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産経新聞 12月31日(金)0時26分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101231-00000501-san-bus_all
職も住まいも失った人の年越しを支援するため都市部を中心に全国19カ所のハローワークで臨時に職探しの支援や生活相談が29、30日の両日開かれ、約6200人が相談に訪れた。東京都は昨年のような「公設派遣村」は開設していないが、住まいも所持金もない求職者約110人に対し、宿泊場所を用意し、食事券を支給した。
首都圏では東京の飯田橋、品川、新宿、木場、府中のほか、横浜、川崎、大宮、千葉の9カ所でそれぞれ午前10時から午後5時まで臨時開庁した。
東京都などによると、都内5カ所には2日間で、計約1200人が来庁した。都では住まいも所持金もない約110人を4日までカプセルホテルなどに案内。5日までの食事代として、1日当たり千円分の食事券を支給した。費用約770万円は国の緊急雇用創出基金でまかなう。
昨年の公設派遣村では就職活動費などとして現金2万円が支給されたが、酒やたばこを買う人が続出。現金を持ったまま宿泊施設に戻らなかった人も多く、支援のあり方に批判の声が上がった。
今年、食事券を支給した理由について都の幹部は、「年明けに労働相談をするまで住まいがない人に対する緊急の措置。ホームレス対策ではない」と説明。昨年の教訓から、換金できない食事券にしたという。
都に提供されたカプセルホテルに29日から宿泊している男性(37)は「あと500円しかないが、1月4日にバイトに行く交通費なので使えない。2日間、食事にもありつけなかった」と話す。10月に勤務先の居酒屋を解雇され、住まいもなく貯金も尽きた。
男性は「ハローワークが開いていて本当に助かった」とほっとした表情を見せた。
平成20年のリーマン・ショック以降、職も住まいも失った人を支援してきた「年越し派遣村」。国は今年、「派遣切り」が減っていることなどを理由に開設を見送り、29、30日に大都市部のハローワークを臨時開庁することで対応した。しかし、雇用情勢は依然厳しく、相談に訪れた失業者は口々に苦しい年の瀬を訴えた。
東京都文京区の「ハローワーク飯田橋」。午前10時のオープン前から失業者らの列ができた。ひっきりなしに訪れる人たちはパソコンで熱心に求職情報を探し、窓口では職員が住まいを失った人の相談にも応じた。
練馬区の男性(51)は小さな流通会社を10年間経営してきたが、ここ数年の不景気のあおりを受け会社を整理し、今年1月から職探しを始めた。1年弱で履歴書を送った会社は100社に上り、約30社の面接を受けたが、いまだに再就職先は見つからない。
「何でパパは家にいるの」。中1、小4、小1の3人の子供にこう聞かれるのがつらく、1日中外をぶらつき、3人が寝付くのを待って帰宅する日々が続く。
クリスマスには、子供へのプレゼントのゲームソフトを借金で用意。妻は介護ヘルパーの仕事をしており、年末年始も休めない。生活は苦しく家族だんらんは「夢のまた夢」だ。
29日、ハローワーク飯田橋を視察した細川律夫厚生労働相は「たくさんの人が来ているのを見て雇用状況の厳しさを反映していると感じたが、昨年に比べ困窮者の相談が少ない」と述べた。
しかし、男性は「(細川)大臣は事情が分かっていない。普段のハローワークはパソコン検索が1時間待ち、相談までに2時間待ちで1日がかり。大臣も窓口に座ってみれば実態が分かるはず」と憤る。
43歳の男性は失業保険の相談で訪れた。「月10万円では、家族4人は暮らしていけない」とうなだれる。
派遣で配管工などの仕事を続けてきたが「雇い止め」に遭い、すでに半年以上がたつ。現在は4年制大学への進学を志望する高3の娘を、短大の看護学科へ進学するよう説得中だ。
国はハローワークでの失業者対策の強化や派遣切りの減少を、派遣村の開設を見送った理由にしている。
実際、20年10月から3カ月間で約5万3千人に達した派遣切りは今年、1割以下の約5千人に減った。また、総務省の労働力調査では、11月の完全失業者数は前年より13万人少ない318万人。6カ月連続で減少している。
しかし、雇用が厳しい現状に変わりはない。一昨年の派遣村にかかわった労働組合などでつくる「ワンストップの会」も29、30日に東京・新宿駅前で相談会を実施。同会事務局の井上久さんは「路上に多くの人がいる以上、年末年始の住まい対策は行うべきだ」と話す。
ハローワーク飯田橋の相談受付が終了した午後5時。最後に相談を終えた飯塚一史さん(38)は伊豆大島に住み、船で8時間かけて職を探しにきた。
島内の高校を卒業後、20年にわたり北海道、長野などの地方ホテル勤務を続けてきた。しかし昨年12月、契約期間が更新されず失職、実家に戻る。「島内は全く求職がない」。1万円の往復交通費を捻出(ねんしゅつ)し2〜3カ月おきにハローワーク飯田橋に通うが、この日も職は見つからなかった。
「2年続けて、仕事のないまま年越しを迎えるとは思わなかった。不安でどうしようもない」。午後10時。飯塚さんは重い足取りで東京・竹芝桟橋から帰りの船に乗り込んだ。
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