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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu225.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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世の中のリーダーシップ・モデルの変化は、工業経済から情報経済
への移行を反映している。知識労働者に厳しさはあまり効果がない。
2010年10月15日 金曜日
◆33人の大黒柱が「最後の一人」志願 ウルスアさん 0月14日 朝日新聞
http://www.asahi.com/international/update/1014/TKY201010140199.html
【コピアポ(チリ北部)=平山亜理】「チリ万歳!」「鉱山労働者、万歳!」――チリ北部コピアポ近郊のサンホセ鉱山落盤事故の救出現場で、地下に閉じこめられていた33人の最後の一人、ルイス・ウルスアさん(54)が13日午後10時前、地上に姿を現した。救出現場では人々が叫び、紙吹雪や国旗が舞った。
33人を奇跡の生存に導いた「指導者」のウルスアさんは、自らしんがりを志願し、認められた。ひげをたくわえた顔に、生気がみなぎる。息子を固く抱きしめた。
肩に、国旗がかけられた。ピニェラ大統領に向かって、直立不動で「あなたと、交代します」。鉱山作業員が坑内から出た際のあいさつを使って、肩の荷を下ろした思いを表現した。そして、大統領と抱き合った。
「こういうことが二度と起きないようにしたい。チリ人であること、そして鉱山労働者であることを誇りに思います」と、おだやかに語った。
弟のハイメさん(49)が、地上で兄の救出の瞬間を見守っていた。「兄は、私にとって父でもある。いつも厳しい人で、私たちを仕切っていた」
ウルスアさんは6人きょうだいの長男で、14歳の時に父親が病死した。早くから弟や妹たちの面倒を父親代わりになってみていた。生還劇の立役者となった背景にある指導力は、そうした環境で育まれた。「ジャガイモを洗え、とかよく怒られましたよ」とハイメさんは振り返る。
地上と連絡がつかずに過ごしていた落盤事故直後の17日間、33人はわずかな食料を分け合い、閉じこめられていた地下の坑道や避難所のスペースを分け、役割分担をするなど驚くべき規律を保った。ウルスアさんのリーダーシップのおかげだった。
◆愛される鬼上司になるには 4月30日 スコット・A・スヌーク
http://blog.goo.ne.jp/moutoku2009/e/ca6e0e7586bb07fb672b9cb6770e4e37
組織や社会の変化につれ、恐怖をもって支配するリーダー像は過去のものとなりつつある。それでも鬼上司でいなくてはならない場合、果たして彼らは同時に部下からの愛も勝ち取れるのか?
かの『君主論』でマキャベリが出した回答とは
500年近く前、ニッコロ・マキャベリは、かの有名な著書『君主論』の中で、「リーダーは愛されるほうがよいか、恐れられるほうがよいか」という問いを提起した。彼は、もし両方を併せ持つことが不可能なら愛されるよりは恐れられるほうが有効だという結論に達している。実際、この両方になれる人間はほとんどいないのだ。
そもそも、人間という複雑な生き物は、白か黒かの二分法ですっきり分けられるものではない。人の行動というものはたいてい白と黒の中間、つまりさまざまな濃さの灰色のところにあるものなのだから。にもかかわらず、「恐怖か愛か」という二元的な問いは、歴史を通じ、リーダーたちにとって普遍的なものとなってきた。
1世代ほど前までリーダーといえば、「恐れられるもの」というのが一般的なモデルだった。例えば、1950年代、60年代には、公立学校においてさえ教師による体罰が広く見られていた。そして、職場は概して階層的かつ専制的な場所であり、ルールに従っているかどうかに基づいてリーダーが一方的に報酬や懲罰を決めていたのである。
しかし今日、ほとんどの先進国において、生徒を叩いた教師はただちに職を失うだろうし、職場においても、広く受け入れられるリーダーシップ・モデルとは、穏やかさを前面に出すものとなっている。
世の中のリーダーシップ・モデルのこうした変化は、工業経済から情報経済への移行を反映している。かつて、製造工場では厳しいルールが必要であり、労働者はきわめて単純かつ明確な生産性の測定基準に基づいて報酬を与えられるものであった。
だが、知識労働者に対してはそのような厳しさはあまり効果がないし、例えば、サービス業に従事する人々が常にリーダーの顔色を窺っていつもびくびくしていたのでは、顧客ににこやかに応対するのは難しいだろう。また、宣伝のような分野では、厳しい管理は社員の創造性や熱心な取り組みを妨げてしまう。
しかし、先進国にさえ依然として「恐怖」に頼っているリーダーが大勢おり、多くの人々がいまだにそれに耐えているのだ。
その理由の1つは、議論の余地はあるものの生徒や学生の間でのリーダーシップの1形態といえる「しごき」についてと同様、人々が恐怖モデルを「ここのやり方」として正当化していることだ。
もう1つの理由は、耐え抜くことそのものにある種の達成感を感じる人間がいることだ。彼らは、きわめて要求の厳しい上司の基準を満たすことに満足感を覚えるのである。
また、単純にエンパワーメント(権限付与)スタイルより専制スタイルの上司のほうが好きな者もいる。彼らは仕事をどのように遂行するかを自分で決めたいと思わず、単純に何らかのルールの下で行動することを好むのだ。さらに、部下に限界を超える努力を強いるような上司の下にいるほうが、最終的により大きな成功をつかめると信じている者もいる。
このように、「恐怖型」の上司の下で働ける人間がいるのは悪いことではない。恐怖に基づくリーダーシップが必要な状況も依然として存在するからだ。例えば、原子力発電所などで働く人々を束ねる上司が、危険を防ぎたいというような場合。こういった職場では安全性が何より大切なのだから、行き当たりばったりで指導するのではなく、厳しい管理を徹底する手法が賢明であるといえるだろう。
(中略)
できる上司ほど、状況に合わせる
成功するリーダーは、今自らが置かれた状況から発せられるシグナルを読み取り、それに従って自分のスタイルを適応させるものだ。そして、彼らは同時に自分の適応限界値もよく心得ているのだ。
リーダーにとって、いわゆるストレッチ・アサインメント(現在の能力より少し上の能力が必要な任務)が、それまで気づいていなかった強みを表に引き出す機会になることもあるだろう。だが、その任務において、そのリーダーの適応力を超える形でのリーダーシップが必要な場合、結果は概して悲惨なものとなろう。
(私のコメント)
チリの鉱山で起きた落盤事故で、33人が地下700メートルの中に閉じ込められた事故がありましたが、70日目にしてようやく救出されました。日本でも炭鉱の落盤事故などはたくさんありましたが、このように救出された例は記憶がない。炭鉱などはガスが出て火災の恐れもあります。チリの鉱山は金の鉱山だったから閉じ込められても助ける事ができた。
一番の危機は、生き埋めになって地上との連絡がつかなくなって、助かるかどうかも分からない時に、パニックを引き起こす事ですが、幸いにも冷静に33人をまとめることが出来るリーダーがいた。僅かに残された水や食料をどのように分けるか決める人がいなければ、秩序は乱れて水や食料はすぐに無くなってしまう。
今何をしなければならないかを決めるのがリーダーであり、20日間持ち堪えれば救出の目処が立つことを確信していなければ出来ない事だ。日本でこのような事が起きたらどうだっただろうか? 極度に悲観的になり、助からないと決め込んで自殺するような人間も出てくるのではないだろうか?
地上の方でも、地下700メートルの鉱山で落盤事故が起きたのだから救出は不可能と諦めてしまう人もいたかもしれない。地下700メートルだから脱出口を掘るにしても何ヶ月もかかる。水や食料を送るライフライン用の10センチ程度の穴も17日かかってようやく現場まで到達した。これでようやく助かる見込みもでてきましたが、最後まで諦めさせないのもリーダーの役割だ。
リーダーシップで考えさせるのは、大戦中の日本の軍隊のリーダーシップであり、戦争を決断する際も勝てる見通しもないまま戦争を決断した。リーダーは目標を明確に決めるのが役割ですが、やって見なければ分からないといった無責任な見通しの下で戦争が始められた。いったい誰が最高権力者なのかもわからないような組織だった。
軍事組織はトップダウンの世界であり、上官は恐れられる事で規律を維持した。ナチスドイツの場合は名実ともにアドルフ・ヒトラーですが、日本の場合は、天皇陛下か、東条英機首相か、それとも参謀本部の青年将校たちなのか、誰がリーダーなのか分からない。戦争をする大義も兵士には曖昧なままだった。これでは勝てるわけがない。
陸軍にしても、大陸の関東軍が勝手な事をして軍令部の命令を守らない。参謀だった石原莞爾が満州事変を引き起こしても、処分もされず栄転した事で軍事組織がおかしくなってしまった。先ごろの尖閣諸島で中国人船長が捕まりましたが、外交問題にもかかわらず、現場の検察の判断に任せてしまったことでもあるように、現場の独断専行があっても処分がなされない。
パールハーバー攻撃も、東条首相は当日になって知ったというような説もあり、海軍の独断で決められるようでは、首相としてのリーダーシップのかけらもない状況であった。当時の日本軍は機能不全であり、兵士レベルはともかく士官レベルになると、組織が乱れきって青年将校が荒木大将を呼び捨てするような風潮があった。
五一五事件や二二六事件が起きたこと事態が組織の乱れを象徴するものであり、軍のリーダーシップを取る最高権力者が不在になってしまった。海軍と陸軍はあっても日本軍がなくなってしまった。現在でも省があって国家なしの状況であり、官僚たちは省益ばかり考えて国家の事を考えていない。
軍隊は「恐怖型」で組織の統制をとりますが、兵士レベルではそれが効果的でも、士官レベルになるとそれが効かなくなってしまう。辻参謀のように現場で独断専行しても誰も処分が出来ない。まさに国家の体をなさなくなってしまったから大戦に突っ走ってしまったからです。
もし当時に強力な政治家がいれば止める事も出来たのでしょうが、リーダーシップに不在は現代でも変わらず、一年間に総理大臣が三人も代わっている。内閣も菅総理大臣が最高権力者なのか、仙石官房長官が最高権力者なのか、あるいは小沢一郎が最高権力者なのか私にも分からない。
スターリンやヒトラーや毛沢東のような恐怖型の権力者は時代遅れになりましたが、選挙で選ばれるリーダーはよほどのカリスマ性がないと強力な政権が出来ないのだろうか? それでは近代国家としては不完全であり、優れたリーダーとは状況を的確に判断して正しい決断が出来る人材の事であり、日本はそのシステム作りに失敗している。
日本は工業経済から情報型経済に移行してきているから、学校レベルから情報型経済に合った教育体系にして行かなければなりませんがそれができていない。会社内でも相変わらず恐怖型の上司が幅を利かせていますが、製造業ではそれでよくても、情報型企業では優秀な人材が逃げてしまう。
日本では情報型社会にあったリーダーシップの形成が上手く行っていない。だから年功序列でリーダーが決まりますが、人の能力の判断基準がまだ定まっていないからだろう。しかし年功序列で決まったリーダーでは、先の大戦のような間違いを再び繰り返す事になるだろう。
だから今回のチリで起きた鉱山事故も優れたリーダーがいましたが、日本で同じような事故が起きた時に、年功序列でなった現場監督は適切な判断が出来ただろうか? 岐阜ではビルの解体現場で死亡事故が起こりましたが、建設現場でも現場監督の質の低下が起きているようだ。
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