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Re: いよいよ民主党、富の再分配、ベーシック・インカムの下準備開始、平成維新へまっしぐら
http://www.asyura2.com/10/hasan67/msg/592.html
投稿者 君主と社会民主、共産と自由の相異点1 日時 2010 年 4 月 09 日 09:08:32: nf/S/hcbrHIow
 

(回答先: いよいよ民主党、富の再分配、ベーシック・インカムの下準備開始、平成維新へまっしぐら 投稿者 君主と社会民主、共産と自由の相異点1 日時 2010 年 4 月 07 日 12:11:52)

>22. 君主と社会民主、共産と自由の相異点1 2010年4月09日 08:52:43

上記コメントをここフォローウアップにアップしなおしました。

>18ベーシックインカムは、通貨制度改革とともに行なわれなければならない。
社会信用論
http://bijp.net/transcript/article/27


上記の社会信用論、拝見させていただきました。
下記の一説に目からウロコでした。

>ダグラスによれば、生産は個々人の労働能力ではなく共同体の文化的伝統の成果であり、ゆえにすべての国民にはそうした伝統の相続人として配当をもらう権利がある。

人間、自分一人で生きているなんて思っている人は大間違いであることが分りました。
今までの自分が恥ずかしくなりました。
驕りは禁物ですね。

誠に有り難うございました。

以下引用開始

--------------------------------------------------------------------------

朝日新聞中部版関曠野さん原稿この関さんの朝日新聞掲載の文章は、2009年3月8日「生きるための経済」の講演録を要約した内容となっています。最初にこちらの文章をお読みいただくことをお勧めいたします。

景気の底が見えない。日本でも海外でも目下経済は無情な悪循環の中にある。景気の悪化で企業の倒産や失業が増えれば人々の所得の減少で消費は落ち込み、それがさらなる倒産や失業を生む。今の経済危機の根本原因が人々の所得不足にあることは明らかである。だが危機の中であえいでいる企業に雇用による所得の保証は期待できない。しかも現代は産業のオートメ化が極限にまで進行した時代であり、たとえ経済危機がなくても現代人の大半は潜在的に失業者なのだといえる。

だが庶民の所得が回復しなければ経済は動きださない。それならば雇用と所得を一定程度切り離したらどうか。かねてから一部の人々の間で議論されてきた基礎所得(ベーシック・インカム)保証の制度は今こそ世間の関心を集めていい。これは、子供を含むすべての国民に個人単位で月八〜十万の基礎年金程度の所得を生涯にわたり一律無条件に支給する制度で、支給に際し生活保護のような資格審査はなく貧富の差も考慮されない。この制度はおそらく危機の根本的打開策になるだろうが、問題はその財源である。税収が大きく落ち込む中で所得税や消費税ではこの制度にかかる膨大な費用を賄うことはできない。それでは経済の特効薬に見える基礎所得保証はやはり絵にかいたモチなのだろうか。

いや、そうではない。従来基礎所得保証の議論は福祉国家論の延長線上でなされてきた。そして「国民配当」の名で最初に所得保証の必要を論じたのは、大恐慌当時に社会信用論(ソーシャル・クレジット)を提起しケインズにも大きな影響を与えた英国のクリフォード・ダグラスであることが忘れられてきた。このダグラスにおいては所得保証は通貨改革の必要と一体になっている。そして彼の視点に立つならば、国民配当実施のための「財源」という問題は存在しないのである。

機械制大工業の時代に入ると企業には巨額の設備投資や研究開発費が必要になり、企業の経営は銀行の融資に左右され、「利子つき負債」である銀行信用がますます経済全体を動かすようになってくる。そのうえ企業の生産費用の中では減価償却費などに反比例して勤労者の賃金給与に充てられる部分が小さくなっていく。そして問題は、この事態が商品の価格を決定していることである。需要と供給の均衡で価格が決まるという古典経済学の説はもう通用しない。価格には銀行への返済や減価償却などの費用が含まれているのに、勤労者が雇用で得た所得は生産費用のほんの一部をなすにすぎない。ゆえに彼らは消費者としては企業が生産したものに見合うだけの購買力をもたない。こうして市場経済の現状では人々は所得不足、企業は販売不振に苦しみ、これは最後には恐慌に行き着く。

この状況に対し社会信用論は、信用の社会化、国民配当、正当価格という解決策を提示する。危機の根本は、銀行が自らの金融的利益の観点で実体経済に介入し社会の生産と消費を左右していることにある。だから政府が自ら公共通貨を発行し、社会の潜在的な生産と消費の能力に即してそれを無利子か超低利子で融資すればよい。そして人々の慢性的な所得不足を解消するためには国民配当が必要である。ダグラスによれば、生産は個々人の労働能力ではなく共同体の文化的伝統の成果であり、ゆえにすべての国民にはそうした伝統の相続人として配当をもらう権利がある。だがこれだけでは価格のひずみの問題は片付かない。かりに消費の低迷で経済に30パーセントの需要ギャップが生じたとすれば、それに等しい割合で小売価格を一律に引き下げる必要がある。そしてこの割引した分は後で国家から小売部門に補償される。こうして価格は、それによって生産と消費が均衡する「正当」なものになる。

社会信用論においては通貨は商品ではなく分配の手段である。それは消費のための生産を円滑に促進する切符のような手段であり、所得保証はそうした通貨供給の一環なのである。そして今日的な視角からも社会信用論は重要である。まず第一にこの方式の下でなら人々が環境保護を重視し基本的な欲求を充たした後は余暇を楽しむ生き方を選んでも経済に混乱は生じないだろう。そして現在の経済危機は明らかに文明の転機なのだが、省エネ化によるエネルギー収支の多少の改善は転換と呼ぶに値しない。おそらく文明の転換のためには無数の人々が草の根レベルで試行錯誤を重ねて新しい生き方を模索することが必要だろう。基礎所得保証の最も重要な意義はそうした社会の実験を容易にすることにある筈だ。

(朝日新聞中部版2009年5月12日の夕刊・文化欄に掲載されたものを転載)

2009.05.18 | Trackback(2)

ベーシックインカム・実現を探る会:講演録 - 社会信用論
http://bijp.net/transcript/category/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BF%A1%E7%94%A8%E8%AB%96/
 

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コメント
 
01. 2010年4月09日 09:38:23: M4IIJOrPUw
日本の大企業が日本を支えているなんて大間違いですね。
勝ち負けを最初に考える人は、利益第一主義、競争主義、実力主義、・・・

心のやさしい人は、まず自分のことより相手のことを考えます。
家族のこと、
地域のこと、
自治会のこと、
学校のこと、
職場のこと、

そう、他の人の幸せがが自分の幸せなのですね。
この醍醐味が、
わかる、分る、判る、解る
否、ワカッタときがクライマックス

グゴローバル主義と全地球と一体感、共振なのですね。
地震は最高の共振なのですね、お祭みたいに。?


02. 2010年4月09日 10:17:12: M4IIJOrPUw
需要と供給の均衡だけたよっていては、最後には恐慌に行き着く。

恐ろしいですね、金の亡者によって金が買い占められると最後は行き詰まります。
そうなる前に、累進税率の引上げや、給付金による平準化が必須であることが分ります。

不況に陥ったときに、戦争やテロなどのネガティブショック(破壊行為)がない限り、インフラは無傷でのこりますので、運用方法の変更で生き返ることが可能であることが分りました。
(バブル、インフレはポジティブショックですが、デフレも負のポジティブショックですね。)

今まではルックイーストでしたが、今後はルック北欧(ノルウェー、スウェーデン、フィンランド)様様ですね。
(マハティールさんに教えてあげたいですね。)

下記のこの一説も鱗ですね。


>需要と供給の均衡で価格が決まるという古典経済学の説はもう通用しない。
価格には銀行への返済や減価償却などの費用が含まれているのに、勤労者が雇用で得た所得は生産費用のほんの一部をなすにすぎない。ゆえに彼らは消費者としては企業が生産したものに見合うだけの購買力をもたない。こうして市場経済の現状では人々は所得不足、企業は販売不振に苦しみ、これは最後には恐慌に行き着く。


03. 2010年4月09日 13:21:57: 4jR6EEAOpI
1980年、マリー・ロスバード

自由(リバティー)の制度は、自発的なものを促し、犯罪的なものを妨げて、
犯罪と攻撃を正当化する唯一の経路を取り去りますから、
自由な社会が、実際、今よりも、暴力犯罪と攻撃に苦しめられないことが期待できます。
それらが完全に消え去ると考える根拠はないとしてもです。
これは、空想的な理想主義(ユートピアニズム)ではありません。
社会的に正当と考えられているもの、社会における賞罰の構造における変化の、
常識(コモン・センス)的な結果です。

社会主義の主なる目標の一つが、 「新しい社会主義者」(New Socialist Man)、
集団(コレクティブ)のために勤勉に利他的に働くことを主なる目標とする個人を、
実際、全体主義の手法によって、創り出すことです。

社会主義が、「経済的」もしくは「物質的」動機を、
「道徳的」だとか「霊的」だとか言っているものに取り替える時、
経済的繁栄ではなく、漠然とした「生活の質」を促進するんだという時、
社会主義は、特に、独裁的になることは、留意しておかねばならないでしょう。

報酬が、生産性に応じて調整される時は、
生活水準が高まるだけでなく、かなりの自由(フリーダム)が増えます。
社会主義の母国に対する利他的献身だけが、拠り所とされる時は、
その献身は、通常、鞭(むち)によって補強せざるを得ないからです。

近年において、地球上で、最も恐ろしい独裁体制が、
ポル・ポトのカンボジアであったことは、疑う余地がありません。
そこでは、「物質主義」が完全に取り除かれ、お金が、政権によって廃止されました。
お金と私有財産が廃止されて、各個人は、
国家から配給される生活の糧の施しに完全に依存し、生活は修羅場となりました。
「たかが物質的な」目標や動機を冷笑する前に、慎重になるべきです。

自由市場に対して、「物質主義」だとする非難は、
どんな人間行為もことごとく、人間のエネルギーを用いて、
その行為者が抱く考えと目的に従って、形のある物質を変化させることを伴うことを無視しています。
「精神的」もしくは「霊的」なものを、「物質的」なものから切り離すのは、不可能です。

私たちが、理解しなければならないのは、
その行為が、人の自発的な同意によって、自由に行われたのでなければ、
道徳にかなった行為だとは、見なせないことです。

もしも、暴力、もしくは、暴力の脅しによって、強制されて、ある行動を実行したら、
それは、その人にとっては、もう、道徳上の選択ではあり得ません。
行為の道徳性とは、それを自由に選び取ることからのみ生じることが出来ます。
もしも、拳銃を突きつけられて、それを実行するよう無理強いされたのであれば、
道徳的な行為とは、とても呼べません。

それゆえに、道徳的行為を無理強いしたり、不道徳な行為を法律で禁じたりすることは、
道徳や美徳を広めるのを促進するとは言えないのです。
それどころか、強要は、道徳を萎縮させます。
道徳的か、不道徳的になる自由を、個人から取り去ってしまい、
それゆえに、人々から、道徳的になる機会を力づくで奪い取るからです。
逆説的ですが、強制された道徳は、私たちから、道徳的になる機会そのものを奪うのです。


2010年3月17日、ロン・ポール

少数の人たちが、経済全体に対して及ぼす、
本当に力と支配を握っているということを示しています。

しかし、これは、自由市場資本主義とは、何の関係もないシステムだと思います。
これは、管理経済、中央計画経済に関係しています。
これは、価格操作(価格協定)の一形態です。
中央銀行によって決められている金利は、価格操作です。
それが、自由市場経済の一部を成しているはずがありません。
それが、信用創造で、そのせいで、人々が間違いをおかします。
そして、ここ議会での赤字を助長しています。

議会は、実際、中央銀行に異を唱えたくないのです。
自分たちが、たくさん使っていますから。

だから、中央銀行が、私たち、個人の自由(リバティー)と、
制限された政府を信じている者たちにとっての脅威です。
この進められているものが、平均的な人に役立つことは、ほとんどありません。
失業率は、20%に上がったままです。
普通の者は、融資も受けられません。
でも、ウォール街は、かなり調子よくやっています。

しかし、これほどの力があっても、中央銀行も、
最終的には、やはり制限されているのです。
市場によって制限されるのです。
きちがいみたいに通貨を膨張させることは出来ます。
金融バブルにすることは出来ます。住宅バブルにすることは出来ます。
しかし、結局は、市場が、それは大きすぎる、修正しなければならないと言うのです。
すでに、間違いをおかしてしまっています。
それで、市場が、デフレを要求しています。
しかし、もちろん、議会と中央銀行は、このバブルを維持するために、
考えられる、あらゆることをやっています。
しかし、これも、中央銀行には制御できないものです。
いったん、態度の変化が、やって来って、
この膨張した通貨供給が、市場に入っていくことになれば、
物価が、またもや上昇して、中央銀行が、対処に困ることになります。

インフレ期待と、お金の流通速度は、主観的に決定されます。
通貨供給量、条件、コンピューターについて、どんなに客観的になっても、
それを予測することは出来ないのです。
明日や、来年が、何をもたらすのかは、私たちには、分かりません。
私たちに分かっているのは、エンジンが、そこにあるということ、
機械が、そこにあるということ、ハイパワード・マネーが、そこにあるということです。
もちろん、私たちは、いつか、それに直面することになります。


04. 2010年4月09日 13:31:14: 4jR6EEAOpI
社会主義者が、またこら、大衆をダマして抑圧するアイデアを考え出してきました。
社会主義者が、またこら、価格(需要と供給)を操作すればユートピアが来ると嘘をついています。
社会主義者が、またこら、おのれらが招いた問題を資本主義のせいにして、社会主義のアジェンダを押し進めようとしています。
スレ主は、それにダマされて片棒かつがされて、「恥ずかしい」醜態をさらしていますw

05. 2010年4月09日 13:46:09: 4jR6EEAOpI
2010年3月17日

Ron Paul

もしも、金利が、市場よりも低いと、
投資家、企業家たちが、間違いをおかすと思いませんか?
低い金利は、貯蓄があると示すものではないのですか?
もしも、貯蓄がないのに、連邦準備制度が新しく創造した信用ゆえに、金利が低かったら、
それが、投資家たち、企業家たちに、間違った合図を送りませんか?


Ben Bernanke

中央銀行業は、技能(アート)です。
我々は、我々の二つの任務の均衡を取る必要があります。
我々の二つの任務は、最大雇用と物価安定です。
我々は、その任務の両面に、できるだけ近づけるような、
適切な政策を見つけ、試みる必要があります。


Ron Paul

こうした間違いは、すべて、偽りの情報を持っているがためだからです。
価格操作です。

賃金と物価の統制を、誰も擁護していないのは、
そんなの、すべて、偽りの情報だからです。
価格操作で、経済を動かすことは出来ないのです。
それだから、社会主義は、失敗するのです。

もしも、あなたが、金利という価格を操作すれば、
それは、経済の半分です。
あなたが、金融システムで、干渉しているのですから。
それなのに、突然、私たちは、そのことを論じずに、
我々には、もっと優れた、さらなる規制が必要なのであり、
それで、我々は、この問題すべて、解決することになるのだと言います。


Ben Bernanke

我々には、通貨供給量を決めるシステムが必要です。
あなたは、金本位制を支持しておられると思いますが、


Ron Paul

私が支持しているのは、憲法です。


Ben Bernanke

しかし、現在、世界の主要な国は、どこも、中央銀行を用いています。
通貨供給量についての決定を行わねばならないのです。
それを安定させるか、それをいろいろ動かすか。

それでも、その選択をしたのです。


Ron Paul

しかし、それからは、残念ながら、投資家に良い情報がありません。


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