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「アメリカ経済史に見る通貨発行の意義(No.22)
日本人は、経済を拡大するためには市場に出回る通貨の量を増やさなければならないのだということを忘れている。デフレの時、それができるのは国だけだ。その重要さを理解するためにアメリカにおける通貨発行の歴史を学ぶのは意義がある。
アメリカにおいて、紙幣が使われるようになる前は、動物の毛皮、貝塚、タバコ、米、小麦、トウモロコシなどを代替貨幣に使用していた。今でもドルの事をバックとよぶことあがあるが、これは先住民と開拓者の人々の間での物品交換の決済手段の単位として鹿の皮が使われていたため、雄鹿「BUCK」の皮が利用されたことからきている。
アメリカ独立の前は、「植民券」を独自で発行し流通させ発展しつつあった。しかし、イギリスは植民地アメリカへの課税と支配を強化し、1764年には英国議会が「通貨法」を決議し、アメリカ植民地の各州が独自の紙幣を発行することを禁止した。本来植民地から富を奪取することは難しい。ある意味で「採算」が合わず、いずれ植民地を放棄せざるを得なくなることがほとんどである。しかし、通貨発行権を奪うということは、極めて効率のよい富の奪取の方法となり、イギリスが狙ったのはこれだった。奪われてなるものかとアメリカも闘った。これが1775〜1783年のアメリカ独立戦争だ。資金を持たないアメリカは政府紙幣を発行し戦費を捻出したが、それが乱発され政府紙幣の価値が暴落した。
1776年アメリカは独立宣言を行い、翌年アメリカ合衆国憲法が採択され初代の大統領にワシントンが就任した。宗鴻兵著『ロスチャイルド、通貨強奪の歴史とそのシナリオ』によれば、当時の財務大臣のハミルトンは、ロスチャイルド家と浅からぬ因縁を持つ人物で、ロスチャイルド家からの援助を受けていたという。彼が第一アメリカ合衆国銀行を設立した。政府の貨幣財産と税収を中央銀行に預け、中央銀行は経済の発展の需要に応じて国家の通貨を発行し、アメリカ政府に融資を行い、同時に金利を徴収した。資本総額1000万ドル、5分の1は連邦政府の出資、他は一般からの公募そのうち700万ドルをイングランド銀行やロス・チャイルドが名を連ねた。
要するに現在の日銀とは大違いだ。日銀も資本金1億円の銀行でその半分を国が、残りの半分を民間が持っているが、株主には何の権限もなく、配当金も驚くほど少ない。資本金が十分だということで円の信認が得られているわけではない。それと違い、第一アメリカ合衆国銀行では、発行する通貨の信認を得るためには、十分な資本が必要だったわけで、そんなお金を出せるのは、世界一の金保有高を誇ったイギリスであったし、ロスチャイルドであったというわけだ。しかも銀行経営は完全に株主に牛耳られていた。結果として投機目的の外国資本の導入を促進することとなり、産業発展のためにはお金が流れなかった。やがて貸し付け需要が増大し外国銀行(主にイギリス)から資金を借りることとなった。
1801年ジェファーソンが大統領に就任したが、第一アメリカ合衆国銀行が特定の商業資本の利害に動かされていたことに反発していた。例えば通貨発行権を持つ日銀が露骨にアメリカ資本に有利になるように営業をしていたら、日本人は激怒するに違いない。同様にアメリカ人に嫌われていた第一アメリカ合衆国銀行は1811年に閉鎖された。
すると利権を失いたくないイギリスがアメリカへの干渉を強めたため1812年英米戦争が勃発した。やはり資金不足のアメリカは政府紙幣を発行したが、結局1815年アメリカ政府は降伏した。結局2つ目の中央銀行である第二アメリカ合衆国銀行が1916年に誕生することとなり、その資本の20%を政府が、残りの80%を個人が占めた。ここでも再びロスチャイルド家がしっかりと銀行の実験を握ることとなり、やはり銀行は株主の利益のための運営を行っていたので、再び国民の不満は高まった。
1832年にジャクソンが大統領に就任すると第二アメリカ合衆国銀行を閉鎖することを決めた。しかし、第二アメリカ合衆国銀行のビルド総裁はロスチャイルド家の後ろ盾があり、抵抗した。銀行更新のための法案は議会で可決した。大統領が拒否権を使うかもしれないとの憶測にビルド総裁は「ジャクソン大統領が法案を否決したら、今度は私がジャクソンを否決する」と言ったが、結局大統領は拒否権を使い、1836年第二アメリカ合衆国銀行は閉鎖された。
しかし、その報復として国際銀行家による締め付けがあり、1837年にアメリカ経済は恐慌に見舞われる。1836年のジャクソンにより政府の土地の売却の場合支払いは金貨・銀貨で行えという正貨通告が出されており、それも恐慌の原因になったと言われている。銀行券の流通は1837年の1億4900万ドルから1843年の5800万ドルに激減した。
通貨の供給は常に不安定で、多数の地方銀行が異なった通貨を発行し、また外国の通貨も出回っており、その交換比率もバラバラで経済は安定していなかった。そのため銀行の一部業務が一斉に停止するなどの恐慌がしばしば発生している。例えば1819年、1837年〜1839年、1857年、1873年、1883年、1893年などである。これはアメリカ全土で信認を受けた統一通貨が存在しなかったことが一因である。しかし、量が不足していたものの金貨・銀貨は最も信認を受けるのが容易だった。金属自体が価値を持っていたからである。
1848年サンフランシスコで巨大な金鉱が発見された。良質な貨幣が大量に発行され、市場が活況を取り戻し、銀行が大規模な貸し付けを開始。鉄道建設が急速に進んだ。
1861年〜1865年の南北戦争では、リンカーン大統領がグリーンバックと呼ばれる政府紙幣を発行した。これに怒った国際銀行家がリンカーンを暗殺したという説がある。また南北戦争前後百年の間に、国際金融カルテルとアメリカ政府の間で通貨発行権をめぐる争いが生じ、その間に7人もの大統領が暗殺されたと前述の宗鴻兵氏の本に書いてある。1963年6月7日にケネディ大統領の大統領令11110 (Executive Order 11110) によって政府紙幣が復活するが、それを止めようとして、その約半年後の11月22日にケネディ大統領は暗殺されたという説もある。
どこまでが真実かは、調べることは不可能であるが、通貨発行は、大変な富をもたらすということだけは間違いない。イギリスにとっては、通貨発行権を奪い取ることは利益確保の最後の砦だったのかもしれない。日本経済は20年もの間、停滞を続けている。その理由は通貨発行権が正当な理由もなく封印されていることに尽きる。通貨発行権を行使すれば国の借金908兆円も全く問題にならないことは明らかだ。現代は巨大な金鉱を発見しなくても、政府の預金口座である国庫の残高の数字を書き替えるだけで、デフレ脱却は可能となり国の経済は一気に活性化する。
1764年には英国議会が「通貨法」を決議しアメリカから通貨発行権を奪い取ったが、アメリカは戦争でそれを奪還した。通貨発行権は戦争に訴えてでも確保しなければならぬ大切な権利だ。今の日本では、馬鹿な一部のエコノミストやマスコミ達によって通貨発行権が奪い取られた形となっており、国の急速な没落に繋がっている。
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-cf59.html
我々の次の世代のためにも、これ以上の日本の没落を止めるために「通貨発行権を行使せよ」と、我々は立ち上がらなければならない。」
http://ajer.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/no22-c6e3.html
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