http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/522.html
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自国通貨建てでの赤字はいくら出しても大丈夫だという議論がある。それへの反証として、2009年暮れに書いたものを阿修羅掲示板にも投稿しておいたと思っていたら、検索しても出てこないので、こちらに再度投稿しておきます。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/taked4700/view/20091211よりコピー:
国債を国内消化してきたことは正しいか?そして、今やるべき景気対策は?
日本の公的部門の借金が800兆円とか1000兆円を越えたとか言われているが、まだ大丈夫だとされている。なぜなら、韓国やその他のアジア諸国のように外国からの借金ではなく、ほぼ全てを国内でまかなっていて、国民金融資産は1500兆円もあるのでまだまだ国債を発行しても、その資産で消化できるというわけだ。
しかし、これは、大きな誤解に基づいている。以下、その理由。
1. 確かに、外国からの借金だと、いつ資金を引き上げられるか分からないので、国内での消化は、そういった意味での不安はない。しかし、別の不安がある。それは、日本と言う国・社会自体の老齢化だ。
2. 単純化のために、たとえ話をしてみよう。30歳のA氏、B氏の二人だけががいる国を想定してみよう。二人はそれぞれ働いて、野菜を作ったり獣を狩ったり、着物を作ったりして、生産活動をし、それをやり取りするために紙幣を共同発行していった。互いに話し合って、これぐらいのものが出来たら100円の価値があることにして、その分の紙幣を発行したのだ。きれいな野菜畑が出来たし、獣の食料となる木々がたくさん生えた山林もある。食糧の蓄えもきれいな柄の着物もいっぱいある。それを互いにやり取りするための紙幣もたまってきて、貯金が出来た。なんとその額、A氏100万円とB氏200万円。差ができたのは生産性の違いからだった。しばらくし、道路を作ったり、体育館を作ったりしてもっと豊かな生活をしたいと考えた。それは公共のものだから政府を作ってそこが金を出すようにしようと約束した。しかし、政府が単に金を紙に刷って二人に渡しても何の有り難味もない。価値のあるものは畑だったり着物だったり、穀物だったりするわけで、それは二人、つまり、A氏B氏のものであり、政府のものではないからだ。そこで、政府が発行するのは借金証券と言うことにして、実際の金はA氏、B氏がその証券と引き換えに自分たちの今まで貯金してきたものを政府へ渡すことにした。道路作りに2万円。体育館作りに3万円と言うように、それから40年間、二人は日常の生活、つまり、農作業や狩をしながら政府の仕事もしてきた。畑や穀物・着物の蓄えは余り増えなかったが、道路や劇場、グランドなど、そして貯金は増えた。それは、債権に利子をつけたからだった。年利1%しかなかったが、利子がつくと言うことで二人は喜んで道路作りやグランド作りに励んだ。普通に働いてはその働いた分しか富は増えないが、公の仕事なら働いた分にプラスして利子まで入るのだ。こうして、40年後、二人は70歳になり、貯金はそれぞれ2000万円と3000万円になっていた。そして、そのうち、政府発行の借金証券になっているものが1900万と2900万円だった。70歳のA氏、B氏はそれぞれ100万円の現金と1900万円分、2900万円分の政府債権を持っている。しかし、国民はA氏とB氏だけなのだ。1万円で畑を耕してくれと言っても、相手は既に70歳の老人。イノシシや鹿を狩ってきてくれと頼んでも、やはり相手は70歳の老人。100万円だしてもなかなか無理なことなのだ。蓄えてあった穀物も残り少なくなってきたので、今まで1万円で取引していたものを10万円でも惜しいと感じるようになって来た。穀物を多く持っていたA氏が結局200万円の現金を全て持つことになった。B氏は困ってしまって政府証券を売ることにした。3000万円分の証券があるのだから、3000万円分の現金にするのが当然だと言うことだ。A氏も賛成して、3000万円分の紙幣を発行することにした。ところが、穀物の蓄えはもうほとんどない。だから、今まで10万円だった分量を1000万円にすることにした。そうこうするうちに、穀物はなくなり、狩りも出来なかったので、二人は飢え死にするしかなかった。
3. 上の話は単純化されている。しかし、要は、紙幣自体に価値があるのではなく、人がどのように利用できるかと言う点で価値が決まっていると言うことなのだ。そして、国債や地方債の国内消化と言うことは、将来の日本市民がその返済義務を負っているということで、将来の日本市民が労働生産性をある程度持っていないと意味がないことなのだ。
4. つまり、逆から言うと、国債を海外に売ると言うことは、上で述べたようなリスクを分散していることになる。
5. 藤井財務大臣も亀井静香金融大臣も以上のことをよくご存知であるはずだ。そして、その上で、藤井財務大臣は赤字国債のこれ以上の発行に反対をしていて、藤井金融大臣はより一層の発行を主張している。しかし、お二人とも、本来やるべきことをやっていない。
6. それは、新しい産業構造の転換だ。たとえば、日本の電気代は世界でも最も高い部類に入る。そのことは、たとえば日本国内でアルミの精錬がほとんど行われていないことから分かる。(*社団法人日本アルミニウム協会のhttp://www.aluminum.or.jp/basic/japanindustry.htmlにある「日本のアルミ産業は原料となる新地金を殆ど全量輸入し、これを加工する板製造業、押出製造業、はく製造業等の各業種で構成されています。」、「海外からの新地金は、その多くが水力発電によって得られた電力で製錬されて います。」という記述によっている)つまり、アルミの精錬は電気分解によって行われ、アルミは別名電気の缶詰と言われているから、アルミ精錬が行われていない国は電気代が高いと言う意味なのだ。
7. 日本で地熱開発を大規模にやれば、確実に電気代は安くなる。今の電気代が高いのは、輸入資源である石油やLPGの代金がかさむこと、そして、原子力発電が実際には、かなりの金食い虫で、さまざまな形でコストがかかっているからだ。少なくとも、自前のエネルギー資源を持てることは大きな意味がある。
8. 更に、今後高齢化が進んだ日本社会で、全国に安い費用で入れる温泉が、地熱発電所に併設されてあれば、たとえ、収入があまりなくても、よい余生が送れるのではなかろうか?
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京都大学の原子力安全研究グループの一人である小出裕章氏が作成されたサイトの記事を引用します。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/kid/npower/aluminum.htm
アルミ精錬の悲劇
日本の原子力は三菱、日立、東芝という巨大企業が群がって支えてきた。1970年に敦賀(BWR)、美浜(PWR)両原子力発電所が運転開始して以降、ラフに言えば1年に2基ずつ原発が建設されてきた。うち1基は米国のWH社と提携した三菱が加圧水型炉(PWR)を作り、もう1基を米国のGE社と提携した日立、東芝が隔年交代で沸騰水型炉(BWR)を作ってきた。次第に肥大化してきた原子力産業は、現在全体で3兆円産業と呼ばれるまでになってきて、すでに設置してしまった生産ライン、配置してしまった人的資産などがあり、どうにも止まれなくなっている。
しかし、電気事業法に守られた電力会社の放漫経営は、日本の電気料金を世界一高いものにしてしまい、たとえば、世界一優秀な技術を持つと言われていた日本のアルミ精錬産業は、電力多消費産業の故にすべてつぶれてしまった(唯一、自家水力発電所を持つ日本軽金属の蒲原工場だけが生き残っている)。結局、産業界全体から見ても、原発をこのまま放置していては自らが生き残れなくなってきており、原子力産業も国内的には縮小せざるを得ない。その代償としてねらわれているのがアジアの国々である。
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