知識やうんちくを熱く語り続ける「セカイ系」の人々にある孤独
 ただ、なかなか仕事に就くことができずにいるのに、政治や経済だけでなく、社会とか文化とかの話になると、とうとうと語り出す人たちを「引きこもり」の取材現場でも何人か見てきた。
「子どものころ見ていたドラマの『金八先生』シリーズが終わるらしいけど、当時流行った“ツッパリ”とか“なめ猫”とか、意図が理解できなかったんです」
 先日も、20年近く引きこもっている40代の男性が、食事しながらインタビューしているときに、そんな話を唐突に切り出してきて、こう続けた。
次のページ>>質問を無視し、独自の映画理論を語る「セカイ系」
「『トロン:レガシー』という映画があるじゃないですか?」
 筆者はよく知らなかったのだが、アメリカ・ディズニーの3D映画のことで、28年ぶりの続編として2010年12月から上映されている。
「あの映画(『トロン』)が最初に登場したとき、私は中学生だったんです。“世界初のCG”といわれていたけど、ほとんどアニメーションなんです よ。僕は信じていたんだけど、世の中は“失敗作”だと冷めた見方をしていた。同じ頃、『ダーククリスタル』という映画があって、宮崎駿さんの『天空の城ラ ピュタ』に影響を与えたらしいですが、日本ではほとんど知る人がいなかったんです。でも、私はこれ以上のファンタジーはないと思うんですよ…」
 社会から離脱するきっかけを聞いていたはずだったのに、気がついたら、筆者の質問意図からどんどん離れていって、独自の映画論が展開されていく。
「映画になると、ファンタジーの世界でも戦争をしているじゃないですか?私は『ファイナルファンタジー』(ゲームソフト)を見ていると、女の子と 武器が出てきて、何がファンタジーだと思っちゃうんですね。『ダーククリスタル』が当時もいまもいいと思うのは、主人公が闘わない。“勇気と献身によっ て、世界を救う”というメッセージのストーリーなんですよ」
 どこまでも話が続いていきそうだったので、筆者は「SFやアニメが好きなんですね?」などと振ってみた。
「僕らの世代って、団塊ジュニアだから。ちょうど永井豪さんや石森章太郎さん(ともに漫画家)がどんどんアイデアを出してきて、マジンガーZや仮 面ライダーとかの世代ですね。私はファンタジーが好きなんです。ガンダムはあまり好きじゃない。人殺しの兵器ですからね。お台場にガンダムが置かれたと き、喜んでいた人がいるけど、あれってアメリカの戦車やミサイルを置いていたようなものなんですよ…」
次のページ>>根拠のない“さわやかな不安”に悩む「フアン系」
 学者や研究者などの専門家にインタビューしていると、似たような経験をすることが時々ある。こちらの関心の有無とは離れたところで、話が自分の好きな世界へどんどん広がっていってしまうのだ。
「引きこもり」の意識傾向をもつ人たちは、孤独な生活を送っていることが多く、地道に蓄積してきた知識やうんちくを人前で話す機会など、そうそうあるわけではない。こうした自分の持っている良さを活かせば、生活面では自立できるようになるのではないかと思えるのだが…。
 しかし、前出の男性に、今後の生活のことを尋ねると、「社会に出たいとは思っているんですが…」といいながら、とたんに口ごもってしまう。
「オバマはダメだ…」などと、さんざん解説していた当事者が、自分の明日の仕事については語れない。他人事のテーマでは、生き生きと語っていたのがウソのようになる人は少なくない。
 共通しているのは、孤立した状況から、自分と社会をつなぐイメージを持てずにいることである。
根拠のない“さわやかな不安”に悩む「フアン系」も引きこもりに多い
 一方で、よく目にするのが、漠然とした将来の不安や人間関係に悩み、「どうせ受からない」とか、「どうせ仕事に就いたとしてもうまくやっていけない」などと、できない理由を先に自分の頭の中で組み立ててしまうタイプだ。
 工藤さんによると、彼らは「フアン系」と呼ばれていて、やはり同じように本人たちが「自分はフアン系…」などと言い合っているという。
 実際に、挑戦したことも経験したこともないのに、なんで自分はダメだとわかるのか。その「フアン」に、根拠があるわけではない。だからなのか、「さわやかなフアン」といわれることもあるそうだ。
次のページ>>なぜ「セカイ系」や「フアン系」が生まれたのか
 もちろん、医学的な問題などから、1歩を踏み出せない人たちもいるから、その辺の定義がはっきりしているわけではない。ただ、実際見ていると、こうした「フアン系」の人たちは、「引きこもり」の本丸といってもいいくらい、多いような気がする。
「フアン系」の人たちが社会に出られずにいる意識傾向をさらに分析すると、「自分が働きに出ることは、誰かが働けたはずの職を奪ってしまうことになるのではないか」と気にしているのだそうだ。
 自分が成功することは、誰かを不幸へ蹴落とすことにつながるのではないか――。そう謙虚に考えるのは、つい周囲の人間関係に気配りしてしまう、本来の「引きこもり」の人たちの特徴でもある。
 学校時代の“スクールカースト”から始まって、大人になっても厳しい競争社会の中で、戦場のような“椅子取りゲーム”になじめなかった人たちが、社会に背を向けて引きこもっていく。
「セカイ系」や「フアン系」と呼ばれる人たちが出現したのも、「引きこもり」の世界だけの話ではない。そんな背景が生み出した日本社会の問題でもある。
発売中の拙著『ドキュメント ひきこもり〜「長期化」と「高年齢化」の実態〜』(宝島社新書)では、このように、いまの日本という国が、膨大な数の「引きこもり」を輩出し続ける根源的な問いを追い求め、当事者や家族らの語る“壮絶な現場”をリポートしています。ぜひご一読ください。
質問1 あなたにも「セカイ系」や「フアン系」の傾向はあると思う?
 44.6%
セカイ系の傾向があると思う
37.8%
どちらでもない
17.6%
フアン系の傾向があると思う

13. 2011年1月28日 10:11:25: cqRnZH2CUM
日経ビジネス オンライントップ>企業・経営>御立尚資の帰ってきた「経営レンズ箱」
アフリカで見た教育への希望とそれが失われた日本
認識ギャップを埋めない限り、「就職難」は解消しない

* 2011年1月28日 金曜日
* 御立 尚資

貧困  先進国  教育  大学生  工業化  産業革命  就職難  イノベーション  成長  中流化  新興国  アフリカ  難民  支援  感染症  ケニア 

 以前、ケニアに行く機会を得た。国連のWFP(世界食糧計画)のお手伝いをしている関係で、食糧援助の現場に行くことになり、ソマリアとの国境にある難民キャンプ、干ばつが続いて家畜を失った遊牧民の仮居住地、そして首都ナイロビにある世界最大のスラム、キベラの3カ所を回った。

 その際に感じたエイズをはじめとする感染症の問題については、一度このコラムの前身(関連記事:アフリカで見たもの)でも触れたので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれない。

 今回は、今振り返ってみても、ケニアで見聞きしたことの中で一番ガツンと衝撃を受けたことについて書いてみたい。極度の貧困や生命の危機に囲まれた状況での、「次世代の将来をつくるもの」への熱情ということについてである。

援助物資よりも教育を望んだケニアの人々

 ケニアで回った3カ所それぞれで、同じ質問をしてみた。食糧援助の現場なので、「食糧以外に、どのような援助を期待しますか」という内容だ。

 日本人からのこういう質問に対して、もし読者の皆さんが次のような立場に置かれていたら、どういう答えをすると思われるだろうか。
・ 内戦で国を追われ、数百キロメートルにもわたる距離を、ゲリラや強盗の襲撃の恐怖に襲われながら逃げてきた難民
・ 生活の糧であり、さまざまな文化の中核でもある家畜たちを相次ぐ干ばつですべて失ってしまった遊牧民
・ エイズで両親をなくし、思春期の10代から小学生までの4人だけで、段ボールとほんの少しの板切れを組み合わせたスラム街の家で暮らす子供たち

 その場にいた私は、大変恥ずかしながら、「衣類や医薬を欲しがるかな、あるいは日本人ということで、何か家電製品が欲しいと言うのだろうか」と浅薄なことを考えていた。

 ところが、返ってきた答えは、3カ所とも同じ。何と「教育を援助してほしい」というのだ。

 難民キャンプでは、次のような答えが返ってきた。

 「自分たちの国は、自分たちの世代ではきっと復興に至らないだろう。ただ、ここにいる子供たち、ここでこれから生まれてくる子供たちの世代が、平和になった国に帰れるようになった際に、ソマリアの復興に役に立ち、かつ暮らし向きの良い生活ができるようにしたい」

 「ついては、難民キャンプの中での初等教育だけでは不足なので、中学、高校を作る、あるいは外の学校に優秀な子だけでも行けるように奨学金制度を作る、といったことを、是非お願いしたい」

 自らは読み書きのできない遊牧民は、次のように語った。

 「遊牧をしている限りは、学問というのはあまり意味があるとは思えない。(部族のしきたりや遊牧の中での伝承を通じて)必要なことは自然と覚えられるから。ただ、村に定住するとなると、子供たちは、村の子供たち同様に、読み書きができ、数字を操れるようにならないと、対等に暮らしていくことができない。仮住まいの定住地ではあるが、何とか、小学校の教育を提供してもらえるよう助けてもらえないか」

 スラムに住む4人兄弟の2番目の男の子は、中学レベルの学校で優秀な成績を上げているらしいのだが、自分もエイズに感染しており、既に腹水がたまって大きくお腹がふくれている。

 そういう状況で、「自分は勉強が好きなので、上の学校に行きたい。そして、キベラ(スラム地区)に住んでいる、自分と同じような境遇の子供たちを教える教師になりたい」と夢を語り、はにかみながら、それを助けてもらえるとうれしいと答えた。

 正直なところ、私自身には、とても考えが及ばなかったような答えが、3回続けて返ってきた。

 「今現在の飢餓すれすれの状況から抜け出すのに、食糧を援助してくださって本当にありがとう。でも、これからのことを考えると、『教育』を助けてもらえることが、もっともありがたい」

 要約してしまえば、こういうことだろうが、同様の問いを先進国で貧困に苦しんでおられる方に投げかけてみたら、どういうふうに返ってくるだろう。逆に、さまざまな支援活動に携わる側に聞いてみたら、どうだろうか。

 就業訓練の話はきっと出てくるような気がするし、何人かの方は「子供たちの教育」に触れられるだろう。ただ、ケニアで聞いたような「初等・中等教育さえきちんと受けられれば、子供たちの将来は、きっと今より良いものになるはずだ」という、未来に向けた強い気持ち、教育に対する深い信念と熱意、というものは、同じレベルでは返ってこないような気がしてならない。

 いったん、ちょっと引いて考えてみよう。

 初等・中等教育が行きわたり、軽工業から少しずつ工業化が始まる。それに伴って、工業社会型の流通業やサービス業も整備されていく。

 社会経済全体の生産性が上がり始め、ある段階から労働者の賃金も上がっていき、工業社会の勤労層が、中流階級の仲間入りをし、社会の中で大きな割合を占めるようになる。

 産業革命以降、多くの国の発展は、上記のようなパターンをたどってきた。

 もちろん、国の経営の巧拙、資源価格の乱高下や戦争といった大きな変化、さらには「地の利」や、恐らく「運」という存在もあって、うまくいった国、それほどでもない国、いろいろとある。だが、大きく言ってしまえば、「初等・中等教育充実→工業化→中流社会形成」というのが典型パターンだといってもよいだろう。

 ケニアのように、このパターンに入りかけている国、あるいは昨今大きく伸びてきている大部分の新興国のように、このパターンの真っ只中にいる国。こういった国では、教育に対する信仰的なまでの信頼と熱意が、素直かつ自然に醸成されやすい気がする。1970年代ぐらいまでの日本も同様だったかもしれない。

先進国になると教育が成長に直結しなくなる

 ところが、1人当たりGDPが3 万ドル(約246万円)あたりを超え、いわゆる先進国の仲間入りをした後は、事はそう単純ではない。初等・中等教育の義務化は何年も前に終わっており、また、生活レベルを向上させ、国を発展させるということと、教育投資をすることとが、目に見えるような形でリンクしにくくなる。

 イノベーションを生み、企業競争力を上げるうえで、高等教育の重要性が高まってくるが、一方で、中流社会の中での進学ブームは、高等教育自体をマス化してしまう。

 大学卒の希少性が次第に失われ、また、(大学教育が企業ニーズに合わせる形でよほどの自己変革を行わない限り)大学卒というだけでは、過去には大学卒だから就くことができていた職種に就けなくなってくる。

 今、日本で起こっていることは、こういった工業化・中流化を数十年前に達成してしまった国ならではの、さまざまなミスマッチの顕在化だろうと思える。

 これが最も顕著に表れているのが、現在の大学生の「就職難」だと思う。就職氷河期論が叫ばれて久しいし、実際に正社員の職に就けない大卒者も多数存在して、社会問題化していることはご存知の通りである。

 文部科学省の学校基本調査を見ると、大学卒業者の就職率は、いわゆる失われた20年の間に、大きく低下している。

 しかし、気をつけて見てみると、同じ期間の大学卒業者数は、大きく増加していることに気づかされる。

 この2つの数字を掛け算してみれば明らかなのだが、この間の大卒就職者数は30万人台で増減しているものの、実は大きな変化を見せていない。

 確かに、年によって「大卒採用数」あるいは「大卒募集数」はある程度変化する(従って、卒業年による運不運は一定程度存在する)ものの、そのこと自体よりも、1990年から2005年までの間に、大学卒業者数が15万人、3割以上も増えたことの方が、就職難により大きなインパクトを与えているといってもよいだろう。

 少子化と言われつつも、大学の定員大幅増、進学率の高まりから、大学卒業者数が増え続けた。このため、求職者数と採用者数のミスマッチが起こっているのだ。

 さらに、卒業生本人も、その親も、過去の大卒者の就職先・職種のイメージを引きずり、大企業のホワイトカラー中心の就職を当然視している可能性が高く、それがパーセプション(認識)上のミスマッチを引き起こしていそうだ。

 リクルートワークス研究所の調査によれば、2011年3月卒の大学生に対する民間企業の求人総数は、58万2000人。これに対して、民間企業への就職希望者は、45万6000人。求人総数の方が求職者よりも多いらしい。

 一方、企業の規模別の求人倍率を見てみると、従業員数5000人以上の大企業では0.47、1000人以上では0.63と、求職者数の方が上回る狭き門なのだが、300人未満の中小企業では、これが4.41となり、圧倒的な売り手市場になる。

 大卒者が、企業規模や職種にこだわらず、中小企業も含めて、職を求めれば、全体としては、募集人数の方が卒業生より多い。にもかかわらず、皆が限られた大企業を志望するため、就職難が起こっているということだろう。

 大変ドライな物言いになってしまって恐縮だが、親の世代と同じ感覚で、「大卒の就職は、大企業のホワイトカラー」という思い込みがある限り、景気の良し悪しにかかわらず、現在のような「就職難」は解消しない。

 大卒者全般を取ってみれば、中小企業や現場の仕事も含めて、もう少し幅広くキャリア形成を考えていかない限り、出口がないのではなかろうか。

 もっと言えば、これは大学生の側だけでなく、企業の側にも、パーセプションギャップ解消の責任があるように思える。人口減少、デフレ経済という状況の中でも、従来型の大卒求人は何とか同程度続けてきているものの、どこかではっきりと「従来のような大学を出た新卒の仕事、というだけでは、大部分の大学卒業者に職を提供することはできない」ということを率直に伝えることが必要だろう。

企業はほしい人材について本音を語るべき

 これは、単純に、「現在の大卒の多くは、過去の高卒者の仕事についてもらうしかない」ということではない。これからグローバル展開の度合いをさらに強めていく多くの企業は、海外人材をどんどん採用していくことになろう。しかし、必要な能力を有する日本人大学卒業者がもっと多く出てくれば、彼ら、彼女らを(日本人の採用数を増やしても)採用する企業は数多いはずだ。

 例えば、議論してみると、本音では次のように思っている企業がいくつも存在する。

 「新興国への事業拡大、あるいはイノベーション拡充によって、企業の成長、そして日本人の雇用維持は可能である。逆説的に言えば、こういう方法でしか、日本の経済と社会を元気にしていくやり方はない」

 「従って、学歴にかかわらず、異文化・言語について深く学んだ人材、あるいは異分野の人とチームで働きイノベーションに貢献できる人材を強く求めるので、それに向けて、(大学在学中に)自らを鍛えてきてほしい」

 「教育によって、自らの生活を向上し、さらにより良い社会・国づくりにも役立つ」という熱気を取り戻すためにも、企業側はこういった本音を語っていき、大学教育、そして大学生の自らのキャリア設計を進化させていく手助けをすることも不可欠だと考える。

 ケニアやその他の新興国の「教育」信仰は、一面うらやましいところがある。しかし、彼らから見れば、もっとうらやましいレベルまで社会・経済を進歩させてきた我々は、現在の日本および日本企業のニーズに応じた形で、新たな「より良い社会づくりにつながる教育への熱意」を、意思をもって構築していく時期にある。

 「昔は良かった」とか「最近の大学生は…」といった出口のない堂々巡りの教育論が目立つけれども、もっと前向きの「新しい日本の教育論」を戦わせ、そして何よりも、学ぶ内容、自らのパーセプションの両面のギャップから、暗い気持ちになりがちな学生の皆さんを元気づけていく方が、建設的だと思っている。

 読者の皆さんは、どうお考えになるだろうか?
このコラムについて
御立尚資の帰ってきた「経営レンズ箱」

コンサルタントは様々な「レンズ」を通して経営を見つめています。レンズは使い方次第で、経営の現状や課題を思いもよらない姿で浮かび上がらせてくれます。いつもは仕事の中で、レンズを覗きながら、ぶつぶつとつぶやいているだけですが、ひょっとしたら、こうしたレンズを面白がってくれる人がいるかもしれません。
【「経営レンズ箱」】2006年6月29日〜2009年7月31日まで連載

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著者プロフィール

御立 尚資(みたち・たかし)
御立 尚資

ボストン コンサルティング グループ日本代表。京都大学文学部卒。米ハーバード大学経営学修士(MBA with High Distinction)。日本航空を経て現在に至る。様々な業界に対し、事業戦略、グループ経営、M&A(合併・買収)などの戦略策定、実行支援、経営人材育成、組織能力向上などのプロジェクトを数多く手がけている。著書に『戦略「脳」を鍛える』(東洋経済新報社、2003年)、『使う力』(PHP研究所、2006年)、『経営思考の「補助線」』(日本経済新聞出版社、2009年)など。


14. 2011年1月29日 10:19:04: cqRnZH2CUM
坪井賢一 [ダイヤモンド社取締役]
金沢はかつて全国5位の大都市 1960年代高度成長に起きた人口移動の歴史的背景

大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊 約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、約100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら 歴史を逆引きしていく。今回は、1960年代高度経済成長期を人口移動の面から読み解く。(坪井賢一)
わずか5年で所得倍増!高度成長の条件は揃っていた
 1958年前後から1973年まで、日本は歴史的な高度成長時代を過ごした。ちょうど現在の中国のような状況だ。十分な労働力が地方から供給され、資本の蓄積が進み、為替レートは固定相場で円安だった。人口は増加し、大都市への集中が進む。
 高度成長の条件はそろっていた。
 GDP成長率と名目実額の推移を整理すると、

 高度成長を政策として取り上げたのは1960年7月に就任した池田隼人首相だ。9月に「所得倍増計画」を発表する。名目GDPの実額を見ると、1965年、つまり5年間で倍増となり、早々と目標を達成していることがわかる。
 これから日本の1960年代高度成長期について、「週刊ダイヤモンド」を逆引きしながら探検してみるが、今回は1960年代の日本人の原形を考えてみたい。
次のページ>>近代化と高度成長の過程で起きた地方と都会の文化相互作用
近代化と高度成長の過程で起きた地方と都会の文化相互作用
 宮本常一と筑波常治(★注)の対談が「週刊ダイヤモンド」(1971年8月28日号)に掲載されている。1960年代を通観した民俗学者と科学史家の視線は、変化する日本人の文化、変化しない文化に当てられていて面白い。
 この対談の掲載号は「ドル・ショック」で揺れる日本経済の記事で満載だ。結果として、グローバリゼーション前夜の日本の光景を大局的に見ることができる。タイトルは「日本人の旅と文化の交流」。
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筑波 日本人は、水田の米づくりを中心に生活をたててきたため、定住性が強く、勤勉な民族であるというようなこ とがよくいわれます。ところが、宮本さんの場合には、民俗学の立場からずいぶんほうぼうを旅されて、水田地帯以外のたとえば、へき地とか、離島とか、ある いは豪雪地帯などもごらんになっていると思うんです。そういう所の人々は、米づくりの日本人といった常識的な日本人のイメージと、ずいぶん異なったものが あって、いまでも、それがさまざまな形で尾を引いているのではないかと考えるんですが、ご経験を交えてお聞かせ願いませんか。
宮本 稲をつくっている人と、漁業をやっている人と、それからそれ以外の人と、大きく3つに分けられると思います。稲作や林業に携わっている人たちは、古い縄文文化を伝えてきた人たちです。それがのちに武士階級を作り上げていった、と私は見ています。というのは、平地から出た強い武将は織田信長と豊臣秀吉ぐらいで、彼らが天下をとったのは鉄砲をもったからです。それ以外は徳川家康からはじまって全部が山岳民族です。
 それからわれわれがへき地化して見てきたものも、必ずしも辺境ではなくて、実はひじょうに近いところにあった。米を食っていない人間はへき地の民 だと見ておったんですね。岩国の奥、山城のばか話とか、山梨県の日向山の一寸法師の話とか、これらは軽蔑されていたへき地の民の話です。秩父の山で焼畑を やって当時の政治のペースに乗らなかった人たち、隠岐、種子島などへ流された流人、佐渡金山の人たちもみんなそうでしょうね。
(中略)
筑波 明治以降、いわゆる都会文化がひじょうに発達しました。都会には、水田耕作地帯からも来れば、海岸からも、山間へき地からも流れ込んできたけれども、そのうち水田耕作文化が中心になって、ほかを同化していったような感じが強いと思うのですが。
次のページ>>工業化によって人口は大移動!都市は日本海側から東海道へ
宮本 必ずしもそうは言えないんじゃないでしょうか。東京の場合だと、越後平野から100万人来ていますが、これは稲作でしょう。し かし、長野や千葉からも100万人ずつ来ている。これは必ずしも稲作ではありませんね。それに地方の文化が町の中に流れ込むと、もうどれがどれだかわかり ません。日本人というのは、すぐ同化してしまいますから。地方から江戸へ流れ込んでくる文化の勢いは、たいへんなものだった。それが逆に地方へと流れ出し ていくのは、江戸が東京になってからでしょうね。とくに戦後はテレビの普及で、その勢いが加速化していったと思います。
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 宮本常一は、近代化と高度成長期の人口移動について、地方から都会へ文化が流れ込むことと、反対に都会から地方へ文化が流れていく両方の動きを見 ていて面白い。地方についても、稲作文化だけでなく、「米を食っていない」辺境の民は、じつは都会のすぐ近くにいた、と述べている。これらの宮本の考え方 は、のちに、とくに1990年代の日本人の歴史観に影響を与えている。
 日本人を「稲をつくっている人と、漁業をやっている人と、それからそれ以外の人と、大きく3つに分け」、徳川家康は信長や秀吉と異なり、稲作、漁 業以外の山岳民族である、とする面白い考え方は、のちに隆慶一郎の小説『影武者 徳川家康』(新潮社、1989)のバックボーンとなっている。
工業化によって人口は大移動!都市は日本海側から東海道へ
 宮本が対談で触れている日本海側から東海道への人口の大移動は、明治、大正、昭和戦前の工業化を経て、1960年代の高度成長期にかけて進んだ。
 明治11(1878)年の都市人口ランキングをもとに、日本海側から東海道への人口移動を分析した「週刊ダイヤモンド」(1997年8月16−23日合併号「特集 ニッポン全692都市ランキング」)を読んでみる。
「明治11(1878)年の金沢の人口は10万7878人、全国で5位である。4位の名古屋と並ぶ巨大都市だったことがわかる。ベ スト10には9位に富山が入っている。人口は5万8386人だ。続いて、15位に福井、16位に松江、17位に新潟、18位に鳥取、19位に弘前が入る。 上位20都市のうち、7都市が日本海側である。」
「120年前(注・掲載時1997年)に集積していた日本海側の都市が、120年後の現在、順位を大幅に下げていることが定量的にわかる。現在の日本海側の大都市は新潟で23位、次に金沢で32位、富山は57位、福井は85位まで下がっている。新潟だけ下降率が低い。」
「120年前の都市の人口分布は、工業化、そして戦後の高度成長を経て、人口と経済力の重心を東海道ベルト地帯へ移すことになった。」
次のページ>>江戸時代と工業化時代が混在した昭和30年代
 工業化時代を迎えるまで、日本の大都市は全国に散在しており、城下町として繁栄していた。とくに日本海側は北前船の経由地として各地の物産、資金 が集まっていたのである。しかし、近代以降の工業化=資本主義化は、資本と労働力の蓄積が重要な条件になる。大陸中国や朝鮮半島ではなく、資本主義の中心 はアメリカだ。アメリカとの交易を考えれば、太平洋側へ集積させることが合理的ということになる。
江戸時代と工業化時代が混在した昭和30年代だから高度経済成長期は懐かしい
 人口移動下の高度成長期は私たちの生活をどのように変えたのだろうか。次に「週刊ダイヤモンド」は電化製品に着目している。
「高度成長期に街並みを変え、日本人の暮らしを変え、そして豊かにしたのは政治でもイデオロギーでもなく、耐久消費財、つまりモノだったのである。
 例えば、電気洗濯機の普及率の推移をみると、1950年代後半は20−30%台、61年に50%を超え、60年代を通して爆発的に普及している。電気冷蔵庫は65年に50%を、71年に90%を超えた。電気掃除機も60年代以降に普及している。
 こうした状況を反対側からながめれば、昭和30年代、そして1960年代は、家庭電化製品の普及のすぐ隣に、それ以前の生活用 具、つまりホウキ、ハタキ、タライ、洗濯板、氷による貯蔵庫、蚊帳、ちゃぶ台、火鉢、七輪などのようなモノが存在していたことになる。戦前の生活用具・景 観と、家庭電化製品・開発的景観が混在していた。」
 戦前の生活様式と電化製品の混在というより、江戸時代と工業化時代の混在といえよう。私たちが高度成長期を妙に懐かしむのは、近代以前の生活様式が家電製品とともに目の前に存在していたからであろう。
注★宮本常一(1907−1981)は、山口県の周防大島町に生まれ、天王寺師範学校(現在の大阪教育大学)を卒業後、小学校の教員に。渋沢敬一との出会い 後、民俗学者として全国各地をフィールドワークし、膨大な記録と写真を残している。1965年より武蔵野美術大学教授。『宮本常一著作集』(未来社、 1967−)がある。周防大島町のウエブに「宮本常一データベース」があり、著作年譜や写真の画像アーカイブを公開している。★筑波常治(1930−)は、東京生まれの科学史家。東北大学農学部、同大学院を修了後、法政大学などを経て早稲田大学教授。主な著書に『日本の農書』(中公新書、1987)など多数。
質問1 あなたの出身都道府県は?
描画中...47.5%
太平洋側
33.5%
日本海側
19.1%
日本海側と太平洋側以外


15. 2011年2月03日 12:50:02: Pj82T22SRI
就活最前線 再び閉じる女子への門戸

2011/1/17 7:00
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

 女性に開かれた企業の門戸が再び狭まり始めた。今春の入社を希望しているのに就職先がまだ決まらない女子大生が目立つ。男子にもつらい就職氷河期。女子にはさらに厳しく、ここにきて格差がつき始めているようだ。すでに大手企業の内定式は終わっているが、それでも続く彼女たちの就職活動の現場を追った。

■入社式まで3カ月 決まらない就職先

 1月13日。日本女子大学は東京・目白のキャンパスで中央大などと共同の就職説明会を開いた。すでに就職戦線がスタートした2012年春入社のためではない。残り3カ月を切った2011年春入社のための説明会だ。電子機器メーカーや商社など20社がブースを構え、なかには「1月中に内定を出します」と張り出す企業もあった。

 集まった学生は40人。まだ就職先が決まっておらず、みな深刻な面持ちだ。日本女子大4年のAさんはその一人。

 Aさんは3年生の12月から、もう1年以上も就職活動を続けている。商社が第1志望で履歴書を送った企業は約80社。「落ちすぎてもう自信がない」。それでも「卒業論文も提出したので留年はできない。派遣社員にはなりたくない。何とか正社員で探したい」と説明会にやってきた。企業のブースを見渡すと「なかなか行きたい企業はないですね」とため息をついた。結局、良縁はなく、会場を後に。学生向けのハローワーク通いなどを続けるという。

 Aさんだけでなく、就職先が決まらない女子の大学生が目立っている。例えば都内の実践女子大では約300人(1月4日時点)、東京女子大では約250人(12 月22日時点)とそれぞれ全体の3割程度の学生でまだ就職先が決まっていない。実践女子の場合、2008年度の内定率は94%と高水準だったが、今年度は最終的に74−80%にまで急低下する見通しだ。大学向けに就職支援を手がけるクオリティ・オブ・ライフ(東京・千代田)の常見陽平チーフプランナーは「今年度について言えば内定率70%台はまだ高い方。40%台の大学も珍しくない」と説明する。

■男子よりも落ち込む内定率

 文部科学省の調べでは、大手企業の内定式があった昨年10月1日時点での女子の大学生の内定率は55.3%(前年比6.1ポイント減)。ピークとなった 08年の70.1%から2年連続で大幅減となった。男子の大学生も内定率が59.5%と厳しいが、前年比は3.8ポイント減にとどまる。

 実は08年には女子の内定率が男子をわずかながら上回っていた。就職情報誌リクナビの岡崎仁美編集長は「多様な人材を活用するダイバーシティ(多様性)を推進する企業が増え、08、09年は女性活用ブームだった。女性採用を増やすと言っていた経営者も多かったが、状況が変わってきた」と話す。

 「自分は必要のない人間なのかと悩んだ」。早稲田大に通うBさんは食品業界に絞って20社あまりを受験したが、全敗。すでに就活イベントの中心は3年生向けに変わり、焦りが募って、浮かない毎日を過ごす。受験する企業が増え、写真代や交通費もばかにならず、「最近は履歴書を書こうにも志望動機が思いつかない」と悩む。

 内定率の低下に伴い、Bさんのように、先の見えない就活に苦悩する女子大生も増えている。大学側は就職相談だけでなく、「心のケアも必要になっている」と東京女子大の担当者は説明する。学生の悩みの相談に乗るキャリアカウンセラーを昨年の1人から3人に増員。週2回だった相談日も4回に増やしたという。

 なぜ、ここにきて女子の採用が男子に比べても厳しくなっているのか。

 一つの理由として、大学のキャリアセンターの担当者らは一般職の求人が減ったことを挙げる。

 転勤がない場合が多く、事務作業などが中心の一般職は女子学生の主な雇用の受け皿となってきたが、ここ数年は狭き門になっている。例えば三井住友銀行の場合09年4月入行は1128人も採用したが、今春入行予定者は140人にまで減った。派遣社員に切り替えて全く採用しない企業もある。

■一般職は求人減 総合職も女子に厳しく

 女子の中には一般職を志望する学生がなお多く、雇用のミスマッチが生じている面もある。実践女子大キャリアセンターの宇井節子部長は「一般職志望は本人以上に保護者の意向が強い」とも指摘する。実家から通えて転勤のない仕事を望む父母が多いのだ。同キャリアセンターでは保護者にも就職活動への理解を深めてもらうため、全学生の父母を対象に面談を実施しているという。

 では、転勤などの可能性もある総合職はどうか。

 実際に就職活動に取り組んだ女子学生からは「総合職でも男性以上に女性に対する厳しさを感じた」という声が聞こえてくる。

 「女性だとなめられるから営業要員として配属できない。いらないんだよね」。ある学生は建機メーカーの面接でこう言われ驚いた。別の学生は食品メーカーが説明会で提示したキャリアプランに目を疑った。「男性は営業や商品開発など順調にステップアップするのに、同じ総合職でも女性は間接部門を転々としていた」。このほかにも「面接が進むに従って女子の比率が減っていく」と指摘する声が多かった。

 運輸業界の大手企業の人事担当役員は「筆記試験や面接などの成績順で採用したら8割が女性になる」と明かす。男子学生に「元気さ」などを加点して選考通過者が男女半々になるように調整すると打ち明ける。それでも優秀な男子は他社との奪い合いとなり、男性が不足しがちになるのだという。

 優秀な人材であっても女子の採用を抑制することについて、リクナビの岡崎編集長は「企業のコスト切り詰めとグローバル化に原因がある」と指摘する。

 岡崎編集長によると、女性は男性と比べ出産などで長期間離脱する可能性が大きい。休職中の代替要員を確保するなど管理職の負担も大きく、復職後も勤務時間などが制限される場合がある。「企業は表立っては言わないだろうが、女性の方が男性よりもコスト増になると思っている」という。景気の先行きが不透明で、コスト削減を進める企業は男性の採用を優先しがちになるというわけだ。

■国際化、厳選採用…強まる逆風

 事業のグローバル化も女子の採用に影響を与えているようだ。

 自動車メーカーの新興国進出に合わせ、中国やタイなどへ営業を強化している東証1部上場のある自動車部品メーカー。その人事担当役員は「発展途上国への出張も多くなっており、事件に巻き込まれる可能性もある。危険を伴う場所に女性を送り込みにくい」として、女性採用に及び腰になると語る。韓国では酒を酌み交わす接待が多いなど、危険な地域でなくても風習の違いで女性を海外に送りづらいとこぼす。

 厚生労働省によると男女雇用機会均等法も「風俗や風習の違いにより働きづらい海外は除外する」ことを運用の基本としている。危険などの事情がある場合は、男女を区別しても法律上も問題がないわけだ。

 事業活動のグローバル化が進めば外国人の採用も増える。パナソニックは11年入社の採用で、国内での新卒の定期採用を4割減らす一方で、海外での採用は4割増やす。通年で合計1390人の採用のうち海外が1100人を占める。「ユニクロ」の海外出店を進めるファーストリテイリングは新卒採用の半数を現地の外国人採用にする計画だ。

 国内は厳選採用が進み、限られた採用枠の中では転勤や海外勤務、接待などに駆り出しやすく、「コスト安」の男性が優先される――こんな構図が就活戦線の実態として浮かび上がる。

 ここ数年、企業が取り組んだダイバーシティの流れは経営環境の変化によって変わってしまうのか。

 多くの企業が入社式を開く4月1日は男女雇用機会均等法が施行されてちょうど25年。これまで着実に女性の登用は進んできたかに見えた。四半世紀を経て、企業は男女平等の本気度が問われる時を迎えている。

(西雄大)


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