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「成長」を相対化すると題した朝日新聞(2011.1.15.)の「耕論」を読んだ。そこで、藻谷浩介(日本政策投資銀行)は、「失われた20年」の日本経済の停滞は、国際競争力の低下によるものではない。この間の輸出は好調で、それとは無関係に、生産年齢人口の増減と連動した「内需の縮小」に病根があると説く。
また人口減小の一方で、技術文明の高い生産力は維持され、供給過剰が値下げ競争を恒常化し、消費を減少させている。マクロ的な「デフレ」ではなく、ミクロ的な「値崩れ」と捉えている。さらに日本の人口減少は必然とし、輸入に必要な輸出は持続可能と言う。
そして藻谷は、この人口減少に伴う内需縮小に対処し、高齢富裕層から消費性向の高い若い世代・女性への所得移転を提起している。これにより結婚難→出生数減少→生産年齢人口の減少という、負のサイクルからの脱出につながると言うのだ。
加えて企業は、高齢富裕層への配当を、子育て世代の人件費や福利厚生費の増額に回せば、賃上げ→内需拡大→売り上げ増加という好循環の第一歩になると説いている。だが藻谷のいう『デフレの正体』、人口減少論は、正論だろうか。
インフレ・デフレには、一般的な物価の値上がり・値下がりと、実体経済と分断された通貨流通量の過不足という二つの意味がある。共に国民経済、マクロの政策課題だ。マクロ政策は、財政による所得再配分で需要の不足を調整し、金融の金利と市場介入で投資に影響を及ぼすが、その限界も知らねばならない。
バブルがはじけて、日銀はゼロ金利・金融緩和政策をとったが、国内では物価の上昇も景気の回復もなく、海外バブルの要因となった。リーマンショック後、米国(FRB)の金融政策も、同じく内需や雇用に結びつかず、新興国のインフレや穀物・原油価格の高騰を招いている。
藻谷が、「デフレ」ではなく「値崩れ」と捉え、実体経済で、人口減少が内需を縮小する要因と見るのは妥当だ。また技術文明の高い生産力が維持され、供給過剰が値下げ競争を恒常化し、消費を減少させているという指摘は的を射ている。
だが「デフレ」と呼ばれる商品価格の「値崩れ」は、内外市場、特に輸入品価格による国内品価格の形成と強く結合している。そこには、利便と効率追求の技術文明と、利潤優先の価値規範による市場経済の歪みがある。人口減少・少子高齢化は、必然ではない。「成熟経済」が、新しい貧困を生み出しているのだ。
結婚難→出生数減少→生産年齢人口の減少という、負のサイクルも、こうした価格形成の結果だ。賃上げ→内需拡大→売り上げ増加という好循環も、商品・賃金・生活保障を結ぶ価格の連鎖(政策価格の体系)を、変革しなければ実現できない。
だからデフレの正体は、藻谷が説くマクロ的な「デフレ」、ミクロ的な「値崩れ」ではなく、マクロ的な「値崩れ」、価格低下ではないだろうか。そして高齢富裕層から若い世代・女性への所得移転効果は、子ども手当と同じく一時的で限られたものとなる。
次に、ティム・ジャクソン(英サリー大)は、成長を絶対視する「成長神話」、ケインズ政策やマネタリズムを批判する。そして直面する危機に、信用取引と実体経済との背反、大量消費が精神的豊かさにつながらず、自然環境の制約と資源の枯渇を挙げ、この課題に立ち向かう政府の役割が重要だと言う。
また多くの政府は、精神の豊かさや自然環境と経済成長の両立という、ジレンマの罠にはまっている。そして、このジレンマから抜け出す道として、物質的消費拡大に基づく経済モデルとは異なる、別のシステムを提起している。
第一は、自然環境の制約を尊重し、二酸化炭素の排出量規制や、生物多様性・水質・土壌保持の数値目標設定だ。
第二は、持続可能なマクロ経済システムとして、消費拡大の投資から有形・無形資産保持の投資に、力点を移すことだ。
ここで投資先の選択と労働生産性に関連し、低成長と雇用が両立する方策として、労働時間短縮と労働生産性を落とすことを説く。また雇用を守るため労働生産性を落とすことが必要とし、その合理的な投資分野に、医療・介護・教育などのサービス業を挙げる。生活の質を高め、環境負荷の小さい産業である。
第三は、人々の能力を守り、活用することだ。そのためワークシェアリング導入と共に、消費文化のチェンジを掲げる。具体的な方策には、広告規制、図書館・美術館・公園・コンサートホール・公民館など公共財の整備を挙げている。
そして先進国と途上国は、対応に違いが必要なことを説く。また経済の目的は成長そのものではなく、より良い生活で、限りある自然の営みの範囲内にあると結んでいる。
そこで指摘された信用取引と実体経済、大量消費と精神的豊かさの分断、自然環境の制約と資源の枯渇、政府の役割と、経済モデルのチェンジに異論はない。だが彼が提起する変革モデルには、次の問題がある。
一つは、政府による排出量規制や数値目標設定で、文明的な課題である自然環境が、本当に保持できるのだろうか。二つは、ケインズ政策に似て、投資先選択に収斂する政策の理論的な限界だ。三つは、ワークシェアリング導入、広告規制、公共財の整備が、これまでの政策手法の延長に終わっている点だ。
ヒト・モノ・カネ、社会・経済・政治は、三位一体である。ヒトは、労働で、生活文化と社会をつくり、賃金に集約される。モノは、商品で、人間の営みでつくられ、価格に集約される。カネは、貨幣で、市場経済の交換手段、価値の尺度、蓄積の手段で、利子率(貨幣の価格)に集約される。
ヒト・モノ・カネは、賃金・価格・利子率という、労働・商品・貨幣の価格で結ばれてきた。これまで価格には政策価格、利潤・利子率・地代には公定歩合、賃金には最低賃金・生活保障、課税には税制、関税・為替にはWTO・IMFが対応している。
これを、労働・商品・貨幣の価格を軸に、政策・制度の仕組みを再構築できないだろうか。地球温暖化・少子高齢化・人口減少は、企業・政府の肥大が家計を衰退させ、自然の荒廃と社会の貧困や人間の劣化を招いた証しなのだ。
歯磨きのチューブを押すと、外に出ただけ中身は減って、チューブはしぼむ。外需傾斜、中でも企業の海外生産は、雇用を始め国内経済を弱体化させる。そこにあるのは、グローバル化の海外依存と内需の縮小、地域・人口衰退の負の連鎖である。
これを断ち切るには、ボーダーを再構築し、自然と人間の優先、内需優先・補完互恵貿易への転換しかないのではないだろうか。海外傾斜による負の連鎖は、素材・工法・生活文化の見直しに始まり、商品・産業構造・市場・価格・財政・関税・為替の変革で打開されるのである。
藻谷が説く、人口減少に伴う内需縮小、高齢富裕層から若い世代・女性への所得移転は、価格に集約されるカネの働き、ボーダレスの市場が貧困をつくり出す仕組みを見落としている。またティム・ジャクソンは、自然(モノ)や人間(ヒト)優先を掲げているが、政策・制度(カネ)の理論や手法に進展が見られない。
外と内のボーダー再構築(カネ)、下から上への地域主権改革(ヒト)、活かしつなぐ技術・生活文化の変革(モノ)を、三位一体の日本型モデルとして提起したい。
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