http://www.asyura2.com/10/hasan70/msg/128.html
Tweet |
2つの経済社会が共存できる仕組みと、それを支える価値観について議論していますが、http://www.asyura2.com/10/hasan69/msg/910.html、そうした方向では、TPP参加も国としては、積極的に行えば良いと考えるのです。
我々には、”道”を極めるという伝統があります。あの大粒の”ぶどう”も、光り輝く”りんご”も、日本にしかありません。キュウリもねぎもそうです。マーケットに行けば分かります。あれだけのこだわりを目にすることはありません。
お茶の道具に、10万円、100万円払ってもいいという感性を、我々は持っています。着物でも似たことが言えます。
イギリスやアメリカ人には、当分は、分からないでしょう。ピューリタンとユダヤの伝統が主ですから。
イギリス料理もアメリカ料理も、あるいはファッションもたいしたことないのです。伝統がそうさせます。
我々は、彼らから学んで大成功をしました。そして、次が分からなくなってしまっているのだと思います。
だから、日常的な経済社会は、もう一歩先の価値観を共有する社会建設を目指せばいいのでしょう。いままでのようなピューリタンが築き、ユダヤが支えたようなやり方とは、さようなら、です。
日常的な経済社会では、さまざまな美意識が評価軸になるように、それを支える仕組みを作ります。(今は、絵空事ですが、戦国時代、江戸時代のやり方が参考になります。)
一方、冒険経済は、より自由を求める社会を許容します。それこそ、未知への探求です。金融動乱もあるでしょう。動乱を楽しむ人たちは、それでいいのですから、保証制度の充実については、あまり考えません。自己負担でやれるのです。
日常経済では、さまざまな”道”を追求する人々は、”面白さ、楽しさ”こそが、結果として価格に反映すると考え、価格設定を企画に入れることをやめていきます。経済的には、共生を目指します。
競争は、さまざまな”道”を極めることにおかれ、”経常利益が30%増”などという記事はひんしゅくを買う感性が普通になります。生産性の追求にしても美しさが求められるのです。流れるような作業。。。
我々が進んでいける方向は、我々の足元にあると思っています。それを強くする仕組みと評価軸を尊ぶのが良いので、イギリスやユダヤのやり方を真似しても、我々は強くなれないと思います。
(韓国の車はよく売れるようになってきたのですが、車のドアを閉めるときの”ボン”という音、あれはなかなか真似できないと彼らが言っています。)
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。