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【ダイヤモンドオンライン】http://diamond.jp/articles/-/8522
私たちは常に経済成長を追い求める。成長戦略を政権に要求する。だが、経済成長とは何だろうか。果たして、どれほど人々の幸福に結びつくのか。斉藤誠・一橋大学大学院教授は新著『競争の作法――いかに働き、投資するか』(ちくま新書)で、「戦後最長の景気回復」を検証し、経済成長の欺瞞をあぶり出した。
―日本社会は豊かであるが、それが人々の幸福には結びついていない。あるいは、日本の豊かさは捏造されたものだ、と本書で執拗に指摘している。
日本は中国に抜かれたとしても、GDPは世界第3位の経済大国で、非常に豊かな社会であるはずだ。それなのに、幸福感に乏しい。生活の充実感が何かしら欠如している。そうした欠落感を多くの人が抱えている。それはなぜか。
マクロ経済学の観点から、豊かさ=生産、幸福=消費に置き換えてみると、生産が増えても、消費が一向に増えないことがわかる。日本社会は生産、つまりGDPの増大を重視する。そして、そのGDPの伸びが輸出や設備投資に主導されていると評価する傾向が強い。ところが、私たちの消費生活は生産増に伴って充実しているわけではない。その現実に気がつくべきだ。
―GDPの伸びを経済成長と呼ぶ。つまり、経済成長しても幸福になれないということか。
そうだ。それが、日本の真実だ。その矛盾は戦後日本に一貫するものだが、とりわけ2002年から07年にかけて戦後最長の景気回復を果たしたといわれる期間に、一気に現れた。
この5年間の実質GDPは505兆円から561兆円へ額にして56兆円、率にして11.1%増加した。だが、実質家計消費は291兆円から310兆円へ額にして19兆円、率にして6.5%しか拡大しなかった。なぜなら、就業者数はたった82万人、1.3%しか増加しなかった。実質雇用者報酬の伸びも2.6%に止まった。そして、民間勤労者が受け取る現金給与の実質総額にいたっては、1%以上低下したからだ。これで、消費が伸びるわけがない。
こうした不自然な景気回復は、いずれ終焉を迎える。事実、株価や金融市場では2007年から不自然さを調整する動きが徐々にだが、現れていた。その後、私たちは2008年9月にリーマンショックに遭遇し、大騒ぎをすることになるが、リーマンショックは調整の最終局面で最後の一押しをしただけだ。
ちなみに、リーマンショックで実質GDPは9%弱減少したが、就業者数の減少は1%弱、実質雇用者報酬の低下率も約2%に過ぎなかった。これを見ても、GDPの増減=豊かさが家計消費=幸福に結びついていないことが分かる。
―なぜ『戦後最長の景気回復』は、人々の幸福に結びつかない経済成長となってしまったのか。
この5年間は、前半と後半に分けて考えることができる。2000年代初頭、海外の高級ブランドが東京銀座に進出、目抜き通りを買い占めてしまうほどの勢いだった。海外勢は日本の地価が底値に達する03年、04年に向かって、銀座のみならず土地を買い叩きまくった。株価も同じだ。03年に日経平均が8000円を割るほどの下落過程で、海外勢は大きく買い越した。
海外の資金が円建て資産に集中するに連れて、急激な円高が進んだ。財務省は空前絶後の規模でドル買い、円売りの介入を繰り返した。だが、大規模な為替介入による円高阻止は、海外勢ができるだけ安値で日本の資産購入を支援したことになる。これに対して、日本勢は資産下落に動揺し、狼狽して日本売りを続けるばかりだった。冷静冷徹なる海外勢は、ただ同然で有望な事業物件を含む日本資産を手に入れた。つまり、日本経済の付加価値部分、果実を掠め取られ、日本人が享受することはできなかったのだ。
―『戦後最長の景気回復』の後半には、何が起こったのか。
当時の消費者物価指数などを検証すると、物価は非常に安定していた。だが、その物価の安定は、“デフレを抜け出していない証左”だと捉えられ、過大な金融緩和に突き進んだ。その結果、「二つの円安――目に見える円安と目に見えない円安」が生じた。2002年から2004年にかけて1ドル125円から108年に円高となった後、2007年にかけて118円まで円安が進んだ。これが「目に見える円安」だ。
一方、「目に見えない円安」とは、外国の物価水準に比べた日本の物価水準の低下を加味した実質実効為替レートを指す。この実質実効為替レートでも『戦後最長の景気回復』期間は歴史的な円安局面だった。この二つの円安だけで、自動的に20%ほど国際競争力が向上した。生産性の上昇も労働コストの圧縮もなしに国際競争力が上昇したのだ。より正確に言えば、卓越した商品性や性能ではなく、圧倒的な国際“価格”競争力を得たのだった。
―二つの円安による輸出主導の経済成長が、消費の伸びにつながらなかったのはなぜなのか。
輸出企業は、二つの円安によって、未熟な工員がいい加減に作った製品でも十分な国際競争力を持っていたから、労働コストを節約したまま輸出拡大に対応できた。だから、会社は史上空前の利益を上げているのに、社員の労働所得は増えなかった。輸出企業は荒稼ぎをした収益のほとんどを生産増強のための設備投資に投じ、株主に還元しようとしなかった。
また、その輸出拡大は、それほど優れたところのない製品を安値で叩き売っていた薄利多売である一方、歴史的な円安だから、原材料その他は海外から非常な高値で買うことになった。その結果、輸出で稼いだ豊かさが海外に逃げてしまった。安く売って高く買うことから生じる損失を、交易損失と言う。この次期は、明らかな交易損失が発生していた。
つまり、家計はトリプルパンチを受けた。労働者としての家計は、給与が伸び悩んだ。投資家としての家計は、企業収益の分け前にあずかれなかった。消費者としての家計にとっては、購買力がひ弱になった円は使い出がなくなった。これでは、消費が伸びるはずがない。これが、豊かさ=生産の増大、つまり成長が、消費=幸福に結びつかなかった構造だ。
―“幸福に結びつかない経済成長”を私たちが繰り返し求めてしまうのは、なぜなのだろうか。2000年代前半の物価安定がデフレの持続と認識され、その脱却が叫ばれ、金融緩和政策が採られた。なぜ、私たちは豊かさを捏造するような思考回路にはまり込むのだろうか。
日本全体が成長神話に囚われているからだ。あるいは、なすべき検証もなさず大した考えもないままに“あるべき姿”を描き、追求するからだ。
日本の物価に関する認識はその典型で、”あるべき姿“から現実が乖離していることで苛立ってしまうのだと思う。「消費者物価が年2〜3%程度で上昇している姿が望ましい」とあるべき姿を思い描いている人々にとっては、物価水準が合理的な理由によって長期安定していたとしても是正すべき政策対象となる。日本政府のデフレ脅威論が、まさしくそうだ。デフレ懸念の強迫観念に囚われた政治家は、時に荒唐無稽な政策を言い出す。また、前述したようなGDPと雇用や所得の関係を知らない評論家はリーマンショックに度を失って、財政緊急出動して“あるべきGDP”とのギャップを埋めろなどと主張する。
―しかし、少なからぬ経済学者も日本政府に同調して、「経済成長はデフレ脱却から始まる」と主張した。
何のための経済成長か、何のために経済活動はあるのか、それは人々の暮らしを充実させるためにある。その本質を突き詰めないままに、マクロ経済活動の成果を図る尺度を成長率においてしまう。その日本社会に色濃い習性は、残念ながら経済学者も逃れられない。
なぜなら、論考することが、それで非常に楽になるからだ。議論が強制的に整理され、文脈が単純になり、分かりやすくなるからだ。自ら問題を単純化し、あるべき目標を設定し、そうして、結局は達成できないという強迫観念にさいなまれる、そんないびつな構造に社会全体が陥っている。
あるいは、それはあせりの裏返しともいえる。1990年代後半の金融危機以降の長期経済低迷を克服すべく、「失われた15年」を取り戻そうともがけばもがくほど、大規模な為替介入のような愚策がさまざまに展開され、から回りした。
―日本社会全体が発想を変え、目指すべきものを変更しなければならないことはわかる。だが、人々を幸福にできないものに懸命に資源を投入している社会構造を、どこからどのように変えればいいのだろうか。
欧州で暮した日本人の多くは、日本よりGDPが小さいのに、彼らの方がはるかに労働時間は少なく、バカンスにも出かけ、豊かな日常生活を送っていることを不思議に思う。それは、ひと言で言えば、フローの成長を求める日本とストック型社会である欧州の違いだ。例えば、高額な住宅を作っては壊す日本に対して、欧州は100年も住める。建築コストを100年に分割して負担している。だから、豊かなのだ。土地の利用の仕方も投資のあり様も働き方も先進国の間尺にあうように発想を大きく変えないと、私たちは幸せになれない。
だが、それを社会全体やマクロ経済政策に一方的に頼っては解決できない。私たちは社会事象を自分の問題ととらえ、一人ひとりが取り組んでいくという構えを、あまりに欠いてしまっている。今後、今以上に私たちは厳しい競争環境に置かれる。今、マクロ経済の立て直しと同時に、個々人がマクロ経済の只中に生きているという当事者意識を持たなければ、生きていけない。
例えば、私は経済学者であると同時に大学の教員であるから、就職できない学生に向かって、「これはマクロ経済運営に失敗した政府の責任だ」と批判しても、就職先が見つかるわけではない。他人事の所作は、何の意味もない。学生に対して、どんな苦境に陥っても社会に立ち向かっていく戦略、知略、勇気を教え込まなければならない。それが、大学の現場にいる当事者としてやるべきことだ。
―今後、私たちはどれほど厳しい競争環境に置かれるのか。
グローバル競争において、優勝劣敗はますます明確になっていく。生産現場は苛烈な生産性向上、あるいはコストカットの競争にさらされる。今後、二つの円安バブルでかさ上げされた20%の国際競争力は引き剥がされる。つまり、働く者の所得が20%減るということだ。日本人は耐えられるだろうか。
日本社会は中高年を中心に、毎年3万人を超える自殺者が出る異常社会だ。職場と家庭を背負っている中高年がこれほど多く人生を放棄してしまうことなど、先進国ではありえない。職を失えば、生々しい現実に向かい合わなければならない。マンションを売り、子どもの学校を私立から公立に変え、生活を身の丈にあわせなければならない。ところが、社会の標準化された理想を変更できずに、切羽詰ってしまう。恐ろしく脆弱な社会だ。これでは、個人も会社もこれからを生き抜くことができない。
―給料が20%減る時代を生き抜くために、自分の幸福とは何かを考えろ、ということか。
そうだ。所得20%減の競争社会を生き抜くために重要なことは、たくましく立ち向かっていく覚悟と同時に、非経済的な分野でどれほど豊かな生活を送れるかだ。職場以外の生活のなかでさまざまなクッションを持っている人間こそ、これからの苛烈な競争の生産現場に踏みとどまることができる。充実した市民社会生活を営む強い個人が集まってこそ、会社も強くなるのだ。
これまで日本人は、個人として時代を生き抜く覚悟は希薄だった。社会状況や会社に身を委ね、市民としての生活の充実を諦めることでそこそこの幸せを得てきた。だが、繰り返し述べてきたように、そうした“過去の豊かな社会”はもはや個々人に幸福をもたらさない。生産活動つまり豊かさの20%を失っても、埋め合わせてあまりある幸せの活動を見つける。それが、日本経済のテーマだ。
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