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株式日記と経済展望
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日本では家庭用ゲーム機などの例外を除くと、ソフトウェアは
ハードウェアのおまけだった。開発の多くは外注に出された。
2010年8月20日 金曜日
◆日本のソフトは「擦り合わせ」で米国に負けた 5月11日 雑種路線でいこう
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20100511/soft
ものづくり研究では伝統的に日本が得意とされてきた「擦り合わせ」が、デジタル家電や携帯電話の世界で必ずしも機能せず「ガラパゴス現象」を招いた背景に何があるのだろうか。
しばしばソフトウェアの世界で重層的な下請構造が問題とされがちだが、この構造は雇用慣行や産業構造に起因しており、必ずしもソフトウェアに限ったものではない。例えば昔の繊維産業や現代の自動車も多段的な下請構造を抱えているが、決してガラパゴス化していない。これから述べることは一般論に基づく仮説であり、いずれ実証分析したいので、間違っているところは是非ともご指摘いただきたい。
自動車や家庭用ゲーム機・デジカメ等と比べてガラパゴス化している携帯電話・地デジ・業務ソフトウェア等で共通しているのは、まず機器メーカーが最上位にいないことである。最上位に電話会社・銀行といった大口顧客やテレビ局のような鍵となるステークホルダがおり、主契約企業が下請け企業を束ねている。
そして鍵となるステークホルダの多くは最近まで専ら国内で横並びの競争に晒され、役所による厳しい規制や行政指導を受けている。従ってソフトウェアの領域も含めてコンポーネントの再利用性など技術的な最適化、将来の計画や国際競争力よりも、ステークホルダの意向や微妙な利害調整が重視されがちとなる。
次にソフトウェアが部品単位ではなく人月単位で取引され、プロジェクト毎に縦割りとなりがちなことがある。これは恐らく自動車部品と大きく異なる。半年異なるモデルのソフト開発は別プロジェクトとして組織されてチームは分かれ、ソースコードは分岐し、二度手間三度手間が発生してはいないだろうか。
下請けから元請けへ、元請けから発注元に対して改善提案できる環境にあるだろうか。受発注関係がそのまま上下関係となり、組織の壁を超えて最適化が難しくなってはいないだろうか。部品の物理特性であれば取引上の上下関係があっても客体として議論の俎上に乗せやすいが、表面的には決めの問題となりがちなソフトウェアで、組織の壁を超えた現場から上流への改善提案が受け入れられ難かったのではないか。
さらに本来であれば組織としての生産性に応じて競争力の差が開き、市場機能を通じて調整されるべきところ、製品ではなく中間投入工数に応じて価格が決まる人月モデルでは、生産性が改善したことによって生じる生産者余剰が下請け企業サイドに蓄積され難く、生産性を高めれば儲かるどころか次の仕事から改善された生産性を前提に工数を見積られて自分の首を締めかねない。資本の蓄積が進まず生産性と品質に基づく競争が働き難い環境にあって、地道な生産性の改善を競うのではなく、発注元への忠誠や場当たり的な新技術への適応、人的資本の蓄積を伴わない動員力の競争となっていないだろうか。
本来ソフトウェアは頭脳集約型の産業であり、良好な労働環境を維持して優秀な人材を確保し、目先の片付けるべき仕事だけでなく中長期的な見通しに立った計画的な設計保守が重要となる。パッケージソフトベンダのMicrosoftに限らずハードウェアを売っているAppleや広告で売上を立てているGoogle、本屋のAmazonであれ、ソフトウェア技術者に充実した環境を提供して世界中から優秀な人材を集めている。
コアとなる開発者は正社員として雇用し、技術的な制約条件を踏まえた意思決定に基づく計画的な開発が行われている。そうしなければ品質管理を徹底し、長期的な計画に基づいて製品企画から実装に至る擦り合わせと方針の柔軟な見直しが難しいからだ。
ところが日本では家庭用ゲーム機などの例外を除くと、ソフトウェアはハードウェアのおまけだった。開発の多くは外注に出され、会社組織やプロジェクトの単位で意思疎通は分断されたのではないか。ソフトウェアの開発規模がおまけといえるほど小さく、製品の魅力に大きくは影響しない段階では問題とならなかった。ところが半導体性能の飛躍的向上とクロックの頭打ちによって、大規模なソフトウェアに対して機動的に機能を追加しつつ最適化して動作させる必要に迫られて矛盾が顕在化した。
ソフトウェアの品質と効率がデジタル機器のボトルネックとなったにも関わらず、人員構成やサプライチェーンを見直さなかったために、米国企業がソフトウェア開発の大規模化と要求品質の高度化に直面して「正規雇用に基づく中長期的な視野に立った擦り合わせ型の製品開発」にシフトしたゼロ年代、日本は「非正規雇用と重層的な下請構造による官僚主義と場当たり的な開発」に追われ、その矛盾は発注者から元請け、元請けから下請けにしわ寄せしなかっただろうか。
ここで話は冒頭に戻る。「iPhoneには何も新しい技術要素がない。わが社でも似たような端末は簡単につくれる」と役所に豪語したらしき電機メーカーの重役氏は状況を理解していたのだろうか。その発言そのものが状況を把握できず、相変わらずソフトウェアやエコシステムを軽視した発想が滲み出ていないだろうか。
日本がデジタル家電の時代に負けたのは、それがモジュール化された水平分業の世界で、日本的な擦り合わせが通用しないからではない。既存の雇用を守るためにソフトウェア軽視と外注依存から脱却できず、重層的な下請け構造に頼らざるを得なかった中で、米国企業による「グローバル人材獲得と擦り合わせと改善」に負けたのではないか。この状況を放置すれば遠からず韓国や中国にも同じ理由で負けてしまうのではないか。
斯様に「ガラパゴス現象」は経営者の意識で解決する生易しい問題ではない。そもそも独自性そのものが悪ではなく、利用者に製品の魅力を訴求できていない現実を直視する必要がある。
背景を紐とけば、大企業でなければイノベーションを起こし難い社会構造、国内大口需要家による大規模調達を通じた産業育成、重層的な下請け構造と会社身分制、ソフトウェアの人月契約、司法への依存度が低く硬直的な規範意識、大企業の新卒一括採用と年功制に起因する雇用市場の二極化など、我が国の高度成長を支えた社会構造が裏目に出た非常に根深い問題だ。
解決へ向けた銀の弾丸はないが、まずは「日本の強みは擦り合わせで云々」といった精神論から卒業し、置かれた状況と冷静に向かい合うところからしか議論は始まらない。
(私のコメント)
日本経済の長期にわたる停滞は産業構造の中に大きな原因があると考える。これは小泉内閣の「構造改革」とは意味が違うのですが、「雑種路線でいこう」で書かれているように、新卒一括採用と年功序列体系に原因があるのではないだろうか? 日本企業では優秀な中間管理職を中途採用しようとしてもなかなか上手く行かない。
日本国内だけならそれでもいいのでしょうが、グローバル競争時代になると企業同士の優秀な人材獲得合戦に日本企業が入っていくことが出来ない事実に直面する事になる。企業のトップが外部から導入される事も海外では多いのですが、日本では外部に買収でもされないと社長が外部から招かれる事は珍しい。
有能な人材の引き抜き合戦は、日本のような年功序列型社会では起きにくいのですが、世界では有能な人材の引き抜き合戦が起きている。日本でもスカウト会社などの引き抜きなどもあることはあるのですが、新しい会社や中小企業などに限られるようだ、日本の大企業などでは経営が傾けば社長が外部から招かれる事もありますが、一般的ではない。
ましてや日立や東芝や三菱などの大企業において外国人の中間管理職が採用される事は聞いたことがない。情報家電産業などソフトウェアの開発などでシリコンバレーやインドなどから優秀なエンジニアをスカウトして開発に当たらせればいいと思うのですが、日本の場合は下請けにソフト開発させる事になる。
下請け企業は何時でも切り捨てる事ができるから元請の大企業にとっては便利なのでしょうが、ソフト開発力が重要になってきた現在においてはマイクロソフトやアップルやグーグルといったグローバル企業に太刀打ちが出来なくなり、日本の家電産業は韓国のサムスンなどに追い立てられるようになって来ている。
サムスンなども世界中から優秀な技術者を破格の待遇でスカウトして新製品を作らせているから開発スピードが非常に速い。日本のDRAMや液晶パネルや携帯など日本企業はサムスンやLGなどに簡単にキャッチアップされて市場を奪われてしまった。日本からも破格の待遇でスカウトされて日本人技術者が働いている。
日本企業は年功序列的な雇用体系を崩す事が出来ず、いまだに新卒一括採用をしている所がほとんどであり、中途採用で中間管理職を海外からスカウトする事などほとんど聞いた事がない。一部の中小企業ではありますが海外シェアが90%以上のような特殊な会社で社内の会議も英語でしなければならないほど人材も外国人が多くなっていた。
日本のソフトウェア会社は大企業の下請けであり、コンピューターを売った先のオーダーメイドのソフトなどを開発する所が多い。私の経験でも日本IBMのコンピューターが入った企業で、そこで使われるソフトを受注したソフト会社がオーダーメイドのソフトを作っていた。なんで既成のパッケージソフトを使わないのか不思議に思ったのですが、オーダーメイドのほうが儲かるからだろう。
日本企業ではなぜオーダーメイドのソフトを使いたがるのだろうか? パッケージソフトを使えば安くて安定した運用が出来るのですが、会社組織をパッケージソフトに合った運用に切り替えなければならない。それが日本の一括採用と年功序列の組織で固まった体制では運用を切り替えることは難しい。
だから日本では業務用ソフトでもパッケージ化が進まずオーダーメイドでソフトが作られた。グローバル企業では業務のブロックのレゴ型組織だから外部から人材も登用ができるし業務もパッケージソフトで統一した方がやりやすい。日本ではワープロソフトですら一太郎とワードが混在して文書管理もままならない。
日本では社内組織が強すぎるから働かない中高年社員をクビにすることが難しい。日本企業のIT化が進まないのもここに原因があるのでしょうが、年功序列で高給をもらっている中高年社員はネット化した社会では役に立たない。だから日本全体がスランプ状態に陥りスピード化した業務に追いつかない。
◆グローバル人材不足が物語る日本企業=「人ベース」組織の光と影 8月19日 原英次郎
http://diamond.jp/articles/-/9110
慶応義塾大学ビジネス・スクールの高木晴夫教授は、「人ベース」の度合いが高いのが日本企業で、「仕事ベース」の度合いが高いのが欧米企業だと指摘する。日本企業は長期の雇用が前提で、新卒採用が中心。このために、職務やポスト、正式の組織ライン以上に、人を中心に情報が集まり、ネットワークが構築される。人が人を呼ぶ、あるいはできるヤツができるヤツを呼ぶという組織力学が働く。だから、企業としての目標も、ネットワークの中心にいるミドル層が立案し、トップがそれを承認するという形が主流だ。
これに対して、欧米とくに米国の企業は、職務やポストに求められる要求が明確で、標準化されている。意思決定のやり方も、トップが目標を設定し、それをブレイクダウンしていくから、どの職務にはどのような仕事が求められるかが明確にされている。仕事に対する要望が明確なために、それに適した人材を外部から採用しても、うまく機能することが多い。
要は、日本企業が社内でしか通用しないインナーサークル型組織だとすれば、米国企業は、いわばブロックのレゴ型組織といえるだろう。レゴだから、不足すれば、それに当てはまるレゴを調達してくればよく、社内に適材がいなければ社外から連れてきてもよい。仕事がベースだから、給与も年功序列的な運用でなく、職務給と業績給が適しているということになる。
多国籍に事業を展開する企業にとっては、どちらの仕組みが適しているかは明確だろう。米国型のほうが、誰が見てもわかりやすいし、理解しやすい。
だからといって、組織や人事評価を欧米型に修正すれば、うまくいくというものではない。ましてや安易な成果主義の導入で、日本企業が混乱したことは記憶に新しい。欧米型の組織にも欠点はある。自らの仕事以外には興味を示さなくなるということだ。これに対して、人ベースの組織は、うまく機能すれば、求められているもの以上の力を発揮する。
高木教授は、日本企業は人ベースの組織と仕事ベースの組織の長所を併せ持つ「ハイブリッド型」の組織を目指すべきだという。その「型」は欧米企業を探しても見つからない。それは安直に欧米企業の型を輸入するのではなく、自らが考えに考えて、生み出すべき創造的な仕事なのである。グローバル人材の養成は、日本企業の文化にまで及ぶ本質的な課題を提起している。
(私のコメント)
日本企業がグローバル化することは非常に難しい。年功序列の組織を能力給体系に変える事は中小企業では出来る所もあるのでしょうが大企業では無理だろう。新卒一括採用に対する変革すら出来ずに、暑いのに黒いスーツ姿のリクルート学生を一年中見かけるようになりましたが、大学三年生から就活するなど明らかにおかしい。
このように日本では大企業がグローバル化の前に足踏みをしているいまこそ中小企業が職務給や能力給で人材の自由化を行なって大企業にチャレンジする機会が来ているのですが、大企業の下請け企業が多くて大企業からの天下りを受け入れているような中小企業では難しいだろう。
年功序列組織と職能給組織と一長一短がありどちらが良いとも言えないのですが、日本では学校教育から年功序列教育であり、スポーツ界、芸能界、政界、官界あらゆる組織が年功序列組織だ。アイドルの世界ですら先輩後輩の世界であり、会社組織を職能組織に変える事は混乱を招くだけなのかもしれない。
企業内組合も年功組織だからであり、外部の人材を入れることは組合も反対する。それが日本企業のグローバル化を阻む壁になっている。同一労働同一賃金が日本で受け入れられないのも年功給体制がそれを受け入れないからだ。だから問題の根は深い。
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