01. 2011年1月08日 16:15:24: Pj82T22SRI
エルダー 2011年1月号 http://www.jeed.or.jp/data/elderly/elder/201101.html■全文(PDF 9,302KB TEXT 142KB) 分割ダウンロード ■表紙(PDF 1,745KB) ■高年齢者就業形態開発支援事業、共同研究のごあんない(PDF 208KB TEXT 2KB) ■グラビア 技を支える 200(PDF 3,112KB TEXT 6KB) 歌舞伎の絢爛華麗(けんらんかれい)を再現する天職の羽子板づくり 押絵羽子板職人 西山鴻月さん、和宏さん ■目次(PDF 517KB TEXT 2KB) ■新春特集(PDF 555KB TEXT 1KB) 70歳への雇用変革の時代に、経済と雇用をどう見るか ◆新春特別講演(PDF 2,723KB TEXT 18KB) 70歳雇用時代への展望 慶應義塾大学教授 慶應義塾長 清家 篤 ◆新春特集 ●成熟フェーズの日本経済 ―成長論から分配論へ(PDF 1,241KB TEXT 13KB) エコノミスト 波頭 亮 ●人口減少社会から見た経済、社会の新たな公式(PDF 1,302KB TEXT 13KB) 政策研究大学院大学教授 松谷明彦氏に聞く ●持続可能な地域発展と雇用(PDF 1,387KB TEXT 13KB) 京都大学大学院経済学研究科教授 諸富 徹 ● 「高齢者のための職業能力開発」の4つの課題(PDF 1,444KB TEXT 14KB) 職業能力開発総合大学校 名誉教授 田中萬年 ■連載 実践 職場のメンタルヘルス 第3回(PDF 1,212KB TEXT 5KB) パワーハラスメントとメンタルヘルスの関係 中辻めぐみ ■日本史にみる長寿食 208(PDF 835KB TEXT 2KB) 餅の力 永山久夫 ■連載 働く人の「生涯職業能力開発」の確立をめざして 第7回(PDF 1,880KB TEXT 14KB) 企業実習の実際とメリット 松本和重 ■江戸のビジネスマン列伝 164(PDF 1,361KB TEXT 10KB) 大岡忠相(二十五) 童門冬二 ■技術者からの視点 第33回(PDF 1,310KB TEXT 5KB) カタカナ語の国際性 藍野大学非常勤講師 木下親郎 ■BOOK(PDF 536KB TEXT 5KB) 『「戦後」を点検する』 保阪正康 半藤一利 著 内藤正行他 ■バックナンバー 編集後記(PDF 559KB TEXT 3KB) ■中高年のためのステップアップトレーニング 第9回(PDF 460KB TEXT 1KB) ひざ痛を予防するための体力テスト 山田拓実 ■愚なるが故に道なり 第67回(PDF 1,977KB TEXT 4KB) 人生は無。孤独という筆で、人生の白いキャンバスに自分の絵をかく! 奥井禮喜 ■世界の高齢者雇用事情 第15回(PDF 1,246KB TEXT 1KB) スペイン 労働政策研究・研修機構 国際研究部長 坂井澄雄 ■地方業務関連事務所所在地等一覧(PDF 1,698KB TEXT 6KB) ■<エルダー>バックナンバーのご案内(PDF 1,443KB TEXT 2KB) 【表2 広告】 ごあんない 高年齢者の新たな働き方、負担軽減、 賃金体系等で悩んでいませんか? 解決したい企業を機構が支援します! 高年齢者就業形態開発支援事業 高年齢者がその多様な就業ニーズに応じていきいきと働くことができる職場にするために、 新たな働き方を導入しようとする企業を支援します。 〜新たな働き方の例〜 ●短時間勤務、隔日勤務 ●交替制勤務 ●在宅就業 ●サテライト・オフィスでの勤務 ●スポット勤務 ●派遣事業等 この事業を利用すると… ・高年齢者の雇用問題に精通したスペシャリスト(社会保険労務士、中小企業診断士、学識経験者等)の協力が得られます。 ・実施にかかる費用を一定額(最高300万円まで)機構が負担します。 事業内容や公募時期などを 詳しくお知りになりたい方はお気軽にご連絡ください。 【お問合せ先】 TEL.03-5400-1659 雇用推進・研究部 産業別雇用推進課 共同研究 高年齢者が働きやすい職場にするために、制度の見直しや働く環境の改善を行うための研究を、 企業と機構が共同で行う事業です。 〜共同研究テーマ〜 ●職務再設計 ●人事・賃金制度 ●健康管理 ●能力開発等 共同研究を利用すると… ・高年齢者の人事労務管理や作業改善に関するスペシャリスト(学識経験者、社会保険労務士、技術士、中小企業診断士等)の協力が得られます。 ・研究にかかる費用の1/2(最高1,500万円まで)を機構が負担しますので、少ない費用負担で研究(改善)ができます。 ・研究を行うなかで開発・改善導入した機器・装置はそのまま自社で使用できます。 事業内容や公募時期などを 詳しくお知りになりたい方はお気軽にご連絡ください。 【お問合せ先】 TEL.03-5400-1658 雇用推進・研究部 研究支援課 実施企業はホームページ上で公募しますので、ぜひご応募ください 独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構 〒105-0022 東京都港区海岸1-11-1 ニューピア竹芝ノースタワー URL:http://www.jeed.or.jp/ 高齢・障害者雇用支援機構 検索 【p1〜4 技を支える】 a technical expert vol.200
技を支える 歌舞伎の絢爛華麗(けんらんかれい)を再現する 天職の羽子板づくり 押絵羽子板職人 西山鴻月さん(89歳)、和宏さん(48歳) 歴史と文化は、造られた文物によって伝承される。物を作るのは職人である。だとすれば、職人こそ、国の歴史と文化の担い手であると言えるのではなかろうか。…年齢とともに、この思いは強く深まってきたように感ぜられる(西山鴻月『風のしがらみ・羽子板職人の四季』新時代社) 「展示されている鴻月先生の作品を拝見しましたが……」 「あっ、それはいけません。先生はおやめください。わたくしは先生じゃありません、下町の一職人でございますから」 のっけから、機先を制されてしまった。つづけて…… 「わたくしの羽子板は芸術家の作品じゃございません。職人の仕事です。ですから仕事も、ひとつの羽子板にかかりっきりで進めるのではなくて、捗(はか)が行くように一度に5点から10点を同時進行でつくります」 日ごとに背丈を伸ばす東京スカイツリーが注目される隅田川左岸の低層住宅地帯、都内墨田区向島5丁目に江戸押絵羽子板職人の西山鴻月(にしやま・こうげつ)さんの工房がある。昭和63年の東京都伝統工芸士認定、平成13年の都文化功労賞など数々の賞を受け、平成18年には名誉都民の顕彰を受けている。 後継者である和宏(かずひろ)さんも平成18年に東京都伝統工芸品産業後継者知事賞を受賞、翌年には墨田区優秀技能者として表彰され「すみだマイスター」に認定された。地域産業の振興に力を入れる自治体として著名な墨田区からも「高度な技術がうまく技能伝承されている好例」として高く評価されている。2階の工房の下、1階は平成元年創設の「羽子板資料館」で、2人の手になる作品を中心に絢爛にして華麗な歌舞伎の世界が展示されている。 「親父さん、1年中、羽子板が並べられているのはここだけだよ…そう言って、お客さまに喜んでいただいております」 ちなみに押絵(おしえ)とは、綿を布でくるんでふくらみをもたせた立体的な絵柄に西陣の織物や絹を重ねて花鳥・人物の世界を表現する工芸で、江戸時代の文化文政期(1804〜29)以降の歌舞伎の隆盛とともに役者羽子板が人気を博し、今日の江戸押絵羽子板に至っている。 「羽子板は末広がりでございましょう。ですから縁起が良い、おめでたいものとして、新年を控えた年の瀬の羽子板市だけではなく、誕生のお祝いやお店の開店祝い、新築祝いなど、広く祝い事にお使いいただいております」 この展示スペースは「ものづくり」による地域活性化をアピールする拠点として墨田区から「小さい博物館」の指定を受けている。今回、たまたま新年号への掲載ということで、撮影させていただいたのは年末恒例の台東区浅草寺の羽子板市(毎年、12月17〜19日)を控えた多忙な日の午前である。 製作工程は簡単にまとめただけでも16工程に及ぶが、前述のように複数同時進行で、作品にもよるが1サイクルに2週間前後をかける。写真で紹介するのは鴻月さんによる「面相描き」と和宏さんによる「上絵描き」の工程である。 顔を描く面相描きは最も気を使う部分で、鴻月さんによれば「1枚1枚、ていねいに同じ顔を描きますが、60ほどの手順を踏みます。地塗りだけでも顔の型紙に白い絹を貼り、刷毛で胡粉(ごふん)をきめ細かく4〜5回塗り重ねます」とのこと。このあとボタン刷毛でぼかしを入れ、さらに薄い胡粉で上塗り後、極細の面相筆で日本画用の顔彩を使って目や口に胡粉を置き、眉を描き、目張りを入れ、鼻や髪の生え際をていねいに描いて、最後に筆の柄先に付けた墨で黒目を描き入れる。作品によっては歌舞伎独特の隈取りを入れる。 華麗な衣装も歌舞伎の演題に合った模様を描き入れる。色絵具のほかに金・銀の絵具も使って実際の歌舞伎で使われる衣装と同じ模様にする。 和宏さんは言う。 「単純に厚塗りをすれば西陣の豪華な風合いが出るわけではありません。押絵のふくらみを活かしながら立体感を出します。刀や扇などの小道具にも模様が必要ですし、細かい金具の感じも出さなければなりません」 以上のように各部分が描けたら、それぞれのブロックごとに組み合わせて糊づけをして和紙で裏側を補強して押絵部分が完成。これを裏絵描き・背景作りを終えた板に貼り付けるが、あくまでもこれは単純化した話である。 「15歳で師匠(羽子板面相師・倉田雅生氏)に弟子入りして75年、途中、戦争もありましたが、よくこれだけで食べてこられたものだと思います。15歳の時、この仕事は歌舞伎を知ることが第一だと考えて歌舞伎座へ出かけました。羽子板屋の小僧としては往復の電車賃がもったいなくて往復は歩き。夜遅くの帰り道で交番の巡査に呼び止められましたが、歌舞伎座の半券を見せたら、こんな若いのに歌舞伎の勉強か、と妙にあきれられたことを記憶しています」 うなずきながら和宏さんが付け加えた。 「父について、よく人から鴻月さんはどういう方ですかと訊かれるのですが、羽子板をつくるため生まれてきた人、そう答えています。高校を卒業してから父に教えられ、一緒に仕事をし、国内外に何度か実演の旅にも出かけていますが、本当にそうだと思います。羽子板をつくるために生まれてきた人です」 天性の才と評されることには抵抗があるというが、卒寿を迎える下町の職人は、著書には天職という言葉を好んで使う。 (撮影・福田栄夫 取材・吉田孝一) キャプション p2 動の世界の押絵に対して裏絵では水墨画で使われる輪郭線を描かない付立法(つけたてほう)などによる静の世界を楽しむことができる。
芸術作品ではない…と言う作品がこのような形で保管されているが、それでも押絵羽子板の絢爛華麗さは出色だ。 最も気を使う面相描きは右上の下拵えした型紙から面相の完成まで60ほどの手順をかけてつくられる。 羽子板職人にとって恒例の重要行事「羽子板市」に備えて多彩な面相を整える。複数が同時進行される。 こちらは30年の職人歴、和宏さんの仕事机。この日は上絵描きや糊づけの工程を撮影させていただいた。 p3 和宏さんの役割は年ごとに重要性を増している。父親と外国での実演に赴き、単独でも展示活動を続けている。 書道から日本画まで、自学自習で基礎を習得した父には頭が下がります…和宏さんからはごく自然に賛辞が。 和宏さんによって「上絵描き」を施した黒塗り笠をかぶる藤娘。精妙な絵の具の彩色で着物の柄を表現する。 「倅は小さい時から正座ができる子でした」…剣道5段。 平成21年12月、鴻月さん(本名・西山幸一郎)は王貞治さんとともに墨田区名誉区民となった。 p4 工房の階下に開設された羽子板資料館では1年を通して作品の展示・販売をしている(休館日あり)。 書棚には歌舞伎や江戸の風俗など専門書が。1999年刊行の『風のしがらみ』には該博な知識が盛り込まれ、4年前に増刷された。 下町のたたずまいに溶け込んだ小粋な構えの西山父子の羽子板資料館。(電話03−3623−1305) 「筆は現在では画材屋に行けば売っている普通のものですよ」…極細の面相筆と彩色筆とに大別される。 工程の受け持ちが決まっているわけではなく、互いにやり取りを繰り返しながら作品を完成させていく。 【p5 目次】 ELDER エルダー CONTENTS 2011 January No.375
●エルダー(elder)は、英語のoldの比較級で、“年長の人、目上の人、尊敬される人”などの意味がある。昭和54年、本誌発刊に際し、(財)高年齢者雇用開発協会初代会長・花村仁八郎氏により命名された。 ◆表紙 田中正秋 1947年東京都世田谷区生まれ。数々の国内外版画展に出品。1982年〜1991年の間『週刊新潮』の表紙を作品が飾る。 代表作/絵画「浄闇」(伊勢神宮微古館) 壁画「常盤姫」(世田谷区立八幡中学校)など 6 70歳への雇用変革の時代に、 経済と雇用をどう見るか 新春 特別講演 7 70歳雇用時代への展望 慶應義塾大学教授 慶應義塾長 清家 篤 新春 特集 16 成熟フェーズの日本経済 ―成長論から分配論へ エコノミスト 波頭 亮 23 人口減少社会から見た経済、社会の新たな公式 政策研究大学院大学教授 松谷明彦氏に聞く 29 持続可能な地域発展と雇用 京都大学大学院経済学研究科教授 諸富 徹 35 「高齢者のための職業能力開発」の4つの課題 職業能力開発総合大学校 名誉教授 田中萬年 41 詰め碁 白江治彦 詰め将棋 関屋喜代作 42 連載 実践 職場のメンタルヘルス 第3回 パワーハラスメントとメンタルヘルスの関係 中辻めぐみ 44 日本史にみる長寿食 208 餅の力 永山久夫 45 連載 働く人の「生涯職業能力開発」 の確立をめざして 第7回 企業実習の実際とメリット 松本和重 50 江戸のビジネスマン列伝 164 大岡忠相(二十五) 童門冬二 56 技術者からの視点 第33回 カタカナ語の国際性 藍野大学非常勤講師 木下親郎 58 BOOK 『「戦後」を点検する』 保阪正康 半藤一利 著 内藤正行 『ポピュリズムへの反撃 〜現代民主主義復活の条件』 山口二郎 著 『パワハラにならない叱り方 ―人間関係のワークルール』 道幸哲也 著 『デンマークのにぎやかな公共図書館 ―平等・共有・セルフヘルプを実現する場所』 吉田右子 著 60 次号予告 編集後記 グラビア 01 技を支える 200 歌舞伎の絢爛華麗(けんらんかれい)を再現する天職の羽子板づくり 西山鴻月さん、和宏さん 61 中高年のためのステップアップトレーニング 第9回 ひざ痛を予防するための体力テスト 山田拓実 62 愚なるが故に道なり 第67回 人生は無。孤独という筆で、人生の白いキャンバスに自分の絵をかく! 奥井禮喜 64 世界の高齢者雇用事情 第15回 スペイン 労働政策研究・研修機構 国際研究部長 坂井澄雄 キャプション 「日光氷雪まつり」(栃木) 1992年
【p6 特集トビラ】 新春特集
70歳への 雇用変革の時代に、 経済と雇用をどう見るか 70歳雇用問題に立ち入って考えると、どうしても高齢者雇用だけの問題でなく、若年者、女性などの雇用とセットで考えざるを得なくなる。また、企業における雇用だけでなく、地域で働くという就業も当然、視野に入ってくる。 編集部では、これまで“働くこと”の根本に立ち返って特集のテーマを組み立ててきたが、この平成23年の新年号では、雇用の根底にある経済(地域経済を含めて)や人口の変化から見て、これからの雇用・就業がどのように変わるのか、どのような雇用のビジョンが生まれるのか――などを特集した。 【p7〜15 70歳雇用時代への展望】 〈新春特別講演〉 70歳雇用時代への展望
慶應義塾大学教授 慶應義塾長 清家 篤 今日は「70歳雇用時代への展望」というテーマでお話をさせていただきます。 総務省は、毎年9月、その年の高齢者の人口を取りまとめ発表しています。昨年の発表資料によりますと、現在、65歳以上の高齢者が総人口に占める割合はすでに23・1%です。男女別に見ますと、男性が20・3%、女性が25・8%ですから、女性についていえば、4人に1人以上が65歳以上の高齢者になっています。日本全体でも、現在の推定ですと、2013年には人口の4人に1人が65歳以上の高齢者になり、20年くらい先には人口の3人に1人が65歳以上の高齢者になるということです。 このように世界に類を見ない高齢化が進む中で、日本の社会の活力を維持するためには、働く意思と仕事能力のある高齢者に、できるだけ長く活躍してもらえる“生涯現役社会”をつくる必要があるということを申し上げたいわけです。年金支給開始年齢の引上げにリンクする形で日本では改正高年齢者雇用安定法が施行され、すでに65歳までの雇用を確保する措置を講じる義務が雇用主に課せられています。その先に、本日のテーマでもある70歳くらいまでは、働く意思と仕事能力のある人の能力を活用できるような社会をつくろうという問題意識が出てきているわけであります。 20年後には3人に1人が65歳になり、現在65歳の人でも、厚生労働省の簡易生命表によりますと、男性はあと18・6年、女性の場合には23・64年生きるわけですから、やはり雇用ルールももう少し上の年齢に引き上げていく必要があるのではないかということで、きょうのテーマである「70歳雇用」というものが少しずつ視野に入ってきているのが現状だと思っています。 さらに言えば、65歳とか70歳という基準の年齢を引き上げていくのもいいのですが、年齢を基準としない、年齢にかかわらず働く意思と仕事能力のある人の能力が活用できるいわゆる生涯現役社会を実現することが長期的には求められるのではないかと思います。別の言い方をすれば、最終的な生涯現役社会に向けて、まず当面のステップとしては65歳まで、さらに70歳までの現役というものを進めていこうというふうに考えていただければよろしいのではないかと思っております。 団塊の世代の活用が、はじめの一歩 もちろん70歳現役雇用といいましても、もうくたびれて働く元気がないという人が非常に多くを占める中で「70歳雇用」も「生涯現役」もないものだ、というふうに思われる人もいらっしゃるかもしれません。 この点で、実は日本はとてもありがたい条件に恵まれているのです。ひとつは、高齢者の方が元気だということです。日本人の寿命は男性は79歳、女性は85歳を超え世界で最も長生きですが、日本人の平均寿命は単に生きているという年数が長いだけではなくて、WHOが推計している、元気な状態で何年ぐらい生きていくかという「健康寿命」で見ましても、日本は男性が73歳、女性の場合には78歳と、これまた男女とも世界トップのレベルになっているわけです。 もうひとつが、日本の高齢者は働く意欲が非常に高いということです。年をとっても元気なうちは働きたいという人が国際的に見ても非常に多いのです。たとえば、60代の前半で働く意志を持っている人の比率は日本男性では75%を超えており、次いで高いのがアメリカ、イギリスですが、それでも6割程度です。そして、ドイツが4割ぐらい、フランスは2割ぐらいということでずっと下がります。ヨーロッパのように、できれば早く引退したいのだという人が多い国からすると、日本は「生涯現役」、あるいは「70歳現役雇用」というのを進める上でとても恵まれた条件にあります。その意味ではぜひこれを活かしていくべきです。 その第一歩が、団塊の世代の人たちの能力と意欲を活かしていくことだと思います。団塊の世代の人々は現在でも670万人ぐらいの人が元気でして、そのうちの510万人ぐらいの人が実際に働く意志を持って労働市場にとどまっています。 団塊の世代の人たちの理想の引退年齢というのは大体60代の半ばぐらいから後半のところに散らばっています。その意味では、この人たちを先導者として、生涯現役、少なくとも70歳ぐらいまで現役で働くことのできる道筋をつけていくことが大切だと思っています。 この団塊の世代の人たちは、実は人材の宝庫でもあります。人数が多いというだけではなく、とても素晴らしい仕事の経験をし、高い仕事能力を蓄積しています。それは、団塊の世代の人々の多くが恵まれた職業人生を送ってきたからだと思います。 まず出発点の就職のときから恵まれています。団塊の世代の人々は毎年270万人ずつ生まれていたわけですから、他の世代に比べ競争の非常に厳しい世代です。就職でも一歩間違えると大変な競争になったかもしれなかったのですが、幸いなことに、この団塊の世代の人たちが就職した時期というのは、ちょうど日本の高度成長期とまったく重なっていました。団塊の世代の人たちは就職難どころか、中学、高校を卒業して就職された人は「金の卵」などといわれてかなり恵まれた就職をしました。と同時に、この団塊の世代の人たちがちょうど就職をした頃から日本の企業は少しずつゆとりが出てきて、新入社員にかなり手厚い初期の能力開発・教育訓練を、多くの企業で行うことができるようになりました。つまり、団塊の世代の人たちはかなり恵まれた就職をし、そして若い時の教育訓練・能力開発の機会にも恵まれていたわけです。 そして、団塊の世代の人たちの働き盛りである30代から40代の前半ぐらいが、2回にわたるオイルショックを克服して、エズラ・ボーゲルが、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言ったような日本経済の黄金期でした。1970年代の後半から90年代の前半にかけての日本経済の成長期に、団塊の世代の人たちは30代から40代の前半の、まさに働き盛りの時期を過ごし、素晴らしい仕事経験や能力を蓄積し、人脈なども世界にまで広げてきました。そうした仕事の能力をしっかりと蓄積した団塊の世代の人たちが、数としてもたくさんいるわけです。そしてこの人たちも、これまでの高齢者と同じように高い就労意欲を維持していますから、今この世代をぜひ活用していきたいということなのです。 問題は、団塊の世代の就労意欲・能力をうまく活用するためのノウハウをどのように蓄積していくのか、あるいはその阻害要因をどのように見直していくかということです。その阻害要因を考えた場合、その筆頭が定年退職制度です。定年退職制度というのは、どんなに働く意思・能力があっても定年になると仕事を辞めてもらうという制度で、やはりこれは見直しがどうしても必要になってきます。 2013年に1年間の年金ブランク期間が出現 先ほど申しましたように、高年齢者雇用安定法が改正され、「日本の企業は2013年度までには65歳までの雇用を確保する措置を講じなければいけない」ということになったわけですが、その方法としては3つの方法が企業には認められています。 ひとつは、定年を65歳まで延長すること。もうひとつは、そもそも定年というような制度自体を廃止すること。そしてもうひとつは、定年はそのままで、たとえば60歳の定年制であれば、それ以降は再雇用のような形で65歳まで雇用していくという、いわゆる継続雇用制度をつくっていくことです。 厚生労働省の調査によりますと、この65歳までの雇用を確保する措置はほとんどの企業で講じられているわけですが、そのうち定年廃止を行った企業はさすがにほとんどありません。そして定年延長で対応するという企業も15%程度ですから、まだ8割以上の企業は、継続雇用制度で対応しようとしています。 私は、定年制度はそのままで、65歳までの継続雇用制度というのが多いのは今はまだやむをえないと思っています。しかし、最終的にはやはり年金の支給開始年齢と定年の年齢が接続していないと、困ると思います。たとえば定年は60歳、しかし年金は65歳にならないと支給されない、その間はかなり不安定な継続雇用制度で凌ぎましょうというのでは、社会の仕組みとしての整合性から、あるいは個人の生活の安定という観点から、相当問題があるのではないでしょうか。 厚生年金は報酬比例部分と老齢基礎年金部分の2階建てになっています。基礎年金部分は男性の場合は2013年度から65歳になり、報酬比例部分の支給開始年齢も2013年度から、3年おきに1歳ずつ引き上げられますので、2013年度に61歳になる人は報酬比例部分も基礎年金部分もどちらも1年間もらえないということになります。 すなわち2013年度には、報酬比例部分も含めて年金のブランク期間というのが1年間生じてくるのです。したがって、定年年齢と年金の支給開始年齢が接続していくことを考えていかなければなりません。2025年には報酬比例部分も含めて男性の場合、65歳支給に完全に移行します。その時にはやはり、定年も65歳に引き上げられている形にしておくことが必要なのではないかと思っています。 こういう話を経営者にしますと、皆さんちょっと嫌な顔をされます。もちろん経営者の方々が、「65歳までの定年延長、とんでもない」とおっしゃるのには理由があります。そのひとつは、年功的な賃金です。年功的な賃金制度は年齢や勤続年数に応じて賃金が上昇する仕組みで、このままで定年を延長すると、定年の延長に伴って企業はコストの高い労働者をたくさん抱えることになってしまいます。この点で日本の企業では大変苦労しております。それから年功的な昇進制度もあります。したがって、この年功賃金あるいは年功的な昇進制度の見直しというものが必要になってきます。 ただし年功賃金というのは、就業者が若い時にはとてもいい制度です。若い人が一人前になるまではむしろ年功賃金が望ましいと思います。皆さんの企業でもそうだと思いますが、若い新入社員が入ってくると、その人が一人前になるまでは、先輩から仕事を教えてもらって一人前になっていきます。その意味では、若者が一人前になるまでは、仕事を教える先輩のほうが教えてもらう後輩よりも賃金は必ず高いということでないと、この仕組みはうまく機能しません。そのあとは、年齢や勤続に応じて賃金が上昇していく部分をもっと少なくすることによって、賃金カーブ全体をフラットにしていくことが必要になってくるだろうと思います。 処遇の面についても、年をとった人を管理職にするのではなく、その培った能力をしっかりと生かしてもらい、個別のプロジェクトや業務の担当者としてしっかり仕事をしてもらうようにする。まさにプロフェッショナルとして仕事をしてもらうという仕組みを継続していくことが必要になってくるだろうと考えます。 勤続60年社員にダイヤを贈呈する「西島」 実はこういう仕組みは、日本の企業社会を大企業の世界と中小企業の世界に分けてみますと、圧倒的に中小企業の世界のほうが進んでいます。実は、定年退職制度がない会社というのは圧倒的に中小企業に多いわけです。あるいは、定年退職制度があっても、定年年齢を60歳以上に定めているところは統計上も中小企業のほうが圧倒的に多いのです。また定年を定めていたとしても、中小企業の場合には、定年後も働く意思と能力のある人には働き続けてもらうという雇用慣行を持っているところが、少なくありません。 どうして中小企業ではそういう生涯現役的な働き方、雇用の仕方が可能なのかというと、ひとつには中小企業は大企業と違って賃金カーブがフラットだからです。初任給は大企業と中小企業ではさほど差はなく、30歳ぐらいまでは大体同じようなカーブになっています。ところが、大企業や、役所などの場合は、40代、50代になってもまだ平均賃金がかなりの傾斜で上昇していっているのに対して、中小企業の賃金カーブは、標準労働者でみても、40代の前半ぐらいからかなりフラットになっています。つまり中小企業の場合は、中高年の人を雇ってもそんなにコストが高くならないような賃金制度をもともと持っているのです。 もうひとつは、処遇面において、たしかに中小企業でも、一定の年齢になると課長とか部長とかになるわけですが、なにしろ少ない人数で仕事をしているので、営業課長さんも第一線の営業マンとして仕事をとってくる、あるいは生産現場の役付きの監督職も、培った能力、技能を生かして仕事をするというようなことが当たり前になっています。そしてここが大切なのですが、われわれがよく調査をさせていただいたりするオンリーワンの競争力のある地方の中小企業というのは、必ずといっていいほどこの“生涯現役”を実現しています。あるいはベテランの能力をうまく活用しているケースが多いわけです。 愛知県豊橋市に「西島」という金属加工業で工作機械などを作っている会社があります。従業員150人ぐらいの会社です。世界の中でもオンリーワンの競争力をもっている会社で、特に金属を切断する切断機の製造においては高い品質を保持し、言い値で製品が売れるぐらいの会社です。同社は定年退職制度なしです。75歳ぐらいの従業員が、この競争力のまさに源泉である機械を切断する歯車の歯の軸の製造に携わっています。 同社では、勤続50年の従業員に対して金婚式にちなんで純金のメダルを贈呈しているそうです。さらに、同社の社長は、もうすぐ勤続60年の社員には「ダイヤモンド婚」にちなみ、「なにかダイヤモンドを埋め込んだ記念品を贈らなくては―。相当費用がかかりそうだ」と笑っておられました。 また、鹿児島市には圧倒的なブランド力をもっている「山形屋」というデパートがあります。この会社にも60代あるいは70代の従業員がかなりおられます。経営者に話をお伺いしても、特に地方のデパートはお客様の年齢層も高くなっているため、そういうお客様のかゆいところに手が届くような接客サービス、販売サービスはやはりベテラン従業員に頼らなくてはだめだ、60歳になったから辞めてくれなんてもったいない、とおっしゃっていました。 土曜、日曜が私たちの就労日 岐阜県中津川市の「加藤製作所」では「ウィークエンド社員制度」といって、60歳以上の人に土曜日・日曜日に働いてもらっています。土・日に働いてもらうことによって工場は1年365日の稼働率を確保できるわけです。若い世代とは異なり、60歳以上の人というのは土、日働くという契約でも喜んで働いてくれます。別に土、日どうしても休まなければいけない理由がもうありません。むしろ休みは平日にとり、温泉などに行ったほうがいいかもしれない。 このようにさまざまな工夫をしながら、ベテラン従業員の能力を確保することで、圧倒的な競争力をもった地方の企業というのはたくさんあるわけです。そういう中小企業の持っているノウハウを、もっと大企業や役所などもこれから学んでいく必要があります。 これからどうしたら70歳まで働ける企業をつくっていくことができるか、70歳まで働ける企業の条件というのは何かということですが、そのためには、70歳にいきなり一足飛びにいくことは難しいので、まずはすべての企業が、65歳まで現役で働くのが当たり前だという環境をつくっていただきたいと思います。まず65歳までの現役雇用制度をつくり、それを土台にして働く意思と仕事能力のある人には70歳まで働けるような環境を整備していく、こういうことが必要になってくるのではないでしょうか。 その際の条件のひとつは、やはり健康だと思います。日本の高齢者の健康寿命は長いわけですが、60代の後半ぐらいになってきますと健康にもバラつきが出てきます。できるだけ長く元気な状態で仕事をしてもらえるような条件整備が必要ですし、加齢に伴う体力の衰えをしっかりと補う体制が必要になってきます。たとえば製造現場でいえば、重い部品等を台車で自由に工場の中を動かせるように、工場の床をフラットにするという工夫をされているところもあります。 年をとってきますと、過労が心配になってきます、しっかり休憩をとってもらうことも必要です。埼玉県川口市にある鋳物工場の「石川金属機工」では75歳まで鋳物製造現場で働いている人がいます。鋳物鋳造というのは技術が要ると同時に、職場は非常に暑く、かなりの重筋労働です。75歳まで働いてもらう反面、健康面も心配になります。そこで、同社では必ず休み時間をこまめにとっています。1時間半ぐらいの間に10分ぐらいの休憩時間を組み入れているようです。ベテランの人はなにしろ働き者ですから、10分間休まないですぐ職場に戻ろうとします。そこで休憩を必ずとってもらうためにどうしたかというと、今の社長のお姉さんで専務を務めている人がひとつ工夫をしました。それは休み時間にアイスキャンディーを出すことです。しかも普通のアイスキャンディーではなく表面がガリガリになった氷のアイスキャンディーがあります。あれだと、氷のアイスキャンディーを全部食べるのに10分かかるということが分かったので、それを配ることにして、みんなに10分間休んでもらうという工夫をしています。 もうひとつ大切なのは、もちろん仕事能力です。仕事能力が少なくとも70歳までしっかり持続されていないと仕事を続けることはなかなか難しい。あくまでも、仕事能力のある人が70歳ぐらいまで現役で働ける仕組みを「70歳現役雇用」というわけです。そのためには、長く働けるための健康に対する投資、それから技能がしっかり確保されているための仕事能力に対する投資を、若い時からしっかり行えるような環境を、社会全体としてそういう仕組みあるいはルールをつくることが必要です。 長距離競争の職業人生に不可欠な 能力の再開発 従来の職業人生が短かった時代には、若いときに学校に行き、そして就職した初期の若い時に集中的に仕事を覚えて、あとはその能力でもって55歳ぐらいまでの比較的短い雇用期間を、長時間労働を行うような形で突っ走るという、いわば短距離競走型の職業人生でもよかったのです。 しかし、70歳現役雇用というような長丁場を走りぬくためには、自分の健康に気をつけ体力が維持できるような、健康・体力に再投資する時間も必要になってきます。また仕事のあとに、新しい知識だとか技術を仕込む時間も必要です。つまり目先の仕事だけに忙殺されるのではなくて、新しい知識や技能などを習得し、自分の仕事能力に再投資する時間も必要になります。長い職業人生の折り返し点となる40代の前半ぐらいの頃に、1年ぐらいの長期の研修休暇をとって自分自身をオーバーホールする、もう1回自分自身のために勉強をし直す、そういう機会も必要になってくるかもしれません。短距離競走型の職業人生から、マラソン型・長距離競走型の職業人生に変わっていくにあたっては、やはり生涯にわたって能力が再開発されるようなそういう視点も必要なのです。その意味では、生涯現役社会というのは、生涯能力開発社会でもあると思います。 いずれにしても、日本という人材しか資源がない社会で、日本人が豊かになるためには、一人ひとりが高い賃金を得、高い付加価値を生み出すことができる能力を身につけるしか方法はないわけです。今までの日本でもこの能力開発は重要でしたけれども、これからは今まで以上に能力開発が必要になってきます。 もう少し正確にいえば、一人ひとりの付加価値生産性をどのように高めていくかということが、これからの社会では今まで以上に重要になってきます。一人ひとりが自分の仕事に強いこだわりをもった仕事人間になるのです。この“仕事人間”というのは必ずしも“会社人間”である必要はありません。「仕事人間と会社人間は、どこが違うのか」と聞かれるのですが、ひとつの違いは、最終的に仕事人生を終えて引退するとき、自分の職業人生をどのように振り返るかという振り返り方が、仕事人間と会社人間では大いに違うと思います。 会社人間は、「自分は○○会社の社員だった。△△部長だった」という振り返り方をします。しかしそれだけを自分の職業人生の拠りどころにしていると、自分のアイデンティティが失われてしまうかもしれません。 では仕事人間はどうかというと、仕事人間は、「何をやったか」ということで自分の職業人生を振り返ることができます。「あんな新製品を開発した」、「あんなプロジェクトを成功させた」、「あんないい部下を育てた」等々、「○○をやった」という形で自分の職業人生を振り返る。 そういう仕事人間をこれからどれだけ育て、そしてその仕事人間にその能力を十分に最後まで発揮してもらうことができるかどうかが、実は企業の競争力、生き残りを左右するようになるのです。その意味でこの70歳の雇用社会実現のためには、実は70歳までしっかりと高い付加価値を生み出せるような能力を若いときからずっと積み重ねていくことができるような仕組みを、企業においても社会においても構築していく必要があると思います。 そして、この「70歳現役社会」は、やはり70歳まで仕事人間としてもしっかりと働けると同時に、家族の一員としても、あるいは地域社会の一員としても、生き生きと活動できるような社会でなければいけません。 そのためにも、やはり若い頃から仕事能力だけではなくて、家族の一員としてあるいは地域社会の一員としても生き生きと活動できるような能力、趣味や社会的活動の経験も積んでいく、そういう時間的な余裕も必要です。その意味で、私は最終的な生涯現役社会を実現するためにも、もうひとつの雇用の面における重要なテーマである「ワーク・ライフ・バランス」も大切になってくると思います。 今日は「70歳雇用時代への展望」ということで、これから人口が高齢化していく中での雇用のあり方について、専門である労働経済学の視点からお話をさせていただきました。 キャプション 何をやってきたかで自分の職業人生を振り返ることが大切。
【p16〜22 成熟フェーズの日本経済】 新春特集 成熟フェーズの日本経済 ―成長論から分配論へ エコノミスト 波頭 亮
労働力人口の減少、高齢者増―成長因子の消失 「すでに起こった未来」という言葉があります。ドラッカーが1964年に書いた『創造する経営者』という本の中で使った言葉ですが、人口動態のことを意味しています。10年後、20年後の人口構成は未来の事柄でありながら、現時点でほぼ見通すことが出来ているということをこう表現したのです。そして、ドラッカーは先進国において将来起こるであろう人口が減少していく事態に対して警鐘を鳴らすためにこの言葉を使ったのでした。 1964年と言えば、欧米も日本も高度経済成長真っ只中、黄金の60年代であり、当時各国は経済だけでなく人口もぐんぐん増えていた時代です。そんな時代に、将来人口が減少していく社会の危機を論じたドラッカーの慧眼は凄いとしか言いようがありません。しかし、いままさに日本が迎えようとしている人口減少が社会や経済に与えるインパクトは、もしかしたらそれ以上に凄いものになるかもしれないと案じています。 人口が減っていくということは、経済の面で言うと、モノを買う人が減り、モノを作る人も減るということです。何だ、両方が減るのならバランスが取れるじゃないかと安心するのは早計です。これから本格的に迎えようとしている日本の人口減少は、少なくとも2つの意味で極めて深刻な問題をはらんでいます。 第1の問題は、現行の国民経済が運営不能になるということです。言わば、日本経済のシステムダウンです。どういうことかと言うと、今の日本丸は船長以下、航海士や機関士や甲板員や船医やら、トータルで約8100万人の働き手がそれぞれの役割を果たすことによって動いています。人員減少が1万人、2万人程度であれば、手が空いている人が肩代わりすることもできるでしょうが、働き手が何百万人というスケールで大幅に減ってしまうと、エンジンのメンテナンスができなくなったり、適切な航路を判断できなくなったり、病人が出ても治療ができなくなったりという事態が起きてしまうのです。つまり、8100万人の働き手がそれぞれの役割を果たしてこそ回る日本経済システムなので、もし何百万人もの働き手が減ってしまうと全体として機能不全になってしまうのです。 ちなみに現在の労働力人口は約8100万人ですが、今後10年の間に770万人も減少することが“すでに起こった未来”として分かっています。労働力人口770万人というと、経済規模で言うと、ギリシャ(750万人)、ベルギー(710万人)、スウェーデン(610万人)の一国経済全体に匹敵するほどのスケールです。日本の国民経済で言うならば、運輸・郵便業(348万人)と情報通信業(193万人)と金融保険業(165万人)と自動車製造業(87万人)が全てなくなるのに等しいほどのインパクトなのです。 2つ目の問題は、非労働力人口の増加です。1つ目の問題として指摘した労働力人口の減少だけでも国民経済はシステムとして機能不全に陥ってしまうリスクがあるのに、これからは労働力人口の減少と並行して高齢者が急速に増加していきます。具体的には、今後10年間で65歳以上の高齢者は650万人も増えて3590万人になります。現在でも総人口に占める高齢者の割合は23%と世界一の水準なのですが、今後10年で急速に上昇して30%に達するのです。となると、減り続ける労働力人口の一人ひとりの肩にのしかかってくる国民経済を支えるための負担は、加速度的に重くなっていくのです。 さらに、筆者が特に深刻に捉えているのは、たった10年間で高齢者が650万人も増え、高齢化率が7%も上昇するという、その社会変化のスピードそのものです。徐々に高齢化率が上がっていくのであれば、医療や介護サービスの体制を整えることもできるでしょうし、高齢者向けの様々なサービスや制度を充実させることもできるでしょう。が、たった10年しか時間的猶予がないと何一つ準備が整わないままその事態を迎えることになりかねません。高齢化社会を迎える準備のないままで突入する人類初の超高齢化社会の姿は、至る所を徘徊する老人、老々介護の悲劇、姥捨て事件等々、想像したくないようなものが少なくありません。 成熟フェーズの経済―成長論から分配論へ このように極めて深刻な“すでに起こった未来”の前で佇む現在の日本は、当然のことながら、経済政策も産業構造も雇用制度も大きく変えていかなければなりません。 まず不可避、不可欠な変革は、経済政策の基本方針の転換です。これからの経済政策では、経済成長を前提としないで国民一人ひとりがより幸せな生活を営むことができるようにすることを考えるべきです。経済が成長し得るステージであれば、「成長は全てをいやす」と言われるように、成功した人にも成功できなかった人にも、優秀な人にも優秀でない人にも、広くあまねく恩恵が及びます。しかし経済の成長が止まった社会では、限りある富と減少していく価値(GDP)をどのように分配するのかが極めて重要です。つまり、経済政策の基軸を、いかにして経済を成長させるかという“成長論”から、どのように富や価値を分配するかという“分配論”に転換することがまず必要になるのです。 日本は90年代後半から「人口」と「貯蓄」という経済成長のために不可欠な2つの基礎的ファクターが頭打ちになり、80年代までのような経済成長が理論的に実現し得なくなりました。それにもかかわらず経済政策はかつての成長論中心の施策のままで、緊急経済対策などという名のもとに15年間で226兆円も成長論的景気対策に費やしてきてしまいました。 その結果、実際に経済は成長したのかというと、名目で見ればマイナス成長、実質でもやっと1%そこそこというありさまです。ドルベースで見ると、日本は15年前の水準を一度も超えることなく、ジリ貧の一途というのが現実です。15年間もデフレ基調が続いているのは世界中で日本だけであり、また人口が減少している国も日本だけなのです。そろそろ、成長論中心の経済政策や景気対策を転換しなければ、財政的にも、人口減少・高齢化社会到来のタイムリミット的にも、日本経済の破綻が避けられなくなってしまいます。 これからは分配論中心で経済政策を考えるべきであると言いましたが、それは具体的に言うと「国民全員に医・食・住を保障すること」というヴィジョンを据えるところからスタートするのが良いでしょう。国民は、誰でも医療も介護サービスも無料で受けられる、また食べることや住む所に困らないような社会保障の制度や政策を整えていくべきだと考えます。生活保護の基準を緩和するやり方でも良いし、国民一人当り7万円〜10万円程度のベイシックインカムを導入するのでも良いと思います。 国民全員の医療費や介護費用を無料にしたり、現在1900万人存在する生活保護対象者全員に無条件で手当を支給したりすると莫大なコストがかかると思うかもしれませんが、その総コストは約24兆円です。この24兆円を消費税で取るのか所得税で徴収するのか、あるいは金融資産課税を導入するのか、原資の集め方には議論の余地があると思いますが、今よりも国民負担を24兆円増やしたとしても国民負担率は46%です。46%というとイギリスの48・3%、ドイツの52%、フランスの61%と比べて、まだまだ低い水準です。 24兆円の負担増は、現在の国民負担と比べると約18%増になりますが、医療・介護の経済負担がなくなり、食べることや住むことの心配がなくなるのならば、国民はすごく安心して生きていくことができるでしょう。その安心感は経済成長のない社会においてはとても貴重なものであり、成熟社会の安定には欠かせないものだと思います。 産業構造をシフトする2つのテーマ 次に成熟社会における産業政策について説明しましょう。 まず、喫緊のテーマは医療・介護サービスの拡充です。高齢者は一人当りで見て若年者の3倍強の医療サービスが必要です。10年後には高齢者のうちの5割以上を占める後期高齢者では、若年者の約5倍も必要です。この事実を前提に計算すると、日本全体で10年後の医療ニーズは現在の3割増になります。医師の数だけでも少なく見積もって33万人増やさなければなりません。現在でさえ3時間待ちの3分診療などと言われている現実を考えると、この数字は最低限の水準です。当然ですが医師の増加に伴って看護師や医療技師なども増やさなければなりません。その数は約215万人と試算されています。 これだけの医師や看護師等を10年以内に増やさなければ、病気にかかった人が病院にかかれないという悲惨な事態が起きてしまうわけです。これは大変なことですが、逆に考えると確実に需要が見込まれる職が約250万人分も必要とされているということです。公共事業の縮小に伴う土木建設業の従事者の余剰が150万人ともいわれ、円高に伴う工場の海外移転で300万人以上の雇用が失われてしまうと喧伝されていますが、国民経済全体で見れば医療分野だけでも250万人の雇用創出を見込めるわけです。 同時に介護の分野も大量の人材を必要としています。様々な試算がありますが、後期高齢者が1870万人に達する10年後には少なくとも現在の2倍に当たる260万人の介護サービス従事者が必要とされています。単純化して言うと、これから公共事業縮小や工場の海外移転で450万人分の雇用が失われる可能性があるけれども、今後必要とされる医療・介護の分野での雇用創出は約380万人分も存在するということです。 ここでこうした産業構造のシフトに関する政府の役割を示しておきましょう。それは医療・介護産業で働くことに対するインセンティヴの強化です。現在介護サービス従事者の給料は月額で15万円〜18万円くらいが標準的です。肉体的にも精神的にもとてもきつい介護サービスで1カ月働いて15万円〜18万円という収入では、よほど福祉意識の高い方でないとなかなかこの仕事は続かないでしょう。実際に多くの人が介護サービスに就いても半年以内に辞めてしまっているのが現実で、現在も介護事業の大きな問題となっています。 大量に増える高齢者に備えて10年間で介護サービス体制を整えるためには、財政的支出を伴った支援が不可欠です。例えば介護サービス従事者の給料を現在の2倍(30万円〜36万円程度)にして現行との差額分は国が補填するようにすれば、介護サービスで働くことの魅力が大きく高まって、多くの雇用が実現されるはずです。この時の国の財政負担は約5兆円になります。ちなみに日本はこの10年間で90兆円、つまり毎年平均で9兆円の公共事業費を使っているのですが、その半分を介護サービスに回すなり、追加することができれば、この金額は十分に賄えるわけです。 内需型産業の拡大だけでなく、 外貨を稼ぐ産業の育成も これからの日本の産業を考える上で、医療・介護産業の拡充と並んでもう一つ重要な産業政策があります。それは輸出産業の振興です。医療・介護産業は高齢化社会にあっては最も必要とされる重要な産業であることは間違いありませんが、あくまでも内需型産業です。日本経済のしくみとして、石油や食糧の輸入代金を稼いでくれる輸出産業なくしては国民経済は成り立ちません。「日本経済は外需依存度が高いために世界の景気の波をもろに被るので、内需型産業を喚起しなければならない」という意見をしばしば見聞きしますが、これは必ずしも正しくありません。データからすると、日本は先進国の中では外需産業=輸出依存度がむしろ低い国なのです。国民経済(GDP)に対する輸出額の比率は、ドイツが40%、フランスが21%、イギリスが17%、日本はそれ以下の16%でしかありません。日本は少なくとも石油と食糧の輸入代金27兆円を輸出で稼がなければならないわけですから、現状より輸出を落とすわけにはいかないのです。 しかし、この27兆円というどうしても必要な輸出金額は莫大です。世界最強と言われる日本の自動車産業ですら年間の輸出金額は14兆円でしかありません。27兆円稼ごうと思うとその2倍もの製品を輸出しなければならないのです。しかもこれまで日本の輸出に貢献してきた家電・エレクトロニクス産業は韓国や中国の追い上げにあって、国際市場でのシェアを落としてきていますし、企業は工場を海外に移転させたりしていて、今後は輸出をあまり期待できません。従って、これから新しい輸出産業を育成していくことも日本経済が沈没しないためには大変重要なテーマなのです。 有望な分野はもちろんあります。環境関連の機器や設備はこれから世界中で需要が高まってくることが予測されています。先進国では省エネやクリーンエネルギー、発展途上国では上下水道や公害防止といった分野です。これらの分野では日本企業は世界の最先端を走っているという心強い事実があります。例えば、今後20年間の間に先進国でも発展途上国でも多数建設が予定されている原子力発電所の設備・機器では、世界のトップ3のうち2社は日本企業です。水処理や太陽光発電などの分野でも日本企業は世界のトップクラスに入っています。 社会保障と市場メカニズムの両立が、 新しい国のかたち では、こうした輸出産業を育成・振興していくための産業政策はどのようなものかというと、医療・介護の場合とは逆に、政府が主導したり補助金をつけたりするのではなく、自由競争を阻害しないようにすることだと言えるでしょう。国際市場での競争は、結局は企業の技術力とコスト競争力で決まります。政府が補助金をつけてやっと仕事が取れる状態では、現在の日本の農業と同じように、いつまでたっても独り立ちできません。それどころか、補助金をつけて輸出をするというのは高く作ったものを安く海外に売ることですから、貴重な国民の税金の国外流出を意味します。これでは外資を稼ぐどころか、逆効果になってしまうのです。いまの日本の農業が典型ですが、政府が手厚い保護を施し、政策による統制で育てようとした産業で成功した例は皆無だと言っても過言ではありません。国際競争に耐え得る実力をつけるためには、過剰な保護や支援をしない代わりに規制や管理もせず、自由な活動を保証することが最も有効なのです。 国際競争の中で日本企業が勝ち抜いていくためには、規制に縛られることなく迅速で柔軟な経営を展開することが不可欠なのですが、そうした自由で柔軟な経営を実現していく上で、日本の雇用に関しても重要な課題があります。最後にこれからの雇用政策について一つ提言をしておきましょう。 日本は世界の先進国の中で、ドイツ、フランスと並んで最も従業員の解雇が難しい国とされています。従業員を解雇することが難しい中で企業が経営を行うと、常に少な目の社員しか雇わないということになりがちですし、また事業環境の変化が起きた時に従業員を入れ替えて古い分野を捨てて新しい分野に進出するということも難しくなってしまいます。つまり、雇用水準も低く抑えられてしまう上に、企業も成長機会を逃してしまうということなのです。 成長フェーズにある時は国民経済も企業も毎年成長していきますから、従業員の解雇などしなくとも毎年雇用を増やしていけますし、追加的に新しい分野に進出していけますが、成長が止まった環境で変化に対応するためには従業員の解雇を伴うことが多いのが現実です。この自由度が与えられないまま国際競争を戦うのは大きなハンディキャップと言わざるを得ません。成長が止まった社会で効率的な国民経済を実現し、しかも日本企業が国際競争を勝ち抜いていくためには、雇用に関する自由度を高めることが不可避の条件だと言えるでしょう。 もちろん解雇された人の生活を守らなければならないことは当然です。ただし、労働者=国民の生活の保障は自由競争を戦っている企業の責任とするのではなく、国家の責務とすべきでしょう。そのためにも「国民の誰もが医・食・住を保障される」ことが国家によって整えられるべきなのです。企業が働く人を解雇しても、その人達が医・食・住に困らなければ、働く人も企業にしがみつかなくて良くなります。国民の生活は国家が保障し、企業は経営の自由を得て効率的にGDPを生み出す、というのが成熟社会のあり得べき基本型だと思います。 【p23〜28 人口減少社会から見た経済、社会の新たな公式】 新春特集 人口減少社会から見た 経済、社会の新たな公式 政策研究大学院大学教授 松谷明彦氏に聞く ―日本では高年齢者雇用安定法によって2013年からは65歳までの雇用が義務づけられていますが、最近では「70歳までの雇用」という話も現実味を帯びてきつつあります。その背景には、670万人にのぼる団塊の世代の全員が数年後には65歳を越えるにいたり、国民の4人に1人が65歳以上の高齢者になるといったことがあります。 しかし、「70歳までの雇用」というコンセプトは、いまだ国民のコンセンサスが得られているとは言いがたく、また、若年者の雇用も大きな問題となっています。高齢者雇用の問題を考えるに当って、企業経営から雇用まで全体を見渡してみる時期にきているともいえるのではないでしょうか。 そこで本稿では、政策研究大学院大学の松谷明彦教授に、人口減少社会の到来が企業経営や雇用、地域経済に与える影響についてお話をうかがいたいと思います。 「人口の高齢化」というのは、経済、社会のあり方を決定していく大きな要因となると考えられますが、高齢化という問題についての松谷先生のお考えをお聞かせ下さい。 松谷 現在進行しているわが国の人口減少と高齢化は、われわれ日本人が正面から向き合わなければならない環境変化です。しかも、社会・経済システムの根本的な変革をもって対応しなければならない巨大な環境変化のはずです。 そして現在進行中の少子化は、これまで多くの人が議論してきた出生率の低下を要因とする少子化とは違って、子どもを生む可能性の高い年代層の女性人口の急激な減少が原因ですから、この環境変化を押し止めることができないということなのです。 これは、日本の歴史の中の明治維新や第2次世界大戦の敗戦に匹敵する環境変化ですが、これに向き合って社会・経済のシステムをどう変革するのかといった取り組みは、残念ながら見られません。 こうした状況の中で、「高齢者雇用について、どのように考えるか」と問われれば、「まだまだ働きたいと考えている高齢者が、自己実現が可能な環境で働けるのであれば、それは望ましいことだ」と回答すると思います。 しかし、その一方で「70歳までの雇用」という話を聞くと、70歳近くなっても働かなければ生活していけない社会になってしまうのかという印象もあります。そのような社会は望ましいとは言えないだろうと考えます。 そもそも私は「定年延長」には反対です。なぜなら、定年延長とは「その年齢までは必ず働きなさい」と言われているようなもので、要するに「死ぬ間際まで働きなさい」と言われるのと同じでしょう。自分の人生をどのように考えるかにもよりますが、これは決して良い話とは言えないのではないですか。 もとより、働きたいという人が「年寄りは要らない」と理屈抜きで排除されるような社会は決して望ましいとはいえませんが、一方で、一生働かなければ食べていけないという社会も望ましくないというのが私の考えです。 ここで興味深い数字をご紹介しましょう。ヨーロッパ諸国と日本で、高齢者の労働力率を比較してみると、日本の65歳以上人口の男性労働力率が29・7%であるのに対して、フランスは2・1%、ドイツは5・7%に過ぎません。比較的所得格差の大きいイギリスでも10・9%、アメリカが21・4%と、高齢者の労働力率は各国とも日本よりはるかに低いことが分かります。つまり、日本は先進国の中では極めて多くの高齢者が働いている国なのです(図1参照)。 それではなぜ、欧米の先進国では高齢者の就業率が低いのでしょうか。実は、こうした国々では「高齢者が働かなくても生活できる」ということが大きいのです。日本では、各種アンケート調査結果をみても、経済的な理由によって働き続けている高齢者が多いことが分かっています。だから財政や年金の収支を改善するために、高齢者もさらに働くべきだと主張するということは、「高齢になったら働かなくてもよい」という欧米先進国とは、異なる方向に社会を持っていこうとしていることになります。 このように、日本は高齢者が働かなければ生活できない社会なのですが、その最大の理由は賃金水準の違いです。日本の時間当たりの賃金水準をドイツやフランスと購買力平価(総合的な物価水準の内外価格差を示す指標)で比較すると、日本を100とした場合、ドイツは155です。日本に比べて55%も高いのです。フランス、アメリカ、イギリスは概ね120です。日本の賃金水準がいかに低いかがわかるでしょう。 ちなみに、日本人が23歳から65歳まで43年間働いて得られる賃金は、フランス人、イギリス人、アメリカ人は35・7年で得られます。ですから、日本人よりもずっと早くリタイヤできようというものです。 ―日本は「豊かな国」といわれるわけですが、国民からみると、その豊かさを実感できないというのが本当のところだろうと思います。その要因は、どこにあるのでしょうか? 松谷 ご指摘のとおり、「日本は世界でもっとも豊かな国のひとつだ」と言われても、大方の国民は首をかしげるのではないでしょうか。実は、そこに日本経済が抱える大きな問題があるのです。 なぜ、日本の1人当たりの国民所得が高いのか。生産効率が高いからでしょうか。そうではありません。ドイツやフランスと比較しても、日本の生産効率は悪いのです。では、なぜ日本の国民所得が高いのか。結論を言えば、日本人がよく働くからです。日本人労働者の週労働時間は、ドイツ、フランスよりかなり長いのに加えて、全人口に占める就労率が高い。それで、当然に国民所得が高くなるのです。 それと、もうひとつ重要なことは、企業が生産量の拡大のために行きすぎた省力化を行ったことが、賃金水準を低位に導いた点です。 日本の賃金水準が低いのは、日本の企業の付加価値率が欧米の先進国に比べてかなり低いからです。この付加価値率の低さの最大の原因は、私は過度の機械化にあると考えています。日本の企業は、ありとあらゆる作業にロボットを使おうとします。このためロボットのコストがかさみ、結果として利益をロボットに食われてしまっているのです。 効率的に使うことができるようであれば、ロボットの利用自体は悪いことではありません。しかし、ロボットの利用によって効率がかえって悪くなることもあり得ます。例えば検査工程ですが、人間に任せるのではなく、ロボットに任せようとするなら、たいへんなコストがかかってしまいます。また、在庫管理についても、ロボットに任せるために必要以上に壮大なシステムを組んでいる企業があります。 このような指摘をすると、日本の企業の担当者は、「人を雇えば人件費がかかるではないか」とよく言いますが、実態や生産効率を無視した機械化を進めている企業が多いのではないかと思います。また、ロボットを含めた機械や設備は固定費になりますから、うまく使わないとコスト高になります。操業率が低ければコストが過剰となるのです。 このように労働者に投資するのではなく、機械に投資しているのが日本企業の特徴であり、高い賃金が払えない理由のひとつになっているのです。日本ではロボットに過大な賃金を払っているとも言えるでしょう。 私はよく言うのですが、工場に人影がないことが「効率の良い証拠」として日本では称賛されているようですが、実は働いている人が少ない工場というのは開発途上国の生産現場の特徴なのです。ロボットを使って普及品を大量生産するのが開発途上国の特徴です。 欧米先進国の工場に行ってみてください。そのような工場はありません。ベンツの工場などでは、熟練した技を身につけた技能労働者が数多く働いています。彼らは機械にはできないものを生み出しています。ですから、より多くの利益を生み出すことができるのです。 人口減少、高齢化という問題に対して、では、なぜ社会・経済システムの根本的な変革が必要なのか。その理由は、そうでなければ日本経済は競争力を維持できないからです。 戦後の日本経済がなぜ高度成長をなしえたか。その秘密が戦後のビジネスモデルにあります。一言でいえば、技術輸入型大量生産モデルです。製品開発等を欧米経済に依存し、その製品をより多くの設備コストをかけてつくるのですから、当然利益率は低い。だから量で稼ぐべく、大量生産工程をさらに大規模化しなければならない。 これは典型的な“薄利多売”商法です。しかし、それが持続可能であるためには、労働力の増大による生産の拡大が確保されなければなりません。これは、1980年代までの日本には、そのいずれもがありましたけれども、いまはないのです。 日本のビジネスモデルは、まさにこのような「普及品を大量生産する」というところに特徴がありますから、開発途上国が急激に発展することにともなって起こった価格破壊が世界的なものとなったことの影響は、日本の付加価値率の低下に拍車をかけたといってもよいでしょう。 事実、アメリカやドイツ、フランス、イギリスの付加価値でみた企業収益は下がっていないのに、先進国の中では日本だけが付加価値率が下がっています(図2参照)。それは日本が開発途上国と競争をしている証拠です。日本は、戦後一貫して普及品を大量に売りさばくというモデルで商売をしてきましたが、欧米先進国では、普及品を大量につくって商売しようとは考えていません。開発途上国には真似することができない、熟練の技を使った高級品や技術先端的な製品を生産しているわけで、「戦う土俵が違っている」と言えるのではないでしょうか。 現代の日本が抱えている問題は、開発途上国との価格競争、過剰なロボットへの投資、そして賃金水準の低迷であり、高齢になっても働かなければならないという現実は、こうした悪循環の結果ではないかと私は思うのです。 ―新たなビジネスモデルについては、どのようにお考えですか? 松谷 日本経済は、先進国になっても、経済発展の初期の段階で採用したビジネスモデルを変えませんでした。そのビジネスモデルは、新興国や開発途上国と変わるところはないわけです。 問題はこのモデルが今後も続けていけるかということですが、2つの理由からできないということになります。 ひとつは、開発途上国の発展によって、日本の商売はどんどん食われていっています。やはり、日本の賃金水準は開発途上国に比べれば高いわけですから、同じモデルでは開発途上国に間違いなく負けてしまいます。この点は外国人労働力を活用しても同じです。彼らの賃金は母国の賃金水準よりは高いのですから。 いまひとつは、薄利多売の場合、とにかく毎年たくさん売れなければならないのですが、これから起こることは人口減少社会です。そうすると、「多売」ができないのですから、企業はもちません。 このように、2つの理由から、従来からの日本のモデルは、このまま維持することができないというのが私の考えです。こうした全体的な状況の中で、日本人の働き方、さらには高齢者の働き方も考えてみる必要があるのではないでしょうか。 では、先進国型のビジネスモデルとは、どんなものでしょうか。いまの先進国経済の発展方向は、グローバル化に象徴されるように、各国の企業が入り乱れて競争する地域こそが世界経済の拠点たり得るということです。 高齢社会では、労働力率が持続的に低下します。だから、生産性の向上が経済運営の主な目標でなければならず、そのためには、その生産物が競争力を持たなければ、生産性の向上は実現しないわけです。とすれば、一定の国際化は避けて通れません。 しかし、日本の場合、国際化というと、生産拠点を海外に移せばよいということになるのですが、これは旧ビジネスモデルの延命策でしかありません。国際化とは、そうではなく、外国人や外国企業が日本に進出することで、いま日本経済に必要な国際化とはそういうことだろうと思います。 ―日本経済のグルーバル化というお話をいただきましたが、その点でいま最も遅れていると思われるのが、「人材の育成」という問題ではないかと思うのですが、いかがでしょうか? 松谷 先進国型のビジネスモデルをつくるためには、世界中から優秀な人材を集めることこそが技術力の優位性を担保することになると思います。 また、これからの日本が、従来からのモデルから脱するためには、労働者がロボットにはできない高い品質やコンセプトを生み出せるようにならなければなりません。ロボットにでもできる作業しかできない労働者に対する需要は大幅に減ることになるでしょう。 ですから、先進国型のビジネスモデルを構築するためには、職業能力開発の果たす役割が大切になることは間違いありません。日本の職業能力開発はOJTが中心だとよく言われますが、これまでのようなOJTは、おそらく役に立たなくなるでしょう。本来の意味での職業能力開発が求められているのです。 必要なのは「熟練した腕」ですから、高齢者雇用の推進もこの方向から考えていく必要があるでしょう。若年労働者に比べて熟練の度合いが高い高齢労働者に対する需要はむしろ拡大するとも考えられます。 また、これからは学校を卒業するまでに一人前の技能労働者となるような「教育」が必要になるでしょう。終身雇用制の時代には、こうした問題はありませんでしたが、それが崩壊しつつある現在、技術・技能を次代に伝承していくためにも、システマティックな職業能力開発が必要とされるのではないかと思います。 ところで、リーマンショック以降の日本の労働力人口をみてみると、高齢者の割合はあまり減っていないことがわかります。この中にスキルをもった労働者はどの程度いるのでしょうか。 企業がスキルをもっていない高齢者を雇った場合、どうなるかと言いますと、生産効率が悪くなり、最終的には国際競争に負けるという結果に至るでしょう。「70歳までの雇用」と言っても、国際競争の中で、日本だけが高齢者を使うというわけにはいかない事情があるのです。 ですから、これからは、若年者に対して、先進国のようにきちんとした職業能力を付けさせる必要があります。例えば、職業学校を用意して、高校や大学の卒業後に一定の期間、職業能力を高める教育をするというやり方はどうでしょうか? あるいは、大学でもカリキュラムの改革などを行って、社会に出てからも役に立つ教育を行う。これは、大学卒業時に、一人前の労働者となるための準備でもあります。 それでは、特別なスキルを身につけていない50代、60代の人はどうすればよいのでしょうか。経済原理の枠の内で活躍するのは難しくなる可能性が高いと思います。ですから、最終的には「パブリック」(公的部門)で受け入れるしかなくなるのではないかと私は考えています。 次に地方経済ですが、例えば、地方の町おこし・村おこしについて見ると、「地方再生は観光客の招致」だと考えているところが多いようです。しかし、観光は本質的な地方再生をもたらしません。観光では日銭を稼ぐことはできても、子どもを生み・育て、地方経済を活性化させることはできないのです。 これに比べて、ドイツやフランスでは地方経済が元気なのですが、それは年金や政府からの補助金が地方経済を活性化させているからです。一方、日本の場合は、年金や補助金があっても、それが大都市(中央)に吸い上げられてしまう仕組みとなっていて、地方にお金が回らないのです。 これからは、地方ごとに独自の地場産業を興すことが課題のひとつになるでしょう。しかし、もはや手工業の時代ではありませんから、「一村一品」で食べていける時代ではありません。また、地方は大都市の下請けであって良いわけではありません。 最後に、日本は、今後の20〜30年の間に人口が減少する数少ない国のひとつです。これからの日本経済・社会のあり方を考えるにあたっては、人口減少、高齢化とその結果としての日本経済の縮小は避けて通ることはできません。労働力が縮小するときには、それに合わせて企業規模を縮小し、売上高でなく付加価値率の向上を経営目標とすべきであることに、企業は早く気付くべきでしょう。 日本が引き続き豊かな社会であり続けるために何をする必要があるのか、企業も個人も政府も、発想の転換とシステムの大幅な変革が不可欠です。 資料出所:松谷明彦『人口減少時代の大都市経済』(東洋経済新報社) 図1 主要先進国における年齢階級別労働力率(男性、2008年) (注)国際労働機関データベース(2008年)による
図2 主要先進国の企業収益率の推移 (注)企業営業余剰の対GDP比を各々の国における1970〜2008年の平均値を100とした指数で表示。OECD“Annual National Accounts”より筆者算定 【p29〜34 持続可能な地域発展と雇用】 新春特集 持続可能な地域発展と雇用 京都大学大学院経済学研究科教授 諸富 徹 T 経済のグローバル化と地域格差の拡大 1.経済のグローバル化 本稿の目的は、地域経済のあり方、その発展の方向性、そして、地域における高齢者の雇用可能性がどのように展開しうるのかについて論じる点にある。そのためにはまず、地域経済の置かれた状況を把握する必要がある。地域経済が直面する制約条件を認識しないと、その発展の方向性を見出すことができないからである。それを読み解く鍵が「経済のグローバル化」である。 グローバル化(globalization)という用語は、1990年代以降、世界的に最も頻繁に使用される時代のキーワードのひとつとなっている。これは「貿易」、「直接投資」、そして「金融」の3局面で、国境を越える相互影響が強まる現象を指している。たしかにグローバル化は、それがなければ不可能だったような国境を越える経済的相互依存の深まりを実現し、世界的な所得の増大と新興国の成長を促した。しかし、グローバル化は「格差拡大」という副作用をもたらしていることも明らかになりつつある。例えば国際通貨基金(IMF)や経済協力開発機構(OECD)は、いずれも最近、世界的にグローバル化の進展が地域間格差を広げ、人々の所得格差を拡大していることを確認している。 2.地域格差の拡大 このような世界経済の趨勢の背景には、次のような経済構造転換が存在する。つまり、著名な都市社会学者サスキア・サッセン(コロンビア大学社会学部教授)が指摘するように、グローバル化には、都市への経済活動の集積をますます強める傾向がある。なぜなら、グローバル化が進行すれば、他方で世界的な経済活動のネットワークを束ね、管理し、それらに対して指令を出す「中枢管理機能」の必要性がますます高まるからである。そして、そのような機能は通常、大都市に立地する。その過程で、大都市にさらに富が蓄積される一方、非都市地域には恩恵が及ばないため、地域間経済格差は拡大せざるをえない。 日本でも、2000年以降、地域間の格差を示す指標は一貫して増大の一途をたどり、東京への一極集中に歯止めがかからない。しかし極度の一極集中は、日本の各地域の固有性を弱め、多様性を失わせることで、日本全体をシステムとしてみた場合、その脆弱性を顕在化させてしまうのではないかと筆者は考える。連邦国家であるアメリカやドイツだけでなく、同じ単一制国家であるイタリアも、企業や人口は各地域に分散し、それぞれの地域に固有の文化が息づきながら、それが企業の成長とも密接に結びつくような好循環をつくりだしている。この多様性が、彼らの創造性の源ではないだろうか。 グローバル化の波に洗われてますます変化が激しくなっていく時代に、このような地域の多様性を維持、発展させていくことが、日本というシステムの強靭性につながる。そうだとすれば、それはどのようにして可能になるのだろうか。1つは国主導で、分散政策を実施することである。そしてそれは実際、日本の国土政策を通じて実行されてきたのである。 3.国主導の地域開発政策転換の必要性 日本では、1950年の「国土総合開発法」以来、ほぼ7年から10年の間隔で5次にわたって全国総合開発計画が策定されてきた。この計画は「国土の均衡ある発展」を目指し、全国どこに居住していようとも同じ水準の公共サービスが享受できるように社会資本を全国的に整備し、「ナショナルミニマム」を達成しようとした。 この地域開発が、高度成長期の分散型国土形成に一定の寄与を行ったことは確かだが、低成長時代に入るにつれて、公共投資に頼る経済発展モデルは有効性を失っていった。というのは、経済のグローバル化と産業構造の転換で、公共投資の経済効果がかつてとは比較にならないほど低下してしまったからである。つまり、公共投資によって生み出される波及効果はグローバル化以前と異なって、国内だけにとどまらず、海外に漏出してしまう。雇用効果についても、同一金額の投資であれば、建設業よりも環境、医療・福祉、教育といった領域に投じる方が、はるかに大きな雇用効果を生み出すことが知られている。 したがって、いまや、公共事業による発展モデルからの転換の必要性は明らかである。これまでの国土政策や地域政策の問題は、それらが中央集権的な手法に依存していたために、地域が自ら発展する能力を阻害してきたという問題点もある。とはいえ、グローバル化の中で、新しい方法で地域を発展させようという試みが日本全国各地に現れつつある点には勇気づけられる。それは環境や文化、知識や情報、人的資本、産業のネットワーク、地域の人的なつながりといった非物質的な要素を大切にし、それを発展につなげようとしている点で共通している。また、それらは決してトップダウンではなく、むしろ地域の良さやその固有性に気がついた人々が相互に連携し、協力して地域固有の資源を磨く中からボトム・アップ的に現れてくるものである。ここに、日本の持続可能な地域発展にとっての新しい可能性を見出すことができる。 U 地域再生の具体的な試み〜滋賀県長浜市 1.黒壁を中心とするまちづくりの「成功」 このようなボトム・アップ型地域発展の1つの典型例として、滋賀県長浜市のまちづくりを挙げることができる。この街は、湖北に位置する人口約8万5000人の小規模都市であり、ガラスの製造・販売事業を営む株式会社「黒壁」によるまちづくり運動で有名である。北国街道沿いに伝統的な町屋が建ち並ぶ景観の魅力と、それらの外観を保存しながら内部を改装し、おしゃれなガラス製品の製造・販売やレストラン等にうまく転用した店舗を展開したことが奏功し、来街者数を一挙に増加させた。このことから長浜は、まちづくりの成功例として全国的に取り上げられることが多い。 豊臣秀吉の長浜築城以来、交通の要衝として商工業で栄えてきた長浜が衰退の危機に直面したのは、石油ショックによってであった。これを機に繊維産業の衰退が始まり、同時にモーターリゼーションと郊外化の波が押し寄せ、大型店舗が進出したことで中心商店街は打撃を受けた。ちょうどそのような時に、明治時代に第百三十銀行長浜支店として建設され、黒漆喰で塗られた街のシンボル的な建物が、売却・解体の危機にさらされていることが判明した。市の教育長から、これを買い取って第三セクター方式で何とか保存できないかという相談を受けた後の「黒壁」社長、笹原司朗氏は、青年会議所時代の経営者仲間と1000〜1500万円ずつ出資しあって、1988年4月に株式会社「黒壁」を設立、その建物を買い取る。 問題は、その建物を活用してどのような事業を行うかである。笹原らは、郊外の大資本に対抗して中心市街地での事業を成功させるには、大資本では絶対にできないことをやらなければならない、という方針を立てた。その要件として、(1)文化・芸術性、(2)歴史性、(3)国際性、の3つを掲げ、それらをクリアーする事業として、ガラスを選択した。彼らは自費で1カ月間の欧州視察に出かけ、そこで当地のガラス工芸が高い文化性を追求しながらも商業的に成功している姿を見て、大変なカルチャー・ショックを受けたという。 1989年に入ると、笹原氏らは本格的にガラスの研究に取り組み、同年7月に買い取った建物を活用したガラス館とガラス工房、そしてフランス料理店を開業する。ふたを空けてみると、月に4000人しか買い物客が来ない街に、2万人がやってきた。そのペースは、その後さらに上昇していった。これにより自信をもった笹原氏らは、江戸から明治期に建てられた町屋が立ち並ぶ北国街道沿いの空き家を再生しながらガラス店舗として活用し、そこを『ガラス街道』として新旧対比の面白さを演出する、「点から面への展開」を打ち出した。 この戦略は、ちょうど人々の目が、所得の上昇や物質的な豊かさから、歴史、文化、環境、町並みの良さ、アメニティなど、生活の質を向上させてくれる要素に向かい始めた時期と合致して、見事に成功を収めた。長浜への来街者数は右肩上がりに急増し、やがて年間200万人にも達するようになる。この黒壁の成功は、既存商店街にも大きなインパクトを与えた。つまり、商機があると感じた商店主らの投資意欲を刺激し、既存店舗の改装が相次いで行われたことで、長浜の中心商店街全体の再生が図られた。 2.高齢者雇用を創出するコミュニティ・ビジネス 黒壁の初期の成功は、笹原氏を中心とする少数精鋭主義による柔軟かつ迅速な意思決定と事業展開によってもたらされたといってよい。それが、ネットワーク型の事業展開に本格的に踏み込むことになった転機が1996年である。なぜなら、この年には長浜でNHK大河ドラマ「秀吉」の放映に合わせた「北近江秀吉博覧会(秀吉博)」が開催され、黒壁が既存商店街や市民との協力関係を築くきっかけとなったからである。 この博覧会が興味深いのは、役所やコンサルタントではなく市民が自ら企画・運営を担ったことである。博覧会の開催運営委員長に就任した笹原氏の呼びかけに対してさまざまな団体・グループから市民ボランティアが400人も集まり、「コンパニオン」と称して55歳以上の男女120人が道案内、会場の説明、交通警備などを担当した。博覧会は大成功を収め、期間を通して82万3000人もの来街者を獲得、1億円の収益を生み出した。 博覧会が終了した後、残されたのはパビリオンなどのハードな資産ではなく、長浜の人々のネットワークであり、まちづくりへ向けた熱気であった。238日間という期間にわたって、長浜のさまざまな団体やグループが分け隔てなく1つの目的に向けて協力し、相互の信頼関係とつながりを強化できたこと(このことを「社会関係資本の蓄積」という)は、ハコモノよりもよほど貴重な資産となってその後のまちづくりに貢献する。 また、博覧会期間中に「コンパニオン」を務めた人たちは、定年後に働くことの喜びを再認識し、博覧会終了後も社会的な活動を継続したいという意識が強かった。そこで笹原氏は、彼らが活躍できる場として「プラチナプラザ」の開設を図った。これは、シルバー世代がそれぞれ5万円ずつ出資して空き店舗を借り、野菜販売、惣菜店、リサイクルショップ、喫茶店の4店舗がそれぞれ独立採算で事業を営むという試みである。売り上げから経費を差し引いた残りを出資者の頭数で割った金額が報酬となる。これまでのところ、収益を上げるか、悪くても収支トントンぐらいで何とかやっていけているという。これは今でいうコミュニティ・ビジネスの一種だが、熟年世代が働く場を創出するとともに、空き店舗の活用を通じたまちづくりの一環ともなっている。 V 持続可能な地域発展と雇用の創出 1.町を自らの手で発展させていく自治・自律意識 長浜にとって、1988年は大きな分岐点であった。長浜はたしかに個性的な街に成長することに成功し、それゆえ、全国から多くの人々をひきつける魅力を備えることができた。もし、その時点で笹原氏らが行動を起こさなければ、中心商店街はさらに衰退し、郊外大型店との競争に敗れていただろう。結果として、子どもをもつ若年夫婦は郊外に移り、高齢者は中心市街地に取り残される。モーターリゼーションがさらに進行し、北国街道沿いの町屋も生かされることなく取り壊されていただろう。その行く末は、中心市街地が空洞化し、国道沿いの郊外店のみが賑わっている全国どこにでもある風景である。 長浜の成功の要因を一言で述べれば、大資本の席巻に対して対抗し、中心市街地の活性化を、従来とは異なるイノベーティブな方法で達成しようとする「下からの運動」を組織化し、展開する意思と活力を当時の地元若手経営者が備えていたということだ。本稿ではこれまで、笹原氏個人のリーダーシップを強調してきた。彼に会ってみればわかることだが、もちろん彼は強烈な個性の持ち主で、先天的にリーダーとしての資質を備えている。しかし、彼1人が踊っても、他の若手経営者、地元住民がついてこなければ、長浜の成功はありえなかった。人々が無力感をもちながら時代の趨勢に流され、ずるずると衰退の一途をたどるのか、それとも踏ん張って自らの力で立ち上がり、現状を変えることは可能だという信念を共有できるのか、これは長浜に限らない普遍的な課題である。 長浜を訪れてその成功要因を調査し、まちづくりに携わる人々の話に耳を傾けて感じるのは、「市役所が何とかしてくれる」、「県が何とかしてくれる」、あるいは「有力政治家が大規模プロジェクトをもってきてくれる」という他力本願的な心性をほとんど感じないことである。これは、秀吉によって朱印状を交付されて以来、町衆による自治を認めさせてきた長浜市民の「遺伝子」によるところが大きいのかもしれない。このような自治・自律の意識は、右肩下がりの日本で地域を持続的に発展させていくには、今後いっそう重要になるにちがいない。 2.人とそのネットワークへの投資を これまでは、地域の所得を増やし、雇用を拡大するためには、工場や大規模プロジェクトを誘致し、公共事業を行うのが手っ取り早い方法であった。しかし、前述のように経済発展に対する物質的要素の比率が低下し、知識やアイディア、デザインといった非物質的な要素が重要になるにつれて、従来の発展方式は有効性を失っていった。その中で長浜が、地域を発展させるために地域固有の歴史性と文化性を重視したのは、バブルに沸く当時の日本としては、きわめて先見の明に満ちていた。 ところで、知識、アイディア、デザインといった目に見えない要素を保有しているのは当然のことながら人間である。したがって、人間のもっている肉体的能力だけでなく、それがもつ創造性が、これから地域の持続可能な発展にとって死活的に重要になる。さらに、地域で1つの事業が成功を収めていく過程では、かならず人々の間で信頼関係が成立し、お互い協力しようという動機が働いている。実際、長浜のように人間同士の間に張りめぐらされたネットワークが幾重にも折り重なって「厚み」をもっている地域では、笹原氏のようなリーダーシップに応えて、まちづくり事業を成功に導く人々の協力関係が構築されやすい。 また、人々がネットワークの中で相互に影響を与え合う環境では、お互いの知識、アイディアが相互に刺激を与え、個人の頭では思いつかない、新しい知識やアイディアが生み出されてくることが往々にして存在する。このように、人とネットワークは、これからの地域発展にとって決定的に重要な要素となる。したがって、経済学的な言い方をすれば、人(「人的資本」)とネットワークの厚み(「社会関係資本」)に投資をすることが、地域の持続可能な発展を可能にする鍵だということになる。 前節で、高齢者によるコミュニティ・ビジネス(「プラチナ・プラザ」)に言及したが、おそらく、その事業単体を取り出して他の町に移植しても成功しないだろう。この事業そのものが、長浜における人的資本と社会関係資本の蓄積の賜物だからである。どのようにすれば社会関係資本を蓄積できるのかを詳述する紙幅はないが(参考文献を参照されたい)、重要なことは、まず自治・自律に基づくまちづくりを行い、その過程で人とネットワークに対する投資を進め、その上でコミュニティ・ビジネスを軌道に乗せ、所得と雇用を増やすことであろう。この点で、豊かな人的資本と社会関係資本の塊ともいえる熟年世代が、地域のネットワーク化と若年世代の人的資本投資(教育)に果たすべき役割はきわめて大きく、今後、その活躍の程度によってまちづくりの成否が左右されるものと思われる。 [参考文献] 諸富徹『地域再生の新戦略』中央公論叢書、2010年 【p35〜41 「高齢者のための職業能力開発」の4つの課題】 新春特集 「高齢者のための職業能力開発」の4つの課題 職業能力開発総合大学校 名誉教授 田中 萬年 はじめに 「職業能力開発」という言葉は1985(昭和60)年に「職業訓練法」を改正した「職業能力開発促進法」によって一般化したことからわかるように、職業訓練の発展したものとして捉えられている。その職業訓練は1966(昭和41)年の「雇用対策法」制定以後、雇用対策として位置づけられてきた。職業能力開発も法令的にはその関係が継続している。 しかし、個人の立場から考えると、職業能力開発はその人の「仕事に関する能力」を開発することであり、労働のために行うことばかりとは限らない。つまり、職業能力開発は雇用対策としてのみあると考えるのは、極めて狭い、現行法令の規定に基づいていることを示している。そこからは、高齢者を排除する発想を生みかねない。 例えば、自営的な職業を営む人、職人さんは年齢に関係なく働いている人が多い。200歳の西陣織兄弟といわれている山口伊太郎・山口安次郎は「好きな仕事を続けて、……『生涯現役』というのが、一番大事なことです。引退したらあきませんえ」と述べている。また、痛くない注射針を開発した岡野雅行さんは72歳の時、「職人人生は終わらない」と語っている(2005年)。 山口兄弟や岡野氏等については、人間が働いているというよりも、むしろ仕事が人間を生かしている、といえば失礼だろうか。私が言いたいことは、仕事・労働には人が生きる上で極めて重要な意味がある、ということである。人は生きていくためには生き甲斐がなければならないが、仕事・労働は生き甲斐のひとつとしての効果を発揮するということである。 その仕事・労働を合理的に行うために職業能力開発が必要であるが、ここで考えるべきことは職業能力開発はふたつの側面を持っていることである。つまり、先に指摘した、仕事・労働そのもののために行う雇用対策の場合であり、もうひとつは生き甲斐のためにも有効である、ということである。 すると、職業能力開発はあらゆる人に必要なはずだと考えられる。つまり、人間形成として職業能力開発は必要だという観念を今後は持たねばならないことを示している。このような観念がなくては高齢者の職業能力開発を考えることは困難といえよう。 右の考えで問題となるのは、「仕事・労働」とは何か、ということになる。まず最初の課題として「働くこと」について考えてみよう。 T 「労働」の意味の再認識 「職業」とは何か、について明快に整理したのは社会学者の尾高邦雄氏である。尾高氏は、職業には「個性の発揮」、「役割の実現」そして「生計の維持」の3つの要素があるとした。尾高氏の「職業」を「労働」に置き換えてもよかろう。 「個性の発揮」とは、人間としての一人ひとりの個性を発揮することのひとつが職業だ、という考え方である。例えば好きな洋服を着ることと同じように好きな職業に就くということである。職業を目的としない職業能力開発は個性を発揮できないことを意味している。好きな職業で働くことができれば「個性の発揮」になる。 しかし、好きなこと、夢がそのまま実現できるわけではない。その困難に立ち向かって、夢を実現するために人は努力するのである。夢を目指して努力することで人は成長する。夢に向かって努力することのひとつが職業能力開発を行うことであろう。 次の「役割の実現」は分かりにくい言葉だが、誰もが人間としての役割を持っており、その役割を実現するのが職業だ、という意味である。この役割の実現とは、反社会的でない普通の職業に就いていれば結果的に社会に貢献しているのだ、という意味である。つまり、働いていれば役割を実現している、ということだ。しかし、フリーターやニートではこの役割を充分に果たしていない、ともいえるのである。 高齢者の場合、昔流に言えば穀潰しになりたくない、との観念がどうしても出てくるようである。そういう気持ちの逆として、社会に何か役立つことをしたい、という気持ちも強くなるようだ。そのためには、なにがしかの労働で社会に役立ちたいとする気持ちである。 3つ目の「生計の維持」は分かりやすい。自分の生活、そして家族を守るためにお金が必要である。極端にいうと、生きるためにはお金が要る。そのお金を稼ぐのが職業だ、という意味である。生きるための労働である。 高齢者が生計の維持のために働かねばならない社会は本来あってはならないはずである。永年の労働による社会への貢献に対し、敬意を持って気持ちよく過ごしてもらえるような社会であるべきだ。とはいえ、現在の日本ではそのような悠長なことは言っておれない。やはり働かねばならない人に対しては国が労働を保障する対策が必要である。 ところで、これらの3つの職業の役割は、相互に密接に関係していて、それぞれ別々に区別して取り上げることは困難である。人により、様々な条件により、上の3つの役割の位置と働きが異なってくるのである。どれかひとつの役割だけでは職業を論じられない、ということになる。 高齢者の労働に期待されるものは、よく言われるように、永年の経験を様々に持っている高齢者の能力を活用することが有効だからである。高齢者がリタイヤしたからといって、職業能力がゼロになるわけではない。高齢者の活用は社会にとっても意義深いことだ。現実に高齢者を活用できないことによって生じた技能の国外への流出が、技術・技能の空洞化の危機の要因となっている。 一方、経験の利用ではなくとも、新たな労働(仕事)をしたいと考える人もいる。この場合の「仕事」には多様な意味がある。ボランティアもあれば、園芸等の趣味もある。趣味の仕事が社会に無意味とは限らない。 その人々は生活のためよりも生き甲斐として仕事をしたい、働きたいと望んでいる人である。膨大な数になるこうした人材を見捨てることは社会としても大きな損失となる。 「生き甲斐労働」は雇用対策ではないが、社会のためになる、という評価の問題である。高齢者は何もしないよりも体を動かし働いている方が健康の維持にもなることは明らかである。その上に、なにがしかの労働・作業にも従事してもらえる、ということであれば、有効性は明らかである。 「生き甲斐労働」のための「生き甲斐訓練」を新たな職業能力開発の施策として立てるべきである。雇用対策としてではなく、人間形成としての施策である。 「生き甲斐訓練」を終え、働ける人は「シルバー人材センター」等に登録してもらい、仕事を担当してもらうことは有意義である。現代は、その登録のために職業能力を確認し、維持し、あるいは向上してもらうための職業訓練を整備することが必要な時代であろう。 「生き甲斐労働」として、シルバー人材センターの他にも次代を担う子ども達のために地域で、たとえば「モノづくり塾」を開講してもらうことも意味がある。社会の人間関係が断絶すれば、社会の財産である技術・技能の伝承が断絶する。それを防ぐためにも、次代の労働を担う若者を育てるためにも極めて重要な社会的営みである。 では、その「職業訓練」の意味を再確認してみたい。 U 「訓練」の意味の再認識 職業訓練を軽視する企業人はいない。しかし、一般的に、とりわけ教育界における職業訓練のイメージは決して良いとは言えない。その理由は、職業訓練という言葉が、Vocational Trainingの訳語として使われるようになったことと、教育信奉の故だと思われる。どのような仕事・業務であれ、それを遂行するためには職業訓練を受けなければならない。その重要性について再確認すべきである。 国語辞典では「訓練」をあまり重視していないことに加えて名詞が主となっているが、英語辞書では「Training」を重視し、動詞を区別して明記している。訓練を動詞にした時の「訓練する」は他動詞だけではなく、自動詞があることが重要だ。他動詞はこれまで一般的に理解されている、指導者がいてその指示を守って仕事を覚えるという意味であり、特に基礎・基本の習得には欠かせない。 しかし、自動詞としての「訓練する」は、自分の能力を自分で高めるために努力する意味である。つまり、自動詞の「訓練する」は能力開発の意味となる。換言すれば創意工夫しつつ、技術・技能を自分で高めなければならない、という意味である。そうでなければ技術・技能が発展することはない。今も縄文時代と同じになる。 「訓練する」の自動詞の意味は孟子が2000年前に述べた「大工等の親方は、弟子の腕前を上達させることはできない」の言葉と同じである。上達させることはできない弟子が何故仕事を伝承し、親方に劣らぬ仕事をするのか、が重要である。場合によっては、親方以上の仕事をするから、伝統的な工芸品や建築物は発展してきた。 法隆寺最後のお抱え棟梁であった、西岡常一は孫弟子達に「親方に授けられるべからず。一意専心親方を乗りこす工風を切さたくますべし」として、「之れ匠道文化の神髄なり。心して悟るべし」との激励を書き残している。 「親方を乗りこす」とは、教えられているだけでは親方を超えることはできないために必要なはずである。それは、自動詞としての自己訓練の意味を期待しているのである。 ところで、右の西岡の精神は、弟子が若くなければならない、ということではない。年齢に関係なく、修業する者に対する言葉であろう。高齢者でも変わらない。 能力開発は人間としていつの時代にも努力しなければならないあり方だと考えると、それはまさに生きることである。生きるためには生き甲斐がなければならず、加齢するほど生き甲斐は重要になる。その生き甲斐のための訓練が社会的に整備されるべきであろう。 これは、生きること=動くこと=趣味感覚の「仕事」であり、企業の課題というよりも、政府・地方自治体の課題である。それは雇用対策を超えた人間形成の立場から高齢者の職業能力開発を考えるべきということだ。ただ、政府の課題だといえど、政府・国民に認定させることにより企業でも可能であり、有効な方法となる。これは喫緊の課題であり、4節で述べる。 さて、「生き甲斐訓練」は生涯学習時代の下での課題でもあるが、その問題を考えてみよう。 V 生涯学習時代の高齢者の位置づけ 本誌でも「働く人の『生涯職業能力開発』の確立をめざして」が連載されているように、今日は「生涯学習」の時代である。 生涯学習の意味は、意欲と体力がある人に年齢は関係ないということだ。最初に紹介した山口兄弟や岡野氏はまさに生涯学習時代を生きている人だといえる。それらの人は必ず、仕事をしていると毎日が勉強です、というからである。 政府が進めようとしている職業資格の「段級制」も、雇用対策としての意味しか持たないとしたら、寂しいことであり、考え方が狭いと言わざるを得ない。生き甲斐のための職業資格があっても良いはずである。生き甲斐のために資格取得にチャレンジしても良いはずである。健康である人は、本人に意欲があれば職業資格も年齢に無関係に取ることはできるはずである。 さて、企業が定年を決めているのは、雇用対策として体力の衰えが来る年代を一応の区切りにしているだけのことで、従来型の雇用慣行の故だと思える。雇用対策としてではない高齢者を雇う意味を考えてみたい。 W 企業の社会的貢献と評価 企業の社会的貢献といえば、最近は環境問題が喧しいが、既にヨーロッパの先進国では、人材育成を通しての社会的貢献が問題とされている。人材育成についてはヨーロッパに学ぶべきことは多い。 人材育成はわが国では文部科学省系の学校で行うことと思われているが、ヨーロッパでは企業での職業訓練もまた人材育成として公認されている。ドイツ等のデュアルシステムは学校制度の一環であることが社会通念として認められている。このことを教育論としてキチンと位置づけなければならないことがまず第一である。 デュアルシステムは義務教育修了後の後期中等教育段階の制度であるが、高等教育段階の企業内教育がわが国でもようやく注目をはじめたインターンシップである。ドイツ等では1年や1年半のインターンシップを実施しているのが一般的である。このことは、新興国のブラジルでも同様のようだ。 デュアルシステムやインターンシップ制度は、生徒を出す側が企業内で行う労働を教育と認めることがまずなければならない。それはOJTの理解の問題である。わが国の教育界はこのことを肝に銘じているのだろうか。そして一方企業は、自社で学生を引き受けて実習をさせることは人材育成をしていることなのであるが、そのことによって社会に貢献しているのだ、という自負を持って良いということである。むしろ、そのように人材育成に関わることが社会的責任なのだ、と考えねばならないことである。 このことについて日立製作所の創立者・小平浪平氏の言葉を共通認識とする必要がある。日立は「工場の生産を盛んにし且つ純真な工場の気風を養成する」ため、そして「自主技術、自主営業、自主教育」という方針で、従業員の教育を重視し、1910(明治43)年に徒弟養成所を創設した。しだいに生産が増加するとともに企業は拡大し、徒弟の養成も強化された。このような中に企業内教育の精神を如実に表す、小平の逸話がある。 それは、日立の教育を受けた生徒が卒業後義務年限を満了しないうち、甚しいのは在所中に東京や大阪の高い給料の工場へ転社する者が続出したときのことである。このような状況に対して工場からは養成所に対する不平・批判が絶えなかった。教育業務を担当していた児玉寛一氏は小平社長を訪ねて苦衷を訴えたところ、社長は「辞めて百姓になるのか」と反問したという。児玉氏は、百姓になるのではないが、他社の職工になるため去ってしまう旨を説明した。すると社長は「辞めて百姓になるのでは教育したかいがないが、日本の工業に役立つことならば大いに結構ではないか。教育者は有能な技術者、工業人を作ることを目的とすればよい」と言われたので、大いに安心した、とのことである。 ここに、小平氏の社員教育に関する理念を窺い知ることができる。社員の教育訓練は自社のためだけではなく、「日本の人材育成」なのだという気概をここに見るのである。 こうした人材育成の実施企業、実施職場は大企業や大工場とは限らない。仕事があるところではどこでも可能であるからだ。中小企業であっても実施できる。 対象者は若者だけに限らない。高齢者にも敷衍できるはずである。わが国の場合は良くも悪くも階層性が明確でなく、年齢による社会的区別も明確でないので、可能性があるといえよう。もし、高齢者に対する企業における社会的責任問題を整備することができれば、国際的に画期的となる。 この時に、中小企業や個人経営では職業能力開発は困難と考えるべきではなく、企業側は素人に対して仕事を教えることは社会的貢献であり、お手伝いにもなるはずであり、仕事に興味を持ってもらえれば求人にも繋がるとプラスに考えねばならない。 さらに、教育訓練を実施する効能として、その担当者の能力も向上することを考えるべきだ。つまり、事業所の能力の向上が訓練受講者からのみではなく、訓練の担当者の両面から現れることを重視すべきなのである。 高齢者に対する企業の社会的貢献の可能性は大きく、人材の活用によってしか国際的に生きていけない日本には極めて重要な意義を持つことといえる。 おわりに これまで述べてきたような高齢者をめぐる今後の課題として最も重要なことは、職業能力開発を雇用対策としてのみ考えるのではなく、あらゆる人の、高齢者をも含めた観念としなければならないことである。このためには、「働く」という観念も生活維持だけではなく、「生きるため」、生き甲斐のための労働があること、その能力を修得することは「自己訓練」の意味として考えることが重要であること、そのことは生涯学習時代の理念に叶うことと解すべきである。高齢者の雇用は大小に関わりなくこれからの企業が担当できる社会的貢献として意義深い営みである、ということである。 以上のことを追求するためには、既存の観念により成立している法体系と制度をも再編すべきことが望まれる。高齢化社会に向けた整備は先ずは4つの観念の転換がもとめられる。それは、人間形成としての広い立場から、高齢者を含めて、生き甲斐の役割としても位置づけるべきことを意味している。 主要文献 ・田中萬年「教育と労働の接続のために」、日本産業教育学会企業内教育研究部会報告資料、2010年10月。 ・田中萬年「“日本の人材育成”の気概で」、『産業訓練』、2008年12月号。 ・田中萬年『教育訓練原理』、職業訓練教材研究会、2006年。 ・田中萬年・大木栄一編著『働く人の「学習」論』、学文社、2007年(第2版)。 詰め碁 日本棋院八段 白江治彦 黒先白死(七手まで) 三分で三段、二分以内で高段者。 (ヒント)アタリを決めて。 (解答はP57) ************** 詰め将棋 日本将棋連盟七段 関屋喜代作(ヒント)玉を下段に追いこんでは失敗。この対策の手順の“あや”は?。 (九手詰) (考慮時間一五分で初段) 持駒 飛金
【p42〜43 実践 職場のメンタルヘルス】 連載 実践 職場のメンタルヘルス 第3回 パワーハラスメントと メンタルヘルスの関係 社会保険労務士/産業カウンセラー 中辻 めぐみ
前回までの「上司と部下の人間関係」に引き続き、今回はパワーハラスメント(以下、「パワハラ」)とメンタルヘルスの関係を取り上げます。 昨今、職場におけるハラスメント(嫌がらせ)が注目されています。とりわけパワハラ対策を企業は重要視する傾向にあると感じています。 職場での人間関係に関するトラブルは以前からありましたが、なぜ今、企業はパワハラ対策を重要視するようになったのでしょうか。私は大きくふたつの理由があるのではないかと考えています。 (1)職場における「いじめや嫌がらせ」が年々増加する傾向にある。 (2)企業におけるリスクや損失も増加傾向にある。 (1)については、職場内でのいじめや嫌がらせの件数が年々増えています(図1参照)。(2)については、パワハラが企業にもたらす損失はさまざまあり、特に8割以上の社員が心の健康を害している実態が明らかになりました(図2参照)。 さらに、最近の国の動きとしては、2009年4月、厚生労働省が「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針」の一部を改正しました。これは仕事上のストレスが原因で、うつ病などの精神疾患を発症した場合、労災として認定するかどうかを判断する際の指針ですが、この中に「ひどいいじめ・嫌がらせ」など、パワハラに関する項目が追加されたのです。 このように、パワハラに関して企業側のリスクや損失が増えるだけでなく、企業責任も問われるようになりました。このような背景もあり、企業では何らかのパワハラ対策が必要だと考えられ始めたのでしょう。 一方、企業の現場では、「何がパワハラなのか分からない」、「部下に注意するとパワハラと受け止められてしまうかもしれない」などといった、パワハラに困惑しているという現状もあります。 では、どのような言動がパワハラとされるのでしょうか。何がパワハラ行為なのかが分からなければ、予防もできませんし、対応策を講じることもできませんが、現在のところ、パワハラには法的な定義はありません。また明確に「このような行為はパワハラになりますよ」などの目安といったものもありません。ですから、なかなか対応が進まないのです。 ところが、企業の現場において実際にパワハラ行為とされることが現に起こっており、過去の判例やさまざまな有識者の見解をもとに「定義」が示されています。そのひとつを紹介しましょう。 「職場において、職権などの力関係を利用して、相手の人格や尊厳を侵害する言動を繰り返し行い、精神的な苦痛を与えることにより、その人の働く環境を悪化させたり、あるいは雇用不安を与えること」(中央労働災害防止協会のパワハラの定義) この定義をもとに、どのような行為がパワハラに当たるのかを、具体的な事例とともに見ていきましょう。 【事例1】住宅販売会社の営業担当社員Aは、上司に「契約が取れなかった」と報告した。すると上司は、「給料に見合った働きができないなら今すぐ辞表をもってこい!」、「一度死ね!」などと、多くの社員の前で執拗に長時間にわたり怒鳴り続け、Aの人格を否定した。さらに、雇用に不安を与えるような言動を発した。 確かに、自社の商品を売るのが営業の仕事ですが、Aの上司の言動は目に余るものがあります。このように、指導の範囲を逸脱し、業務の範疇を超える言動がパワハラに該当します。 このような説明をすると、「当社ではこのぐらいは当たり前」といった声が聞こえてくることがあります。特に営業部門の担当者からは、「うちは体育会系だから(このぐらい問題ない)」という決まり文句を幾度も聞かされました。 もちろん職場や職種によって、指示や指導のあり方の妥当性・相当性は異なります。しかし、どのような場合であれ「相手の人格や尊厳」を冒すような行為は許されるべきではありません。業務上の指導の範囲を超えない、というのがパワハラに当たるかどうかのポイントになります。 一方で、「業務上の注意なのにパワハラと受け取られた」という事例もあります。 【事例2】製造業の総務部に所属する勤続15年の社員Bは、今年4月に主任に昇格したが、当初から遅刻・欠勤が続き、部下への示しがつかなかった。上司である私が数回にわたり注意し、本人から始末書も取ったが、数カ月経っても改善の気配が見えず、反省している様子も見えなかった。そこで「今後も続くようなら就業規則に則り降格もありうる」と注意したところ、Bは「降格を言い出すのは上司のパワハラだ」と自社の相談窓口に駆け込んだ。 事例1とは異なり、この事例の上司は、「Bの人格や尊厳を冒すような言動を発していない」ということを前提に考えましょう。 Bは「降格もありうる」という上司の言動がパワハラに当たると考えたのですが、上司の言動は業務上必要不可欠な指導です。相当性を欠くとはいえない範囲内で行う行為は、パワハラには該当しません。 上司が部下に対して成長を促す、あるいは会社のルールに従わせるといった場合には、注意や指導は必要です。 もちろん、パワハラはうつ病などの精神疾患の発症とも密接な関係があります。ですから、今回紹介した事例などを参考にして、「自社に問題はないか?」という視点を持ち、いま一度、職場における人間関係を見直してみましょう。問題を捉える視点を持つことが、精神疾患を予防するための第一歩となるからです。 なかつじ・めぐみ 中村雅和社会保険労務士事務所副所長。共著書に『プロに聞く「部下を持つ人のための」メンタルヘルス対策』などがある。 図1 都道府県労働局「民事上の個別労働紛争件数」における「いじめ・嫌がらせ件数」およびその割合の変化 いじめ・嫌がらせ件数、全体からの割合
平成14年 6627件 6.42% 平成15年 11697件 8.31% 平成16年 14665件 9.16% 平成17年 17859件 11.82% 平成18年 22153件 10.12% 平成19年 28335件 14.32% 平成20年 32242件 13.60% 資料出所:厚生労働省(平成14年〜20年) 図2 パワーハラスメントが企業にもたらす損失 資料出所:中央労働災害防止協会「パワーハラスメントの実態に関する調査結果報告書」(平成17年1月)
【p44 日本史にみる長寿食】 FOOD 208 日本史にみる長寿食
餅の力◆食文化史研究家 永山久夫 戦国時代きっての名医といわれた曲直瀬道三(まなせどうさん)(1507〜1595)はその的確な診断と治療法によって、織田信長や豊臣秀吉にも厚遇された人物。人間性も豊かで、わけへだてのない診療によって庶民にも人気があり、戦国時代の英雄たちもこぞって頼りにしていました。 中国地方を代表する大名、毛利元就(1497〜1571)とも親交があり、健康管理と長寿法などについて、いろいろとアドバイスをしています。 精神的にも肉体的にも、きわめて消耗の激しかった戦国時代を戦って勝ち残り、その上、有能な世継ぎをもうけ、さらに長生きするのは至難のわざ。それをなしとげたのが毛利元就でした。元就は道三の忠告もうけ、自分でも健康法をあみ出すほど、長寿の達人で、75歳まで生きています。 道三は養生法をユーモラスな俳諧にして毛利家に贈っています。そのひとつが、次のようなものです。 常の食四時(しじ)に順じ五味を和し 飽(ほう)に及ばず又はうえざれ 「ふだんの食事は季節ごとの旬の物を、バランスよく味つけして、片寄らずに食べるのがよい。もちろん、食べ過ぎも空腹になり過ぎるのもよくない」(『戦国武将の養生訓』山崎光夫著より)という意味。昔は、「五色五味」といって、いろんな色どりの食材を組み合わせ、バランスのとれた味つけで食べるのが、何よりも勝る長寿法といわれたのです。 元就はこの養生訓のように、決してぜいたくをせず、副食物でよく口にしたのは瀬戸内の骨ごと食べられるような小魚類、それに地元の野菜類が多かったようです。 好んだのは餅。「餅腹三日」といわれるように、腹持ちのよさを好んだのです。米飯だと2、3時間もすれば空腹になり、その空腹時に敵に急襲されたら、惨敗の危険性があります。 元就は徳川家康と同じように、健康管理が上手だったせいか精力旺盛で71歳の時に11人目の子を生ませています。家康が最後の子を生ませたのは66歳の時。元就の方がはるかに精力の盛んな老人だったのは、精子の原料となるアルギニンが餅に豊富に含まれていたからでしょう。 アルギニンは生殖機能への影響だけでなく、虚弱体質の改善や疲労回復にも期待できます。 【p45〜49 働く人の「生涯職業能力開発」の確立をめざして】 連 載 働く人の「生涯職業能力開発」の 確立をめざして 第7回 企業実習の実際とメリット
職業能力開発総合大学校 講師 松本 和重 はじめに 一般的に“企業実習”とは、学校や団体等に所属する者が企業に出向き、現場の仕事を行うことを指す。その中には、離職者が就職を目的として企業実習する形態もあれば、高校生や大学生が職業理解を深めるために職場体験やインターンシップをする形態もある。いずれも企業を知ってもらう手段としては有効であるが、本稿では、特に求人求職のマッチングとして成果の出ている離職者対象の職業訓練における企業実習を取り上げ、その実際と活用のメリットを考えていきたい。 1 企業実習の実際 再就職を目指す離職者を対象にした企業実習を併用する職業訓練には次のようなものがある。(図表1) 現行の企業実習を併用する職業訓練は、2004年度に35歳未満のフリーター・ニート対策として始まった日本版デュアルシステムが発展したものである。日本版デュアルシステムはドイツのデュアルシステムを参考にしたもので、厚生労働省により発表された日本版デュアルシステム協議会報告書には、「訓練計画に基づき、企業における現場実習又はOJTとこれに密接に関連した教育訓練機関における教育訓練を並行的に実施し、修了時に能力評価を行う訓練制度」と規定されている。 日本版デュアルシステムは2004年度初めて実施したのにもかかわらず、3万人を超す受講生が集まり、就職率が企業実習を併用しない職業訓練より高いなど好調であった。このことから注目が集まり、訓練の種類が増え、対象者層が広がっていった。2008年10月には企業が主体的に企業実習と教育訓練機関の座学を併用する職業訓練が制度化され、新規学卒者を対象に現場の中核となる人材の育成を目指す実践型人材養成システムや、正社員経験の少ない者が企業に雇用されながら訓練を受けられる有期実習型訓練が登場している。日本版デュアルシステムや有期実習型訓練などの様々な名称が登場してきたことは、区別に便利であるが、企業実習と教育訓練機関の座学を併用する職業訓練全体を指す言葉がない中では、企業実習に複雑な印象を与えてしまうように思う。そこで本稿では、企業実習と教育訓練機関の座学を併用する職業訓練全体を「デュアル訓練」と呼び、訓練および企業実習の全体がイメージできるように説明していきたい。 現行のデュアル訓練の実施形態は、大きく企業主導型と教育訓練機関主導型の2タイプに分けられる。企業主導型は、企業が有期もしくは常用雇用の雇用契約のもとで実習し、教育訓練機関での訓練も組み入れて職業訓練を実施するものである。他方、教育訓練機関主導型は、教育訓練機関が中心になって、企業実習も組み込んだ形で職業訓練を実施するものである。後者について詳しく述べると、まずハローワークで受講指示を受けた受講生を教育訓練施設が選定し、施設内で関連する座学や実習を通して、目標とする職業の基礎を学ぶ。訓練は徐々に応用的な内容となり、企業実習を行う企業の決定など企業実習に向けた準備も行っていく。訓練の後半では受講生の就職活動支援をも行う。訓練受講生は非雇用で企業実習を受けることになるため、受入れ企業は給与を払う必要がないばかりか、委託費等を得ることができる。 デュアル訓練の実施状況(図表2、図表3)を見ると、教育訓練機関主導型の受講者が多いことがわかる。教育訓練機関主導型の実施状況に目を向けると、年が経つに従って上段に数字が集まっていることに気づくだろう。これは、訓練期間1〜2年の“長期課程”が減り、6カ月以下の“短期課程”が増えていることを意味している。つまりデュアル訓練は、長期から短期へシフトしているということになる。デュアル訓練の訓練期間が短くなることは、多くの受講希望者に機会を提供できるようになる反面、職業能力開発ができる範囲が狭まることにつながる。このため、ドイツのデュアルシステムが、労働市場で通用する職業能力を養成するものであるのに対して、わが国では、就職支援としての色合いが濃くなっている。 2 企業実習を活用する 2つのメリット @ 求人・求職手段としてのメリット 企業において、“自社に適した人材”を獲得することは重要な課題である。書類選考と試験、面接による選考は場合によって、複数回にわたることもあろう。しかし、それでもなお、職場に定着しないことが起こってしまう。「せっかく採用したのに1カ月で辞められてしまった。こんなはずでは……」という声が聞かれる。その点、企業実習では通常の採用方法では確認しにくい、実際の働きぶり・技量に加え、仕事への取組み姿勢や熱意、あるいは企業文化に合う人材かを見極めることができる。ちなみに職業訓練ではないが、採用を見極めるための試行的な3カ月の雇用に奨励金が支給される制度(トライアル雇用奨励金)もある。デュアル訓練でもトライアル雇用の場合でも、実習後に必ず採用しなければならないわけではない。人材の採用を検討している企業が広く活用できる企業実習は、企業の新たな求人手段と言えるだろう。 企業実習があることは、求職者にとっても意味がある。その一つは、働きぶり・技量に加え、仕事への熱意や取組み姿勢を一定期間見てもらうことができることだ。たとえば、金融業界で働いていたアーティスト志望のデュアル訓練生が、材料試験の会社に就職したケースがある。採用担当者は、「書類選考であれば不合格となる者ではあったが、デュアル訓練生の実際に仕事している姿から、“職に就きたい”という強いやる気を感じ、採用を決定した」と語っていた。企業実習には書類選考や面接を超える就職支援効果があるといえる。 もう一つの意味として、企業実習をする求職者が、求人票・ネットの情報、面接だけでは得られなかった実際の職場環境や仕事内容を知ることができることが挙げられる。企業実習では単に職場を見聞きするだけでなく、実際の仕事を体験する。求職者は仕事体験を通して、自分はこの仕事をやっていくことができるか等の見通しを得ることができる。この点は、通常の就職活動と大きく異なる点だろう。実際に就職したい企業で実習することとなれば、求職者にもたらす意味は大きい。とりわけ未経験の分野に進もうとする求職者は、仕事に臨む自分を想像しにくいものである。たとえば、職人に強いあこがれを抱いていた元営業マンの求職者は、企業実習のチャンスがあったものの、職場見学の後すぐに就職する方を選んだ。職場では、毎日棒ハンマーを振る仕事に臨んだが、しばらくして、寝ているときも激痛が走るほどの筋肉疲労になってしまった。現場を外され、収入が大きく減少したため、彼は辞めてしまった。彼は「企業実習に行っていればミスマッチは防げたと思うんですけど、実際に気持ちが焦って」と話す。 一定期間企業実習を行うことを通して、企業は訓練受講生を採用すべきか見極めることができ、訓練受講生は実習企業を就職先として適切か判断することができる。企業や仕事に対する過剰な期待を抱く求職者であっても、企業実習のように現場を体験してもらうことは、入社後の失望・幻滅感を和らげ、自らが十分な情報をもって入社の決断することにつながる。企業実習はいわば、求人求職の「お見合い」期間であるといえよう。企業実習は、見聞きすることで得られる企業情報だけでなく、実際の仕事体験を通して得られる今後の見通しも与えてくれる。しかも企業実習は、求職者に実習企業で就職すべきか判断する時間を与えることにもなる。企業実習には、企業と求職者の相互理解を深め、両者納得の就職・採用となるメリットがある。 さらに教育訓練機関との連携のもと、デュアル訓練を実施する場合は、教育訓練機関のスタッフが企業と受講生の仲立ち的な役割を果たしてくれる。両者合意の就職・採用とならない場合は、仲介役が採用担当者の負荷を軽減するメリットをもたらしてくれる。 A職業能力開発手段としてのメリット 採用した人材が仕事に関する知識も経験もなければ、採用した後に手厚い研修を行う必要があるだろう。社員に対する要望が多くあるならなおさらである。この点も企業実習は変えてくれる。 企業実習では実習期間に導入的な指導内容を前倒しすることができる。もちろん企業実習の条件や期間など制約を受ける面もあるが、これはメリットとして挙げることができるだろう。受講生は、実際の職場で仕事する経験を通して、仕事を理解するだけでなく、仕事ができるようになっていく。デュアル訓練やトライアル雇用として企業実習を実施すれば、企業は委託費等を受けとることができるため、企業における新任研修のコスト負担の軽減になるメリットもある。 教育訓練機関との連携のもとデュアル訓練を実施する場合には、計画的に職業能力開発を進めていくことができるようになる。業界未経験のあるデュアル訓練修了生は、企業実習前に教育訓練施設で図面の見方や機械加工の専門用語を学んでいたので、すんなり企業で実習できたと語っている。企業にとっては、教育訓練機関と連携し予定通り職業能力開発できることは、採用後の技術指導を円滑にするなど、指導担当者の負担軽減に繋がる。ある企業経営者は、「設計者になるためには、その下地づくりとして、採用後1年以上機体配線作業の製造現場で経験を積んでもらうところなのが、半年間職業訓練施設でOff―JTを受けた受講者の場合、半年で設計部門へ異動できる」と語っている。Off―JTにより下地ができれば、短期間で実践的職業能力が養成されるようになるというわけだ。 このように企業実習は、社内で行う新任社員に対する導入的な指導を前倒しにし、採用後の技術指導を円滑にしてくれるメリットを有している。 中には、企業実習において訓練科目に関連した実習以外に、企業実習生にいくつか課題を課している企業もある。たとえば、毎日これまでに話したことのない従業員にインタビューし、日誌にまとめる課題を出す企業がある。この課題の目的は、社員との対話を通して会社の理解を深め、交流を深めるためだそうだ。企業実習での教育効果を高めるために、目標を設定し、その達成のために必要な策を講じる例と言える。企業実習を職業能力開発として活用する際に重要なことは、「目標像を明らかにすること」、「目標像のためにどのような仕事をどのように実施してもらうか明確にすること」である。仕事のさせ方には、「丁寧に手取り足取り教えた上でやってもらう」、「簡単な仕事からやってもらう」あるいは、「あえて何も言わないでやらせる」、「わざと失敗させる」など様々あるだろう。いずれにせよ、企業が企業実習の目標を設定し、その目標に到達させるために仕事を計画的に与えるならば、企業実習は企業実習生に仕事を単に経験させる以上の教育効果をもたらすだろう。 3 企業実習の課題 これまで見てきたように企業実習は、企業と求職者の相互理解を深めたうえで採用を決定する手段として活用することができるだけでなく、採用前に導入的な指導をする手段としても活用できる。しかし、今日までのところ企業実習の有しているメリットを十分に生かす体制が整ってはいない。 まず企業実習が、まだ十分に求人求職のマッチング機能を発揮するに形にはなっていないことが挙げられる。求人求職マッチングを考えれば、受講生が就職を希望する企業、しかも採用可能性のある企業で実習できるように調整する必要があるが、そうなっていないデュアル訓練もまだあるようだ。 次に企業実習の持つ職業能力開発の機能を生かすために必要な企業と教育訓練機関の連携、つまりOJTとOff―JTの連携が十分でない面もある。連携が不十分なことから、企業には企業実習生に対する教育担当者の配置に伴う人的負担がかかることもある。 これら企業実習の不十分な面ばかりが先行し、マッチングや職業能力開発の可能性について広く理解されていないことも挙げられる。 これらの課題は企業や教育訓練機関をはじめ支援機関等の連携の元で、克服していかなければならない。 ただ、企業実習が発展途上であるから利用を控えるというのはもったいないように思う。ぜひ、企業自身も採用・職業能力開発手段として上手に使えるようになるために企業実習にチャレンジしてほしい。東京商工会議所が発表した「中小企業の人材確保・育成十カ条」のひとつに「四 採用ミスは致命傷」がある。中小企業の場合には、事業分野が多様であるとともに企業風土や代表者の個性も多様である。ミスマッチの可能性は大企業に比べて格段に大きい。たとえ、現場が忙しくて人手が不足している状態でも、社長の考えや企業文化に合わない人は無理に採用しない。無理に採用したことによる損失は募集や採用コストよりもはるかに大きいと述べている。なにしろ、人材は経営資源・財産であり、企業成長の源泉である。重要事項である自社に適した人材採用のためなら、現場担当者の目でその人物を見極められ、お互いのミスマッチを回避でき、事前教育もできる企業実習は、たとえ労力やコストがかかったとしても、十分実施に値するものではないかと思う。 もっとも求人企業と求職者がお見合いできる企業実習は、企業が機会を提供しなければ始まらない。重要なのは、企業が求職者に門戸を開くこと、そして、企業が企業実習という手段を上手に運営していくことなのではないだろうか。 おわりに イギリス、ドイツなどでは、教育訓練機関と企業・団体が連携し、企業実習とOff―JTを組み合わせた職業能力開発を制度として行っている。わが国においては、教育訓練機関と企業の密な連携等の課題はあるが、企業実習はわが国ならではの発展を伴いながら、教育訓練機関のOff―JTと企業のOJTを組み合わせた求人求職のマッチングおよび職業能力形成システムとして広がり始めている。これは、企業単独だけで人材の育成をするのではなく、教育訓練機関や近隣の類似業種企業や支援機関と連携しながら職業能力開発およびそのサポートを行う体制が育ちつつあるとも言えるだろう。企業実習から始まる輪が、企業と働く人両者がメリットを享受できる求人求職のマッチングと職業能力形成システム、ひいては地域の産業発展の大きな輪になることを期待したい。 図表1 企業実習を併用する職業訓練の例 対象者 総訓練期間、 時間 教育 訓練 形態 雇用形態 位置づけ
OJT 時間 割合 Off-JT 実施 主体 有期実習型訓練 (企業主導型) 正社員になるには当該有期実習型訓練を受講することが適切であり、正社員経験の少ない方として、キャリア・コンサルタントが認めた方 3カ月超6カ月(特別な場合には1年)以内 6月当たり425時間以上 2割以上 8割以下 (訓練修了後に正社員として雇用する場合には1割以上9割以下) ・OJT実施事業主以外の者に依頼して実施 ・OJT実施事業主の施設内で外部から派遣された講師により実施 ・OJT実施事業主の施設内で専修学校専門課程教員、職業訓練指導員免許取得者又はこれらの者と同等以上の能力を有する者により実施 ・OJT実施事業主の施設内で実施する訓練に必要と認められるオリエンテーション又は能力評価(併せて10時間を上限) 有期 若しくは 常用雇用 フリーター等の正社員経験の少ない方に実践的な訓練を行うことにより、訓練実施企業 又は 他の企業における常用雇用を目指す。 日本版デュアル・システム (教育訓練機関主導型) 概ね40歳未満又は正社員経験の少ない方として、キャリア・コンサルタントが認めた方であって、早期安定就労のためには、当該訓練を受講することが必要と認められた方 標準4カ月 [公共職業能力開発施設で座学を実施する標準6カ月の訓練もある] 1カ月以上、 総訓練期間の1/2以下 民間教育訓練期間 [公共職業能力開発施設] ― 公共職業訓練の一類型。 教育訓練機関が主体となり、フリーター等の正社員経験の少ない方に実践的な職業能力を付与することによる就職支援。 出所:厚生労働省ホームページ(http://www.mhlw.go.jp/bunya/nouryoku/job_card01/jobcard06.html) 図表2 教育訓練機関主導型のデュアル訓練実施状況 公共職業訓練活用型 (短期訓練) 短期課程(6カ月) 都道府県 雇用・能力開発機構 委託訓練活用型(標準4カ月) ※2009年度まで標準5カ月 都道府県 雇用・能力開発機構 公共職業訓練活用型 (長期訓練) 普通課程(1年) 都道府県 雇用・能力開発機構 専門課程(2年) 雇用・能力開発機構 その他 (民間教育訓練機関における取組)
2004年度 (平成16年度) 受講者数 22,905 292 174 70 8,145 就職率 68.8% − − − 2005年度 (平成17年度) 受講者数 1,836 24,681 345 185 96 13,156 就職率 65.4% 72.3% 92.4% 94.7% − 2006年度 (平成18年度) 受講者数 2,131 25,538 476 183 62 − 就職率 74.0% 75.3% 92.3% 92.9% 92.1% − 2007年度 (平成19年度) 受講者数 − 1,560 2,307 24,912 232 − 71 − 就職率 − 87.5% 75.6% 77.0% 91.2% − 93.7% − 2008年度 (平成20年度) 受講者数 ※ 2,511 2,782 30,426 232※ − 74 − 就職率 ※ 80.8% 66.1% 73.2% 89.0%※ − 94.1% − 2009年度 (平成21年度) 受講者数 211 4,019 2,957 40,119 184 − 210 就職率 80.5% 84.2% 61.5% 70.2% 86.6% − 89.7% ※ 2008年度の都道府県実施の日本版デュアル・システムの値は、短期課程と普通課程の合計 出所:厚生労働省職業能力開発局調べ,2010年10月 図表3 企業主導型のデュアル訓練の実施状況 実践型人材養成システム 有期実習型訓練
2008年度 (平成20年度) 受講者数 957 505 就職率 96.8% 81.5% 2009年度 (平成21年度) 受講者数 3,133 4,612 就職率 97.2% 73.6% (注)平成20年度の就職率は、平成20年4月〜平成21年3月末までに訓練を修了した者の3カ月後の値。 平成21年度の就職率は、平成21年4月〜平成22年3月末までに訓練を修了した者の3カ月後の値。 出所:厚生労働省職業能力開発局調べ,2010年10月 【p50〜55 江戸のビジネスマン列伝】 江戸のビジネスマン列伝……164 大岡忠相 二十五 ライバル老中の出現
作家 童門冬二 尾張の批判は江戸への批判 いま名古屋での流行語は、 「江戸がダメなら名古屋があるさ」 というものだ。これは、八代将軍徳川吉宗の改革を江戸の町で実際に実行する大岡忠相の方針によって、江戸から叩き出された芝居小屋・歓楽施設・遊郭などが、すべて名古屋でよみがえっている状況をいう。尾張藩主徳川宗春は、吉宗の緊縮政策を批判し、 「上からゼイタクをして、下へ金を流すような方法をとらなければ、決して民の生活はゆたかにならない」 と公言し、それを実行している。江戸から追い出された諸施設の経営者はよろこんだ。そして、いままでとは打って変わって江戸の政治の悪口をいった。そうすることが、尾張藩主徳川宗春の意志に沿うと考えたからだ。 真っ向から自分の改革に反対する宗春のやり方を、将軍吉宗は苦々しい思いで噛みしめていた。だから、南町奉行の大岡忠相が、 「尾張様のご政策は、上様(吉宗)のご政策に真っ向から歯向かっております」 と答えたことは、吉宗の機嫌をよくした。しかし、大岡忠相もなかなかの政治家だ。単に吉宗の心境に迎合し、便乗してそんなことをいったわけではない。かれは、 「自分がいまやっていることと、尾張宗春の批判との関係」 として、この問題を捉えていた。だから忠相は次のようにいった。 「先ほど上様が仰せられた“江戸がダメなら名古屋があるさ”というのは、上様のご方針に背くだけでなく、わたくしが江戸の町でおこなっていることをすべて否定し、嘲笑しているかのごとく思われるからでございます。これは江戸町奉行としての面目にもかかわります」 「なに」 吉宗は眉を寄せて大岡をみた。 「どういうことだ?」 「わたくしが江戸の町から妖しげな歓楽施設などを追放したのは、あくまでも上様の政道に筋を立てよう、道理を通そうというご方針に従ったことでございます。わたくし自身、ご政道はそうあらねばならぬと考えております。したがって、上様のご方針を忠実に江戸の町で実行いたしました。これによって、江戸から諸施設を追放いたしました。 しかし、“江戸がダメなら名古屋があるさ”という流行語は、追放された芝居小屋や遊郭や、悪しき歓楽施設の経営者たちが、揃って江戸の方向を向き、手を叩いているような気がいたします。 これは、江戸町奉行としてのわたくしへの批判であって、到底これを容認することはできません。個人的には、わたくしの心も決して穏やかではございません」 「なるほどなあ」 吉宗はニッコリ笑った。大岡忠相が、単に自分の言葉に便乗するヨイショとしてそういうことをいっているのではなく、 「江戸町奉行としての職責」 を考えて、名古屋における流行語を受けとめているということがわかったからだ。吉宗は、 (大岡は、やはりわしの腹心だ。いわなくてもよくわかる男だ) と安堵した。大岡はつづける。 「水野ご老中の仰せのとおり、上様のご方針に真っ向から背く者に対しては、たとえ尾張様といえどもきびしい態度で臨むべきだと思います」 吉宗は満足そうにうなずいた。 「よくわかった。安心したぞ。おまえたちはさすがにわしの信頼する人間だ。あしたにでも正式に老中会議を開き、宗春の処分を決めることにしよう」 この言葉をきくと、老中の水野忠之が、 「その件についてでございますが」 と、口を挟んだ。 「なんだ?」 「老中会議をお開きになる前に、しばらくわたくしにその件についてのお時間をお貸しいただけませんか」 「どうするつもりだ?」 「現在の尾張様のご方針を、名古屋城の重役どもが、果して心から支持しているのかどうか、気にかかります。そのへんを少し調べさせていただきとうございます。名古屋城内には存知よりもたくさんおりますので、城内のほんとうの声をきいてみたいと思います」 「なるほど、それはいい方法だな。いきなり宗春の処断をする前に、やはりその確かめが必要なことは確かだ。よし、水野ぜひ頼む」 水野の発言は、吉宗にとっても渡りに船だった。吉宗には別な思いがあったからだ。それは、 (紀州藩主だったわしが将軍になったことに、尾張宗春は遺恨を抱いているのだ) と思っていたからである。たしかに、八代目将軍の座をめぐっての争いは凄まじかった。とくに尾張家と紀州家の争いは、血をみる寸前までいっていた。そういうきびしい政争を経て吉宗は将軍になったのである。だから尾張宗春がことごとに吉宗の政策に反対するのも、吉宗にすれば、 (やはり、将軍の相続問題が尾を引いている) と思えたのである。 尾張藩の付家老はどう思っているのか? だから水野忠之の申し出は、吉宗のそんなわだかまりにピッタリ適合するものではあったが、しかし吉宗はそのことを自分からいうわけにはいかなかった。口にすれば、 「まだそんなことにお拘りでいらっしゃいますか?」 と、場合によってはまわりから弱腰だとみられる。腰が引いていると思われる。それは負け惜しみの強い吉宗にすれば我慢できないことだ。したがって水野がいま、 「しばらく自分に時間を貸していただけないか」 といった申し出は、一種の緩衝装置として非常にありがたかったのである。吉宗がきいた。 「水野、しかしなぜそんな考えを持ったのだ?」 これに対し水野はこういった。 「家風というものは、一朝一夕で変えられるものではないという思いがあるからでございます」 「というと?」 「尾張様のご家風は、藩祖の義直公以来、謹厳実直で、とくに神道を重んずるお家柄でございます。名古屋城の武士の気風も日本の大名の中でも至ってきびしく、またその生活も質素でございます。それが代々つづいてまいりましたのに、突然宗春様のご方針によって、“江戸がダメなら名古屋があるさ”というような流行語が町人の口にのるほどの変化が、果して尾張様のご家風をも覆すようなものであるかどうか、これは由々しきことでございます。 不肖、わたくしも尾張様に隣接する三河の岡崎城に居を得ているものでございます。尾張様のご動向には、常々関心を持ってまいりました。また、神君家康公が御三家をお設けになりましたときには、付家老としてそれぞれのお家に直臣をご派遣になりました。尾張様には、成瀬殿と竹腰殿が派遣されました。 なかでも成瀬殿は、家康公からの特別のおはからいによって、一国一城令にもかかわらず現在犬山城主を兼ねております。幸い、わたくしはこの成瀬殿と昵懇でございます。忌憚のない意見をきいてみようかと存じます」 「わかった。そうしてくれればわしも助かる。頼む」 吉宗はそういってこの話を打ち切った。 水野がいったように、いわゆる「御三家」と称される尾張・紀伊・水戸の三徳川家を設置したのは、家康にすれば、 「徳川本家に相続人を欠いたときには、この御三家から候補者を出させる」 という目論見だった。しかし、慎重な家康は口が重い。自分の思いをはっきり明文化しない。したがって御三家のほうではさまざまな解釈をした。とくに尾張徳川家では、 ● 御三家というのは、徳川本家と尾張徳川家・紀伊徳川家のことをいうので、水戸徳川家はこの中に入らない ● そのために、水戸徳川家は代々“副将軍”という別称を与えられ、非公式ではあるが、常に将軍の補佐役として、在府(いつも江戸に居住すること)を義務づけられている ● したがって、徳川宗家になにかあったときに、宗家相続人を出す家は、尾張徳川家と紀伊徳川家の二家に限られる。水戸徳川家は、これに入らない という解釈をしてきた。これは尾張徳川家の誇りでもあり、また水戸徳川家を一段下にみる考えでもあった。 また、尾張徳川家は、 「御三家の中でも徳川本家に次ぐ家柄である」 という意識を持ち、紀伊徳川家や水戸徳川家よりも一段格が高い、という態度をとりつづけてきた。そのために、 「尾張徳川家は、全大名の模範にならなければならない」 というきびしい考えを保ち、とくに、 「藩主たる者は、全大名の模範になる必要がある」 という伝統を保ってきた。その認識の強かった初代藩主徳川義直は、みずからの身を律し、きびしい生活態度を持ちつづけた。水野忠之がいうのは、 「そういう家風をずっと保ってきたのは、付家老たちもそれを支えてきたためだ。宗春様が突然奢侈政策をおとりになったからといって、心の底からそれを支持しているのかどうか、そのへんは疑問だ」 と思っている。率直にいえば、疑問どころではなく、水野忠之の心づもりとしては、 「付家老たちは、おそらく宗春様のご政策に腹の中では反対しているのにちがいない」 とみこんでいた。 松平乗邑の進出 尾張徳川家では、この付家老の役割分担を「国元家老」と「江戸の留守家老」に分け、成瀬隼人正正太を国元家老とし、竹腰志摩守正武を江戸家老としていた。 吉宗の御座所(将軍の居室)を出て、廊下を渡りながら水野は、 「わしは成瀬殿と話すつもりだ」 と大岡に告げた。大岡はちょっと疑問に思った。それは、成瀬は遠く犬山城にいて、名古屋城に勤務している。江戸にいるのは竹腰だ。 当時は、コミュニケーション手段が不便で、信書の往来もなかなか思うようにいかない。 (そんな状況の中で、水野様はいったいどのようにして成瀬様とご連絡を取ろうとなさるのか?) と思ったからだ。吉宗の信頼する老中職にある水野が、簡単に名古屋や犬山にいくわけにはいかない。また、呼び出すとしてもこれは大問題になる。名古屋城の連中もまさか、宗春の政策をドンチャン騒ぎで支持し、 「江戸よ、ざまをみろ。思い知ったか?」 とののしるような輩はそれほどいまい。そんな考えを持っているのは、宗春の側近だけだろう。したがって、多くの名古屋城の武士たちはやはり江戸城の動きを息をひそめて凝視している。 「宗春様を、いつまでも江戸の上様は放置なさるのか?」 という猜疑心はだれもが持っているはずだ。 それに、岡崎城主の水野家は、はじめから尾張徳川家には警戒されている。岡崎城に配置された水野忠之の先祖は、名古屋城が天下普請で大々的に工事がおこなわれているときから、警戒の目を怠らなかった。初代の岡崎城主自身が、名古屋城まで出かけていって堀の深さを測ったりしたという。尾張徳川家側ではたちまち気づいた。そして、 「岡崎城の水野を警戒しろ。油断がならない」 という指示がいっせいに出た。したがって、尾張徳川家と岡崎水野家とは常に、 「緊張関係」 にあって、ギクシャクしている。にもかかわらず、その岡崎城主である水野忠之が、 「尾張徳川家の付家老成瀬殿と話を詰める」 というのは、ほんとうにスムーズにいくのか、と大岡は心配したのである。 そして大岡忠相は、自分の情報ルートから別なことを知っていた。それは、 「近ごろ、ご老中の中でも松平乗邑(のりさと)様の勢いが日増しに募っている」 ということだ。松平乗邑は、官名が左近将監で、下総(千葉県)佐倉城主である。松平乗邑とは、大給(おぎゅう)松平系で、最初は肥前(佐賀県)唐津六万石の城主の家に生まれた。五歳で家を相続している。以後、志摩(三重県)鳥羽城主・伊勢(三重県)亀山城主・山城(京都府)淀城主などを歴任した。そして享保七(一七二二)年に大坂城代をつとめ、翌八年四月に吉宗から老中に抜擢されたのである。このとき、佐倉城主に任命され、六万石の領地を与えられた。吉宗からは、 「江戸城内の諸事務については、水野に任せてある。そちは、主として諸行事や儀礼の面を担当せよ」 といわれた。 ふつうに受け取れば、 「吉宗政治の実質的な政務は、水野忠之に任せた。それを膝元で実行するのは町奉行の大岡忠相である。おまえは、形式的な面にいそしめ」 と命ぜられたように思える。ところが大岡の知り得る限り、そんなことはなかった。大岡の認識では、 (上様のご改革の実質的面は、ほとんど松平乗邑様がおこなっておいでだ) と思っている。そう思わせることが次々実証されているからだ。大岡は最近、 (水野様は、やがて松平様に乗り越えられるのではないか?) と懸念している。乗邑の抬頭ぶりはそれほど凄まじかったのである。しかしだからといって大岡は必ずしも水野一辺倒の立場に立ち、そういう乗邑に敵対する気はまったくない。大岡は正直に、 (松平様のご頭脳は、はるかにわしを超えている) と感じている。 (続) 【p56〜57 技術者からの視点】 技術者からの視点 ●第33回● カタカナ語の国際性 藍野大学非常勤講師 木下 親郎 外国人にも理解できる 優しい表記法 江戸末期から明治にかけての文明開化の先駆者たちは、新しい言葉を創り、古い言葉に新しい意味を与えた。オランダ留学経験のある西周が創った「哲学」はその傑作の一つと言える。「科学」、「技術」、「物理」などの言葉は既に存在していたが、現在の意味で使われるようになったのは明治時代からである。「化学」はオランダ語(Chemie)の音を模した「舎密(セイミ)」が創られたが古くからの「化学」になった。これらの明治の先達が作り上げた言葉を、我々の世代は当然のように使っている。その一方、外国語の音を模した「倫敦(ロンドン)」、「巴里(パリ)」などはカタカナ語に置き換えられた。 最近の科学技術用語は原語の音をカタカナで表すものが多い。根岸、鈴木両博士のノーベル化学賞受賞で有名になった「クロスカップリング」もそうだ。カタカナの読み方を知っている外国人なら、Cross-couplingであることを理解できる。このように、外国語の音をそのまま表したカタカナ語は、外国人にも優しい国際性を持っている。さらに、「クロス」と「カップリング」は広辞苑に「交叉すること」、「2つのものを1つに組み合わせること」と載っているので、科学者でない日本人にも優しい言葉だ。 原語の意味を知って 和製英語を使う必要がある 最近、外国語のカタカナ表記の一部を省略した、特定の仲間の間でしか通用しないと思われる隠語が、マスメディアで氾濫している。先日、電車の扉に貼られた広告に「メアド」とあるのを見た。電子メールの「メールアドレス」のことだが、一般の人や、海外からの訪問客は説明がないので、理解できないと思う。公共の場にあるカタカナ隠語を使った広告は、品位だけでなく国際性も欠いたものになる。「パソコン」や「テレビ」のように、日本語として認知され、辞書に掲載されるまでは使わないでほしい。 オックスフォード大学出版局の辞典に「ジャパニーズ・ピジン・イングリッシュ」という項があり、代表例として「イチバン」を挙げている。「ピジン」は広辞苑には「ビジネスの中国語訛り。異言語の話者が接触・交流して生まれる混成語」とある。また、「ホームステイ」、「サラリーマン」、「ワープロ」、「ドクター・ストップ」、「バージン・ロード」を和製英語と言い、「日本で使われる英語は、外国人と話すことよりも、日本人同士で話すため」と書いている。言葉は進化成長するものだから自然にまかせよという人がいるが、ピジンや和製英語を公式の文書に使うなら、そのことを認識した上で使ってほしい。明治時代に中学校で外国人と野球の試合をした経験のある人に守備位置を尋ねると、「ショートストップだった」と返ってきた。明治の中学生は正確な英語を使っていたのだ。 フランス語の統一のため、ルイ13世が作った、アカデミー・フランセーズは、現在でもフランス語の標準となる辞書を作っている。英国では一般紙と呼ばれる新聞と、夕刊紙と呼ばれる新聞では格調の異なる言葉が使われている。日本の一般紙、放送局、あるいは国際化を志向する企業や個人は、日本語を学ぶ外国人に優しい日本語資料を作るよう心がけてほしい。ちなみに、日本語を学ぶ外国人学生が困るのは、辞書に収録されていないカタカナ語だという。 カタカナ技術用語は正確に定義されているので誤解されることは少ないが、一般的に使われる外国語、特に修飾語は、日本人が知らない多くの意味を持っている。カタカナ語を使うときには原語の意味、さらにその言葉が名詞、形容詞、形容動詞なのかまで詳しく知っておく必要がある。それでも、誤った使い方となり、外国人に奇異な感じを与えることが多い。カタカナ語を使うよりも、辞書にある正確な日本語で表現した方が、日本人にも、外国人にも優しい国際的な日本語文になる。我々が外国語の文章を読むときに、辞書に頼るのと同様に、彼らも日本語文を読むときには辞書を頼りにしている。日本語文に使われた「改善」、「感性」や「もったいない」はkaizenやkanseiそしてmottainaiとして国際語になっている。 カタカナ語は話す時にも大きな問題がある。第一は、日本語にない「r(アール)」と「l(エル)」の区別である。我々が話すと「テレビ」は「terebi」、「ラジオ」は「rajio」、「カード」は「kado」、「ホテル」は「hoteru」と聞こえるそうだ。私が、米国でタクシー運転手に行く先を伝えるのに苦労したのは、エルとアールが入り混じった「ベル・テレフォン・ラボラトリー」であった。アクセントも問題だ。例えば、テレビで話されることの多い「マニフェスト」で、「マ」にアクセントを置くと、「船荷目録、(船・飛行機の)乗客名簿」を意味する英語になる。「フェ」にアクセントを置くと、イタリア語の「manifesto(宣言書)」を、そのまま借用した英語になる。アクセントの場所によって、英語では異なる意味になる。外国人にカタカナ語を話すときは、原語の綴りとアクセントの位置を確認しなければならない。 度胸英語は意思疎通の 有力な手段である 話す時に最も大切なことは、相手が正しく理解していることの確認である。岩波文庫の『戊辰物語』(東京日日新聞編)に、条約改正で伊藤博文が英国公使と英語で折衝したときの話がある。伊藤がユーロピアン・パウエルと怒鳴り、公使がけげんな顔をして「もう一度」を繰り返し、ようやくEuropean powers(欧州列強)であることがわかったときに、伊藤が「そうだ、そのパワーだ、パウエルなどとついオランダ語が出たのでね」と言い、伊藤の英語を度胸英語と紹介している。意思の疎通には、繰り返して確認を求めることのできる度胸英語の方が、流暢な英語よりも有力な手段なのだ。 P41の解答 ■詰め碁 「正解」 まず黒1とアタリを決めるのが手順で、白2のツギのあと黒3から5で中手攻め黒7でしとめます。
■詰め将棋 1四飛 同香 2五竜 1三玉 1四竜 同玉 1五香 同玉 2五金まで、九手詰。 「解説」 初手1四飛を1四同玉は、1五竜、同玉、2五金まで。したがって1四同香は最善の応接。1四竜に、2二玉は1二金まで。飛車よりも金を残す手法であります。 【p58〜59 BOOK】 BOOK 『「戦後」を点検する』 保阪正康 半藤一利 著/ 講談社/798円 戦後の復興と繁栄の中で 何を求め、忘れようとしたのか? 昨年秋の沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件以来、わが国は、まったく「想定外」だったとしか思えない対外交渉と、またそれと関連する経済活動への影響に頭を抱えている。いうまでもなく中華人民共和国(以下「中国」)との間の「領土問題」に端を発した隣接二国間関係の複雑さと、それと同時に隣国に依存するようになってしまった国内経済体制の脆弱さ等の問題についてである。 本書は、そうした問題認識に直接的な解答を与えてくれるものではないが、少なくとも、今を生きる“現在”のわれわれが、なぜこうした複雑な状況に陥ったのかを考える上で、非常に参考になると思われる。 本書の構成内容は、昭和史の実証的研究においてわが国の2大作家ともいうべき保阪正康氏と半藤一利氏による対談もので、まず第1章「いったい、いつまでが「戦後」なのか」で昭和50(1975)年までとする理由が述べられている。その後の項目は「〜帰り、〜あがり、〜崩れ」(第2章)、「一から出直し」(第3章)、「神武以来」(第4章)、「安保反対と米帝」(第5章)、そして「日中友好」(第6章)という意外なテーマが提示されている。しかし、「今の時代を考える」にふさわしい6つのテーマとなっていることが、2人の対談でわかってくる。 2人の話は、第5章「安保反対と米帝」までは人物を中心に語られている。「満州帰り」にして、「巣鴨帰り」の岸信介が政界に復帰し、首相になり日米対等の新安全保障条約の締結を強行した時代までである。そして、岸首相退陣後の15年間の時代については池田勇人、佐藤栄作、田中角栄という3人の首相を「日中友好」という題目で括っている。 岸首相退陣後、60年安保闘争で国論が二分してしまったことを受けて池田首相は、「寛容と忍耐」をスローガンにひたすら「国民所得倍増計画」の実現に邁進する。そして、岸の弟である佐藤首相がその政策を引き継いだ1968年には、わが国はGNPで自由世界第2位に達した。しかし、この時代におけるわが国の外交はほぼアメリカの言うとおりやっているだけで、日本は国全体として国際情勢の変化に鈍感になっていた。その象徴が米中復交への対応だったというわけである。佐藤首相は沖縄返還を実現したが、それと同時並行して進んでいた米国の中国との国交回復交渉には、まったく気づかなかった。日本が、あわてて中国と国交を回復するのは、保阪氏が「剥き出しの欲望の無制限の肯定」と評する田中首相の手によってである。 評者/内藤正行(評論家) 『ポピュリズムへの反撃 〜現代民主主義復活の条件』 山口二郎 著/ 角川書店/724円
政治選択を誤らせる レトリックの正体を読み解く 自民党一党支配の時代には、「悪いのは自民党、いいのは革新政党」というのが「進歩的な人」にとっての自明の公理だったという。ところが、長年の制度疲労からこの仕組みにキシミが生じ、そのときに登場したのが小泉元総理であった。ポピュリズムというと「小泉劇場」といわれた元総理の政治手法を想起する人が少なくないと思うが、本書のテーマはこのポピュリズムをいま一度見直してみようというところにある。本書によるとポピュリズムの源流は19世紀アメリカにあり、平等を求める政治運動である反面、非寛容で、狂信的な反知性主義にもなり得る側面があったという。郵政選挙の圧倒的な結果には、後者の側面をみることができるのではないか。 「現代の民主政治というのは、多かれ少なかれ、ポピュリズムの要素をはらまざるを得ない」と著者は言い、これを否定すれば民主主義の大事な要素の否定につながると指摘する。だからこそ、その存在を前提に行動しなければならないというわけだ。 有志による勉強会のために行った講義を再構成した文章は平易でわかりやすく、この厄介な代物を読み解くのに最適だと思われる。 『パワハラにならない叱り方 ―人間関係のワークルール』 道幸哲也 著/ 旬報社/1260円
職場で起きたトラブルを通して 労務管理のあり方を考える パワハラ(パワーハラスメント)という言葉が、一般的に使われるようになったのはいつ頃からのことだろうか。今号の「実践 職場のメンタルヘルス」でもこの話題がテーマとなっているように、今ではすっかり認知されるようになったのは間違いのないところだろう。 典型的なパワハラを、著者は「仕事を取り上げたり、意味のない仕事をさせること、人間関係から排除すること、名誉を毀損するような侮辱的発言をすること」とし、その多くは会社がリードしているという。現象面だけをみれば、小中学校のいじめにも匹敵するようなレベルの行為で、とても常識的な大人がすることとは思えない。このような職場の変化は、日本社会の変容にも通じるものではないだろうか。 本書は、現実に職場で起こっているパワハラ事案を紹介し、最近の裁判例をその判断内容を中心に詳しく検討することによって、問題点を浮き彫りにしている。著者は長年、北海道労働委員会の公益委員を務めており、その経験から労使紛争の解決には相互理解が必要だと言うが、パワハラ問題の解決にもこのような姿勢は必要であろう。書名から連想される、お手軽なマニュアル本ではないことを付言しておきたい。 『デンマークのにぎやかな公共図書館 ―平等・共有・セルフヘルプを実現する場所』 吉田右子 著/ 新評論/2520円
ユニークな視点から見た 「生涯学習社会」の現実 ベストセラー作品を何十冊も買い込み、「無料貸本屋」と揶揄されることもある日本の公共図書館。住民の要望に応えるという大義はあるにしても、行きすぎたサービスに物言いを付けたくなる気持ちも分からなくはない。 では、公共図書館が本来果たすべき役割とは何か。本書を読めば、少なくとも貸出件数を上げることばかりではないということがわかる。実際、デンマークの公共図書館は、生涯学習の拠点としても住民から認知されており、例えばマイノリティーに対する学習(読み書き)の支援も、重要な役割となっている。 本欄でも、たびたび北欧諸国の社会事情を対象にした本を紹介してきたが、本書はひときわユニークな視点からみた北欧(デンマークが中心ではあるが、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドに関する言及もある)社会のルポである。著者は8カ月にわたり、王立情報学アカデミーの客員研究員としてデンマークに滞在し、公共図書館をつぶさに見て歩いたというが、その経験が生かされているといえるだろう。 ところで、デンマークの図書館は原則として日曜日は休館日。にも関らず利用者は多いという。その理由をぜひ著者に教えてもらいたい。 【p60 次号予告・編集後記】 次号予告 ELDER 2月号 特 集 わが国の雇用で、何が問題なのか 大久保幸夫氏(リクルート ワークス研究所所長) 濱口桂一郎氏(労働政策研究・研修機構統括研究員) 梶原 豊 氏(高千穂大学名誉教授) 小林辰滋 氏(NPO法人日本エンプロイアビリティ支援機構理事長) えるだぁ最前線 「はやぶさ」を支えた平均年齢65歳、下町の町工場 ─有限会社清水機械 お知らせ 『エルダー』が書店で購入できるようになりました 『エルダー』は下記の書店で購入が可能です。皆さまのご利用をお待ちしております。 定価480円(税込)/発売元:労働調査会 ●ジュンク堂書店池袋本店(5階)TEL03−5956−6111 ●八重洲ブックセンター本店(2階)TEL03−3281−8202 ●政府刊行物サービスセンター(全国10店舗、下記参照) 札幌(TEL 011−709−2401)/仙台(TEL 022−261−8320)/ 霞が関(TEL 03−3504−3885)/大手町(TEL 03−3211−7786)/金沢(TEL 076−223-7303)/名古屋(TEL 052−951−9205)/ 大阪(TEL 06−6942−1681)/広島(TEL 082−222−6012)/福岡(TEL 092−411−6201)/那覇(TEL098−866−7506) 編 集 後 記 ●最近、diversity(ダイバーシティ)という言葉を耳にすることが多くなった。「多様性」という意味である。かつては、国際化という問題のなかで、国や民族、文化、言語などの多様性というようなときに使われることが多かったが、最近は、企業の人事管理の考え方などについても、このダイバーシティが使われるようになってきた。 人の価値観の多様化が言われ、それに伴って、雇用の場における働き方の多様化も現実のものとなっている。正社員もいれば、短時間のパートもいるし、パートの正社員もいる。正社員もこれからは多様化するだろうといわれてもいる。職業人生のある一時期である高齢者の対策をとってみても、一人ひとりの能力や働き方にばらつきがでてくるので、人事制度の多様化がそのポイントとしてあげられる。 たしかにダイバーシティである。もともと生まれも育ちも違う自由な人間を、ひとつの型に入れて理解することはできない。国際化という問題の中でのダイバーシティの理解は、「オレの国の政治や文化とオマエの国のそれとはこの点が違うね」というお互いの不一致点について一致することからはじまる。そこには、お互いが平等な地平に立っての理解がある。 このダイバーシティの理解を雇用の場にそのままあてはめたら、どうなのだろうか。高齢者と若者、正社員と非正社員、男性社員と女性社員、それに外国人労働者といったいわば対立的な図式の中で現実に格差問題があるときに、これをダイバーシティという言葉で一括りにしてよいものなのだろうか。国際化の理解のように、お互い平等な地平に立つということがベースとして必要なのではないだろうか。 格差として一番わかりやすいのが賃金であろう。賃金には最低賃金といわれるものがあり、これには国が法律で定めたものと、企業が独自に算出したものがある。もし、国が定めた最低賃金で文化的最低生活ができないのであれば、企業における賃金が相互理解のベースにならなければダイバーシティにならないのではないか。 月刊エルダー1月号 No.375 ●発行日―――平成23年1月1日(第33巻 第1号 通巻375号) ●発 行―――独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構 発行人―――代田雅彦 編集人―――春日利信 ●発売元 労働調査会 〒170‐0004 東京都豊島区北大塚2-4-5 TEL 03(3915)6401 FAX 03(3918)8618 (禁無断転載) ●独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構 (竹芝事務所) 〒105‐0022 東京都港区海岸1-11-1 ニューピア竹芝ノースタワー TEL 03(5400)1621(総務部) ホームページURL http://www.jeed.or.jp メールアドレス elder@jeed.or.jp 【p61 中高年のためのステップアップトレーニング】 中高年のための ステップアップトレーニング
首都大学東京 健康福祉学部 准教授/理学療法士 山田 拓実 第9回 ひざ痛を予防するための体力テスト ひざの痛みや関節のこわばりなどといった「変形性膝関節症」の症状は、60歳以上のかたの約40%にみられ、そのうち約10%が日常生活に支障をきたしているとされています。 肥満気味で、階段の昇り降りの時や立ち上がったりしゃがんだりする時に、ひざが痛むかたは要注意です。早めにひざ痛予防に取り組みましょう。 《台からの立ち上がりテスト》 @立ち上がることができたら、次は高さ30センチの台でやってみましょう。 A20センチの台、10センチの台と、台の高さを変えて、立ち上がることができるかどうかを試してみてください。 Bひざや腰に痛みがある人は、無理に行うことは避けてください。 C高さ10センチ、20センチ、30センチの台と、座面の高さ40センチのイスを用意します。 Dまず、両手を交差させて胸に当て、イスに座ってください。足は肩幅程度に開きます。 Eその姿勢のまま反動をつけずに立ち上がってください。 テストの結果はいかがでしたか? 低い台から立ち上がれるほど、ひざの筋力やひざの可動域があるということになります。10センチの台から立ち上がれたら60歳代のレベル、20センチの台からは70歳代のレベル、30センチの台からは80歳代のレベルです。 次回はひざ痛予防のための運動を紹介します。 【p62〜63 愚なるが故に道なり】 愚なるが故に道なり 奥井禮喜 経営労働評論家 (有)ライフビジョン代表取締役 第67回 人生は無。孤独という筆で、人生の白いキャンバスに自分の絵をかく! 古書店めぐり専門である。たまたま入った新刊書店で、サルトル(1905〜1980)の出世作『嘔吐』(1938)が眼に止まった。遠い昔に読んだような気もするが、ほとんど記憶してはいない。60年ぶりに出された鈴木道彦氏の新訳である。 まだ無名のサルトルに注目し『嘔吐』の翻訳に着手されたのは、白井浩司氏(1917〜2004)が21歳のときだった。出版社が変わり、出版が変わるたびに白井氏は改訳・改定を続けられた。白井氏の最終訳は1994年である。こちらも最終版を入手して読んだ。作品に出会ってから56年間延々読み続け思索を深められたのである。まさに「一冊の本」という次第だ。 フランス語などさっぱりだけれど、白井・鈴木訳いずれも明晰で読みやすい文章である。持ち味は、白井訳の歯切れよさ、鈴木訳の流麗とでもいうべきか。しみじみ味わう。 サルトルは猛烈なメランコリアだったらしい。ボーヴォワール回想録によると、後ろから伊勢海老が追っかけてくるような幻想に悩んだという。ご馳走の伊勢海老に追っかけられたのではたまらない。 開高健氏(1930〜1989)もまた酷いメランコリアで悩んだと、さまざま書き残された。孤立して崩れていく人の叫び、つぶやきを体現する、孤独な主人公ロカンタンに共感された。『嘔吐』を無人島へもっていく何冊かの本の1冊だといい、白井氏の改訂のたびに購入して読まれ、白井訳を絶賛しておられた。さて― 作品のキーワードは人間の孤独―そのものにある。 人間が孤独な存在であることは誰でも知っている。 孤独といえば―寂しい―と反応するのが一般的感性である。それはそうなのだが、『嘔吐』を読んで少々違う景色が見えてきた。 寂しい、独りぼっちの問題解決策としては、友だちを作ることだ。しかし、友だちを作れば解決するのだろうか。いや、仮に友だちができたとしても依然として解決していない。なぜなら、自分と自分以外とは、相変わらず、それぞれが孤独な存在である。なにしろ最愛の(はずの)家族があって、天涯孤独でなくても、寂しがっている人は少なくないのである。初恋の切なさを思い浮かべてみてもよろしい。 友だちがいない状態は孤立である。友だちができて、孤立が解決しても、孤独は解決しない。孤独は孤独である。あるいは、友だちを作ろうと焦れば焦るほど孤立感を深めるかもしれない。友だちは、呼べば応えるコダマではない。心通う友だちを簡単に作れるわけでもない。 寂しさを紛らすために人は玩物喪志になりやすい。30年前、本邦バブル経済の前、経済好調・中流意識絶好調時代において、モノをもっても小金があっても、心豊かでない。然り、モノのみが幅をきかせる状態は所詮価値転倒の気風である。だから、モノは人の生活のためにある。一時期「モノからココロへ」、「所有から使用へ」という気風が起こった。しかし、結局は玩物喪志の網目から逃れられなかった。いまもまさしくその状態ではなかろうか。 人は孤独を感ずるから、誰かに自分の孤独感をわかってほしいと願う。しかし、孤独でない人間は一人としていないのである。その一方で、他人がちょっかい出すと「ほっといてんか、ぼくの自由だ」と反応する場合が少なくない。昨今、コミュニケーション不全が指摘されるのは、他者にちょっかいされるのが嫌さに、できるだけ他者との接触を避ける傾向にあるからである。 「独りぼっち」とぼやきつつ、一方では「個性的に生きたい」と考えている。二律背反、自己矛盾だ。 いったい孤独な自分の「何を」わかってほしいのであろうか。孤独とは自分が他者に受け入れられていないという思いである。では自分に聞いてみたい。「私は、自分の何を受け入れてほしいのであろうか?」 この問いは、「自分が何ものであるか」「何をしたいのか」と同じ意義である。これが厳しい。「何のために働くのか?」と問われれば、「生活の糧のためだ」と回答する。では「生活の糧を獲得した後何をしたいのか?」と問われた場合、容易に回答が出てこない。 かくして、孤独とは、他者に受け入れてもらえないから孤独なのではなくて、その前に―自分が何ものであるか、何をしたいのか―がわからないところにその本質が潜んでいるのではあるまいか。 人生とは何か―そんなことを考える暇がない。なにしろ日々の暮らしは余裕がない。働く時間はいかにも長い。自分の時間がない。客観的にはまことに辛いはずだ。しかし、お陰さまで、容易に出口の見つからない問題を考えなくて結構だ! 人生には普遍的な目的がない。人生の正解がない。すなわち「無」である。ひょっとすると、われわれは無の大海に漂うているのではないか。 主人公ロカンタンは、(この状態から)「自分を救うには芸術創作への熱中のみ」という結論に至る。サルトルもきっと読んだであろう、H・バルビュス(1873〜1935)『クラルテ』の主人公は戦場から帰って、「ぼくは取るに足らない人間で、以前と全然変わっていない。だが、ぼくは真理への欲求をもちかえった」と誓った。 孤独感を自分の人生の芸術に変える出発点にしたいのである。 【p64 世界の高齢者雇用事情】 世界の 高齢者雇用事情
第15回 スペイン 高齢者就業率は44.1%、数年後に過半数を超える見込み スペインの2010年の人口は4,599万人、前年比0.35%増である。スペインは西欧の中で人口大国ではあるが、遅れて高齢化社会となった。しかし高齢化の速度は急速で、65歳以上人口(老年人口)の割合は2009年には17.2%だが、2024年に20%、2035年に25%を超え、2043年には30%と、急激に高まると予測されている。 高齢者(55〜64歳層)就業率は44.1%とEUの2010年の目標値50%には到達していないが、ここ10年で7ポイント上昇し、数年後には50%を超えるとみられている。 社会保障制度の整備は、フランコ独裁政権が長く続いたことから他の西欧諸国と比べて立ち遅れ、現行の公的年金制度が整ったのは1972年のことである。法的退職年齢は年金受給開始年齢の65歳であるが、実際の退職年齢は62.6歳と低い。これは25歳以下の若年失業率が高く(2009年37.8%)、高齢者は若年者に職を譲って労働市場から早期に引退することが慣行化されてきたためである。だが年金財政の悪化が進行し、年金受給開始年齢を2013年から段階的に67歳へと引き上げる政策が検討されている。 労働政策研究・研修機構 国際研究部長 坂井澄雄 キャプション バルセロナ市のシンボル、サグラダ・ファミリア教会で作業に当たる石工。待望の完成は2026年が予定されている。
【表3 地方業務関連事務所所在地等一覧】 独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構では、各都道府県における、高年齢者等及び障害者の雇用に関する相談・援助、給付金・助成金の支給申請の受付、障害者雇用納付金制度に基づく申告・申請の受付、啓発等の業務を次の各法人に委託して実施しています。 また、機構では、平成22年10月1日から北海道、山形県、石川県、静岡県、奈良県、岡山県、香川県、宮崎県及び鹿児島県の9道県において、『地方分室(高齢・障害者雇用支援センター)』を設置し、高年齢者等及び障害者の雇用に関する相談・援助、給付金・助成金の支給申請の受付、障害者雇用納付金制度に基づく申告・申請の受付、啓発等の業務を直接実施しています。下記一覧の※印の事務所が、機構の地方分室(高齢・障害者雇用支援センター)です。
地方業務関連事務所所在地等一覧 名称、所在地、電話番号 ※北海道高齢・障害者雇用支援センター 〒060‐0004 札幌市中央区北4条西4丁目1 札幌国際ビル4階 TEL011−200−6685 (社)青森県高齢・障害者雇用支援協会 〒030‐0801 青森市新町2丁目2−4 青森新町二丁目ビルディング7階 TEL017−775−4063 (社)岩手県雇用開発協会 〒020‐0024 盛岡市菜園1丁目12番10号 日鉄鉱盛岡ビル5階 TEL019−654−2081 (社)宮城県雇用支援協会 〒980‐0021 仙台市青葉区中央3丁目2−1 青葉通プラザ13階 TEL022−265−2076 (社)秋田県雇用開発協会 〒010‐0951 秋田市山王3丁目1番7号 東カンビル3階 TEL018−863−4805 ※山形高齢・障害者雇用支援センター 〒990‐0039 山形市香澄町2−2−31 カーニープレイス山形3階 TEL023−674−9567 (社)福島県雇用開発協会 〒960‐8034 福島市置賜町1番29号 佐平ビル8階 TEL024−524−2731 (社)茨城県雇用開発協会 〒310‐0803 水戸市城南1丁目1−6 サザン水戸ビル3階 TEL029−221−6698
(社)栃木県雇用開発協会 〒320‐0033 宇都宮市本町4番15号 宇都宮NIビル8階 TEL028−621−2853 (社)群馬県雇用開発協会 〒371‐0026 前橋市大手町2−6−17 住友生命前橋ビル10階 TEL027−224−3377 埼玉高齢・障害者雇用支援センター* 〒330‐0063 さいたま市浦和区高砂3−2−10 草野高砂ビル4階 TEL048−815−5830 (社)千葉県雇用開発協会 〒260‐0015 千葉市中央区富士見2−5−15 塚本千葉第三ビル9階 TEL043−225−7071 (社)東京都雇用開発協会 〒101‐0061 千代田区三崎町1丁目3番12号 水道橋ビル6階 TEL03−3296−7221 神奈川高齢・障害者雇用支援センター* 〒231‐0033 横浜市中区長者町2−6−3 シティーハーズ長者町ビル3階 TEL045−250−5340 (社)新潟県雇用開発協会 〒950‐0087 新潟市中央区東大通1−1−1 三越・ブラザー共同ビル7階 TEL025−241−3123 (社)富山県雇用開発協会 〒930‐0083 富山市総曲輪2−1−3 富山商工会議所ビル東別館8階 TEL076−425−4488 ※石川高齢・障害者雇用支援センター 〒920‐0856 金沢市昭和町16−1 ヴィサージュ1階 TEL076−255−6001 (社)福井県雇用支援協会 〒910‐0005 福井市大手2丁目7番15号 明治安田生命福井ビル10階 TEL0776−24−2392 (社)山梨県雇用促進協会 〒400‐0031 甲府市丸の内2丁目7−23 鈴与甲府ビル1階 TEL055−222−2112 (社)長野県雇用開発協会 〒380‐8506 長野市南県町1040−1 日本生命長野県庁前ビル6階 TEL026−226−4684 (社)岐阜県雇用支援協会 〒500‐8856 岐阜市橋本町2−20 濃飛ビル5階 TEL058−252−2324 ※静岡高齢・障害者雇用支援センター 〒420‐0851 静岡市葵区黒金町59−6 大同生命静岡ビル7階 TEL054−205−3307 (社)愛知県雇用開発協会 〒460‐0008 名古屋市中区栄2丁目10番19号 名古屋商工会議所ビル9階 TEL052−219−5661 (社)三重県雇用開発協会 〒514‐0002 津市島崎町137番地122 TEL059−227−8030 (社)滋賀県雇用開発協会 〒520‐0056 大津市末広町1番1号 日本生命大津ビル3階 TEL077−526−4853 (社)京都府高齢・障害者雇用支援協会 〒604‐8171 京都市中京区烏丸通御池下ル虎屋町577−2 太陽生命御池ビル3階 TEL075−222−0202 (社)大阪府雇用開発協会 〒530‐0001 大阪市北区梅田1−12−39 新阪急ビル10階 TEL06−6346−0122 兵庫高齢・障害者雇用支援センター* 〒651‐0086 神戸市中央区磯上通6−1−9 神戸MKビル5階 TEL078−265−1314 ※奈良高齢・障害者雇用支援センター 〒630‐8122 奈良市三条本町9−21 JR奈良伝宝ビル6階 TEL0742−30−2245 (社)和歌山県雇用開発協会 〒640‐8154 和歌山市六番丁24番地 ニッセイ和歌山ビル6階 TEL073−425−2770 (社)鳥取県高齢・障害者雇用促進協会 〒680‐0835 鳥取市東品治町102 明治安田生命鳥取駅前ビル3階 TEL0857−27−6974 (社)島根県雇用促進協会 〒690‐0826 松江市学園南1丁目2−1 くにびきメッセ 6階 TEL0852−21−8131 ※岡山高齢・障害者雇用支援センター 〒700‐0907 岡山市北区下石井2−1−3 岡山第一生命ビル4階 TEL086−801−5150 (社)広島県雇用開発協会 〒730‐0013 広島市中区八丁堀16−14 第2広電ビル7階 TEL082−512−1133 (社)山口県雇用開発協会 〒753‐0051 山口市旭通り2丁目9番19号 山口建設ビル3階 TEL083−924−6749 (社)徳島雇用支援協会 〒770‐0824 徳島市南出来島町1丁目32番地 中山ビル1階 TEL088−655−1050 ※香川高齢・障害者雇用支援センター 〒760‐0017 高松市番町1−6−1 住友生命高松ビル8階 TEL087−813−2051 (社)愛媛高齢・障害者雇用支援協会 〒790‐0006 松山市南堀端町5番地8 オワセビル4階 TEL089−943−6622 (社)高知県雇用開発協会 〒780‐0053 高知市駅前町5番5号 大同生命高知ビル7階 TEL088−884−5213 (財)福岡県高齢者・障害者雇用支援協会 〒812‐0011 福岡市博多区博多駅前3−25−21 博多駅前ビジネスセンター3階 TEL092−473−6300 (財)佐賀県高齢・障害者雇用支援協会 〒840‐0816 佐賀市駅南本町5−1 住友生命佐賀ビル5階 TEL0952−25−2597 (社)長崎県雇用支援協会 〒850‐0862 長崎市出島町1番14号 出島朝日生命青木ビル5階 TEL095−827−6805 (社)熊本県高齢・障害者雇用支援協会 〒860‐0844 熊本市水道町8−6 朝日生命熊本ビル3階 TEL096−355−1002 (財)大分県総合雇用推進協会 〒870‐0026 大分市金池町1丁目1番1号 大交セントラルビル3階 TEL097−537−5048 ※宮崎高齢・障害者雇用支援センター 〒880‐0805 宮崎市橘通東5丁目4番8号 岩切第2ビル3階 TEL0985−77−5177 ※鹿児島高齢・障害者雇用支援センター 〒892‐0844 鹿児島市山之口町1番10号 鹿児島中央ビル11階 TEL099−219−2000 (社)沖縄雇用開発協会 〒901‐0152 那覇市字小禄1831番地1 沖縄産業支援センター5階 TEL098−891−8460 *は、株式会社キャリアに事業委託
【表4 バックナンバー】 〈エルダー〉バックナンバーのご案内 2010年12月号 ■特集 日本のものづくり産業は 高齢者が支える! 東海バネ工業株式会社 新興海運株式会社 株式会社山岡製作所 コマツ大阪工場 【労務資料】 平成22年就労条件総合調査結果の概況 2010年11月号 ■特集 平成22年度 「高年齢者雇用開発コンテスト」 厚生労働大臣表彰受賞企業事例 【最優秀賞】 四国交通株式会社 (愛媛県) 【優秀賞】 赤津木材工業株式会社 (茨城県) 堀永殖産株式会社 (福岡県) 【特別賞】 株式会社日向屋 (宮崎県) 有限会社松活 (福岡県) 〈新連載〉 実践 職場のメンタルヘルス 中辻めぐみ 2010年10月号 ■特集 立ち上がれ!団塊企業OB ◆東芝時代の技術・管理ノウハウを社会に 還元し経営支援に生かす団塊以上OB NPO法人RKH研究所 ◆団塊の世代の女性たちが創った 人のつながりをつくる地域ビジネス NPO法人 高齢社会の食と職を考えるチャンプルーの会 ◆多様な企業支援策を講じ、 地域産業振興を目指す サイバーシルクロード八王子 ◆映画で街に文化とにぎわいをと 映画館活動に奔走する NPO法人市民シアター・エフの深谷シネマ 【労務資料】 高年齢者の雇用・就業の実態に関する調査 2010年9月号 ■特集 70歳までの雇用に、 高齢者の体力・健康は耐えられるか? 【インタビュー】 国立健康・栄養研究所 宮地元彦氏 【調査研究】 70歳雇用に向けた高年齢者の体力等に関する 調査研究結果 【企業事例】 東京ガス株式会社 安全健康・福利室 ■定年引上げ等奨励金のお知らせ 高年齢者雇用確保充実奨励金 独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構 高齢者助成部 〈えるだぁ最前線〉 株式会社ケーエヌアイ 2010年8月号 ■特集 働く大ベテランたちが語る“働くこと” 名古屋市副市長 大西 聰さん 古書ハナ書房店主 成本 進吾さん 赤城自然園園長 片場 富夫さん 荒川シルバー大学理事長 秋山 照子さん ■定年引上げ等奨励金のお知らせ 中小企業定年引上げ等奨励金 独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構 高齢者助成部 【労務資料】 中小企業における従業員の教育訓練の実態 2010年7月号 ■特集 賃金とは、何か?! 【総論】賃金とは何か 同志社大学社会学部教授 石田 光男 【Q&A】70歳まで働く賃金制度を、どうつくるか マツダ・ビジネス・コンサルティーション 代表取締役 松田 憲二 【企業事例】 均等待遇を基本に社員の一本化を実現し、 「同一労働同一賃金」に立ち返ったロフト 株式会社ロフト 〈新連載〉 働く人の「生涯職業能力開発」の 確立をめざして 独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構
【表4 背文字】 エルダー 2011/1 平成23年1月1日発行(毎月1回1日発行)第33巻 第1号通巻375号 〈発行〉独立行政法人 高齢・障害者雇用支援機構 〈発売元〉労働調査会 定価480円(本体458円)
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