10. 2011年1月27日 13:12:00: cqRnZH2CUM
日経ビジネス オンライントップ>企業・経営>河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学 「内向きな若者」論議のまやかしと不毛 伝統工芸の老舗主人に教わった「本当に世界に通じる」ということ * 2011年1月27日 木曜日 * 河合 薫 人材 若者 キーワード イクメン 草食系 留学 アメリカ 日本人 有松絞り 内向き グローバル 海外 若手 企業 社員 世界 メディア 「日本で平凡に暮らしたい」 「時差のある海外で忙しく働きたくない」 こう主張して海外勤務を拒否する「内向き」若手社員の処遇に企業側が苦悩している。そういった内容の記事が先週、新聞に載っていた。 内向き──。最近やたらとメディアに登場する言葉だ。 もっと海外に目を向けないと国際競争力が失われる。日本が生き残るにはグローバルに活躍できる人材が必要だ。日本で1番を目指しても世界では通用しない……。 内向き非難派から、内向き肯定派まで。いろいろな立場の人が、さまざまな意見を展開している。 また、海外勤務を拒否する傾向が強まっている原因については、「共働き夫婦が増えた」「イクメンが増えた」といったライフスタイルの変化や、昔と違い途上国への転勤が増えているといった社会状況の変化などが指摘されている。 どれもこれもごもっともに聞こえる意見で、「なるほどね〜」とうなずきそうにもなるのだが、う〜む、やはりどうにも合点がいかない。 私事ではあるけれど、私が小学校4年生の時に、父親が海外に転勤することになった。まだ、子供だったので記憶にあいまいな部分もあるが、当時の『我が家の出来事』を思い返すと、最近の内向き問題に関する議論にかなりの違和感を覚えるのだ。 そもそも、本当に『内向き』傾向が強まっているのだろうか? 内向きな人たちが目立つようになっただけで、昔と何ら変わっていないのではないか、と。そんな素朴な疑問がわいてくる。 そこで今回は、「本当に内向きなのか?」というテーマで考えてみようと思う。 父の海外転勤が家族に投じた波紋 私の父は海外出張の多い人だった。私が生まれる時も、七五三の時も、小学校に入学する時も、運動会の時も、一緒にいてほしかった大切な行事の時にはいつも海外出張で、どの写真にも父の姿は残っていない。 そんな父に長期間の海外勤務が命じられたのは、私が小学4年生、兄が中学校1年生の時である。場所はアメリカ南部のアラバマ州。 それまでの海外出張は長くても1年半だったから父は単身で行っていたのだが、この時は3年以上にわたるため、「家族で行くように」と会社から要請されたのだった。 「現地では、夫婦で出席しなくてはいけないパーティーがたくさんあるから、奥さんもパーティー用のドレスや着物を準備していくように」とも言われたそうだ。 そんな事態を我が家族は、「はい、行きます!」と諸手を挙げて喜んだ……。となれば良かったのだが、残念ながらそうはならなかった。兄の進学問題が両親を悩ますことになったのである。 当時、中1だった兄は、海外駐在の時期と高校受験が重なることになる。赴任先のアラバマ州ハンツビルという街に日本人学校はない。しかも、ビザの関係でよほどのことがない限り、一時帰国は許されない。つまり、海外に引っ越せば、帰国時に兄は高校1年生。「帰国子女」を受け入れてくれる高校に編入しない限り、戻る場所がなかったのである。 今であれば、帰国子女枠なるものを設けている高校は結構ある。だが当時は「帰国子女」という言葉も普及していなかった時代だ。編入を受け入れてくれる都内近郊の高校はたった1校。しかもかなりの進学校だった。 運良く編入試験に合格することができれば問題はないのだろうが、日本の勉強をしないで受験をすることには、両親も兄も不安を感じていた。通らなければ一浪して、翌年に後輩たちと一緒に高校受験をしなくてはいけなくなる。中学生という難しい年齢で、一浪し後輩と一緒に受験することは、兄にとって厳しい選択だと両親も懸念したのだ。 そこで毎週、仕事が休みで父が家にいる日曜日に家族会議が開かれた。応接間に父、母、兄、私の4人が集まり、「アメリカに家族みんなで行くべきか、それとも父だけ単身で行くべきか?」について話し合ったのである。 といっても、会議とは名ばかりで、その実態は、兄と私が毎回、それぞれの主張を泣きながら訴え、両親がそれを聞くというものだった。 「パパと離れたくな〜い! パパと何年も会えないなんてイヤだよ〜!! ビェ〜ン〜〜」。私は毎回、一緒に行くべき説を展開。 「アメリカなんて行きたくないよ〜! 高校浪人するなんてイヤだよ〜! ビェ〜ン〜〜」。兄は毎回、日本に残ると泣き叫んだ。 「いつもパパはいなかった。また行ってしまうと、かおるちゃんの小学校の卒業式も、中学校の入学式もいないことになる」。私の言い分も両親には耳に痛いものだった。 子供の私でも両親の苦悩を感じ取っていたのだから、それはそれは相当のものだったのだろう。 念のため断っておくが、私の家庭はごく普通の家庭である。私も兄も公立の学校に通っていたし、両親も、教育パパや教育ママと呼ばれるほど教育に熱心ではなかった。母は専業主婦で、父はいわゆる働きバチ。昭和の時代にはありふれていた、いわゆる中流の家庭である。 “家族会議”の末に両親が下した結論 数回にわたって開かれた家族会議であったが、結果的に私の家族は父親とともに渡米することになった。 どうやって父が結論を子供たちに話し、嫌がる兄をいかに説得したのか、詳しいことは覚えていない。ただ、あとあと母から聞いた話では、会社側の意向を断れない状況にあったため、行くしかなかった、ということだった。 嫌がる兄を連れていかなきゃいけないのだから、両親も大変だったに違いない。そこで、毎週末に行われていた家族会議に代わり、次には「アメリカが少しでも身近になる作戦」なるものが始まった。 横須賀の米軍基地に遊びに行ったり、海外に留学していたという大学生のお兄さん(父親の知人)が家に何度も遊びに来たり、赴任先のアラバマ州にかつて住んでいたことがあるという方の家を訪問したり、といったことが毎週、毎週繰り広げられた。 恐らく両親は、兄が少しでも前向きな気持ちでアメリカに渡ってくれたらと願ったのだ。 ちなみに、私は「アメリカに行くから」となぜか内巻きのパーマをかけさせられ、履いたこともないハイヒールのサンダルを履かされ、兄はおニューの 3つぞろいの真っ白なスーツを着せられ、母は今で言う“カリスマ美容師”に当時流行していた「狼カット」という何ともワイルドなネーミングのヘアスタイルにカットしてもらい旅立った。JALという文字とツル丸マークが大きく入ったショルダーバックを1人ずつ肩から提げて、羽田空港の一室に集まった父の仕事関係の人たちに万歳三唱で見送られた。そんな時代でもあったのである。 意思表示が可能になったから、本音が浮き彫りに もし今、海外勤務を拒否する動きがある、という現実が本当にあるとするならば、それは“増えた”のではなく、「行きたくない」と意思表示できる環境が整っただけなのだと、私は思う。 一昔、いや、数年前までは、拒否するどころか、意思表示をすることさえ許されなかったわけで。転勤を断ること=飛ばされる、辞める、こと。そんな状況が現実にはあったのだ。当然ながら、会社側が社員に「転勤を受け入れますか?」なんて質問など、するわけもない。 ところが時代は変わり、さまざまな働き方が受け入れられるようになった。特に海外転勤している人に過労死が相次いだことが数年前に問題になったことや、転勤に伴う家族に生じる問題に関しても、会社側の責任が問われるようになり、本人の意向を聞く会社も増え始めた。 「行け!」と命令されれば「はい!」と一つ返事で受け入れる人でも、「どうか?」と聞かれれば、「できれば行きたくない」と答えることだってある。 行く、行かない。聞く、聞かない。答える、答えない――。 そんな選択肢が増えたから、「本当は行きたくないんだよね」という本音が浮き彫りになっただけ。内向き傾向が強まったわけじゃない。働く人が意思表示できる場が広がりつつある。それだけのことだと思えてならないのだ。 もちろん個人によって、家族によって、さまざまな事情があるだろう。しかしながら、今から30年以上前の日本の家族を持つ父親にも、「家族で行ってくれ」という会社の要請を断るという選択肢はなく、「海外に行くべきかどうか」と悩んでいた現実があったことは事実である。「昔は海外勤務が花形で、誰もが海外勤務に飛びつき、誰もが海外に行くことに優越感を感じていた」わけではなかったのである。 では、海外留学についてはどうか? この問題は、単純に母数を完全に無視した結果、内に向いているような錯覚に陥っているだけではないかと思っている。 例えば、留学する適齢期を20代として考えてみよう。1989年の20〜29歳の人口は1675万6000人。ピークの1997年には1908万 2000人に達したが、その後は減少が続く。2008年には1473万5000人まで落ち込んだ。これらの留学適齢期人口を母数にして、留学者の割合をはじき出すと大騒ぎするほど留学する人は減少してはいない。 リクルートエージェントが、留学適齢期を18歳から29歳として数値を比較したところ、問題視されている2004年以降も増加傾向は続いており、2009年は前年比0.4%増と過去最高を更新し続けているという。 また、アメリカの留学生の国別推移が公表され、インドや中国からの留学生が急増する一方、日本人留学生は1990年代後半をピークに減少していることを示すデータが明らかになったが、これも何ら大騒ぎすることじゃない。 アメリカ以外の国に留学する人が増えただけのこと。アジア、オセアニア、欧州など、留学する地域が広がり、留学先の分散化が進んでいるのである。 要するにすべては数字のマジック。「草食系」に続くキャッチフレーズを求めていたメディアが、「内向き」という新たな時代のキーワードを印象づけるために都合よくデータを用いているだけだ。 例えば、「内向き」傾向をめぐる議論の火付け役の1つにもなった産業能率大学の「第4回新入社員のグローバル意識調査」。昨年4月に新卒で入社した18歳から26歳までの新入社員を対象にインターネット上でアンケートを行い、400人から回答を得たこの調査では、「海外で働きたいと思わない」という回答が49%、すなわち2人に1人に上ったことがクローズアップされた。 だが、その一方で「どんな国・地域でも働きたい」という海外志向の高さを示す回答も27%に上り、2001年から3年おきに行っている同調査では過去最高だった。つまり、「海外に行きたい」と明確かつ強い意志を持っている若者は、むしろ増加傾向にある。内向き傾向が強まっているどころか、逆に外向き傾向が強まっていると言ってもいいような結果だったのだ。 かつて海外は遠い場所だったが…… そもそも留学熱や海外志向が強まったといわれる1980年代後半は、さまざまな世界状況が変わった時期でもある。プラザ合意で円高が進行して1ドル100円台に突入。ジャンボ旅客機のボーイング747が導入されて、エコノミークラスの運賃に団体割引が用いられ、旅行運賃が格段に安くなった。 加えて、日本でも週休2日制が普及して休みが増えたことで、経済面だけでなく物理的な面でも、海外に行きやすくなった。まさしくこの時、海外は「誰もが簡単に行ける場所」になったのである。 今から30年ちょっと前の1970年代後半。日本人にとってまだ海外は、文字通り「海の向こう」で、遠い遠い場所だった。私の家族がそうだったように、最高のおめかしをして出かけるほど非日常的な世界だった。そんな海外との距離感が縮まったのだ。 それまで手が届かないと思っていた高嶺の花が、少しだけ手を伸ばせば届くと分かれば、「行ってみるか」と思う人は増えるだろう。ただ、それだけのこと。いわば野次馬熱が高まっただけで、外向きになったわけじゃない。時代が変わった、というだけのことだ。 むしろこれだけ誰もが行ける身近な海外であっても留学する人は、真に「外向き」な志の持ち主といえるのかもしれない。海外転勤を拒否する人が増えているとするならば、労働者の意見が尊重される自由な雰囲気がある企業ということで、むしろ歓迎すべき状況ではないか。 まぁ、ここまで言うと言い過ぎかもしれないけれど、「内向き」という言語明瞭意味不明瞭の言葉と、数字のマジックに翻弄されているだけのこと。一つも内向きになんかなっていないのである。 グローバル人材に本当に必要なもの それでも「内向き」がやたらと問題になるのは、日本に対する危機感の表れなのではあるまいか。そこで最後に、グローバルに通用する人材になるには、海外に行くべきかどうか、留学すべきかどうか、日本の中だけで勝負しないで世界で勝負すべきかどうか、といった点について、私の考えていることを書こうと思う。 結論から言うと、海外に行こうと日本にこもろうとも、どっちでもいいと思っている。「行きたい」と思う人は行けばいいし、「別に行きたくない」と思う人は行かなくてもいい。「行こうかどうか迷っている」という人に対しては、「迷うくらいなら行けば」とアドバイスするかもしれないけれど。 大切なのは「自分を極めること」だ。“自分”を知ることなくして、グローバルな存在にも、世界に通じる人にもならないと思う。 以前、愛知県の有松絞りの生地を扱っている竹田嘉兵衛商店の8代目の竹田嘉兵衛氏にインタビューをさせていただいたことがある。同氏は400年以上の歴史を持つ有松絞りのワザを世界に広めた人物だ。 インタビューの最中、竹田氏は実に興味深いことをおっしゃった。「外に合わせたりするんではなく、内を徹底的に知ると結果的に外に通用するようになるんです」と。 もともと商社マンだった竹田氏は、家業を継ぐに当たって世界に進出しようと考えた。当時は着物を着る人も減り、売り上げも減っていた。そこで、着物を洋服風にデザインしたり、洋服風の着こなしを提案したりと、起死回生を目指したそうだ。 ところが、話題にはなっても売り上げは一向に伸びない。あれこれ西洋の技術やデザインを取り入れ、着物との融合を試したが、なかなかうまくいかなかった。 そのため、いったんは廃業することまで考えた。だが、「400年も続くものには、受け継がれるだけの理由がある」と自分に言い聞かせた。ならば「その理由」を突き詰めようと、有松絞りにこだわるようにしたという。 有松絞りの良さとは何か? 400年も受け継がれてきたのはなぜか? それまで当たり前のように自分の元にあった有松絞りのワザを、徹底的に研究したそうだ。 すると、有松絞りがほかの国にはない、独特の手法とワザ、模様を持っていることを改めて発見した。有松絞りの歴史を知れば知るほど、「このワザはここにしかない」という確信がふくらんだ。 受け継がれてきた有松絞りのすごさや有松絞りならではの特徴が見えてきたことで、その特徴や良さをもっとたくさんの人たちに知ってもらいたいと思うようにもなった。そこで、あえて伝統的な模様を施して、有松絞りの良さが最高に引き出される着物を考案し、発表し続けたのである。 そのうちに、海外の方から「有松絞りについて教えてほしい」との連絡が入った。そしてデザイナーが、「有松絞りのワザを使った洋服の生地を仕立てたい」と海外から駆けつけたのだ。 今では、三宅一生氏をはじめとする世界のトップデザイナーたちが競うようにして、有松絞りを使った衣装をパリコレに出展するまでになった。 日本で受け継がれた伝統的の有松絞りのワザにこだわったことで、世界に羽ばたくことになったのである。 世界で通用する、ということは、こういうことなのだと思う。 内でも外でもいい、半歩でも前進することこそが必要 「外向き」というのは、何も場所を変えることではない。海外に行くことでもなければ、地方に行くことでもない。 外だろうと、内だろうと、上だろうと、下だろうと、斜めだろうと何だろうと、知りたい、見たい、やってみたい、触ってみたいと、「半歩でもいいから、前に歩いてみよう!」と思いを募らせ、まずは行動してみればいいのではないか。 知らなかったことを知り、やったことがないことをやり、触ったことがないものに触れれば、それまで見えなかったことが見えてくる。竹田氏が「受け継がれるには理由があるはずだ」と気づいたのも、洋風の着物を作ってみたり、新しいデザインを試してみたり、「どうにかしなければ」と、前に進む努力をしたからだ。 恐らく、「海外に行っていろいろ経験した方が、グローバルに通用する人材になれる」と信じている人は、こう考えているのだろう。「外に出ると必然的に日本が外から見える。国内にいる時には何とも思わなかったことが、世界から見るとおかしなこともある。日本にばかりいると、視野が狭くなるから、世界に出ようよ」と。 確かに海外に行くことは、自分を知るきっかけになるかもしれない。でも、その貴重なきっかけでさえ、「半歩でも前に歩いてみたい!」という気持ちがなければ、ただ単に情報が増えるだけ。外に出向いていったところで、全く成長しないで終わってしまうことだろう。 ちなみに私は大学3年生の時に、3カ月間だけアラバマの大学に留学した。大学では寮に入り、ルームメイトに日本のことをあれこれ聞かれ、困ったことがある。 「日本の人口は何人で、戦後どう変わったのか?」 「日本の政治はどういう仕組みになっているのか?」 「日本人はなぜ、ちょんまげだったのか?」 などなど、彼女は「日本」という国と、日本人について素朴な疑問を次々と投げかけた。情けないことに、私は日本人なのに、何一つまともに答えられなかった。 海外に行きたがらない日本人もいれば、海外には行きたがっても、日本のことはろくに知らない日本人もいる。外を向く前に、まだやるべきことがあるのではないか。 いや、外から内を攻めても一向に構わない。やり方に正解も間違いも、何もないのだから。要は、「内向き」という言葉に過剰に惑わされ、問題の本質から目を背けている状態こそが、「内向き」ということなんじゃないでしょうかね。 このコラムについて 河合薫の新・リーダー術 上司と部下の力学 上司と部下が、職場でいい人間関係を築けるかどうか。それは、日常のコミュニケーションにかかっている。このコラムでは、上司の立場、部下の立場をふまえて、真のリーダーとは何かについて考えてみたい。 ⇒ 記事一覧 著者プロフィール 河合 薫(かわい・かおる) 河合 薫博士(Ph.D.、保健学)・東京大学客員研究員・気象予報士。千葉県生まれ。1988年、千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。2004年、東京大学大学院医学系研究科修士課程修了、2007年博士課程修了。長岡技術科学大学非常勤講師、東京大学非常勤講師、早稲田大学エクステンションセンター講師などを務める。医療・健康に関する様々な学会に所属。主な著書に『「なりたい自分」に変わる9:1の法則』(東洋経済新報社)、『上司の前で泣く女』『私が絶望しない理由』(ともにプレジデント社)、『を使えない上司はいらない!』(PHP新書604)
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