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小室直樹の資本主義講座 T
http://www.youtube.com/watch?v=LEipRS6cjG4
追悼 小室直樹
98年の講演CD。日経BPの付録から。
全部で8章、73分。
第1章「不思議な日本の経済危機」。
動画は唯一ダートが残る国道458号線大蔵村側から十部一峠へ。
小室直樹
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9
小室は、その行動から奇人と評されることが多い[9]が、その思想・学説は全て原理、原則に基づくもので、小室自身も学生や一般読者に向けて「正当な学問」を学ぶことの重要性を説いている[10]。
小室は、典型的な軍国少年で、日本の敗戦の知らせを聞いたときの悔しさが学問を志す原体験となっており、高校在学中に湯川秀樹博士のノーベル賞受賞を聞くと、日本がアメリカ合衆国を打ち倒し、世界から尊敬を受けることができるようになる国になるための研究ができると思い、京大理学部を志望した[11]。ところが、小室が京大に入学したころは既に湯川が研究の第一線を退いていたため、小室は、失意の日々を送っていたが、ジョン・ヒックスの『価値と資本』の解説を書いていた市村真一の論文を読んで、まるで理論物理学のようなエレガントさに魅了されて、学問の枠を超えて、理論経済学に興味を持ち、当時高田保馬が森嶋通夫 、安井琢磨、二階堂副包ら日本のトップレベルの経済学者を大阪大学社会経済研究所に集め、阪大ゴールデン時代とまで呼ばれた大阪大学大学院経済学研究科に進学し、「正当な学問」を身につける[12]。
このような経緯から、経済学が小室の思想の出発点となったのである。小室は、レオン・ワルラスの一般均衡理論によって初めて経済学が単なる思想ではなく、科学として成立したとした上で、この「正当な学問」としての経済学を日本に正しく紹介したのは高田保馬であるとする。高田の「私が一生かかっても十分に理解できない学者が二人いる。ケインズとヴェーバーだ」との言を聞いた小室は、いつか両学者の研究をすることを決意する[13]。
小室は、市村真一の期待を一身に受け、経済学の本場アメリカに留学することになるが、研究を進めるに連れて、ヒックス、サミュエルソン、アローなどにより理論経済学の研究は完成されてしまったと考え、社会学と政治学の理論化を研究しようと決意する。そのためには、当時実証科学の条件を満たしていた心理学を学ぶことが社会学や政治学の理論化に有益であると考え、スキナーの下で行動主義心理学を学び、学問の分野を超えて最先端の「正当な学問」を身につけて帰国するが、経済学から転向することを告げると市村から破門された。
その後、小室は、様々な分野の学問の研究を続けていたが、高田保馬の『社会学概論』(岩波書店)の解説を書いた富永健一から社会学を学ぶようになったことがきっかけで、社会学の雑誌に立て続けに一連の論文を発表し、行動主義心理学を社会学に応用したパーソンズの構造機能分析を日本で他に先駆けて整理して論じた[14]。
後掲「社会動学の一般理論構築の試み」を発表すると、この論文が川島武宜の目に止まり、川島編集の後掲『法社会学講座』の編集協力・執筆に冨永と共に加わることとなった。『法社会学講座』は、当時著名な教授・助教授が執筆者として名を連ねているが、当時無名であった小室の経歴だけが「京大卒」とのみ書かれているほど異例の大抜てきであった。その論文の内容は、理論経済学を社会学に応用しようとする、ホマンズの社会行動論を踏まえながら、ワルラスの一般均衡理論を構造機能分析を利用して法社会学に応用し、自身が提唱した「規範動学モデル」によって、日本とは全く社会的な条件が異なる西欧社会の法体系を日本に導入した場合、全く同じ条文でも、母法の国と継受国では全く異なる機能を果たすことがある現象の分析が可能になるとするものである[15]。これにより小室の学説の一般理論は一通り完成するが、その特徴は、スキナー、ホマンズ、パーソンズらから学んだ「正当な学問」を分野を超えて統合した点にあるといえ、以後その一般理論によって現実の社会現象を分析し、これを予測するという応用の研究を始める。『ソビエト帝国の崩壊』は、正にその構造機能分析を応用し、予言を的中させたものであるとされる[16]。
小室は、人類学の研究を進めていくにつれ、その研究対象が様々な未開社会の親族構造の研究にとどまっていることに不満を持ち、近代資本主義の解明のためには、ヴェーバーを学ぶ必要があると考えるようになり、大塚久雄から直接指導を受ける。そして、西欧において近代資本主義が発達したのは、宗教革命によって西欧社会のエートスが変化し、プロテスタントが禁欲的労働というエートスを得たからであり、このことから社会における「構造」が絶対不変のものではなく、変化し得るとのアイデアを得る。そして、このアイデアを構造機能分析に応用して、日本において資本主義が定着していったのは、西欧と日本は同じ禁欲的労働というエートスをもっているからであり、その日本における象徴が二宮尊徳であるとする。
その後、小室は、西欧における近代資本主義と日本の資本主義の違いについて研究するため、山本七平の知遇を得て、日本独自の宗教ともいうべき「日本教」、天皇制の研究を始め、これが西欧の古典だけでなく、中国や韓国の古典、儒教、官僚制の研究に繋がっていく。
小室は、自身の応用研究を更に深め、近代資本主義が成立するためには絶対性と抽象性を特徴とする近代的所有権が制度として確立されていることが必要であるとの川島武宜の学説を承継した上で、これを経済学の研究と結びつけてセイの法則が機能を停止し、自由放任が資源の最適分配を行い得なくなった現代社会では近代的所有権の概念は修正されざるを得ないとして発展させた。
小室は、大塚久雄から「川島先生には正当な後継者がいない。川島先生の理論を完成させることができるのは小室さんだけだ。完成させてよ」との遺言を預かるが[17]、遂げられなかった
小室直樹の資本主義講座 U
http://www.youtube.com/watch?v=Fj-MxBM2Tvo&feature=mfu_in_order&list=UL
第2章 「ロシア経済はなぜ破綻したか」
動画は第1章の続き、R458十部一峠あたり。
小室センセ、もっと著作出して欲しかったなあ。
小室直樹の資本主義講座 V
http://www.youtube.com/watch?v=dl9vimCpjwI&feature=mfu_in_order&list=UL
第3章 日本の「社会主義経済」も破綻。
全部で8章の3番目。
動画は秋田県道2号、除雪きっちり冬の十和田大舘樹海ライン。パジェロミニ車載動画
小室直樹の資本主義講座 W
http://www.youtube.com/watch?v=1YKp5DwhYXk&feature=mfu_in_order&list=UL
第4章 資本主義経済を導入できなかったロシア
動画は首都高、大島JCTから山手トンネルのロードスター車載カメラ。
一般人や門外漢にもわかるように説明できる人は本当に頭がいいんだろうね。
さらに小室センセの場合、比喩や語彙が面白く記憶に残る文章だった
小室直樹の資本主義講座 X
http://www.youtube.com/watch?v=rrR7eqrtdV4&feature=mfu_in_order&list=UL
第5章 「資本主義」が成立するための条件
動画は、九州のやまなみハイウェイのバックオンボードカメラ。ロードスター車載動画。
岡潔か小室直樹か、日本が誇る知の2大巨人(私的印象です)。
小室直樹の資本主義講座 Y
http://www.youtube.com/watch?v=kZj-wQNzYgY&feature=mfu_in_order&list=UL
第6章 ソ連の社会主義が滅びた理由。
動画は、三重県道22号線の旧道、能見坂トンネル。ロードスター車載カメラ(×1.5)。
小室直樹の資本主義講座 Z
http://www.youtube.com/watch?v=PhUe2HFUQv0&feature=mfu_in_order&list=UL
小室直樹の資本主義講座 [
http://www.youtube.com/watch?v=AKhnvjV6ZIQ&feature=mfu_in_order&list=UL
ラスト第8章 「家産官僚」と「前期的資本」が日本経済を危機に
動画は、R273(糠平国道)三国峠前後のロードスター車載動画。
この先、さらに悪くなるであろう日本の姿を見ずに亡くなられたセンセはまだ幸せだったかも。
ありがとうございました。
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