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>金融緩和による現代版「為替切り下げ競争」は、結局のところ、バブル循環という慢性病を生むしかありません。
と金子教授は言われています。ただ、どの国で何を対象にバブルがいつごろ起こるか、それには触れていませんでした。
新エネルギーバブルがアメリカでは結局生れずに弾けてしまった様子です。やはり、次にあるのは戦争バブルなのでしょうか??
http://blog.livedoor.jp/kaneko_masaru/archives/1341059.htmlよりコピー:
2010年09月15日 01:46
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お金でお金を買うって何?:歴史の中で円高を考えるある「権威」を仲間内で互いに祭り上げて作り上げ、ネットを、それを信じ込ませる道具にしてしまったら、批判精神が表メディアから消えつつある、この国は「救い」のない国になってしまいます。
おまけに、経済学のテキストまんまの解説なのに、「何でも分かった」という謙虚さを失った説明は、ソーシャルメディアにふさわしい言説なのかしら?実は経済学にも、深く考えると、分かったようで分からないことがいっぱいあるんです。
たとえば、経済現象の一番ど真ん中にある<貨幣>、つまり<お金>って何なのか?という問題もそうです。考えてみれば、医学でも血液について分からないことがたくさんあるのと同じです。
昔から貨幣の機能については、交換したり価値を測ったりする手段として一般的に説明されています。
が、そもそもみんな1万円札がただの紙であることは知っているのに、誰もが1万円として受け取り,使うのも不思議と言えば不思議です。近代資本主義のど真ん中にある<貨幣>そのもののバックに「権威」(典型的なのは国家)に対する信用があり、また互いにそれを信用していればこそ成り立つ「共同幻想」なのです。
実際に、信用が壊れてしまうと,簡単にその「虚構」は捨てられてしまいます。最近で言えば、1998年頃に、ロシア人は自国の通貨であるルーブルをドルに換えようと、銀行に殺到しました。その国の政府が債務不履行に陥りそうになれば、通貨そのものが流通しなくなることだって起こりえます。もっとも日本でも明銭が通用した時代もあるので、これが特殊な現象だとは言い切れないかもしれません。
ここが不思議なところで、たとえば、歴史的にも存在したことですが、ハイエクは銀行券の発券の自由を唱えています。中央銀行による通貨発行の独占、あるいは貨幣のバックに国家信用なんて必要ないという考え方も、議論としてはありうるのです。望ましい通貨制度など設計しえない、だったら市場に任せた方がマシだというわけです。
ここまでいくと、実は、そもそも中央銀行がなぜ存在して、どういう役割を負うべきなのかという点も、分かったようで分からないことの一つのです。私自身は、『セーフティネットの政治経済学』や『反グローバリズム』の中で、金融恐慌の発生とセーフティネットから歴史理論的には「説明」を与えていますが、自分でも満足できるものではありません(国庫と中央銀行の関係はもう少し現実的で複雑です)。
変動相場制という為替市場で交換レートを決める仕組みは,結局、お金をお金で買って儲けることのできる世界です。ところが、上記のような状況ですから、異なる国同士が異なる通貨をどのような比率で交換するのが妥当かという問題は複雑で、答は容易には得られません。もちろん、購買力平価や実効為替レートによる説明など、いろいろとあります。しかし、その基準から見ると、かなりの期間、そこから乖離するは当たり前のことです。
結局、通貨や金融を市場に委ねた方がいいと言っていた者たちも、このように急激な円高があると、為替市場に介入しない政府・日銀を「無策だ」と批判し始めるのです。自分を棚上げにして、誰かのせいにすることでごまかす――よく起こることです。金融自由化によるグローバリゼーションを煽り、「構造改革」とイラク戦争を推進する論調を展開してきた経済ジャーナリズムも例外ではありませんね。
さて、本題に話を戻しましょう。今回は、資本主義に最適な通貨制度などないのかもしれないという前提に立って、今日の急激な円高状況を考えてみたいと思います。
2007年半ばには1ドル=120円を超えていた為替レートは、2010年9月初め時点で1ドル=83〜84円まで下落し,民主党代表選で菅直人氏が勝つと、82円台に入りました。直近で見ても、4〜6月の実質GDP成長率が0.4%まで落ち,景気後退傾向にあります。どう見ても、この急激な円高は日本経済の実力とは乖離しています。
この円高は、過去の円高局面とは性格が異なる点があります。実は、この急激な円高は、100年に1度と言われる世界的経済危機の現象の1つなのです。経済学者やエコノミストたちが言うことを「場当たり的」だと感じるのは、こうした歴史的視点や根本的な問いが欠けているせいです。
過去と比較した今日の円高の特徴を考えてみたいと思います。
まず1995年に1ドル=79円まで進んだ円高と比べてみましょう。
当時との違いは何でしょうか。
95年当時は、クリントン政権が、貿易赤字解消のために製造業の輸出を促進するドル安政策を進めました。日本の対米貿易黒字が大きく、日米の貿易摩擦がひどい時代でした。その後、ルービンが財務大臣になって金融中心の成長戦略に変えて、まもなくドル高円安に戻りました。今回の円高も、オバマ政権は「輸出による雇用創出」を掲げているので似ている面があります。
しかし現在は、必ずしも円をターゲットにしたドル安政策をとっているわけではありません。いまや米国にとって最大の貿易赤字国は中国ですので、むしろターゲットとなっているのは中国です。米国は中国からの輸入を抑えるとともに、中国市場への輸出を有利にしようと動いている面があります。
その一方で、米国もEU諸国もともに不況なので、金融緩和であふれるマネーを背景に、ドルとユーロが売られるのを放置して為替下落を容認しています。
こうした中で、中国は完全なドルペッグを止め、一定の幅で為替レートを変動させるようになりましたが、中国もその欧米通貨の動きに合わせて為替レートを徐々に落としていますので、結果的に日本の円だけが上昇して、中国市場あるいはアジア市場でも不利になっているのです。円高は、不況の米国やEUへの輸出が減ることより、問題なのは、成長著しい中国市場やアジア市場から日本が閉め出されるという点です。事態を放置していると、中国やアジアへの進出=国内空洞化が加速してしまう危険性があります。
つぎに、2000年代に入って小泉政権期の円安傾向と,状況の違いを比べてみましょう。
たしかに、小泉政権時代にはまず円売りドル買い介入によって円安を誘導した後、日銀はゼロ金利政策をとりつつ国債購入による金融緩和政策を続けた結果、それが一定効果を上げ、円安を誘導して輸出の増加によって、かろうじて景気をもたせました。
しかし、今日と当時は大きく条件が異なっています。日本国内では小泉「構造改革」が創り出した格差と貧困が内需不足をもたらしたために、国内の投資や需要が減少する一方で、欧米諸国では住宅バブルになっていったので、国内でだぶついたマネーは海外へ流出していきました。いわゆる円キャリートレードです。つまり、投資家は金利の安い日本市場で資金を調達して、それがバブルで熱狂する地域へ投機資金になって流出していきました。それは円を売ってドルやユーロなどを買う動きを生むので、円安が誘導されます。と同時に、バブル経済となった欧米諸国や中国などに輸出を伸ばす、という脆いけれども輸出主導の景気回復をもたらしました。
もちろん、現在のような急激な円高は日本経済にとって非常に困難をもたらすので、急激な円高を止めるために政府・日銀による介入は避けられません。菅政権が投機筋の狙い撃ちにあっている場合、それを払拭する措置が不可欠です。しかし、それがかつてのように劇的効果を上げることが難しいのも事実です。というのは、小泉政権時と違って、欧米諸国は住宅バブルではなく、むしろバブル崩壊による長期不況になっているからです。
米国では、かつての日本と同様に、外科手術を避けて、不良債権のずるずる処理と量的金融緩和(流動性供給)という誤った政策をとってきました。
まず、住宅ローン減税を背景に、大手銀行は住宅ローンを増やしてきました。それを再国有化されたGSE(フレディマックやファニーメイ)が購入して証券化したり保証したりします。そして中央銀行のFRBが、その住宅ローン担保証券(MBS)やGSE債券を1兆ドル以上も買い続けたのです。それによって、住宅ローン市場が一定回復したかに見えました。
しかし、住宅ローン減税の廃止によって、こうした政策は行き詰まりました。雇用状況は改善せず、住宅も商業用不動産もデフォルトが止まりません。きっと、これからMBSの焦げ付きも増えてくるでしょう。さらにFRBは、年間1.4兆ドルにも及ぶ膨大な財政赤字を国債買い取りでひたすら支えようとしています。
こんなことを永遠に続けられるのでしょうか。もし貨幣が「共同幻想」で成り立っているとしたら、ある時、ドルなんて危ない通貨は国際決済通貨ではありませ〜ん、なんてことが起こらない保証はありません。その日がいつ来るのかわかりませんが…。
欧州もギリシャ危機がいったん沈静していますが、依然危ない状況にあります。住宅バブルが崩壊した英国のポンドも同じです。その結果、欧米諸国がこぞって為替下落を放置して、輸出を伸ばして景気後退を少しでも防ごうとしています。世界中が、かつての日本と同様な状況に陥っているのです。その結果、スイスがフラン高を防ぐように為替介入しましたが、失敗しました。日本も一国が為替介入し、金融緩和をしても限界があります。
100年に1度の世界経済危機で起きているこうした現象は、80年前の大恐慌で起きた「為替切り下げ競争」の現代版であり、近隣窮乏化政策という面をもっています。それは、金融自由化とグローバリズムの行き着いた結果です。既存の理論が立ち往生してしまうのは当然です。
また主張者たちの意図にかかわらず、一定の物価上昇目標を立てて金融緩和を続けるインフレターゲット論は、こうした現代版の為替切り下げ競争という近隣窮乏化政策を世界的に促す役割を負うことになっています。
結局、世界中の金融緩和政策が創り出す過剰なマネーは、国内に投資も需要もない状況では、投機マネーとなって次のバブルを創り出す以外にありません。その副作用も大きくなります。当面、あふれたマネーが投機資金となって石油や穀物に流れ、やがて景気回復の足を引っ張るでしょう。あるいは環境投資バブルを創り出す可能性もあります。
このように金融緩和による現代版「為替切り下げ競争」は、結局のところ、バブル循環という慢性病を生むしかありません。
日銀だけをバッシングするポピュリズム的な議論は論外としても、やはり円だけが沈んでしまうのだけは必死に食い止めなければいけません。という意味では、政府・日銀は急激な円高が望ましくないという強いメッセージを送り出す必要があります。とはいえ、劇的効果を期待できない政策を永遠に続けていくわけにもいきません。
脱出口はどこにあるのでしょうか。
今こそ民主党マニフェストが掲げていた「東アジア共同体構想」という中期的な枠組み作りに乗り出さないと、中国をはじめとする東アジア市場から日本は閉め出され、欧米諸国に食い荒らされてしまうでしょう。もちろん、尖閣列島での中国漁船問題でも冷静に毅然と対処せざるをえず、簡単なことではありませんが、かいくぐっていかないといけません。
すでに中国を中心にドルを介さない2国間通貨決済などが進んでいますが、中国やアジア通貨との間の変動幅を抑える枠組みが重要になります。さしあたり、共通の通貨介入基金設立に向かって一歩進めていくべきでしょう。
さらに、中国・アジア諸国との相互貿易を確保するために、これら諸国とのEPAやFTAを結ぶ動きが強まっています。農家の戸別所得補償や安心安全の農業への転換こそは、関税に代わる農業保護政策のあり方なのです。これまでのような製造業利害と農業利害の不毛な対立を乗りこえる道が、これによって切り開かれるのです。その上で、農産物を日本の輸出産業に育てていく視点が重要です。ところが、日本の政財界には、欧米諸国と比べて日本の農家の戸別所得補償の水準が著しく低いという認識がありません。新たな農業保護政策と輸出促進策をとる国民的な合意形成を急ぐ必要があります。
目先だけ、が一番いけません。今こそ考えておかなければいけないのは、ドル=基軸通貨体制はいつまで続くのか、です。
「なぜ神が存在するのか。みんな、神が存在すると信じているからだ」というフォイエルバッハ風の問いを立てれば、「なぜドルが通用するのか。みんな、ドルが通用すると信じているからだ」です。
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