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公共の仕事をどう考える社会を作るか 2010年07月29日00:52
世界的不況はこれからが本番だそうですが、日本の経済はどうなっていくのでしょうか?
おそらく比較的軽微な影響しか受けないのではないでしょうか?
政府がここまで機能不全的で何もやらないと、むしろ官僚制度側の自然治癒力が働くかも知れません。特に日本では公共の仕事に対する考え方が、他国とは異なっているようですから。
公共の用に供する仕事をどのように行うか、国家という概念の中でこれは結構難しい問題のようです。
なにかと問題視される公共投資ですが、この公共という概念が解っているからこそ問題となる日本と、概念すら薄い他国との違いにもっと注目すべきだと思います。
キリスト教は「愛」を中心に据えた教義を展開しますが、この「愛」の意味は「公共」ということではないでしょうか?
信仰のあるものが、少しづつ献金をして公共のための事業を行う。公共の事業が完成していくことで、少しづつ生活が楽になっていく。私利私欲にだけ走ると、結局くたびれるだけで財は残らない。公共と個人利益の分配をどうやって決めるか、そしてそのお金をどのように使うか、誰が使うか・・そのバランスがうまくいったことがキリスト教の世界宗教化を成功させたとも言えると思うのですが。そしてキリスト教の持つ排他性も、ここから来ているように思います。公共が理解できない文化(?)を差別するという意味ですけど。
近代国家における税の概念と国家事業のあり方は、このキリスト教のシステムが土台にあることは間違いないでしょう。
キリスト教の方々は、この公共という概念が持てるのはキリスト教信仰者だけだと思っています。ですからキリスト教以外を認めず、邪宗として退けてきたわけです。
ところが日本は公共という概念を持っていました。キリスト教とは少し異なるシステムとして、しかし確実にその概念を歴史の中で受け継いできました。
戦後アメリカが日本を解析し、公共の概念が天皇にあると見て、その天皇の元に強力なキリスト教宣教師がおとづれ、天皇をキリスト教徒にしようとしていたことは有名な話ですね。
昭和の天皇陛下は上手に付き合っていたようですけど。
公共という概念のない中華。中華思想は、華人そのものが公共であって、ゆえにそこに貢ことが他国の幸福に繋がるという概念です。人種差別思想と言っても欧米のようなものではありません。
ようするに朝献と言うシステムで、客観性はなく根拠もありません。
ゆえにシステムとして機能しません。ですから公共という概念がないに等しいということになるのでしょう。(ですから民法が定着しません)
共産主義によって統治が独裁となり、暴力的強権をもって行うことが当然と受け入れられ、反面公共の概念が発芽しませんから、国民は私利私欲に走り、公共的な仕事は家族から始まる血縁関係を核としたシステムにならざるを得ない状況なのでしょう。
ゆえに中華思想は共産主義から離れられず、資本主義を取り入れ経済発展のまねをしてみても・・・「臨海部の富裕層だけでも1億人いる」ようにはなっても、中国の一般的な労働者の月収は過去5年にわたって2万円から上がっていないということになってしまったようです。
そして周辺の民族を取り込んで同化による平和維持を指向しますから、民族問題が解決せず、ますます公共という概念は育ちそうにもありません。
公共の仕事を喜々として行う日本人とかキリスト教徒達を見た時、華人の価値判断では「なんて馬鹿なんだろう」ということになるようです。
そんな隣国・中共とどうやって付き合っていくのか、それが我々日本国民にとってもっとも難しい問題であることは、聖徳太子の時代から変わっていないようですね。>>
(私のコメント)
民間の食堂や銭湯より公共で、自冶体で格安、良質のもを提供するのが社会主義でしょう。住宅も必要です。一党独裁でない社会主義が理想なんでしょうけどね。
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