http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/401.html
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今年の内定率は就職氷河期以上の厳しさになっている
それにもかかわらず若年層の新卒就職以外に、安定した正社員雇用の道は
ほとんどなく、非正規雇用との格差は、大きすぎる。
つまり既存産業向け正社員人材製造システムは、もう機能しなくなっている。
オランダなどでは、大学教育への需要は、大分前から低下しており、
英国でも学費大幅値上げと研究費カットで暴動があったが、大学の淘汰が進展することになるだろう
一方、米国では日本同様、子供の創造性の低下が問題になっている。
(こちらも中流層の没落の影響が大きいのではないか)
日本の教育システムも、もっと自由度を高めていく必要があるし
企業と学生も、もっと意識を変えていかねばならない
そのためには、雇用の柔軟化と、雇用保障の強化が必要になり
政治が例によってボトルネックになってくる
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http://jp.wsj.com/Life-Style/node_161789
ウィリアム・アンド・メアリー大学(バージニア州ウィリアムズバーグ)のキュン・ヒー・キム教育心理学准教授は、米国で一般的に使われる創造的思考テストの点数が、1990年から2008年まで一貫して低下しており、その傾向が幼稚園から6年生までのグループに顕著に表れていると指摘する。これは、トーランス・テスト・オブ・クリエイティブ・シンキングと呼ばれる標準的な創造的思考テストから得られた、1966−2008年の30万人の米国人のスコアに基づいている。(キム氏の研究成果を学術誌に発表するかどうかは現在、専門家が審査中。)
トーランス・テストは、米国のみならず海外でも数十年間、英才教育対象の生徒を判断するために学校で使われてきた。カリフォルニア州立大学の心理学准教授で創造性について著作のあるジェームズ・C・カウフマン氏によると、このテストは、拡散的思考――多くの普通ではない、新しい妥当なアイディアを生み出せる能力――を測るうえで、信頼できる手法とみなされている。しかし、生まれたアイデアを使って有益な新製品を生み出すといった、拡散的思考とは異なる分野の創造性を測定するためには、トーランス・テストでは不十分だとカウフマン氏は指摘する。
研究者によると、子どもは成長過程でパソコンやテレビを使い、学校で暗記学習や標準化されたテストを強いられるにつれ、型にはまらない創造性を育む活動から遠ざけられる。ジョージア大学で創造力の研究・英才教育を専門とするマーク・ルンコ教授は、生徒は創造力の可能性を十分秘めているものの、それを伸ばす教育について、米国の小・中・高等学校に与えられる評価は「せいぜいD」と手厳しい。ルンコ氏は、「特に大学より前の時期に、創造性を発見、支援することについて、われわれは極めて下手だ」と述べた。
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「GCSEの彼方」
□ 春 具 :ハーグ在住・化学兵器禁止機関(OPCW)勤務
( http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/9280811231/jmm05-22 )
■ 『オランダ・ハーグより』
先週、娘のいっているハーグのブリティッシュスクールで、高等学校の終了証書の
授与式がおこなわれました。 終了証書は「GCSE General Certificate of
Secondary Education 」といい、このお免状をいただくことで、正式に高等学校が終
わるのであります。
娘は16歳であるが、16歳で高校終了などというと、日本と比べると2年も早い。
それはべつに我が家の娘が天才だからというのではなく、イギリスの高等学校は16
歳で終わってしまうのです。授業と最後の試験は昨年の夏にとっくに終わっていたの
ですが、イギリス本国の文部行政のとてつもないのろさのおかげで、最終試験から一
年以上経ったこの冬にやっとお免状が届いた、とこういうわけなのであります。
高等学校のカリキュラムを終えた彼らには、これからの人生のオプションが待って
いる。すぐ世間に出て仕事についてもよし、あるいは専門学校へ進んでもっと技術を
身につけるのもよし、そうでなければ(ハーグのブリティッシュスクールの生徒がほ
とんどそうなのですが)さらなる高等教育を目指して、いわゆる「Aレベル」という
ユニヴァーシティ受験の準備をはじめてもよいのであります。
大学向けの準備は、素早くやるならば一年で終る。一年で「Aレベル」を終え、行
きたい学校を決めてしまうことが出来るのです。そうすると大学入学までにまるまる
一年自由な時間をもつことができますね。さっさと大学を決めた若者たちはその「空
白の一年」を使って旅行をしたり、どこかの組織でインターンをしたり、あるいは会
社にいれてもらって仕事をし、学費を貯めるとか、一年間をいろいろに使います。こ
れをギャップイヤーとよぶ。
オランダの教育制度もこれに似ています。オランダの義務教育は5歳からの11年
間で、16歳で終わる。16歳は一区切りでありまして、この国の若者たちはここか
らそれぞれの人生の道を選んで進む。オランダではこの年齢に至るまでにいろいろな
試験があって、それらの成績により、義務教育を終えるころには本人の適性がほぼ客
観的に理解されているのであります。ですから彼らは小中学校を終えた段階で、修理
工とか料理士とかの技術を身につけるコース(Voorbereidend Wetenschappelijk
Onderwijk VMBOという。専門学校ですね)に行くか、あるいは高校一般教育コース
(Hoger Algenmeen Voortgezet HAVOという高等職業学校)にすすむか分けられる。
HAVOの生徒たちはHoger Beroeps Onderwijk HBOという4年制の高等職業学校にすす
んで、学士BAあるいはビジネス修士MBAを取得する。そしてごく平均的な勤め人にな
るのであります。
さらにもっと限られた(選ばれた)生徒たちはVWOというユニヴァーシティ進学コ
ースへすすむ。オランダに大学は13しかなく、大学の卒業生はドクターの称号をも
ち、法律家になったり政治家になったり役人になったりする。医者もこの過程で資格
を取れるのでありまして、すなわち、このコースへ進む若者たちは自他共に許すエリ
ートということになる。彼らは男女とも生涯、ドクターの称号で呼ばれるのでありま
す。
というわけで、娘のクラスも全員高等学校を終え、ではこれからユニヴァーシティ
への準備でもはじめるか、というのが彼らのこの冬なのであります。
ブリティッシュスクールですから論理的に言うならば、彼らはイギリスの大学にす
すむことを目指しますね。彼らはイギリスの大学を目指すために、オランダにおいて
アメリカンスクールでなくブリティッシュスクールを選択した・・・、はずでありま
しょう。だが昨今、イギリスの大学はおおきな問題を抱えており、話はそう簡単では
なくなってきております。
イギリスの大学はここ数年、教授の質が下がっているとか学生の質も同じように下
がっているとか、寮ではドラッグが蔓延しているとか、キャンパスでも暴力犯罪が増
加しているとか、イギリス社会の諸問題がいみじくも鏡に写すがごとく、大学に反映
していると言われたりするのですが、その大学が抱えると言う問題の底辺に、おどろ
おどろしく低く重苦しく鳴ってきていた音は、財政難というベースノートであった。
象牙の塔たるアカデミアにお金がなくなってしまったのにはいろいろな理由があり、
理由の理由もあるらしいのですが、とうとう政府は大学の学費を値上げすることをき
め、その法案が先週、議会にかけられたのであります。
そして、その値上げ案の採決をめぐって、ロンドン(だけでない、イギリス中の大
都市)で、値上げに反対する学生たちが大きなデモをひらいて騒いだ。議会が値上げ
法案を審議するというその日には、学生のデモがほとんど暴動と化して、市内が大混
乱したのでした。たまたま演劇を鑑賞に出たチャールス王子とカミーラ夫人の自動車
が、暴動化したデモ隊が暴れている通りを通過してしまい、窓ガラスにヒビを入れら
れるなどの嵐となった。これは、デモが荒れると予想されているのに王室の僥倖にな
ぜこのルートを選んだのかとセキュリティの迂闊さが笑われ、ニュースでおおきく報
道されましたね。
値上げ法案は夜のうちに可決され、朝になったら暴動は物理的には収まってはおり
ましたが、キャメロン政府がおこなおうとしている高等教育改革は、本質的には制度
の改革ではなく、財政危機による財政のつじつまを合わせるための改造ということの
ようであります。ですから、この改革によってイギリスの教育が世界に比して競争力
をつけるということではない。
改革にはふたつの柱がある。ひとつは学費の値上げ、もうひとつは研究助成金のカ
ットであります。
学費の値上げは、これまでの4千ポンドから8千ポンド、ところによっては1万2
千ポンドほどまでの上昇だと言う。
わたくしは知らなかったのですが、イギリスの大学は、1980年代まで国営で、学
費は只だったそうなのですね。「今回学費の値上げに賛成している(とくに労働党系
の)政治家たちはみんなそのころに貧しい学生で、ロハで学生生活を送ったクチだろ
う。そんな連中がなにをいまになって大学の民営化と称してぼくたちの学費をあげる
のだ?」、そんな声が学生のあいだからあがっておりました。彼らはさらに言う:
「大学に行けば将来有利だぞと言うからぼくたちは高校を終えてきた。だが月謝がこ
こまで高くなるなら投資としても不効率じゃないかな。わかっていたらさっさと社会
に出ていたよ」
一挙に三倍の値上げといえばずいぶん過激ではあるが、世界的にみれば、こういっ
ちゃあ申し訳ないかもしれませんが、1万2千ポンドは大学の学費としてはたいした
額ではない。アメリカの大学なんて田舎の大学でさえこの倍くらいはするでしょう。
アイヴィーリーグだったら4万ドルくらいですから、このほぼ4倍であります。
学費の値上げが生徒の減少につながるならば、そのことで不必要な大学が淘汰され、
もともとなくてもよかったような大学が消えていくということはありましょう。それ
とともにわけのわからない教授や講師も淘汰されるというメリットもありますな。そ
してオランダのように、若者が身の丈にあった職業と技術をはやくから身につけると
いう、かつての徒弟制度(ギルド。Zunft と言いましたかね、ドイツ語では)と教育
制度とがうまく連携されていくかもしれません。(おっと、間違えられないようつけ
加えるならば、今の就業制度はもちろん中世の頃のオランダやドイツとは違い、一度
就いた職業だからといって手につけた技術を一生続けなければならないようなシステ
ムではない。あたらしいことにチャレンジしようと思えば、学校にまた戻って教育を
受け直す道もひらけているのであります)。
もっとも、3倍の値上げを一気に実施するというと、そのインパクトが大きすぎま
すから、学費をローンで貸与するというバッファーも考えられております。おります
が、ではそのローンは無利子なのか、利子がつくとすればどれくらいか、返済は何年
くらいなのか、返済にはどういう条件をつけるのか・・・、そのあたりはまるで闇の
中であります。それも学生たちがデモをした理由の一つであった。
ですが、イギリス政府のこの改革でいちばん恐ろしいとわたくしなどが思うのは、
学費の値上げよりも研究に関する助成金のカットである。
このたびの改革は財政的なつじつまを合わせるのが目的ですから、やろうとするこ
とは即物的である。役に立たない(と政治家たちが短絡的に思う)学科や教科や学問
は犠牲になっていただく。文学とか哲学とか語学(ギリシャ語、ラテン語などの古典
語をふくむ)とか歴史とか文化人類学など、すぐに今日明日の役に立たない学問は避
(よ)けてしまおうというのであります。社会学とか美術,音楽、演劇なども、贅沢
な学問であるからいまはいらない。政府のお金は使わせない。そういうことになるよ
うなのであります。
カットの対象にならないのは、IT関連の科目(物理、工学)、医療、ビジネス(商
学)など、それといくつかの戦略的に必須と思われる外国語などという。「戦略的に
必須・・・」とはどういうことを言っているのか、そのへんの定義はあいまいで、わ
たくしは聞いてもまるでわからないのですが、きっとEU諸国の言語のほかに中国語と
かヒンズー語などをいうのでしょう。日本語が入っているかどうかは知りません。
(わたくしがこれらの議論を聞いて不思議に思ったのは、これだけ大学に犠牲を強い
ながら、大学や教授蓮からの意見が聞かれなかったことであります。もっとも、わた
くしはしばらくオランダを留守にしておりましたからその間に喧々諤々の有効な議論
があったのかもしれない。聞き落としていたら、乞許。)
効率化だけを眼中においたようなこの仕分けぶりは、なにやら「歌うクジラ」にい
われる「文化経済効率運動」と、即戦力だけを念頭に置いた「最適生態化」という社
会の不気味さを彷彿とさせますね。いうまでもなく、即物的な効率だけに重点を置い
たこのような分類は不幸であります。そしてこういう仕分けについて、かつて世界を
凌駕した大英帝国の政治家たちが、21世紀のいまに寄ってたかって論議したという
ところに、わたくしなんぞは驚いてしまうのですね。
反面、この改革には、なぜ人文をやらないのか、歴史はどうなのか、心理学はどう
なのか、人文社会学を研究のプライオリティからはずすとはどういう理由なのかとい
う、それらについての説明がまるでなされておりません。そのこともデモの学生を苛
立たせていることで、そこのところはわたくしも聞きたいと思うのであります。
即戦的な科目の集中的な勉強は、たしかにすぐに使えるビジネス戦士をつくるには
いいかもしれません(ほんとはそれだってダメだとわたくしは思うのですが、長くな
るので今は述べない。第一そんなことを大学でするべきかともいますが、それも述べ
ない)。だが、その兵隊たちもいずれは管理職になるでしょう。そのときに、哲学や
異文化への理解や素養がないというのは、人間として寂しいだけでなく、じつは組織
をマネージしていく上にも危険だとわたくしは思っているのであります。管理職にお
いて哲学的思考、弁証法的思考、異文化への理解、外国語(文学を含む)の知識と素
養がいかに大切かについて、わたくしは以前このコラムで書いたことがあり(第51
回「巻き寿司、あるいは哲学の不在」)、その考えは今でも変わらない。無教養な
(とわたくしははっきり言おう)管理職に使われる部下は不幸だし、組織というもの
もそういう無教養なマネージメントのもとではどんどんやせ細っていくのであります。
外交や社会科学を勉強しようとする学生さんたちに、外国語だけではなく国語(こ
の場合は英語ですね)、地理、世界史、すなわち人文のもろもろを教えておかないで、
ま、よその国のことですからわたくしの知ったことではないが、イギリスはどこへ行
こうというのだろう。
というわけで、高校課程は終わったものの、ブリティッシュスクールの若者たちは
イギリスのにおける高等教育の現実とはなにか、大学のキャンパスはこれからの数年
を過ごす価値のある場所であるか、そういう問題を抱え込むことになってしまった。
ですが聞くと、彼らはすでに合理的な回答をみつけているようであります。少なく
ともこれから数年は冬の時代に入るであろうイギリスの大学なんぞに行かなければい
いのであります。幾人かはアメリカの学校へ行こうかなあと話しており、ほかの同級
生たちはオランダの大学を目指すつもりだと言う(これは着想である。オランダのブ
リティッシュスクールを終えてオランダの大学へ進む・・・)。アメリカもヨーロッ
パも教育制度はイギリスとは違う。ですから、またあらたに、アメリカの場合にはSA
Tという共通テスト、ヨーロッパならばインターナショナル・バカロレアなどという
試験をとおらねばならないが、ま、いずれにしたって人生はチャレンジの連続だから
ね、やってみましょうかね、と彼らは言うのであります。
繰り返しますが、若い人たちは哲学とか文学とか歴史とかの、時間にとらわれず時
代に流されない、悠々とした科目を学んでおくとよろしいかとわたくしは思う。騙さ
れたと思って哲学をやっておいてごらん、組織の役員になったり管理職になって部下
がついたときなんかに、「ひとをわかる、知る」という学問がどれほど役に立つこと
か・・・。
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春(はる)具(えれ)
1948年東京生まれ。国際基督教大学院、ニューヨーク大学ロースクール出身。行政学
修士、法学修士。78年より国際連合事務局(ニューヨーク、ジュネーブ)勤務。2000
年1月より化学兵器禁止機関(OPCW)にて訓練人材開発部長。現在オランダのハ
ーグに在住。共訳書に『大統領のゴルフ』(NHK出版)、編書に『Chemical Weapons
Convention: implementation, challenges and opportunities』(国際連合大学)が
ある。
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