02. 2010年10月30日 20:43:53: mHY843J0vA
>日本は輸出超過大国、海外純資産残高世界一、なのに国民が困っているただ一番大きい理由は、世代間搾取が、世界最大であるということで、 今の年金世代に対して今年生まれる世代は、8千万円以上の搾取が行われている。 中国では、共産党が貴族として搾取し富裕層なっているが、日本では地方の議員や公務員が搾取階級になって準富裕層化し、社会の効率化を妨げている。 http://agora-web.jp/archives/cat_42816.html 「オンデマンド経済学講座」(1)幸福は金で買えるのか(サンプル)
第0号 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ メールマガジン「池田信夫:オンデマンド経済学講座」 (1)幸福は金で買えるのか 発行:2010年(平成22年) 10月4日 月曜日 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 経済学は「社会科学の女王」などと自称していますが、ほとんどのビジネスマンは経済学は「役に立たない」と信用していません。政治家や官僚にも、経済学のセンスをもっている人は非常に少ない。これは経済学の対象とする経済現象があまりにも複雑で予測不可能なため、避けられない面もありますが、「学問」としてお化粧するために数式でやたらにむずかしく見せていることも一つの原因です。 しかし経済学の論理は非常に単純で、中学生でも理解できます。大学院以上の複雑な経済理論は役に立たないことが多いが、大学1年生ぐらいの経済学を学ぶことは有益だし、ビジネスの役にも立ちます。このメルマガでは、なるべく初等的な経済学を使って現実のややこしい問題を理解することを試みたいと思います。 ネタはみなさんの質問なので、このメルマガの購読者の質問用メーリングリスト、 ikedaseminar@googlegroups.com に投稿してください。参加する方は 管理者 あてに「参加希望」と書いたメールをお送りください(購読者以外は参加できません)。 1.経済成長はなぜ必要なのか? 中村晋さんの質問:経済成長はなぜ必要なのか?物質的な豊かさを得ても、引き換えに失うものも多いのではないか。相対的に貧しかったとき、あるいは貧しい国にとって経済成長は最重要かもしれないが、現代の日本のように経済発展をとげた国には、経済成長を目指さない道もあるのではないか。 これはもっともな質問です。大竹文雄さんなどの研究でも、貧しい国では幸福は所得に比例するが、先進国では所得と幸福度にシステマティックな関係はありません。特に日本の世論調査では「低福祉・低負担」と「高福祉・高負担」のどっちを望むかという質問に6割以上の人が後者を選びます。つまり手取りの所得は低くなっても、老後まで安心して生活できるほうがいいということでしょう。 これは経済学の言葉でいうと、時間選好の問題です。日本人の平均生涯収入は2億円ぐらいといわれますが、その年齢を通じた分布が次のような3つのパターンになっているとしましょう: 1. 20代で1億円、その後は毎年200万円で50年間 2. 毎年400万円で50年間 3. 50代まで毎年200万円で、60代以降で1億円 1 は野球選手、2は普通のサラリーマン、3は天下り官僚と思えばわかりやすいでしょう。この3人の生涯収入がまったく同じだとすると、時間選好率=金利がゼロなら全員の期待効用も同じですが、金利が高くなると将来の収入は金利で割り引かれるので低くなります。つまり金額ベースの生涯収入が同じでも、金利が上がると1>2>3となります。官僚になって若いとき残業して年をとってから天下りするような人は、時間選好率が低い(将来の利益を現在と同じように評価している)わけです。 時間選好はリスクの尺度でもありますから、今の所得より老後の安心を選ぶ3のような所得プロファイルは、リスクが低いと予想していることになります。いいかえれば、こういう人は世の中が変化しないと考えていることになります。日本で低金利が続く一つの原因も、このように人々の時間選好率が低いことが原因になっていると考えられます。日本経済はだめだとよくいわれるが、人々は本音では今の世の中が末永く続くと考えているわけです。 だから「安定した生活」を望む人は「現在の所得増」を望む人より時間選好率が低く、リスク回避的だということになります。しかしよく考えてみると、上の例でもわかるように、本質的な問題は生涯を通じた所得であり、それをいつもらうかではないのです。特に貯蓄を考えれば、今もらうのも老後にもらうのも金利以上の差はありません。現実にも、日本の家計貯蓄の2/3は60歳以上がもっており、現役のとき多くの所得を得た人ほど老後も安心です。 つまり「成長か安定か」というのは、人生設計の問題と考えるかぎり、見かけとは違ってトレードオフではなく、成長しないと安定した老後も実現しないのです。成長率を下げることによって安心が高まるということは、まず考えられない。成長率が下がると、みんな不安になることは、現在の日本経済が示す通りです。 2.流動性はいいことか? 伊藤鮎夢さんの質問:経済学が一般人に受け入れられにくい理由として、経済学が問題への処方箋として「流動性の高さ」「規制緩和」を要求することが多いことであると思います。「『日本的なやり方』は『新自由主義後の世界』で新たに見直されるのではないか?」「イノベーションにデメリットはないのか?」などなど、変わらなくて済む方法をやはり探したくなってしまうものです。 これも上の問題に関連します。「成長か安定か」というのは、経済学的にはナンセンスな問題ですが、経済外的な問題を考えるとそうではありません。たとえば地方都市がさびれて、先祖代々の店を閉めなければならないといった場合、自治体が商店街に補助金を出して店を続けさせることは、経済的には非効率ですが、その店主にとっては生活の安定が得られます。 ブログ記事でも書いたことですが、経済的な効率性は生産要素の完全移動性を前提にしています。特に人的資源が自由にもっとも効率の高い職場に移ることが労働生産性を高める条件ですが、これは人々の生活の安定を犠牲にし、地域の生活や文化を破壊することが多い。これが「地域格差」や「市場原理主義」などといわれる問題の一つでしょう。これは本質的なトレードオフで、両方を満たす方法はありません。生産要素の移動を規制すると生産性が下がることは自明で、経済的には望ましくない。 しかし日本の高度成長を支えたのは、農家の次三男が一旗上げようとして地方から出てくる流動性でした。それによって彼らの故郷はさびれるが、彼らはそれほど故郷のことを考えているわけではない。いやなら田舎を出て行けばいいのです。問題は年をとって田舎から動けない老人で、こうした人々は社会保障によって救済するしかない。そこに工場を誘致して「全国を都市化」しようとした田中角栄以来の国土計画は、日本の成長率を大幅に低下させました。 一般論としては、流動性は不安定性をもたらすことが多いでしょう。しかしそれが効率性とトレードオフになっているとすれば、どちらを選ぶかは各人の選択です。少なくとも極端に硬直的で安定した人生しか許さない現在の日本は、バランスの取れた社会とはいえないし、それを法的に補強する雇用規制などは、人々の選択の自由を奪っているのではないでしょうか。 3.「日本的システム」の限界? 伊藤鮎夢さんの質問人々が心に描いている「日本的なやり方」が賞味期限切れで捨て去るしかないものなのか、そもそもそんなものは幻想で最初からなかったものなのか、今後も使えるが今は使えないものなのか、新自由主義的な考え方と折衷して使えるものなのか、混じり合わないものなのか。 日本が「格差社会」になったのは、アメリカかぶれの「新自由主義」のせいだ、といった話がよくありますが、具体的なデータを見ないでこういう観念的な問題の立て方をしてもしょうがない。私のブログでも紹介したように、新自由主義といわれる小泉政権の時代に所得格差(ジニ係数)は小さくなりました。成長率が上がって失業が減ったからです。 しかし別の意味で、格差は拡大しました。非正社員が労働人口の1/3を超え、正社員と同じ仕事をしても半分の賃金しかもらえない人が増えました。大卒の就職浪人が2割を超え、就職先の第1位が派遣会社という大学も少なくない。大学卒業のとき正社員になりそこなった人は、一生まともな職につけないため、運よく正社員になった人と生涯賃金で1億円以上の差がつきます。 日本は戦後、会社によって個人を守るしくみを取ってきました。もともと日本社会は中間集団が強いので、かつての農村の構造を企業に移植して長期雇用で労働者を守るしくみが続いてきたわけです。このように福祉を企業に代行させる「日本的福祉システム」のおかげで、日本の社会保障は安上がりで、「小さな政府」のままで人々の生活の安定を実現できるように見えました。 しかし企業の福利厚生コストは、実は労働者が負担しているのです。企業が負担する年金・社会保険料は賃金の後払いなので、人件費に含まれています。したがって福利厚生コストが大きくなると、企業は正社員の雇用を削減します。こうした調整を行なうのにもっとも効果的なのは、賃金の高い中高年の労働者を解雇することですが、硬直的な雇用慣行でそれができないため、新卒の採用抑制という形で雇用調整が行なわれ、若年失業率が高まったわけです。 つまり日本の格差とは、資本主義のもたらす富の蓄積によるものではなく、硬直的な労働市場によって生じた企業のインサイダーとアウトサイダーの格差です。かつては高度成長の期待があって過剰な労働力を抱えてきた企業が、長期不況で人件費を減らしたために、そのしわよせが最も弱い若年労働者に来ているのです。 4.最大の格差は政府が作り出している しかも最大の格差は、これから拡大します。急速に進む高齢化で、現役世代の年金負担は激増し、生涯の税・年金の受益と負担の差は、現在の60代以上では大幅なプラスですが、20代では大幅なマイナスで、その差は8000万円以上です。いま生まれた赤ん坊は、生涯に1億円近い債務を負う世代間格差が起こるのです。 政府の今年度予算では、社会保障費は27.3兆円ですが、この他に厚生労働省の所管する特別会計が84.3兆円あるので、社会保障関係の歳出は111.6 兆円にのぼります。特別会計のうち65兆円が年金給付で、一般会計のうち17兆円も老人福祉・老人医療費だから、社会保障費の73%が老人のために使われているのです。 しかし社会保障のこうした実態は、ほとんど議論さえ行なわれず、政府は「強い社会保障で強い経済」という意味不明のキャッチフレーズを繰り返しています。菅首相は、臨時国会の所信表明でこう述べました: 一般論として、多少の負担をしても安心できる社会を作っていくことを重視するのか、それとも、負担はできる限り少なくして、個人の自己責任に多くを任せるのか、大きく二つの道があります。私は、多少の負担をお願いしても安心できる社会を実現することが望ましいと考えています。 これは一般には「高福祉・高負担」の考え方を示したものと解釈されていますが、上にのべたように受益者と負担者は対応していない。日本の社会保障は、老人の高福祉・若者の高負担になっているのです。本来の社会保障は所得分配を平等にするものですが、日本の社会保障はこのように所得に関係なく年齢で再分配するため、所得再分配によって相対的な格差が拡大する逆分配になっています。 このように大きな欠陥を抱えたまま、毎年1兆円以上も社会保障費を増やしてゆくと、財政が破綻するばかりでなく、勤労世代と年金生活者の不公平が拡大し、労働者は勤労意欲をなくし、日本経済はさらに衰退するでしょう。ところが民主党政権は、来年度予算で社会保障費をシーリングから除外しました。労働組合の最大の既得権である年金は、彼らのふれることのできないタブーなのです。 5.幸福って何だろう? 「不幸度」を自殺率ではかるとすると、日本の自殺率は主要国で最悪で、自殺者は10年連続で3万人を超えています。その理由として失業・倒産が多いのが特徴で、特に信用不安で企業倒産が史上最大になった1998年には、自殺者が35%も増えました。これは日本の特徴で、他の国では失業率と自殺率にそれほど相関はありません。たとえば北欧では90年代の金融危機で失業率が10%に達しましたが、自殺者は減りました。手厚い失業保険や再就職の支援システムがあるからです。 行動経済学の実験によれば、人々の幸福を左右する最大の要因は、金銭ではなく意味です。標準的な経済理論では、労働は「不効用」をもたらすので、働いて賃金をもらうのと何もしないで賃金をもらうのを比べれば、労働者は後者を好むはずですが、実験するとほとんどの人が前者を選びます。自分が何かの役に立っている、あるいは何かの価値を生み出しているという意味が重要なのです。 会社中心の日本型システムは、こうした意味を供給する役割も果たしてきました。経済成長にともなって人口移動が起き、農村共同体が崩壊すると、貧民が都市に流入してスラム化し、社会が混乱するのが多くの途上国でみられる現象です。しかし日本はそういう問題をほとんど経験しないで、スムーズに都市化が進みました。 これは日本の会社の長期雇用や系列関係などが、人々のコミュニティを都市の中で再構築したためと思われますが、20年にわたる長期不況で、企業が余剰労働力を養う余裕はなくなってしまいました。労働者が一生を会社に預け、所得も社会的地位も老後の安心も依存するシステムが崩壊すると、人々はアイデンティティを失って自殺する。これは日本より自殺率の高い国が、すべて旧社会主義国であるのと似ています。 こうした状況を嘆き、「国家の品格」を取り戻して古きよき日本に回帰せよという人もいます。民主党政権は、「強い社会保障」で格差はなくなると主張しています。残念ながら、こうしたユートピアは不可能です。日本の社会保障はすでに破綻しており、もう再分配の原資がないからです。好むと好まざるとにかかわらず、グローバル化の中で国家の力が弱まり、社会の流動性が高まって企業などの中間集団の求心力が低下し、孤立した<私>に分解する傾向は不可逆です。 |