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株式日記と経済展望
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与謝野氏には財務省と同様、金融政策の理解が決定的に欠けている。
与謝野氏が自民党関係者から「墓堀人」と呼ばれるのがよくわかる。
2011年1月17日
◆政策通どころか「珍発言」を連発!安倍、福田両政権は1ヵ月で崩壊した」与謝野大臣は政権の「墓堀人」 1月17日 高橋洋一
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1915
興味深いのは、そんなとき与謝野氏はいつも政権にやってくることだ。政権末期になると、政権内での主導権争いもあり、またさらに泥舟なので、閣僚というエサをまいてもなかなか政治家は寄ってこなくなる。その一方で、政権側は、末期であることを糊塗するために、それなりの人物をそろえなくてはいけない。こういうときに、与謝野氏もあわよくば政権を乗っ取りたいという思惑があるのだろうか、政権に入っていくる。しかしその直後に政権は終わる。
これは、小泉政権の末期から繰り返された光景なので、自民党関係者から「墓堀人」と呼ばれている。
はじめは、小泉政権の最後、郵政民営化の仕上げに竹中平蔵氏が経済財政・郵政民営化担当大臣から総務大臣に異動したときだ。与謝野氏は竹中氏の後任の経済財政担当大臣になった(2005年10月31日 -2006年9月26日)。このときは郵政民営化の論功行賞であった。
しかし、小泉政権の任期満了が近づき、徐々にレイムダック化するにつれて、与謝野氏は郵政民営化と同時に行った政策金融改革について財務省の意向に従い巻き返したり、増税の地ならしをしていた。もっとも、小泉総理のパワーが強かったので、それらの改革逆行は不発だった。
私は、竹中氏が総務大臣に転身したあと、政策金融改革をできるだけ守るように1ヵ月間内閣府に残り、与謝野氏と一緒だった時期がある。その時、財務省は与謝野氏を使って政策金融改革の骨抜きしようとしたため、私は与謝野氏と大臣室でしばしば議論した。与謝野氏は「政策通」といわれるが、私の説明に対して政策論は一切なかった。財務省の具体的な担当者の名前をあげ、そのいうとおりにせよと、およそ経済財政担当大臣らしかぬ発言をしたので強く印象に残っている。(中略)
マクロ経済を長くやってきた割に、与謝野氏には財務省と同様、金融政策の理解が決定的に欠けている。実は、マクロ経済政策は財政政策と金融政策があるが、1999年にノーベル賞を受賞したマンデル=フレミング理論から変動相場制の下では金融政策のほうが効果が大きいことが知られている。日本でそうした環境になってきたのは、金利自由化が終了した90年代からであろう。
ところが、90年代の経済低迷に対して、バブル崩壊での羮に懲りて膾を吹くように金融政策は引き締め気味であり、従来のように財政政策で対応しようとした。それはかなり間違ったポリシーミックスだった。(中略)
今度の改造内閣では、「増税すれば景気回復する」という菅総理、「利上げすれば景気回復する」という枝野官房長官、「円高指向、財政再建指向」の藤井副長官と、デフレ・増税論者のそろい踏みだ。もしそれが実行されたら、与謝野氏が昨年1月に書いた本の題名通り、「民主党が日本経済を破壊する」だろう。
◆永久債の日銀引き受け 1月17日 経済コラムマガジン
http://adpweb.com/eco/
実際、動きが機敏で目敏い経済学者やエコノミストの中には、何らかの形でセイニア−リッジ政策に賛意を示している者が何人もいる。彼等は、日頃、構造改革的な発言を行いながら、一方で政府紙幣の解説を行ったり、政府紙幣発行論者の著書に推薦文を書いたりしている。世の中がどちらに動いてもかまわないようなスタンスでいるのである。
今日の日本経済の状況を考えれば、頭からセイニア−リッジ政策を否定する者は、経済に対する認識が乏しいか、頭がおかしいか、あるいはこれまでいい加減なこと(例えば構造改革で日本経済は成長するといった大嘘)を言ってきた事が明らさまになることを怖れているのである。彼等は、セイニア−リッジ政策によって、ハイパーインフレや円の暴落が起ると、必死になってこの政策を否定する。
中には「日本はそこまで落ちぶれていない」といったような意味不明なことを言って誤魔化す経済学者もいる。このような経済学者やエコノミストは、本当のところ国民経済といったものに興味がなく、自分達の経済(あるいは立場)にしか関心がないのである。
そもそもどのような政府紙幣発行論者も、政府紙幣の無制限の発行なんて主張していない。政府紙幣発行を行っていて不都合な事、例えば景気が過熱(景気の過熱という言葉自体がなつかしい)して想定以上に物価の上昇が起った場合には、政府紙幣発行を抑えれば良いと思っている。具体的にはインフレターゲットの導入が考えられる。そしてこのインフレターゲット政策は、物価が上昇する状況になってこそ、初めて意味を持つ。
しかしいきなりの政府紙幣発行には抵抗が大き過ぎることは筆者も承知している。だいたい政府紙幣に関する知識が浸透していない。政府紙幣発行に賛同する政治家でさえ、流通紙幣が二種類になると実行面の不都合を危惧しているほどである。
ただしこれに関しては発行した政府紙幣を日銀に政府の口座(国庫)に入金し、出金する時には日銀券を使うという方法がある。これなら市中に流通する紙幣が二種類になることはない。また日銀は政府紙幣による入金を拒否できないはずである。実際、政府貨幣である現行のコイン(500円玉や100円玉など)の入金を無制限に認めているのである。
セイニア−リッジでは、政府貨幣(紙幣)発行より、日銀による国債購入の方がずっと理解されやすい。まず戦前の大恐慌では高橋是清がこれを実施し成功している。実際、今日、日銀は国債の買い切りオペを実施し、買い切りオペ残高は70兆円程度になっている。実質的にこの70兆円は広義のセイニア−リッジであり、また日銀が買い切っているこの国債については、国にとって実質的な金利負担はない。
政治家が責任を持つこと
自分達の嘘がバレることを警戒する構造改革派や財政再建原理主義者は、セイニア−リッジ政策が実施されることに猛反対である。これらの人々は、セイニア−リッジ政策を揶揄して「マネタイゼーション」とか「ヘリコプターマネー」と呼んだりする。これは聞いている一般の人々に、セイニア−リッジ政策がいかにも道徳に反しモラルハザードを生むかという悪い印象を与えることが目的である。
(私のコメント)
最近では政権末期になると与謝野氏が経済関係の大臣に起用されるようですが、民主党政権でも例外ではないらしい。与謝野氏は自民党時代でも政策通という評判でしたが、経済に対する考え方が古すぎて、財務官僚と日銀官僚の擁護者となってしまっている。内閣が弱体化してくると内閣改造を行って大臣手形が乱発されます。しかし先が無い内閣では誰も大臣の引き受け手がなくなり、与謝野氏が一本釣りされたのでしょう。
与謝野氏は財政再建論者であり、政府も少し景気が良くなると財政再建論に突っ走ってしまって、経済を腰折れさせてしまう。そのことが内閣に対する支持率低下につながり総理退陣になってしまった。だから与謝野氏起用が短命内閣のバロメーターになる仕組みになってしまう。しかし不況下の増税で財政再建では公務員はいいいが民間経済界はたまったものではない。
阿久根市の竹原前市長の市長選敗北は、地方においてはいかに地方公務員の力が強いかという結果となりましたが、中央政界でも中央官庁の官僚の力の強さが与謝野氏起用につながっている。つまり与謝野氏の政策は財務官僚の受け売りそのものなのだ。高橋洋一氏がそのことを指摘している。為替の変動相場制になってから財政政策よりも金融政策のほうに重点が移っているのですが、国会議員は金融に弱いから、日銀法を改正して日銀総裁の強化してしまって日銀の金融政策に手出しできなくしてしまった。
現在でも国会内では与謝野氏のような財政再建論者が多数を占めて、金融緩和による金融政策を主張する国会議員はまだ少ない。これはマクロ経済を理解していないとなかなか分からないことであり、ミクロ経済では正しいことでもマクロから見ると間違っていることだ。財政再建もミクロから見れば正しいことでも、政府が緊縮財政を取ったらアメリカは1930年代に大恐慌になってしまった。
当時のアメリカも機械工業の発達で生産過剰に悩みデフレギャップが生じていたのでしょうが、政府が財政を引き締めてしまったためにデフレギャップがさらに拡大してデフレスパイラルに陥ってしまった。結局は戦争によってアメリカの工業が生産拡大してデフレは収まりましたが、流通するマネーと工業生産能力拡大によるギャップが生まれるとデフレになる。
馬鹿な財務官僚たちはデフレギャップの存在を認めようとはしなかったし、いくらくらいのデフレギャップが生じているかも知らなかった。あくまでも需要に供給がバランスすると考えていたからだ。しかし現代の機械工業力の生産拡大能力は大きく、供給力の大きさに需要が追いつかない。これは世界的な規模で起きているのですが、マネーをばら撒いて需要を拡大しなければデフレになる。
問題はどうやって金をばら撒くかですが、とりあえず減税して財政は国債でまかなうことが大切だ。不況だから減税して国債を発行しても金利が上がることは無い。政府紙幣を発行することと日銀が国債を引き受けることは、経済コラムマガジンでも書いていますが、馬鹿な財務官僚はこれが理解できない。
従来ならば銀行が融資を拡大して信用マネーが拡大すればいいのですが、最近の銀行はリスクに過敏になって貸し出しを増やさない。だから政府が信用マネーを増やさないとデフレになってしまう。紙幣と国債の違いは金利が付くか付かないかの違いであり、最終的に国債を日銀が引き受ければ紙幣と国債は同じものだとわかるだろう。800兆円の国債が大変だとマスコミや経済学者やエコノミストが騒いでいますが、800兆円の流通マネーが国債という形に変わっているだけだ。だから借金という考えはマクロ経済が分かっていないからそう言うのだ。
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