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国債「暴落」シナリオの現実性/上野泰也(みずほ証券チーフマーケットエコノミスト)じわじわと拡大していくような危機 http://www.asyura2.com/10/hasan68/msg/114.html
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100514-00000001-voice-pol ◇じわじわと拡大していくような危機◇ いわゆる国債「暴落」シナリオがいつから現実味を帯びるのかを考えるうえで、通常引き合いに出されるのは、金額的なバランスである。 筆者を含む多くのエコノミストが用いているのが、日銀が発表している資金循環勘定を基にした計算である。たとえば、(1)2009年12月末時点で1456.4兆円である家計金融資産のうち、借り入れを除いたネットの資産である1148.3兆円という数字を、まず把握する。次に、(2)中央政府と地方公共団体を合計したネットの債務残高(国債・財融債・国庫短期証券・地方債についての負債―資産)を計算(09年12月末時点で622.9兆円)。(1)から(2)を差し引いて出てくる「すき間」とでも呼ぶべき金額、すなわち525.4兆円を、「国債消化余力」の大まかな数字と認識したうえで、その縮小ペースから、いつごろまで国債消化が大丈夫か、すなわち海外マネーに頼らずに、増発される国債・地方債の消化が家計の潤沢なマネーによって、いつまで可能かを考えようとするものである。ここで、09年10―12月期までの3年間についてみると、1年当たりに均した縮小ペースは51.8兆円。「すき間」である525.4兆円を51.8兆円で割ると、まだ10年強は国債の国内家計マネーによる消化は大丈夫だ、という話になる。 また、足元では金融機関における預金の積み上がりが順調で、「すき間」の縮小を妨げる方向に作用している。だが、財政運営が拡張バイアスを帯び、赤字財政が継続しているなかで、大きな流れとして「すき間」がなくなる方向であることに変わりはない。 企業部門がマクロでみて資金余剰だから国債消化の「すき間」はもっと大きいはずだ、という見方もあるが、いずれ景気がそれなりに回復して企業が資金調達意欲を強める場合には、状況は変化しうる。企業の資金ニーズが政府部門のそれとぶつかり合う「クラウディングアウト」のリスクがあることも、認識しておかなければなるまい。 また、前記の試算は、家計金融資産の「国外逃避(キャピタルフライト)」が大規模に発生することはなく、資産運用におけるホームバイアスが今後も強いままであることを前提にしていることも留意点である。09年12月末時点で、家計金融資産のうち、外貨預金が5.3兆円、対外証券投資が7.7兆円。両者の合計は家計金融資産全体の約0.9%にとどまっており、いまのところキャピタルフライトは、きわめて限定されたものにとどまっている(このほか外為証拠金取引や外国投信もあるが、結論に変わりはない)。 しかし、仮に日銀券や日本国債の信認に傷をつけるような過激な経済政策が今後採られるようだと、話は悪い方向で変わりうる。 さらにいえば、マーケットというのはつねに先読みをしながら動くものであるため、フルにあと10年もつかどうかは不明確である。10年たったところで断層的な危機が生じるというのではなく、日本の国債市中消化における海外マネーのプレゼンス増大の方向感が徐々に明確になり、かつ市場で意識されていくなかで、彼らが要求するリスクプレミアムがある一定時点から徐々に増大していくというかたちで「悪い金利上昇」がじわじわと起こり、かつ持続性を増していくというのが、より現実味のあるシナリオだろう。 すなわち、筆者がもっぱら描いているのは、国債の「暴落」とでもいうようなクライマックスが断層的なイベントとして生じるのではなく、ファンダメンタルズにそぐわない「悪い金利上昇」の上乗せ部分が、ある時点から持続性を帯びて、じわじわと拡大していくようなシナリオである。日本国債の消化における海外投資家のプレゼンスが増大すると、格付け会社が日本国債の格付けを引き下げる場合、その長期金利への影響度合いは、国債消化が国内マネーでほぼ完結していた時期に比べると、当然大きくなってくる。 ただし、そうした金額的なバランスについての単純な計算とは別の角度からも、日本の国債消化状況の安定度や財政政策の安定性をチェックしていく必要があろう。 格付投資情報センター(R&I)が09年4月に公表した「ソブリンの格付けの考え方」をみると、「経済ファンダメンタルズ」「政策運営力」「財政状態」「資金調達力」といった諸項目よりも前に、「政治・社会の安定度」が挙げられており、次のような記述がある。 「政治・社会の安定は、政府が適切な政策運営を進めていくうえでの基盤である。政治・社会体制の違いは問わないが、円滑な政権交代を保証するシステムの存在や、政権の安定度と債務継承の確実性を見極める。その場合、法による統治の浸透状況は重要な要素になる。内乱や暴動、革命の危険が高まれば、経済の混乱や財政の悪化につながりやすく、債務履行はおぼつかなくなる」 「宗教や民族間の対立や貧富の格差など、内乱やテロにつながる潜在的な要素にも注意を払う」 前記は、政治体制の民主化が不十分な国々のカントリーリスクを主として意識した記述であろう。しかし、直近で発生したソブリンリスク関連の大きなイベントであるギリシャの財政危機をみていると、先進国と呼ばれる国々においても、政治・社会の安定度合いが「悪い金利上昇」の有無あるいは大小を決定する上で大きな要因になりうることに気づかされる。 ◇日本人はどこまで「従順なヒツジ」たりうるか◇ ここでは、引用したR&Iのコメントに加え、ギリシャの事例なども参考にしながら、あくまでも一つの試みとして、政治・社会の安定度合いに関するいくつかの着眼点を、筆者なりに提示してみたい。 (1)政治体制あるいは政府の安定度 まず、民主的な手続きを経ない政権交代の可能性(クーデターなど)を検討する必要があるだろう。ギリシャでは1967年に軍部がクーデターを起こし、68年から74年まで軍事独裁政権が続いた。韓国では、61年と80年にクーデターが発生している。しかし日本では、自衛隊に対するシビリアンコントロールがしっかりしている。作家三島由紀夫が70年に起こした「三島事件」(自衛隊に決起を呼びかけた)や、95年の地下鉄サリン事件が人びとの記憶にあるものの、戦後日本はクーデターとは無縁になっている。 むしろ日本で今後注視すべきは、(民主主義政治の下での)政権の枠組みと政策運営のリーダーシップの強さである。連立政権が、近年の日本では常態化している。一般論として、連立政権では複数の与党の異なる意見を集約する必要があることから、果断な政策決定が行なわれにくい面がある。政治不信の広がりと価値観・世代別利害の多様化に鑑みると、日本が将来、二大政党システムではなく、欧州の一部の国のような小党分立に陥ってしまう可能性も否定できない。 (2)大規模なストライキが発生する可能性 ギリシャ財政危機の行方を左右しうる要素として、筆者を含む市場関係者は、労働組合による大規模なストライキに注目した(たとえば、10年3月11日にはギリシャの国内二大労組が24時間ゼネストを決行)。パパンドレウ政権による財政緊縮策への国民の支持はどこまで維持されるのか、ストライキによる経済麻痺が財政緊縮計画の前提となる経済シナリオの下方修正につながるのではないか、といった視点からである。主要国でも、改革をめざした政権が交通ストで苦しんだ事例がある(89年の英サッチャー政権など。直近でも10年3月23日、年金改革を掲げたサルコジ大統領に反対する大規模な24時間ゼネストがフランス各地で行なわれ、交通機関などが混乱した)。 しかし日本では、交通機関の麻痺につながるような大規模なストライキは、過去20年以上にわたって発生していない。また、労働組合の組織率は低下基調にある。 (3)所得面の格差拡大 所得面の格差は、本当に拡大しているのか、原因は小泉純一郎内閣による構造改革路線か、という論争が続いているが、ここでそうした論争に踏み込むつもりはない。代わりに、客観的事実として、生活保護を受けている人の数がこのところ急増していることを指摘しておきたい。厚生労働省が発表した09年12月の福祉行政報告例(概数)によると、生活保護の被保護実人員のうち、現に保護を受けた人員は181万1335人。180万人超えは56年5月以来、約53年半ぶりのことだという。一般論として、貧富の差が拡大する場合、政治的な不満が蓄積しやすくなると考えられる。財政緊縮策への支持も広範には得られにくくなるだろう。そこで政府が低所得者層への目配りを強める場合、財政負担が増加することは避けられなくなる。 国債の「暴落」あるいは持続的な「悪い金利上昇」といったシナリオの実現可能性を吟味するうえで、金額的なバランスの考察が「ハード」だとすれば、上記(1)〜(3)で例示したような角度からの考察・検討は、国民性や国民感情といった部分についても検討範囲に加えようとする「ソフト」の部分だといえそうである。そして、この「ソフト」の部分において、日本人がどこまで将来の各種増税や歳出削減(=行政サービスの低下)を容認する「従順なヒツジ」でありうるかが、日本の財政と長期金利の将来シナリオを左右してくる面が小さくない、と筆者は考えている。 大幅な消費税率引き上げを含む将来の財政緊縮策に、国民はどこまで素直に従うことになるのだろうか。非合法の政権交代や大規模なストは起こらないとしても、消費税率引き上げを実行した政党が選挙ですぐに敗北するようなことにはならないのだろうか。また、将来について明るい展望が開けてこないなかで、日本の家計金融資産のホームバイアスは、どこまで維持されうるのだろうか。 時代が変わり、世代が入れ替わるとともに、日本人の国民性にも必然的に変化が生じてくるだろう。筆者は今後も、「ハード」と「ソフト」の両面から、日本の経済・財政問題を注視していく所存である。
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