http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/465.html
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過剰表現だとしても、女性自身が育児を懲罰と公言する時代になっているのは
少子化の進む日本らしい
逆に、こういうメディアの状況がスパイラル的に、人々の子育て回避意識を高めている可能性も高い
http://business.nikkeibp.co.jp/article/money/20101224/217710/?ST=print
日経ビジネス オンライントップ>投資・金融>もう、お金には振り回されない
子どもを産むと“懲罰”が待っている日本
* 2010年12月28日 火曜日
* 内藤 眞弓
学童保育 戦後日本型循環モデル 専業主婦
最近結婚をした若い友人の話。途上国支援にかかわる仕事を長年続けてきた彼女は、「このままずっと独身かも」と思っていたのですが、たまたま縁あってトントン拍子に話が進みました。
いよいよ結婚も間近という頃、お相手の男性が「結婚してからも仕事を続けたいのなら続けてもいいよ」と言われて目が点に――。彼女にとって仕事をしない自分というのは想像もできないことでしたから。そこで「あなたもね」と言い返すと、今度は彼の目が点に。おそらく彼は、自分は心が広く、物分かりの良い人間だとアピールするつもりだったのかもしれませんが、どうも男女性別役割分担意識が骨がらみのようです。
憲法14条では「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」と規定され、同27条では「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」とあります。婚姻により女性が男性の所有物になり、その女性が仕事をするかしないかを決定する権利が発生するなどという法律はどこにも存在しません。
教育にアクセスする権利もなく、自立の道を閉ざされた途上国の女性を支援する活動をしている彼女が、先進国日本で今なお残る風習・因習を身近に感じた一件でした。次の段階で彼女が風習・因習を体感するのは出産の時でしょうか。この壁は結婚よりも比較にならないほどの壁となって立ちはだかるかもしれません。
若い人たちに「頑張って子どもを産んで」と言うには躊躇が…
私は働きながら4人の子どもを育てました。大変な時期も確かにありましたが、振り返ればアッという間の出来事で、今ではすっかり大人になった彼らと大人の会話ができるようになりました。子育てや家事で時間の制約がある中で、また子どもの予定外の病気やケガなどのトラブルを何とかくぐり抜けながら、仕事を続けていく覚悟が定まってきたような気がします。
では、今の若い人たちに「今は大変でも将来よかったと思える日が来るから頑張って子どもを産んで」と言えるかといえば、正直言って躊躇します。私は「結果的にハッピーだった」とごくごく個人的な経験として言えるに過ぎず、人一倍努力したからでも、人一倍優秀だったわけでもなく、単に運がよかっただけです。
ちょっとした病気やケガはありながらも、私も子どももいたって健康(これはとても重要なこと!)で、たまたま仕事に恵まれ、保育園やベビーシッターさん、近所の人の手を借りながら、何とか綱渡りをしてこられました。どれか一つでも狂ったら、「ハッピーだった」などとはとても言えなかったに違いありません。最も私に味方をした「運」は「時代」だったのだと感じます。
子を持つ親にとっては受難の時代
私は、現代の日本社会では、子どもを産むとさまざまな懲罰が待っていると思っています。子どもの発達の程度、成績の良し悪し、態度や行いなど、あらゆることが親(特に母親)の責任と言われます。「親の顔が見たい」という言葉があるように、昔からそのような圧力はあったのでしょうが、「ニート」「ひきこもり」といった単純ではない複合的要因が絡んだ結果として出てくる現象についてさえ、「親が悪い」の一言で片づけられる場面を見るにつけ、つくづく子を持つ親は受難の時代だと感じます。
特に女性の場合、結婚時に仕事を続けるか辞めるかの選択を迫られ、出産時にはさらに強い選択を祖父母からも迫られ、仕事を続ける選択をしようものなら、子どもの預け先確保に奔走し、突然の子どもの病気などで同僚や上司の冷たい視線に耐え、ようやく帰宅したと思えば山のような家事が待ち受ける。夫からは「仕事を続けてもいいけれど、家族の迷惑にならない範囲でしろ」などと宣言される妻は珍しくありません。
もっとも、最初はそんな家父長制の権化のような夫も、妻の収入によって生活にゆとりが出てくると、態度が軟化してくるというケースも多く見られます。夫は仕事、妻は家事・育児という規範は、男性にとってもしんどいものかもしれません。
学童保育を作ろうにも壁、壁、壁の連続
私の友人は小学2年の子どもを学童保育に預けています。学童保育とは、共働き家庭などの小学生が放課後を過ごす施設のことです。ところが、待機児童がたくさんいるため、来年以降の利用は難しそうです。
彼女が住んでいる市では、2005年に学童保育の新設は原則民間で、という方針に転換したため、以降、公設の学童保育は作られていません。公設の場合、多くは学校施設の一部を利用でき、利用料は月額4000円だそうです。民設では民家を借りなくてはならず、学校からかなり離れてしまうこともあり、利用料も月額1万円以上になってしまいます。それでも預け先があればいいほうで、どこにも行き場がないというケースも多いようです。
彼女は保護者の仲間と一緒に「民間の学童保育立ち上げ委員会」を作り、活動をスタートしましたが、大きな壁、壁、壁の連続。まず、学童保育所の物件は保護者が用意をし、立ち上げまでの資金は保護者負担という事実にビックリ。しかも不動産の世界では学童保育は「迷惑施設」扱いで、なかなか貸してくれるオーナーが見つかりません。おまけに市からの家賃補助(最大月額15万円)に見合う物件はほとんどないのが現実です。日曜日や夕方以降、手分けをして空き物件を探し、直接オーナーに交渉をすることの繰り返しですが、成果はありません。
「そうまでして働かなくても」という声が聞こえてきそうです。憲法で保障されている権利だと主張するのはひとまず置いたとしても、一人の生計維持者が家計を支え、専業主婦が家事や子育て一切を担うというのは、多くの家庭では現実問題として無理です。「三つ子の魂百まで」とか「子どもは母親の手で育てるべき」という規範を押し通すなら、「子どもを産まない」という選択をせざるを得なくなります。そもそも保育園児は母親が子育てしていないとみなすのもおかしいと思いますし、昔の人が母親だけの手で育てられたと言えるのかも疑問です。
「戦後日本型循環モデル」の後始末を
東京大学大学院教育学研究科教授の本田由紀氏は「戦後日本型循環モデル」は破綻したとして、以下のように指摘しています。
戦後日本型循環モデルとは、政府は産業政策を行い、企業戦士として働く父親は長期安定雇用、年功賃金に守られて一家を支え、公的教育支出の少なさを家庭が補い、母親は子どもに教育意欲を注ぎこみ、子どもはやがて新規労働力として学卒一括採用されていくというものです。これは他の先進諸国に例を見ない独特のものです。
一見効率よく機能していたと思えるこのシステムも、内部に様々な問題を抱えこんでいました。社畜、過労死、校内暴力、管理教育、登校拒否といった言葉がマスコミに頻繁に登場するようになり、70年代から80年代にかけて『岸辺のアルバム』など、内部崩壊を表現するドラマや小説などが相次いで発表されました。
それらの問題は高度成長が終了するとともに顕在化し、新たな循環を見つけられないまま現在に至っています。非正社員や低賃金のまま昇給が期待できない周辺的正社員が増え、家族を持つことができないか、持ったとしても子どもに十分な教育をしてやりたくてもできないのが現実です。無理をして大学を卒業させても、低賃金で不安定な仕事に就かざるを得ない層が拡大しています。(2010年12月16日講演「日本社会の閉塞をどう切り拓くか」より)
戦後日本型循環システムを実現するために専業主婦の存在を抜きには語れません。国家としては第3号被保険者として税制や社会保障面での優遇というコストを掛けても、メリットのほうが上回る時代だったのでしょう。しかし、そろそろ本気で戦後日本型循環システムの後始末をしなくては、新たなる展開は望めません。
来年こそはと期待しつつ、一方で、国や自治体が変化するのを待つのではなく、一人ひとりは非力でも市民が草の根でつながり、現状を突破し変えていく力をつける必要性も痛感します。
著者プロフィール
内藤 眞弓(ないとう・まゆみ)
フィナンシャルプランナー。1956年香川県に生まれ、日本女子大学英文科卒。13年間、生命保険会社での営業を経験した後、独立系のフィナンシャルプランナー集団「生活設計塾クルー」(毎月マネーセミナーを開催)のメンバーに。家計運営に次々と新しい考え方を取り入れ、それぞれの生活スタイルに合った家計運営術をコンサルティングしている。著書に『医療保険は入ってはいけない!』、共著に『新版 生命保険はこうして選びなさい』『年金はこうしてもらいなさい』などがある。
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