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http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/kouza/kabuka2/04/20100930-OYT8T00497.htm
栄華の果ての凋落
消費者金融の雄といわれたあの武富士が経営破たんしました。2006年1月に最高裁判所がグレーゾーン金利を認めない判断を示して以来、消費者金融業界では過払い金返還請求が相次ぎました。過払い金返還請求とはお客が利息制限法の上限金利を超えて払った利息を業者に返還請求することです。
わが国ではお金の貸し借り等については二つの法律があります。一つが利息制限法で、もう一つが出資法です。それぞれの上限金利は利息制限法が15〜20%、出資法は29.2%と異なっています。出資法のほうが金利が高くなっているのは元本がもどってくるのかどうかが、より不分明な経済行為だからです。そして、この上限の金利差が"グレーゾーン金利"といわれています。
ついでに申しあげれば、貸し金業者を対象にした法律では貸金業法があり、同じく06年に(1)上限金利の引き下げ、(2)融資額の上限をお客の年収の3分の1まで、とする改正が行われ、今年の6月から施行されています。こうした動きの背景には、当時の消費者金融会社の過 酷な取立てが社会問題になり、巷に「サラ金は悪徳だ、なんとかしろ!」との気運が高まっていたことがあります。
消費者金融会社はこの出資法に則って金利を決めていましたので、最高裁の判決により、利息制限法の上限金利を超える利息を受けとった会社はお客の払い戻し請求に応じなければならなくなったわけです。弁護士業界の積極的な対応もあり、07年から過払い金請求が本格化しました。
業界全体の利息返還額は10年6月までで1兆円を超えています。専門家の推定では超過受け取り利息はまだ20兆円はあるともいわれています。この結果、どの消費者金融会社も業績が悪化し、メガバンクの系列に入るなどの対応をした会社もありますが、武富士は自力で再建に取り組んでいました。
ご存知の方も多いと思いますが、武富士は武井保雄氏を創業者とするワンマン経営で有名な会社であって、なかなかスポンサーはつかなかったようです。経営難もいよいよここまできたか、という感じです。
過払い金返還請求も棒引き対象
武富士は東京市場とロンドン市場に上場されていますから、株主として苦汁を味わった方もいらっしゃることでしょう。でも、ここでは投資家としての損得にはふれません。株式を買って損をしてもそれは株主責任というもので、すべて自己責任ですから。
学ぶべきは"資本の論理"ともいうべき今回の経営破たんの含意です。会社更生法の適用が決まり、これからは破産管財人が裁判所の管理下で再生の途を模索するようになるわけですが、その過程では武富士の債権者は応分の債権カットを求められます。簡単に言えば"借金の棒引き"を迫られるわけですね。会社が経営破たんしてなにもかも戻ってこないよりは良いだろうという考え方ですが、返還請求権も当然この棒引きの対象になります。本来なら払わなくともいい金額を払った超過分を受け取るだけなのに、今度は返還請求権も借金棒引きの憂き目にあうのですから、踏んだり蹴ったりというわけです。
返還請求手続きをまだしてない人々にとってはその機会が永遠に遠のくというわけです。一方、会社の視点にたてば、払わなければならない義務を法的に一気に軽減されるわけですから、再建を目ざすには好都合な方法といえましょう。
戦え、さらば得られん
今回の教訓はこの"資本の論理"にあります。消費者金融会社が個人にたいしてお金を貸すというのはビジネスとしてやっているのです。決して慈善事業ではありません。収入の範囲で堅実に暮らしている人は消費者金融会社にお世話になることはあまりないはずです。このことは融資する側からすれば貸し倒れの可能性が高いということになります。また、融資にあたっては担保なども取りませんので、返済が滞ったときの被害は甚大です。だからこそ過剰なまでの高い金利設定での融資がまかり通ってきたのです。
一方、私たちは借りたものは返すのが当たり前、と思っています。これは社会常識で、仲間内での付き合いではまったく正しい姿勢です。この倫理観を失っては仲間に入れてもらえなくなります。ですから、借りたお金を返せないとなると何かいけないことをしているような罪悪感を覚えてしまいます。
しかし、金融業者と取引するときは、このような感情を抑えて、個人顧客の立場での"資本の論理"を身につけておく必要があります。それは、貸したお金を回収できないのは金融業者の見込み違いで、プロが見込みを間違えたならそのリスクは自ら背負ってしかるべきだろうという考え方です。
借りたお金を返せるか返せないかはビジネスの問題で、善か悪かの倫理的な話ではないということです。
「目には目を、歯には歯を」(モーゼ)という有名な箴言があります。一方で、「汝の右の頬をうたば、左をも向けよ」(キリスト)という教えの言葉もよく知られています。
私は、現実の世界にあっては世事のすべてを慈悲の心で解決するには無理があるだろうと思っています。みなさんはいかがですか?
芦田光玄 証券業界での仕事が40年になるベテラン。個人営業を振り出しに、企画・調査部門を約20年。その後、支店長を複数歴任し、営業の現場にも深い経験を持つ。公的機関に出向したことも2度ある。大手証券を離れた後は、資産運用に5年間携わった。日本証券アナリスト協会・検定会員。
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