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(回答先: [野村証券の市場展望] 金融危機が広がる可能性は小さい。 投稿者 gikou89 日時 2010 年 6 月 09 日 09:29:38)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100607-00000301-tsukuru-soci
●はじめに………本誌編集長・篠田博之
映画「ザ・コーヴ」が日本で大きな話題になったのは、この春、同映画がアカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞を獲得してからだった。和歌山県太地町で行われているイルカ漁を告発したこの映画が、鯨やクロマグロ問題と同じく日本叩きの延長と捉えられ、それに権威ある賞が与えられたことへの戸惑いを日本のメディアが大きく報じたのだった。
ドキュメンタリー映画としての手法、捕鯨やイルカ漁をどう考えるかという問題など、この映画が議論すべき多くの素材を提供しているのは確かだ。6月下旬予定の日本での公開がどんな反応を引き起こすか興味深いのだが、実はそれどころか、上映そのものが危ぶまれる事態になっている。太地町の漁業協同組合が訴訟も辞さずと抗議を行っているばかりか、4月9日から右派団体が上映中止を求めて激しい抗議行動を起こしているからだ。どうも2年前の映画「靖国」上映中止の時とよく似た展開をたどっているのだ。
映画自体の評価については今回の座談会でも明らかなように、多くの論者の間で見方が分かれている。そういう議論を賛否両方で闘わせることが大事だと思うのだが、表現をめぐる日本社会の環境は、実はかなり脆弱だ。議論をする前に映画が封印されてしまう怖れもある。
本誌は「靖国」の時と同様、上映中止には反対で、6月9日(水)18時40分からなかのZERO小ホールにて、映画を見て討論するシンポジウムを開催する。詳細は創出版HP( http://www.tsukuru.co.jp/tsukuru_blog/2010/05/post-118.html )などで告知をしているので、ぜひ関心を持ってほしい。
なお、今回の座談会は、想田さんにはネット回線を使ってニューヨークから参加して頂いた。また、映画監督の是枝裕和さんには、別にコメントを頂いた。
【捕鯨は本当に日本の文化なのか】
【森】今日僕は大学の授業で、学生に捕鯨は是か非かもちろん単純に割り切れる問題ではないけれど、あえて現状において感覚的に言うならどちらか、と訊いてみたんです。統計的には10人中ほぼ9人くらいが、捕鯨は続けるべきだと答えました。理由を訊けば、鯨もイルカも含めて、「口を出してくれるな」という感覚です。これが、日本のマジョリティなんでしょうね。調査捕鯨の実態はほとんど知らないし知ろうともしていないけれど、日本の文化に文句を言うなという意識、多少ナショナリスティックな部分もあるでしょう。
【想田】ほぼナショナリズムですよね。だって、捕鯨やイルカ漁が禁止されても、困る人ってほとんどいないでしょう。
【森】10人の学生の中で鯨肉を食べたことがあるのは、1人か2人くらいでした。知らないし食べたこともないけれど続けるべきだと。
【想田】イルカを食べたことのある人は、もっと少ないですよね。だから文化だという議論は、成り立たないと思います。
【森】日本の文化云々というレトリックは、たとえば死刑存廃論議の際にも、「日本には死んでお詫びをする文化がある」式に使われます。一応は説得性があるように考えられているけれど、でも、もし本当に古い文化を最優先するなら、日本人はみんな縄文式の生活をしなきゃいけない。パプアニューギニアの人肉食だって文化です。死刑についていうのなら、日本には武士道があるけれど、死刑を廃止した欧米には決闘を正当化した騎士道がある。文化は変化することが当たり前です。過去の習俗を前提にするのなら、一歩も前に進めない。
【綿井】この映画の中でも、「(イルカ肉を食べていることを)日本人の大半が知らないのにそれを文化と呼べるだろうか?」と主人公が語るシーンがあります。和歌山太地町でのイルカ漁で言えば、国立公園の中で行われている正式な漁で、地元の人たちとしては隠しているつもりはないのですが、日本で知られていないことは確かですね。
【森】おそらく以前は、あそこまで隠さなかったと思う。外国のメディアからの取材が一因だろうとは思います。妨害もかなりあるようだし。そもそもイルカ肉って流通しているのですか?
【綿井】太地町ではスーパーに行くと「真イルカ」と表示されて売られています。静岡あたりでも販売されてますね。鯨と同じく刺身や煮付けで食べるのですが、ただ地元でもそんなにいつもいつも食べているようなものではありません。
【森】4月13日の朝日新聞が調査捕鯨の実効性について、一応は両論併記の形だけど、問題提起をしています。この対談に当たって僕もいろいろ資料を読んだけれど、国から補助金までもらいながら、年間1000頭近い鯨を殺さねばならないその理由は、やっぱりよくわからない。そもそも調査の目的もわからない。鯨を減らさないと魚が減ると言う人がよくいるけれど、日本の調査捕鯨が主に採るミンククジラはヒゲクジラだから、基本的に大きな魚は食べません。もう一つ大きな問題は、哺乳類である鯨を、水産庁の管轄にしていることです。つまり水産資源。だから環境庁が管轄する「種の保存法」や「鳥獣保護法」が鯨には適用されない。世界の見識と日本が常に食い違う理由のひとつはここにあります。
【篠田】森さんは捕鯨についてはどういうスタンスなんですか。
【森】鯨だけじゃなく、牛も豚も鶏も、もうちょっと食べる量を減らしてもいいんじゃないかと思っています。僕も肉は食べるし、ある程度は人間の業として仕方ないと思うけれど、でも日本だけで牛は年間127万頭、豚は1660万頭、鶏は5億8996万羽が屠殺されています。これほど殺戮せねばならないほどに肉食は必須なことなのか。このあたりでちょっと考えてみてもいいと思う。ミートソースも麻婆豆腐も、肉なしでも十分においしいですよ。
屠殺の現場を見たら肉が食べられなくなったとよく聞くけれど、ならばやはりどこかで無理をしているわけで、それほどに必要なことなのかどうか。鯨肉においても現状は、1000トン以上の備蓄が冷凍庫に入ったままとの報告もある。つまり消費が追いついていない。作品についての評価と同時に、いい機会だからそんな状況は知ったほうがいいと思う。
【篠田】捕鯨をめぐる議論がなかなか進まないのは、日本の大手マスコミが、基本的には政府の後押し報道しかしないからじゃないかな。国際捕鯨委員会(IWC)での議論の報道にしても、アプリオリに日本の国益に沿った立場に立ってしまう。だからそれが刷り込まれているんだと思います。
【イルカ漁を叩こうという欧米人の「正義」】
【森】アメリカではこの映画は今、どんな状況ですか?
【想田】劇場公開は終わって、DVDも出ています。興行収入としてはアメリカ国内で1億円に届いてないくらいですから、そんなに大ヒットというわけではないですね。そもそも、アカデミー賞といってもドキュメンタリー部門には、それほどアメリカ人の関心はないんです。「アバター」と「ハート・ロッカー」の競り合いには関心が集まっても、残念ながらドキュメンタリー部門に興味を持つ人はほとんどいません。ですから、受賞後も再上映が決まったという話は聞きません。ただ、テレビシリーズが始まるようです。アニマルプラネットというケーブル・チャンネルで、続編をやるというニュースが出ています。
【森】ということは、また日本に来てロケをするということですか。そのロケの様子を誰かがドキュメンタリーで撮らないかな。きっと面白い作品になると思う。
【篠田】アメリカ人にとって、イルカを獲るなんてとんでもないという感覚は一般的なんですか?
【想田】すごく平均的ですよ。だからこれは、アメリカでは非常に安全なトピックです。僕はそこが、あの監督の姑息なところだと思うんです。おそらく彼はベジタリアンで、本当に標的にしたいのは、動物全般を食べることなのだと思います。でもそれでは広範な支持を得られない。それこそ、今の日本人から上がっているのと同じような反発が、アメリカやヨーロッパから来るでしょう。けれどイルカなら、欧米では誰も食べません。だから観客はみんな簡単に正義の側に立てるんです。線を引いて、自分たちはみんなこちらの正義の側、イルカ漁をこらしめようという側に立てる。
テレビシリーズが決まったというところからピンときたのですが、エンタテインメントとしてバッシングする、つまり、やっつければやっつけるほど視聴率が上がるという構図を、そこに見てしまった気がします。オウム報道と同じですよ。もちろん、日本から反発があることもわかっているのですが、それは彼らにとって、非常に限定された、遠い国の話です。それこそ、イラクにミサイルを撃ち込むのと同じなんです。自分たちは安全なところにいて、遠くのよくわからない国にミサイルを撃つ。そういう発想を僕は感じました。
僕もベジタリアンなので、監督が狙うことはよくわかります。でも、やるんだったらもっと本質的なところでやってほしい。一般社会で支配的な価値観に挑戦するなら、肉を食べるという問題に行くべきですが、この映画は、そういう試みをしようとしません。
<続く>
森 達也●56年生まれ。テレビディレクター、映画監督、作家。オウム真理教を素材にしたドキュメンタリー映画「A」、「A2」など。著書『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』『死刑』他多数。
綿井健陽●71年生まれ。フリージャーナリスト。98年からアジアプレス所属。イラク戦争のドキュメンタリー映画「リトルバーズ〜イラク戦火の家族たち」を撮影・監督。
想田和弘●70年生まれ。ニューヨーク在住の映画作家。ド キュメンタリー映画に「選挙」(ピーボディ賞)、「精神」(釜山映画祭最優秀ドキュメンタリー賞)など。著書に『精神病とモザイク』。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100607-00000302-tsukuru-soci
<(1)より続き>
【ドキュメンタリーの持つプロパガンダ性】
【森】ならばこの作品が、イルカではなく牛肉の屠殺やアメリカの食肉業界を告発するドキュメンタリーならば、想田さんの評価は変わるのでしょうか?
【想田】うーん……、それほど変わらないと思います。というのも、この映画はドキュメンタリーというよりも、すごくよくできたプロパガンダだと思うんです。アカデミー賞に長編プロパガンダ賞という部門があるとすれば、これは一等賞だと思いますよ(笑)。
【森】つまり監督の姑息さは作品の評価とは関係ない。要するにこの作品は、想田さんが規定するドキュメンタリーとは違うということですね。
【想田】そうですね。それは、立ち位置が中立じゃないということではありません。偏っていてもいい。むしろ、ドキュメンタリーを撮る人は全員偏っているものですからそれはいいんですが、僕が一番問題にしているのは、「未知に対して開かれていない」ということなのです。先に結論ありきで、その結論に閉じ込めるためにいろんな要素を拾ってきて、結論を強化するためにしか素材を使っていない。作り手にためらいや疑問がない。とにかく、太地町の漁師をこらしめよう、糾弾しよう、そのための材料を集めよう、と。そこが僕には、ドキュメンタリーとして認めがたいんです。
【綿井】想田さんの批判は、森さんがマイケル・ムーアの「華氏911」を批判したときに言っていたことと同じような内容ですよね。その森さんがこの映画を、「自分がアカデミー賞の審査員だったとしても最優秀賞に選ぶ」と言っている。
【森】確かに。……やっぱりマイケル・ムーアに対する嫉妬ですね(笑)。冗談はともかくとして、「ザ・コーヴ」は(ドキュメンタリーの)エンタテインメントとしては、まずは圧倒的に優れています。編集や構成も洗練されている。そもそも作品のプロパガンダ性を、僕は否定するつもりはありません。僕や想田さんや綿井さんの映画だって、思想の表出という意味では立派なプロパガンダです。
問題はそのメッセージに作品、つまり手法が全面的に従属しているかどうかです。ムーアに感じたその従属性を、「ザ・コーヴ」については僕はほとんど感じない。確かに監督のイズムは強固だけど、それをもってしてマイナスな評価をするつもりはない。結果として揺れなかったからといってイズムに従属していると短絡するつもりはない。
「華氏911」はムーアの思想を表出するために、様々な映像素材を切り貼りした映画です。つまりイズムに従属した。でも「ザ・コーヴ」は盗み撮りのシーンも含めて、実のところ遠心分離機のようにイズムを借景にしている。たとえばリック・オバリーという、「わんぱくフリッパー」の調教師だった偏屈親父をメインの被写体にしながら、イズムを相対化しようとする気配がある。きわめて微妙であることは承知しているけれど、その意味ではプロパガンダだけに埋没していないと感じました。
【綿井】僕は告発映画として面白いと最初思ったのですが、よく考えるとこれはセルフ・ドキュメンタリーにも見えました。リック・オバリーが主演で、実質的に彼が監督では? そして彼自身のイルカとの人生や関係性を描いている。セルフって、だいたい自分と家族との関係を自分で描きますよね。彼にとっての家族はイルカだから(笑)。
【森】そうかな。よく観ればリック・オバリーを突き放していると思う。ラストに彼がIWC総会に乗り込んでいくシーンがあるけど、あれはおそらく監督がそうしろと言ったんじゃないかな。もちろん本人の希望もあったと思うけど、「ゆきゆきて、神軍」の奥崎謙三と原一男監督の関係と同じで、相互作用ですよ。「やりたい」「じゃあやれ」っていう。そこがスリリングで、見ていて面白かった。
【綿井】いや確かに面白いです。告発映画として、彼なりのイルカに対する切実さは感じました。逆に太地町漁師の人たちへの思いは彼には全くない。
「盗撮」という手法が問題なのか?
【森】この映画を見ていない人たちが批判する最大の論拠は、「盗撮という手法は許せない」ということのようです。これについて、想田さんはどう思いますか?アメリカ版では、漁師たちの顔にモザイクは入ってないんでしょ?
【想田】アメリカ版では入っていません。それも僕は引っかかっているんです。日本語版でモザイクをかけないことにこだわりがないというのはやっぱり、映画がツールになってしまっているということですよ。漁をやめさせることが最終目的だから、それさえ叶えばいいということですよね。
【綿井】太地町から配給会社に抗議も来ていますが、映画製作者側はとにかく日本で上映するということを最優先にしたようです。たとえ顔をモザイクにしてでも上映さえできるんだったらということで。取材する側とされた側の二者間で折り合いがついているなら、僕はモザイク自体は、この映画ではあんまり気にしていないんですけどね。
【想田】映画をツールとして見れば気にしなくてもいいですが、でもドキュメンタリーの作家として見れば、もっとそこにこだわった方がいいと思うんです。たとえば「ゆきゆきて、神軍」にモザイクがかかることを想像できますか。モザイクをかけたら、まったく違う映画ですよね。
【森】モザイクよりも公開を優先したということなら、その瞬間に作品よりもプロパガンダを選んだという見方は確かに可能です。僕だったらモザイクは絶対につけない。でも日本で上映することを最優先にしたかったという監督の心情も、ある程度は理解できます。……ここは難しいな。
【想田】でもね、たぶん監督にとって、モザイクがかかることはさほど都合が悪くないのでは。というのは、モザイクをかければかけるほど、漁師たちは顔の見えない存在になっていく。むしろ悪役に仕立てやすくなるわけです。だからそれほどこだわる必要はない。それも僕は、つくり手のプロパガンダ性を証左する部分だと思います。
先ほど隠し撮りをどう思うか、ご質問がありましたが、僕個人としては隠し撮りだからダメだとは思いません。隠し撮りで撮れるもの、隠し撮りじゃなきゃ撮れないものもあると思うので、それを最初から絶対ダメだと言うつもりはありません。でもそれをやるには、いろいろなことを覚悟しなければならない。隠し撮りというのは、被写体との関係性を放棄するということですから、そこには必ず断絶が映るわけです。漁師のことなんて理解しようとしなくていい、という断絶。善悪二元論の構図を象徴してます。だからオバリーだって、せっかく興味深い人物なのに、結局「正義」のイデオロギーに回収されてしまっていますよね。
【森】僕はメッセージの正しさや主張の強さで減点するつもりはない。「華氏911」だってそこに現れるムーアの思想については、僕はまったく同意します。やはり手法を問題にしたい。最終的にこの作品は、正義の味方的な二元論に回収されなかったと僕は思います。
<続く>
森 達也●56年生まれ。テレビディレクター、映画監督、作家。オウム真理教を素材にしたドキュメンタリー映画「A」、「A2」など。著書『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』『死刑』他多数。
綿井健陽●71年生まれ。フリージャーナリスト。98年からアジアプレス所属。イラク戦争のドキュメンタリー映画「リトルバーズ〜イラク戦火の家族たち」を撮影・監督。
想田和弘●70年生まれ。ニューヨーク在住の映画作家。ド キュメンタリー映画に「選挙」(ピーボディ賞)、「精神」(釜山映画祭最優秀ドキュメンタリー賞)など。著書に『精神病とモザイク』。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100607-00000303-tsukuru-soci
<(2)より続き>
【肖像権を侵してでも撮るべき場合も……】
【綿井】盗撮について言えば、僕は観る前は「盗撮でないと絶対に撮れない対象や状況なのか」ということを考えていました。この映画と同じくアカデミー賞のドキュメンタリー部門にノミネートされた「ビルマVJ」も隠し撮りですよね。あれは相手が軍事政権ですから、盗撮するしか方法がない。この映画は、あの入り江でのイルカ漁のシーンは、社会に見せるべき公共性を持っていると思います。映画を観た限りでは隠し撮りでしか撮れないでしょうね。
【想田】でも、YouTubeなんかでも、ヨーロッパのイルカ漁を撮った同じような映像もまったく普通に出てますよ。太地町だけじゃなくて、実はいろんなところでやってる漁なんです。隠し撮りしなくても、撮れるんじゃないの?
【綿井】太地町のイルカ漁は特徴があって、狭い入り江に追い込んで獲るという方法が象徴的ですよね。岩手県では沖合に出て行って突き刺して獲る。だから入り江の地形が特徴的なのが一つと、太地町から世界中の水族館にイルカを輸出している。太地町が水族館への供給源になっているから、あそこの実態を世界に知らしめれば、世界中のイルカが置かれている状況を変えることができると彼らは思ったのではないでしょうか。
【森】太地町は絵にしやすいってこともあるでしょう。まさしくコーヴ(=入り江)に追い込んで銛で突き、海面が真っ赤に染まる。映像的にはインパクトは強い。ならばそちらを選びます。その意味では当たり前です。僕だってそうします。
【想田】やっぱり、あの ・盗撮大作戦・ をやりたかったんだと思います。監督自身が言ってましたよね、「『オーシャンズ11』ばりだ」って。金庫破りならぬ盗撮をするために、世界のエキスパートを集める、そして犯罪スレスレのことをやってのけるというサスペンスフルな演出をするためなんです。リアリティTVという、アメリカでは非常に発達したジャンルがあるんですが、その手法をそのまま使っているわけで、「ザ・コーヴ」の手法は決して新しいものではありません。
【森】新しくないから無価値ではないですよね。手法は踏襲されるものです。リアリティTVって、無人島に若者を集めて、そこで何が起きるかを撮るっていうものですよね。あれはカメラ・クルーがあちこちにいて、撮影されてることはわかるようになっているの?
【想田】そうですね。日本で言うと「あいのり」という番組に近いです。ストーリーラインが予めあって、そのためにドキュメンタリー的要素を使うのです。ブームは去りましたが、一時はどのチャンネルをつけてもリアリティTVだというほど、流行っていたんです。先人の手法の踏襲は僕もやってますし否定しませんが、あれは紋切り型に見えました。
【森】盗撮については想田さんが言ったように、被写体との関係がつくれないので、僕もあまり好きではないし、基本的にはやりません。でも否定はしない。だってそもそもドキュメンタリーは、盗撮的な要素を否定しては成り立たない。カメラを隠していないにしても、「これがいずれ映画になります」などと映りこむ人すべてに告知しながら撮る人はまずいないでしょう。
少なくとも僕は、群集を撮りながらそのすべての人に説明などしません。ならば100%の盗撮ではなくても、何%かは盗撮的な要素が入り込むわけです。法的な定義はともかく、撮られる側からすればほとんど盗撮です。これは「靖国」の肖像権問題にも絡んでくるけど、ドキュメンタリーはそもそも、肖像権を侵害する表現領域です。人権を時には踏みにじります。その自覚と覚悟がない人に限って、「盗撮はいけない」などと口走る。
【綿井】シグロの映画プロデューサー・山上徹二郎さんが以前に、「たとえ肖像権を侵してでも撮らなきゃいけないものはあるんだ」と話していました。その言葉に非常に納得したのですが、この映画の場合、太地町の漁師たちが抗議するのはわかりますが、テレビなどでは出演している本人からではなく、周りの人が随分気にするでしょ。観た人たちが「顔が映っていて大丈夫なんですか?」などと訊いてくる。想田さんの「精神」の場合もそうでした。最近のテレビでも、「○○の許可を得て撮影しています」という但し書きテロップが、やたら多いですよね。
【森】権利を侵害するジャンルであるからこそ、ドキュメンタリーはテレビと相性が悪いんです。でも昔のドキュメンタリーは実に悪辣で、その意味では見事なドキュメンタリーが多かった。だから今のテレビと相性が悪いということですね。
あとは、盗撮に値するだけのテーマをきちんと提示しているかどうか。そこは大いに論議したほうがいい。
【漁民側の思いにあまりに無頓着】
【綿井】この映画の山場は、イルカの血で染まる海を見せ、残虐性を訴えるというラストシーンでしょう。そこばかりが強調されますが、映画の中ではイルカ肉の水銀含有量、あるいはIWCの政治性などを取り上げています。しかし、水俣病の資料映像を間に挿入するなど、ちょっと論理の飛躍や、水銀数値の事実関係の提示で非常に甘い部分もありました。でも、彼らなりの「この方法しかイルカを救えないじゃないか」という思いは理解できる。ドキュメンタリーの取材手法や定義、反捕鯨プロパガンダの問題性を超えて日本社会に訴える部分が、この映画にはあるのではないか。そこのところで、僕は肯定的な評価をしています。
【篠田】でも監督自身が、「運動のために映画をやってるんだ」と言い切っています。そうすると、ドキュメンタリーのテーマから、ちょっとニュアンスが違ってしまうのでは、という気はします。
【森】そんなコメントすらオンにしているということは、自分自身をも相対化しているということです。本当に運動に埋没しているだけなら、そんなコメントはオンにしません。何よりもこの映画を観たすべての人が、「イルカ漁はやめるべきだ」との主張に染まるとは僕には思えない。揺れるはずです。つまりプロパガンダとしても、決して完成されていない。
【想田】でも、アメリカではムーアの影響が強いせいか、「ドキュメンタリーは活動だ」と信じる作り手が多数派ですから、ああいうコメントをするのはよくあることで、自分自身を相対化していることの証拠とは限りませんよ。僕はむしろ悪い意味での素朴さを感じます。
【綿井】僕は太地町に行ってみて初めて知ったのですが、地元の人たちはまずイルカも鯨もさほど区別していなく、捕鯨文化を誇りに思っています。街には鯨と日本人の歴史を見せる博物館があり、イルカショーを見せる。ただ、イルカ漁は、水族館用のイルカを獲るところは誰でも観られますが、食用に回して殺す方のイルカ漁はさらに奥の入り江でやっているので外からは見えない。
【森】屠場もそうですよ。そういう現場を見たくない、見せたくないという心理は、どうしてもある。でも情報公開、つまり現場を見せて「これはちょっと……」とみんなが思うようなものであれば、もう少し控えるとか、違う方法を考えるとか、そうしていくべきだと思う。だからどんどんみんな屠場に行くべきだし、イルカ漁の現場も見るべきでしょう。その上で、それでも食べたいから食べるんだという合意形成ができればいい。
【想田】おっしゃることには賛成です。そういう現場を知ったほうがいいし、隠すのはおかしい。ただ、イルカ漁の現場を知らしめるために、漁師たちを悪役にする必要はありません。
【綿井】映画を観たときは「太地町はなぜそこまで隠そうとするんだろう」と最初思いましたが、町の人たちに話を聞いてみると、ここ数年、特に反捕鯨団体の活動と外国メディアの取材があまりに攻撃的で、それに対する反作用で彼らはハリネズミのような状態になっていると感じました。
【森】……僕がもしこの映画の監督だったら、イルカ漁に従事しながら、「本当は殺したくない」などと悩んでいる漁師を探します。そこにこそとても大事な矛盾や葛藤が現れるはずだから。確かにこの作品には、そういう気配は薄いですね。
【想田】そう、それがないんです。彼らにとっては、イルカを殺すことが仕事なんだし、誇りを持ってもいるでしょう。ちゃんとした関係性を築きながら被写体に向かえば、そういう部分も描けたはずです。別に悪魔のような人たちがイルカ漁をしているわけではなく、たぶん普通の愛すべき人々が行っているわけで、だからこそこの問題は根が深いわけでしょう。
【森】でもそれは視点の差異です。たとえば「A」における不当逮捕のシーンにしても、これがやがて映画として公開されることなど、あの警官は想像すらしなかったでしょう。だからこそあのシーンが撮れた。もちろんあの警官とコミュニケーションしながら撮れる要素もあるかもしれないけれど、それは少なくとも不当逮捕のシーンではない。
<続く>
森 達也●56年生まれ。テレビディレクター、映画監督、作家。オウム真理教を素材にしたドキュメンタリー映画「A」、「A2」など。著書『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』『死刑』他多数。
綿井健陽●71年生まれ。フリージャーナリスト。98年からアジアプレス所属。イラク戦争のドキュメンタリー映画「リトルバーズ〜イラク戦火の家族たち」を撮影・監督。
想田和弘●70年生まれ。ニューヨーク在住の映画作家。ド キュメンタリー映画に「選挙」(ピーボディ賞)、「精神」(釜山映画祭最優秀ドキュメンタリー賞)など。著書に『精神病とモザイク』。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100607-00000304-tsukuru-soci
<(3)より続き>
【正義と悪の二元論になってしまっているか】
【森】また鯨の話に戻っちゃうんだけど、日本捕鯨協会の英語版ウェブサイトには、「日本人にとって鯨を食べる伝統はアメリカ人がハンバーガーを食べる文化であり、オーストラリア人がミートパイを食べる文化であり、イギリス人がフィッシュ&チップスを食べる文化です。それを食べるなと言われたらどんな気分になりますか?」という記述が、ごく最近まであったようです。明らかに過度な表現です。日本語版には、この文章はありません。さすがに日本人がこれを読んだら違和感があるだろう、ということなのでしょう。そしてまた、こういう書き方をするから、反捕鯨の立場の欧米人から、「日本人はみんな日常的に鯨を食べている」と誤解されてしまう。
【想田】僕はイルカ漁自体には、非常に抵抗があるんです。個人的心情としては、早くやめてほしい。イルカ漁のみならず、肉食全般に対して疑問を持っています。環境的な負荷を考えても、全体的な肉の摂取量を減らした方がいいでしょう。例えば、今の日本人と同じように中国人が肉や魚を食べ始めたら資源はすぐになくなってしまうわけで、だからといって中国人に「食べるな」とは言えませんよね。これだけ地球の人口が増えてしまっていますから、肉にしろ魚にしろ消費量は減らしていくべきだし、まして食としての需要もないイルカを、わざわざ殺生する必要はない。それが僕の正直な感想です。
それでもこの映画が非常に問題だと思うのは、自分たちは正義の味方だという意識が、作り手にあるからなのです。そうすると、大切な感覚が麻痺してしまう。それこそ、漁師は悪役に描いてもいいとか、彼らのことは理解しなくてもいいとか、それを強調するためにはどんな手段を使ってもいいとか……。正義の味方になることによって、自分の誤謬に対する感覚も、相手をよく見る感覚も鈍ってくる。作り手として、それが一番の問題だと思います。
【森】想田さんが言ったことには、原則的には全く同意します。正義と悪の二元論的世界観に対抗するために、ドキュメンタリーはあるとすら思っていますから。でも繰り返しになるけれど、「ザ・コーヴ」はその二元論に埋没しきっていない。作品としてエンタテインメントを志向する方向が、その枠組みを内側から壊しかけています。確かに太地町の漁師たちを自分たちに敵対する存在として描いているけれど、水銀汚染などを告発する市民や、そもそもイルカ漁を知らない日本人などの文脈も加えている。よくできています。かなり計算しつくされている。国内版のモザイクの問題は、別の論議としてありますが。
【「反日映画を中止しろ」という抗議運動】
【森】「靖国」のときもそうだけど、日本を批判するような映画だから上映するな、という傾向が非常に強くなっていますよね。アメリカは確かに問題だらけの国だけど、少なくとも自らを批判するという自浄作用は常にある。だからマスメディアも含めて、ベトナムやイラク戦を批判する作品は数多い。ペンタゴン・ペーパーズやウォーターゲート事件もそうですね。ところが日本では、これが反日として叩かれる。あるいは外務省密約問題のようにメディアが沈黙する。
【綿井】日本でもかつてはたとえば、「ゆきゆきて、神軍」が公開されたときに、あの映画に反発を持った人は少なからずいたでしょうが、「上映を中止しろ」という動きはなかったですよね。
【森】その理由は簡単です。「靖国」は中国人で、「ザ・コーヴ」はアメリカ人が撮ったから。だからナショナリズムが刺激される。つまり内容じゃないんです。だから観ないで批判できる。言いながらこっちが恥ずかしくなる。
【綿井】「ザ・コーヴ」も、このまま「反日的映画だから上映を中止しろ」という動きになって、映画館が上映をやめるような事態だけは避けたい。映画は誰もが観る機会がまず保証され、それからドキュメンタリーの方法論から食文化問題までさまざまな議論が起きれば、この映画を通して日本や自分たちのことも見えてくるはずです。僕は小学校の給食で鯨を食べた世代なのですが、舌や味の感覚っていちばん保守的になる部分ですね。
【森】いろんな批評や意見が出ることは当たり前。でも表現そのものが封殺されるという状況は非常にまずい。しかも彼らのほとんどは作品を観てもいない。
【篠田】ここ数年、右の人たちの方が、若い人たちを巻き込んでいる。集会に行っても老人ばかりという左の運動に比べると、右の方が進化している。NHK「ジャパン・デビュー」のときも、右の側がネットで呼びかけたらどんどん膨らんでいき、1000人、2000人の示威行動になってしまった。社会に不満を募らせている若い人たちの捌け口が、排外主義の方へ向かってしまっているんですね。
【綿井】一部の団体は、朝鮮学校に「日本から叩き出せ」と押しかけたり、フィリピンのカルデロンさん一家に対して「犯罪外国人は帰れ」と学校前でデモを何度もやったり、人種差別的な排外主義が強くなっていますね。あれは抗議ではなく、脅迫です。アメリカでは、配給会社や映画館に押しかけていって上映中止を求める運動というのはあるんですか?
【想田】そうですね……、たとえば「国民の創生」というD・W・グリフィスが撮ったサイレント映画があるのですが、これは人種差別主義者の過激団体であるKKKを正義の味方として描いた映画なんです。これをやるときには必ず大問題になりますね。
【森】マイケル・ムーアやモーガン・スパーロックなどの映画に対して、反アメリカ的な作品だから上映するなということにはならないでしょう?
【想田】ほとんどありませんが、「華氏911」のときに、ブッシュ支持派がデモをしたことはありました。でも実際にそれが上映中止になるんじゃないかと恐怖を感じた人はいないですね。
【綿井】ドイツではナチスを肯定的に扱ったものはできないですよね。日本で昨年、ナチス党大会の映画「意志の勝利」が上映されて話題になりましたが。今もドイツでは一般上映禁止作品です。
【森】その封殺の反動のひとつがネオナチです。
【篠田】「靖国」のときも、自主規制が安易に作動してしまった。抗議を受けても、そこで踏ん張らなきゃいけないという歯止めが、あまりないんですね。
【森】「靖国」公開の際の騒動の本質は、言論の自由の弾圧というレベルではなく、映画館も含めて表現する側の自主規制です。それは今回も同様です。
【想田】結局、上映中止を求める側も彼らなりの正義を背負っているわけだから、要するにこれは正義と正義のぶつかり合いで永久に平行線。お互いに聞く耳を持ち合うことが必要じゃないかな。
<了>
森 達也●56年生まれ。テレビディレクター、映画監督、作家。オウム真理教を素材にしたドキュメンタリー映画「A」、「A2」など。著書『それでもドキュメンタリーは嘘をつく』『死刑』他多数。
綿井健陽●71年生まれ。フリージャーナリスト。98年からアジアプレス所属。イラク戦争のドキュメンタリー映画「リトルバーズ〜イラク戦火の家族たち」を撮影・監督。
想田和弘●70年生まれ。ニューヨーク在住の映画作家。ド キュメンタリー映画に「選挙」(ピーボディ賞)、「精神」(釜山映画祭最優秀ドキュメンタリー賞)など。著書に『精神病とモザイク』。
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